第8話 時空の裂け目


「ちょっと待って。送り返したってどこへ?」


 今この街には、まるっきり人がいない。

 だというのにいったいどこへ送り返したというんだろう。


「向こうの世界だよ」


 私の問いに、白猫がよくわからない返答をした。


「向こうの世界?」

「正確に言うと元の世界だね」

「えっと……?」

「君は異世界に迷い込んだんだよ。この黄昏の世界にね。路地裏で黒いボールのようなものに触れなかった?」

「……触わった。吸い込まれたのよ。急に」

「そう。それがこの世界への入り口。僕は時空の裂け目って呼んでる」

「時空の裂け目……」

「つまり、世界から人が消えたわけじゃない。君が誰もいないこの世界へ迷い込んだんだ」


 白猫は、にわかには信じがたいことをつらつらと説明する。とは言ってもこんな得体の知れない、しかも人語を喋る不思議生物を前にしたら、そんな突拍子もない内容であっても信じざるを得ない。


「……どうすれば帰れるの?」

「もう一度、時空の裂け目を通ればいい」

「でもあの路地にはもう穴がなかった」


 そう。こちらの世界へやってきたとき、なぜか穴は消滅していたんだ。


「残念ながらこちらの世界へやってきてしまった以上、普通には帰れない」

「じゃあどうやって……!」

「この世界から元の世界へ戻る場合は、降魔(こうま)を倒す必要があるんだ」

「降魔? なにそれ」

「君も見たんじゃないかい? あの巨大な怪物を」


 あの灰色の怪物のことか……。――そうだ! 私はあの怪物に追いかけ回されて……。そして……。

 あれ、どうなったんだっけ?


「君はあの怪物に殺されたんだ」


 なんてふざけたことを、ごくまじめな顔で告げる空飛ぶ白猫。そもそもなんで浮いてるの、この猫。


「……私って幽霊なの? ……生きてるような気がするけど。だからあなたと会話できてるんでしょう? それともあなたも幽霊とかいうオチ?」

「君はさっきまでそこで死んでたんだよ。そのまま放置してもよかったんだけど、君には魔法使いの素質があったからさ。念のため覚醒させてみたんだ」


 魔法使い……? なんの話だろう。

 白猫との会話の最中、ふと自分の隣に倒れている人影に気づいた。

 少女だ。その横顔を見た瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がった。この少女を私は知っていた。いつも同じ教室で見ていたからだ。

 乙羽つぐ……。

 どうしてこの子がここに。


「ああ、君はつぐのクラスメイトなんだってね」

「……なぜ倒れてるの?」

「そうよ! どうするのよネロア! つぐが……」


 白猫に向かって怒っているこの人は誰だろう。

 私と同じ学校の制服を着ているけど。

 かなりの美人でスタイルも抜群にいい。こんな子、学校にいたっけ。


「う……」


 倒れている乙羽つぐが短くうめくと、目を静かに開けた。


「つぐ!」

「あれ……。聖ちゃん?」

「やあ。おはようつぐ。大丈夫だった?」

「ネロア……。私どうして……」


 どうやら乙羽つぐは状況を飲み込めていない様子。額を押さえながらぼんやりとしている。


「そこの赤い髪の女の子に魔力を奪われたんだよ」

「と、桃璃(とうり)さん。なんで生きて……」


 乙羽つぐは私の顔を見た途端、ひどく驚く。怯えた、と言ったほうが正確かも。


「どういうことかはわからないけど、つぐの魔力を吸った後に、この子が生き返ったんだ」

「……そんなバカな」


 乙羽さんは信じられないといった面持ちで立ち上がると、体の前で腕を組み、身を小さくしながら弱々しい声で白猫に問いかける。


「なにが起こったの?」

「僕にもわからない。まあこんなところで立ち話もなんだから一旦向こうの世界へ帰ろうよ。あ、自己紹介がまだだったね。僕はネロア」


 宙に浮かぶ白猫は先端だけ黒いしっぽをうねうね動かしながら、飄々とした雰囲気でさらりとあいさつした。


「しゃべる猫?」

「おしゃべりは好きだから退屈だったら話しかけてくれてもいいよ」

「……こんにちは桃璃さん。奇遇だねこんなところで」


 こちらを警戒しているのか、どことなく硬い表情の乙羽さん。


「律火でいいよ」

「じゃあ私もつぐで。まあ私のことは知ってるよね。いつも教室で会ってるし」


 クラスメイトの乙羽つぐ。成績が抜群に良くて、まじめな生徒だと記憶している。授業中に教員から質問されても、完ぺきな回答を毎回返しているような、そんな生徒。いわゆる優等生。私とはだいぶタイプが違う。


「で、こっちが聖ちゃん」

「天摩聖(てんま せい)よ。よろしくね」


 肩に触れるくらいのショートの黒髪をした長身の少女が、淡く微笑む。穏やかな優しい笑み。端的に言って美人だ。


「聖ちゃんも同じ学校なんだよ。三年生だから学年は私たちより一つ上だけどね」


 学年が違ったのか。通りで見覚えがなかったわけだ。

 みんなが挨拶を終えて私の番が回ってきた。


「私は桃璃律火(とうり りつか)。つぐのクラスメート。ま、つぐと違って優等生ではないけどね」


 私が簡単に挨拶すると、聖さんが微笑みを浮かべ、


「すごい偶然ね。こんなところで同じ学校の子に出会うなんて」


 その言葉に、つぐは笑顔を浮かべながら、


「ね! 驚いちゃった。でも無事だったみたいでよかったよ」

「よし。自己紹介も済んだことだし、つぐが降魔を倒した場所まで行こう。ついてきて」


 ネロアがさらっと信じられないことを言った。


「倒した? あの怪物を倒したって言うの?」

「そうだよ」

「そうだよって……。いったいどうやって?」


 ……あんなとんでもない怪物、人間にどうこうできるわけないと思うけど。


「ああ、そうか。言ってなかったけど、つぐと聖は魔法使いなんだ。今の律火と同じくね」

「さっきも言ってたよね、それ。なんなの魔法使いって」

「魔法使いは降魔と戦える唯一の存在なんだ」

「じゃあその魔法使いとやらの力を使ってあの怪物を倒したってこと?」

「そういうこと。察しがよくて助かるよ。さ、行こう」


 ネロアが宙をすいーと飛んでどこかへ向かっていく。


「あ、待ってよ!」


 私の呼びかけにもお構いなしに白猫は無人の道路を横切って行った。


「あら、ネロアったらせっかちね。あんなに急ぐことないのに。もしかしたらお腹でも減ってるのかしら? しかたないわね。私たちも行きましょうか」


 聖さんにうながされ、三人でネロアの後ろ姿を追いかけた。



 ネロアの後をついてしばらく移動すると、周囲は酷い有様だった。

 地面はえぐれ、ビルの壁は崩落し、電柱が折れて倒れている。さらに、ひっくり返った車がそこかしこに転がっている。なんだかひどく物々しい雰囲気。

 しかしそんな中に一つだけ見覚えのあるものがあった。


「これ……」

「そう。この世界に来るときに見ただろう?」


 私が路地裏で見たのと全く同じ黒い穴が道路の真ん中に浮いていた。


「これに触れば元の世界へ帰れるの?」

「その通り。触ってみて」


 ネロアに言われるまま黒い穴へ手を伸ばす。これでやっと帰れる……。ずいぶんひどい目にあわせてくれたこの世界とも、これでお別れ。寂しいなんて気持ちは微塵もなく、やれやれといった感想しか出てこない。


 指先が穴に触れると目の前が急に薄暗くなる。つい直前まで青空の下だったのに。

 気が付けば、両サイドには大きなコンクリートの壁。

 私は薄暗い路地に立っていた。ここには見覚えがあった。

 そう。最初に黒い穴に吸い込まれたときのあの路地裏だ。

 表通りからは人々のどよめきが聞こえる。ビルの隙間から、道行く人の横切る姿が目に入る。帰ってきたんだ。ここは人のいる世界。それを知って私はほっと安堵する。

 ネロア達も姿を現す。


「よし。みんな無事に帰って来られたね!」


 私は背後に浮かぶネロアにずっと気になっていたことを不躾に尋ねてみた。


「ねえ、魔法使いってなんなの?」

「降魔と戦う者だよ」

「それはさっき聞いた。そうじゃなくって、もうちょっと詳しく教えてよ」

「君はつぐのクラスメイトなんでしょ? だったらいつでも連絡取れるし、詳しいことはまた明日にでも話そうよ」

「なんですぐに教えてくれないの? なにか都合の悪いことでもあるわけ?」

「いいかい律火。君は一度死んでるんだ。もしかしたらなにか不測の事態が発生するかもしれない。今日はいったん家へ帰ってゆっくりと休んだほうがいいと思う」

「なに不測の事態って?」


 なんとはなしに聞くと、ネロアが不意に私の顔の真ん前まで飛んで来て夕陽のような瞳で見つめてくる。


「例えばの話さ。律火みたいなケースは僕も初めて見たんだ。今後なにが起こるかわからない。用心するに越したことはないと思うよ」

「近いわよ」


 あまりに近くで語るネロアに注意すると、ネロアは空中をスゥーと後退していく。


「とりあえず律火は一度死んだけど今は生きてる。死体の状態から復活したんだ。運がよかったね」

「死んでる時点で運悪くない?」

「そして律火は魔法使いになった!」

「それ、もう聞いた。魔法使いについて詳しく教えてほしいんだけど」

「じゃあ明日、学校で話そうか」

「え、学校来るの? ネロアが? そんなことしたら目立たない?」

「大丈夫、安心して。見つからないように気をつけるから。万が一、見つかってもぬいぐるみのフリしてればたぶんばれないし」

「いい加減ね……」


 私は呆れ顔でネロアを見つめた。

 五月。第三週の月曜日。私は死んで、そして魔法使いになったらしい。

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