第7話 甦る少女
ほんの数時間前、同じ教室で過ごした少女が、今は変わり果てた姿で目の前に横たわっている。つぐは律火とは数度口をきいたことがある程度の、ごく浅い関係ではあった。それでも身近な人物の死を目の当たりにして、彼女のショックは大きかった。
「あれ? 待って。この子、素質がある」
「え? でもその子はもう……」
「そうだね。でも念のため覚醒させておこう」
「助かるっていうの?」
つぐにはネロアの言うことが理解できなかった。死んだ後になにをしたって無駄なのに。そう心の中で思った。
「わからない。僕もこんなケースは見たことないし、正直どうなるか想像もつかない。けどこのまま放っておいても腐っていくだけだし、ダメもとで覚醒させてみよう」
「本人の許可もなしにいいのかな?」
「死人に口なしだからね。どのみち許可なんてもらえないのさ」
「まあそうだけど……」
「さあてと。うまくいくかな」
ネロアが前足を律火のおでこにちょんと触れると、律火の全身が淡く輝いた。しかし光はすぐに消失していく。
「どうネロア?」
「……魔力が見えない。ダメだったみたい」
「本当に覚醒したの?」
「そのはずだけど。……まあ仕方ないよ。運んでいこう。つぐ、頼めるかな?」
「……うん」
承諾したものの、やはり抵抗はあった。無理もない。死体を運ぶのだ。しかも見知った人間の死体を。
屈みこんだつぐが、律火の遺体に恐る恐る手を触れる。
「まだ温かい」
「死にたてほやほやなんだね」
「やめてよ。その言い方」
「ごめんね」
目を閉じた律火の顔は、まるで眠っているように穏やかで、つぐには彼女が死んでいるようにはとても見えなかった。
ネロアが二人の様子を後ろから眺めていると、律火の指先が微かに動いた。
「えっ」
「どうしたのネロア?」
背後から聞こえたネロアの戸惑いの声に、つぐが振り返る。
「……気のせいかな。今、その子が動いたように見えたんだ」
「ちょっと……。怖いこと言わないでよ。そんなわけないでしょ。からかってるの?」
「たしかに動いたんだ……」
「……」
とても冗談には見えないネロアの言葉に、つぐが無言のまま律火を見下ろす。しばらく沈黙した後、つぐは無言のまま律火の首にそっと手を近づけた。その様子をネロアが固唾を飲んで見守る。
「……脈、無いよ」
「そっか……。じゃあ僕の気のせいだったのかも」
「運ぶね」
横たわる少女の体を抱えようとつぐが手を伸ばしたその時、律火の手が突然動き出し、つぐの手首をつかんだ。
「え――」
驚きに固まるつぐ。
異常を察知したネロアがつぐの背後から、
「やっぱりおかしい! 離れてつぐ!」
ネロアが言い終わると同時、つぐの悲鳴が上がった。
「きゃああああああ!」
突然苦しみ出すつぐへネロアが呼びかける。
「ど、どうしたんだ! つぐ!」
つぐの全身を覆う白く光り輝く魔力が、つぐの体から律火へ、急速に移動していく。
つぐの全身を包んでいたみなぎる魔力が、またたく間にしぼんでいく。
驚きに固まるネロアの前で、つぐが律火の横に力なく倒れ込んだ。
「つぐ! 大丈夫!? しっかりして!」
ネロアの必死の呼びかけにも、つぐは一切の反応を見せない。まるで死んでしまったかのように目を閉じ、完全に沈黙する。
(なんてことだ。つぐの魔力が底を尽きかけてる。つぐほどの魔法使いを一瞬のうちにここまで消耗させるなんて……)
つぐの身に起きた変化にネロアが動揺していると、つぐと並んで横たわる律火の体にも異変が起こる。
「これは……」
ネロアの目の前で、波打つような輝きが律火の全身を覆っている。
「なんてすさまじい魔力。……つぐの魔力を奪い取ったっていうのか?」
魔力を失ったつぐとは対照的に、律火の全身を、ほとばしるような魔力が包み込み、脈打ちながら揺らぐ。神々しい光に包まれた律火の上半身が、わずかに動いた。
(う、動いた……)
驚きに固まるネロアの前で、倒れていた律火がひどく緩慢な動きで上体だけを起こす。
「わあっ!?」
突然動き出した死体。ビクリと飛び上がったネロアが、赤髪の少女から慌てて離れる。
(お、起き上がった。そんなバカな。確かに脈は止まっていたのに。こ、この子は一体……)
ネロアが警戒の目を律火へ向けていると背後から、
「ネロア!」
「聖! 戻ってきたんだね」
呼びかけられたネロアが振り返ると、肩にかかる黒髪を振り乱しながら、聖が駆け寄ってきた。
「どういうこと? なんでつぐが倒れてるのよ!?」
倒れるつぐに駆け寄った聖が、つぐの肩をそっと揺らす。つぐの小さな体は力なく揺れるだけで、返事を返さない。
「反応がない……。それにつぐの魔力がほとんど残っていない。いったいなにがあったのネロア? それにその子は……」
上体だけを起こしたまま物言わず固まっている律火へ、聖が訝しげな顔を向ける。
「なんであなたがついていながら、こんなことになってるのよ!?」
「落ち着いて聖。なにが起こったのか僕にもわからない。僕とつぐがここに到着したときには、その赤い髪の子がすでに死んでたんだよ」
「……なにを言ってるの?」
聖の目の前には、上体を起こした律火の姿が。
「あ、えーと。今は生きてるみたいだけどね。さっきは本当に死んでたんだよ?」
「いい加減にしてネロア! さっきから言ってることが全然わからない! つぐは大丈夫なの!?」
「そ、それは……」
答えに窮したネロアは、聖から視線を外すと、うつむきがちに沈黙した。
◇
なに……。
すぐ近くから口論するような声が聞こえる。
う……。なんだか……体がやけにダルい。
指先が鉛のように重くて、ほんの少し体を動かすだけでも、ひどく疲れる。全身を襲う強烈な疲労感。まるで持久走の直後みたい。冷たい感覚が体の下のほうから伝わってくる。どうやら私は倒れこんでいるようだ。冷たくて固い。コンクリートの上……か? なんで私はこんなところにいるんだろう。とにかく目を開けないと。
開こうとしたまぶたが、まるで自分の体ではないみたいに重い。まぶたの上に分銅でもつけられている気分だった。重りを持ち上げるような感覚で目を開くと、光が目に届いた。いやに眩しいな。ここはどこかの街中のようだ。見たことがあるような……。
なんだあれ……?
なんか近くに白い猫みたいな生き物が浮かんでいる。
その横には短い黒髪の女の子。
誰なんだろう。
「起きたみたいよ。彼女」
「気をつけて聖! うかつに近寄ると危険だ!」
空飛ぶ猫がこっちを見ながら言った。
……もしかして私のこと言ってる? 危険ってなんの話だろう。
「ぁ……」
話しかけようとしたけど声がうまく出ない。
黒髪の少女が鋭い目つきで私を見つめながら身構える。
いやに警戒されてる。私がなにをしたっていうんだろう。なんだか不穏な空気だな……。
「……あなたたちは?」
次はまともに声が出た。
「い、意識があるの?」
動揺しながら白猫が言った。
「どういう意味?」
私は、いまいち状況が飲み込めないまま宙に浮かぶ白猫に返した。
ていうかなんでこの猫喋るの? 普通に返事しちゃったし。
「あるんだね。驚いた」
なんだかわからないけど白猫は勝手に納得している。
「ねえ。君はここがどこだかわかる?」
空飛ぶおしゃべり猫はこちらの様子を探るように聞いてきた。
「ここ? さあ……。急に言われても……。……あれ?」
あ、この景色! よく見ると学校帰りに通る場所の近くだ。
「そうか。私、学校から帰る途中で……」
思い出してきた。
よくわからないけど街から急に人がいなくなったんだ。
そして無人の街を歩いてたら小さな女の子に――。
「そうだ、あの子は!」
私は紗奈ちゃんのことを思い出して彼女の姿を探した。
「紗奈ちゃんなら無事よ。送り返してきたから安心して」
「……そっか。よかった」
どうやらこの黒髪の子が紗奈ちゃんの面倒を見てくれたらしい。
あの子が無事だったことに安堵して、胸をなでおろす。しかしなにかが心に引っかかった。小さな違和感。私はその正体にすぐに気づいた。この黒髪の少女は"送り返した"と言った。そんなバカな。……それはどう考えてもおかしい。
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