第6話 死


 橙色に輝くまん丸の瞳を見開いたネロアが、宙を降下し、眼下で倒れるつぐの元へ駆け付ける。


「つぐ! 大丈夫!?」

「あの降魔……見た目よりずっと素早い」


 つぐはすぐに立ち上がったが、まともな受け身すら取れずに食らったカウンターで、彼女の制服は埃だらけだった。


「埃だらけ。明日も学校あるのに。帰ったらすぐ洗濯しなきゃ」


 制服をはたき、埃を払うつぐを、高い視点から見下ろす怪物が、


「ふん。自ら死にに来るとは間抜けな奴め」

「……相手の魔力すら見抜けない間抜けなら目の前にいるけど?」


 つぐは冷静に返した。


「なんだと?」

「ふふ。それとも自己紹介だったのかしら? 頼んでもないのに自らの愚鈍さを教えてくれるなんて、案外、紳士なんだね」

「ほざけッ!」


 怒気を込めて吐き捨てる怪物。その全身を包む筋肉が盛り上がり、躍動する。ただでさえ怪力の怪物が、より力強く膨らんでいく。

 怪物が停まっているトラックをおもむろに掴み、近くのビルに投げつけた。

 トラックがぶつかった瞬間、猛烈な衝撃音と共に、ビルが傾き、崩れていく。


 「な、なんて怪力だ……! さっきまでとは比較にならない。もう、こうなったら冥府の鎌を使うしかないよ!」

「……いつも思うけど、その名前、怖くない?」

「カッコいいよ!」

「そうかな……」


 どこか納得いってない顔のつぐが、ふうと一呼吸し、精神を集中させる。つぐの全身がうっすらと光に包まれてゆく。光は次第に激しくなり、ほどなくしてつぐの全身は、まばゆいばかりに輝き出す。

 ほとばしる輝きを全身にまとったつぐが、おもむろに両手を体の前方で構えると、彼女の全身を包む光が両手に集まっていく。濃縮された光が具現化し、彼女の全身をはるかに凌駕する巨大な大鎌へと姿を変えた。小柄なつぐにはひどく不釣り合いな武器だった。

 大木すらも容易に両断できそうなほどに巨大な銀色の刀身が、太陽の光を反射させて鈍く輝く。緩やかなカーブを描く刀身の先端が、鋭利に尖る。

 つぐの武器を見た瞬間、ピクリと反応した怪物。一瞬だけ明確に警戒の色を示した後、すぐに冷静を装った。しかし内心は穏やかではない。


(なんだあのとてつもない魔力は。どうなっている)


 巨大な武器を手にしたつぐが怪物めがけて一直線に走る。

 迷いのない動き。両者の間合いが一瞬で消えた。


(速いッ!)


 想像を上回る少女の移動速度に、怪物の赤い瞳が瞬時に細まる。

 間髪入れず、つぐが怪物の頭上目掛けて大鎌を振り下ろした。少女は、自身をはるかに凌駕するサイズの武器を、重量をまるで感じさせずに軽々と振り回す。


「ヌゥッ!」


 怪物も負けじと反応する。体格に似合わぬ機敏な動きで、つぐの鎌を紙一重でかわすと、後方へ飛び退いた。

 空を切り裂いた巨大な鎌が、地面に深く突き刺さった。刃の周囲へ亀裂が入り、コンクリートを四方へ、稲妻の形に広がっていく。

 怪物が作った巨大なクレーターよりもさらに一回り大きな亀裂が、凄まじき威力を物語っていた。

 しかしどれだけ威力があっても当たらなければ意味はない。決して手を抜いたわけではない攻撃を避けられ、つぐは内心驚きを隠せない。


(なんて身軽さ……。あれだけ大きな体でよく動けるな。これじゃあまともに攻撃してもかわされる。なんとかして動きを止めないと……)


 距離を取った怪物は、自らは決してつぐに近寄らず、一定の距離を維持したまま車両に手を伸ばす。軽々と持ち上げると、力強く灰色の腕を振りぬく。巨大な鉄の塊が空気を押し退け、少女へ襲い掛かる。


「はあっ!」


 大鎌のわずか一振りで、巨大な車両がいともたやすく真っ二つに両断さる。少女にぶつかる直前で、バラけた車体が左右へ散っていく。

 その様を見た怪物が、体を微かにこわばらせる。


(なんだあのとてつもない威力は……。あの武器。あの武器がマズイ。あれの間合いに入ってはダメだ)


 つぐは再度、怪物への接近を試みる。しかし警戒の色を一層強めた怪物は、断じて少女の接近を許さない。つぐが迫る度に怪物は後方へ逃げ、両者の距離は一向に縮まらない。つぐの間合いを完璧に見切っている怪物は、細心の注意を払い、少女との間合いを保つ。この均衡が崩れれば、莫大な魔力を秘めた銀色の刃が自身の心臓に届く。その確信があった。

 怪物が防戦優位に切り替えた結果、つぐは明らかに攻めあぐねていた。


(外見に似合わず、ずいぶん慎重ね。距離さえ詰めればこっちのものなのに。なにか手はないの……)


 周囲へせわしなく視線を這わせるつぐが、怪物へ攻めるきっかけを静寂の世界に探す。

 間合いを詰めるきっかけさえあれば。怪物と対峙しながら、つぐは目まぐるしく思考を巡らせる。


(そうだ!)


 車道の真ん中で突然静止したつぐが、灰色の怪物を挑発するかのように見上げ、


「ずいぶん慎重なんだね。そんなに私が怖いの?」

「ほざけ。そんな安い挑発に乗るとでも思ったか。その刃が届かぬ位置に居ればやられることはない道理」

「……本当にそうかな?」

「なんだと?」


 不敵な笑みを浮かべると、つぐは突然、なにもない空間へ大鎌を薙ぐ。

 真横へ振り抜かれた巨大な刀身が鈍い輝きを放ちながら、虚しく空を切った。

 目の前の少女の不可解な行動に、怪物が怪訝な表情を見せる。


「威嚇のつもりか? そんなもの俺には通用せん。無駄に体力を消耗するだけだぞ。しかし……くっく。今のでよくわかった。貴様は接近戦以外はなにもできない。距離さえとれば恐るるに足らん。永久にこの世界をさまよい続けるがいい!」


 怪物は勝利を確信したかのように、いやらしい笑みをこぼす。


「まだ気づいてないみたいだね」

「なに?」


 つぐが言葉を放った直後。怪物の顔が影に隠れていく。すぐに異常を感じ取った灰色の巨体は、赤く輝く二つの目玉で異変の発生源を探し求める。


(――なにッ!)


 怪物はすぐに異常の発生源を突き止める。その正体は、歩道の隅にそびえ立つ巨大な灰色の電柱。怪物に向かって勢いよく電柱が倒れ掛かる。


「こんなものッ!」


 完全に不意を突かれながらも、怪物は横から倒れ来る電柱を、衝突の直前でかろうじて払い退ける。

 その隙をつぐは見逃さなかった。

 すかさず間合いを詰め、怪物の片足へ大鎌を振るう。


「ぐああああっ!」


 刃が怪物の左大腿を深く切り裂く。深手を負った怪物が苦悶に顔を歪め、絶叫する。


「自分に迫る刃ばかり気にして、それ以外は見てなかったみたいだね」


 切断された電柱には鋭利な断面が残されていた。

 つぐは大鎌を横向きに深く引いた。


「よ、よせええええええっ!」


 巨大な鎌が怪物の胴体めがけて一気に振り抜かれる。


「ぐあああああああッ!」


 わずか一撃。灰色の巨体が両断され、断末魔の咆哮が辺り一面をビリビリと揺らす。咆哮に包まれながら、灰色の体が霧のように消えていく。

 怪物が消え去った場所には、直径十センチ余りの黒い球体が浮かんでいた。

 つぐの手から、巨大な鎌が消えていく。


「やったねつぐ!」


 宙からふわふわと降りてきたネロアが、つぐとハイタッチを交わす。


「ふう。終わったね」


 安堵のため息をこぼすと、ほっと胸を撫でおろすつぐ。

 ビルに隠れていた紗奈と聖が、つぐ達の元へ合流する。


「お疲れ様つぐ。めずらしく苦戦してたじゃない」

「久々の強敵だったよ。その子は?」

「どうも迷い込んじゃったみたいね。ねえ、この子の他に、もう一人迷い込んだ子がいるらしいの。しかも別の場所でさっきの降魔に襲われたらしいわ」

「なんだって!? 場所はわかるかい?」


 紗奈はうなずくと、律火と別れた場所をネロア達に伝えた。


「よーし、あとは僕たちに任せて! ねえ聖、悪いんだけど、この子を向こうの世界へ帰してあげてくれないかな?」

「え? 別にいいけど。じゃあ送って行ったらすぐに合流するから」

「よろしくね! つぐ、もう一人の子を探しに行こう」



 紗奈に教えてもらった場所にネロアとつぐがたどり着くと、そこには硬いコンクリートの地面にうつぶせに倒れる律火の姿があった。

 長身の律火は、朝焼けのような鮮やかな赤い髪を腰まで垂らしながら、微動だにしなかった。

 近くには道路にできた巨大なクレーターがある。


「え! この子……」

「どうしたのつぐ? 知り合い?」

「……クラスメイト」


 つぐと同じ制服を身にまとった律火は、そばでネロア達が会話しているというのに、まるで起き上がる気配を見せない。そんな律火の首に、ネロアが前足を触れる。


「あちゃあ。死んじゃってる。きっとあの降魔にやられたんだ」

「え……」


 つぐの顔が青く染まる。目の前に転がるクラスメイトの死体を見下ろして、言葉を失い呆然と立ちすくむ。律火を助けられなかったことで、激しい後悔の念が押し寄せる。


「もう少し早く来てたら助けられたかも……」

「つぐのせいじゃないよ。不幸な事故なんだ。ここでは時々起こることさ……。とりあえず体だけでも向こうの世界へ帰してあげよう。あの路地に寝かせておけば、たぶん誰かが見つけてくれる」

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