第11話 異形なる飛翔
颯爽と飛ぶネロアの背中が、木々の間を縫うように雑木林の奥へ消えていく。
「んもう。調子いいんだから。行こ、二人とも」
両手を腰に当てて呆れ顔のつぐが、しかたなさそうにネロアを追って駆け出す。
しばらく進むと、独特な黒い紋様のあるネロアの背中が見えてきた。そして小さな白猫の正面には見覚えのある黒い穴。
ネロアはあれを時空の裂け目と呼んでいたっけ。
空中に佇む拳大の穴は、闇のように暗くて、見るもの全てを吸い込んでしまいそう。……不気味だ。
「本当にこんなところにあるんだ……」
つぐは感心したような半ば呆れたような顔を時空の裂け目に向ける。
「たまたまこのあたりをウロウロしてたら目に留まったんだ。さっそく行ってみよう。すぐに襲われるかもしれないから、みんな心の準備だけしておいてね」
言い残すと、ネロアはためらいなく時空の裂け目に触れた。顔から順番にその全身が暗い穴に飲み込まれていく。
「大丈夫、桃璃さん? 辛かったら遠慮なく私たちを頼ってね」
さっきから一言も発しない私を気遣ったのか、聖さんが柔らかく微笑む。
その言葉に私は自身の顔の力が抜けていくのを感じた。そして今になって初めて、自分が硬い表情のしていたことに気づいた。
「ネロアもああ見えて案外いろいろ考えてるのよ。ちょっと無神経なところはあるけどね。全員で協力すれば、きっとうまくいくわ。帰ってきたらみんなでお弁当食べましょう。じゃあ先に行くわね」
「……ありがとう」
聖さんの指先が穴に触れると、その姿が一瞬で裂け目に消えていく。
「無理しないでよ、律火」
「つぐもね」
つぐは私に向けて軽く笑みを浮かべると、穴へ駆けた。みぞおちが穴にぶつかった瞬間、少女の小さな体は一瞬で穴に飲み込まれた。
一人残された私は自分の両手に視線を落とす。
両手を包むのは消え入りそうなほどに薄っすらとした魔力。もう残り時間が少ない。……急がないと。
人差し指の先で裂け目に触った瞬間、世界が一気に暗転し、全ての音が消えた。
ほどなくして視界が回復すると、目の前にはさっきの雑木林。さっきまでと全く同じ光景。
しかしつい先ほどまで遠くから聞こえていた生活音が、今は一切聞こえない。ひどく静か。この世界はいつもこうなんだろうか。なんだか寂しい場所だ。
「よし。みんな揃ったね」
「降魔は?」
私は周囲を警戒しながら、ネロアに尋ねた。
「ここにはいないらしい。探そう。たぶんそう遠くにはいないはず」
雑木林を抜けて学校の近くまでやってくる。宙を漂うネロアを先頭に、その後ろを私たち三人が並んで歩く。舗装された車道の上は、至るところに雑草が生い茂る雑木林と違って、遥かに歩きやすい。この世界なら車に轢かれる心配もない。
しんと静まり返るこの世界にいると、ふと昨日のことを思い出す。私は一度この世界で死にかけている。いや、死んだのか。嫌な記憶。だからだろうか。この場所にいるとなんだか心が落ち着かないのは。
周りの三人――というか二人と一匹――は実に冷静で、私のようにそわそわと周りを見渡すこともなく、まっすぐ前を見据えて堂々と歩いていく。慣れなのかな。
先っちょの黒いしっぽを揺らしながら、先頭を飛ぶネロアが、
「でも律火が魔力を奪った相手がつぐでよかったよ。もしも奪った相手が聖だったら今頃死んでただろうし」
「縁起でもないこと言わないでよ。こっちは体調悪いんだからね」
聖さんが少し心配そうに、
「でもそうなると今日の降魔はただ倒すだけじゃダメなのよね」
「うん。律火が魔力を奪ったうえで倒す必要がある」
「できるかしら?」
「やってみるしかないね。ま、つぐもいるし大丈夫じゃないかな」
「……だといいけど」
どことなく力無い声で聖さんはつぶやいた。
「心配なの聖? 三対一なんだからこっちのほうが有利だよ。僕も後ろで応援してるし」
「そうは言ってもつぐは本来の半分くらいの力しか出せないわけでしょ? 桃璃さんは無茶できないし」
たしかに私はまともに戦えそうもなかった。こうやって歩いているだけで、全身に強い倦怠感がある。
「……私に至っては元から数に入らないようなものだしね」
聖さんは自嘲気味につぶやいた。
「それは相手の強さ次第だよ」
「どうかしら。私の魔力で相手できるとは思えないけど……」
「ねえ、気になってたんだけど魔力ってなんなの? 魔力の量がそんなに大事なの?」
私が疑問をぶつけると、私たちの前を飛んでいたネロアがピタリと動きを止め、おもむろに振り返る。
「ものすごく大事だよ。魔法使いにとって魔力は戦いのエネルギーそのもの。魔力の量は攻撃力や防御力に直結する。つまり魔力量が離れるごとに加速度的に実力が開くってことさ」
「その理屈だと私って不利じゃない? だって魔力が減り続けていくんだし」
「そうだよ」
「そうだよって……。あっさり言ってくれるね」
「時間経過で魔力が減るなんて、魔法使いとして致命的だよ。だって、ただぼうっとしてるだけでどんどん弱くなっていくんだから。一定値以下まで魔力が減少すれば、降魔との戦いは極めて不利になるだろうね。魔力が減少する前にいかに降魔から魔力を奪うかを考えないと、律火の今後は厳しいと思う」
「要は休まず降魔と戦えってことでしょ?」
「そうなっちゃうよね。どうしても」
「……で、この世界の降魔はどこにいるわけ? もうずいぶん歩いたよね。私疲れてきたんだけど」
「さー? 僕に言われてもね」
ネロアは悪びれる様子もなく、そっぽを向いた。無責任なやつ。
その時。
『pipi……pipipipi……』
静寂の世界に電子音のような奇妙な音が響いた。
「なんなのこの気味の悪い音は……」
「あ! 見てみんな! あそこ!」
つぐが空を指さす。上空にショッキングオレンジの球体がふよふよと漂っている。
直径三メートルはあるだろうか。かなり大きい。
丸い全身からは、先端に丸みのあるオレンジ色の突起が無数に生えている。
そして球状の本体の真ん中には、大きな目玉がひとつ。いや、むしろ巨大な目玉がオレンジ色の皮に包まれてると言ったほうが近い。
なんだあの禍々しい物体は……。気持ち悪っ……。
「pipi……pipipipi……」
謎の物体は鳴き声とも電子音ともつかない奇妙な音を発し続けている。
「昨日と違う……。あれも降魔なの?」
「どうやらあれがこの世界の降魔らしい。しかも奇妙な外見に似合わず魔力量が相当多い。今のつぐさえも上回っている。好都合だ。全部奪い取れば相当回復できるよ」
じっと目を凝らしてオレンジ目玉の魔力を探ってみる。
オレンジ色の全身の周囲で、つぐを上回るものすごい量の魔力が揺らいでいるのがわかる。
と、硬い表情の聖さんが。
「ちょっと待ってネロア! まずいじゃない。ここまで魔力差があると、下手に手を出せないわ」
「だからこそ三人で力を合わせる意味が生まれるんだよ。たしかに今のままじゃ不利だ。戦いにおいて魔力差は致命的な要因だしね。……律火の力を使おう」
「桃璃さんの?」
「なんとかして律火の力であの降魔の魔力を奪うんだ。パワーバランスを逆転させれば勝機が生まれる」
「そんなにうまくいくかしら」
「ま、物は試しだよ。やってみよう」
「のんきねえ。あなたは」
厳しい顔の聖さんとは対照的に、ネロアは至極落ち着いた様子。
まあそれはいいんだけど、一つ大きな問題があることな私は気づいた。
「ねえ、ちょっと待って! あの降魔、浮いてるけど? あんなのとどうやって戦うの?」
地上十メートル以上の高度に浮かぶ降魔。これじゃあどうあがいても攻撃が届かない。魔力を奪うにしても手が届かないんじゃそれも不可能だ。
「ああそうか。律火は知らないんだね」
「なんの話?」
なんとなく意味深なセリフを吐くと、ネロアは私の目の前までスゥーッと飛んで来て、自信満々の顔で、
「魔法使いは飛べるんだよ!」
そんなちょっと頭の弱そうなことを言った。
「……ほうきでも出るわけ? てか近いわよ」
鼻先数センチの距離から、つぶらな橙色の瞳で見つめてくるネロアの鼻を、指で押し返す。
ネロアの言う"飛べる"の意味が分からない。ジャンプ力が上がるってこと? それともほんとに空飛ぶほうきを出せたりして。魔法使いっていうくらいだからあながちありえなくもない。
「ねえ、見せてあげてよ」
ネロアがつぐと聖さんの方を見ながら言うと、聖さんが、
「見てて桃璃さん」
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