最速騎士

 暗黒の軍勢と勇者達の死闘において、幽鬼の騎士エリウスの戦いは唯一の異常事態が起こった。


 一騎打ちが行われたのだ。


 後年、伝説がほぼ失伝するまでの間、長く長く語られることになる戦いは、どうしようもない状況故に発生した。エリウスは、ソナスと並んで対複数戦において圧倒的な力を持ち、対個人においてもその特殊な力は勇者ですら後れを取りかねないものだったのだ。


 そして行われた決闘。馬に跨り粗末な馬上槍を掲げた人型のぼろ布に対するは、股間に布を巻きつけただけで、その筋骨隆々な体を惜しげもなく披露していた伝説のモンク、スズサザ。


 結果は大魔王の敗北が示す通り、スズサザの勝利に終わった。


 本来ならあり得ない。それほどエリウスの能力は強力なのだ。それこそ、敗者である筈のエリウスが、スズサザに最大限の敬意を払いながら消滅したほど。


 その力が今まさに行使されようとしていた。


 ◆


 燃え盛る地獄の業火を身に纏う悪魔達の軍勢。山羊頭や、蜥蜴頭、悪鬼そのものな形相の鬼。捻じれた角や鋭い爪、蝙蝠の羽や蠍の尻尾など、様々な外見的特徴を持つ者達だが、総じて言えるのはその全ての個体が強力の一言だろう。


 その平均的な戦闘力は、ドラゴンや巨人にこそ一歩劣るが、彼らの欠点である非常に数の少ないこととは無縁であり、ある程度の数と強力な個体を両立できていた。そして、強靭な身体能力だけではなく、魔法すらも操ることが可能で、こちらもまた肉体と特殊な能力の両立に成功している。


 そんな高い次元で能力が纏まっている存在が、3万もの兵数で行軍しているのだから、人間のみならず他の種族ですら怯んでしまうに違いない。


「たった3万程度とは」


 だがその軍勢を、跨る愛馬の黒い馬を数えなければ、たった1人のエリウスが、たった3万とこき下ろす。


「我こそは暗黒の軍勢の騎士エリウス! いざ尋常に勝負!」


 そしてエリウスは幽鬼とは言え騎士らしく、名乗りを上げながら愛馬を走らせて、悪魔達の軍勢に突っ込んでいく。


「……なんだあれは?」

「今、勝負と言ったか?」

「敵なのか?」


 エリウスが堂々名乗りを上げようと、単騎でやって来るのだから、悪魔達としては困惑するしかない。常識に考えるなら、3万に単騎で突っ込むことを理解するのは無理だろう。


「てやああああ!」


「まあとりあえず、吹き飛ばすか」


 悪魔達からすれば、一応敵らしき存在を魔法で消し飛ばそうとしただけだ。


 その敵意と害意にエリウスが反応した。


「ごぶ」


 魔法を発動しようとした悪魔の頭部に、エリウスの粗末な槍が突き刺さる。


「は?」


 まだ随分距離があった筈。だが突然自分達の目の前に現れたエリウスに、悪魔達はポカンとした声を漏らす。


「て、敵ぎゃ!?」

「なぐぼ!?」

「ぎゃば!?」

「がば!?」

「ぐぶ!?」


 エリウスを同胞の命を刈り取った、間違いない敵だと認識した悪魔達が敵意を抱いた瞬間、その順に槍が頭に突き刺さる。


 次々と。次々次々と。次々次々次々と。


 敵意を抱く。頭に槍が刺さる。害意を抱く。頭に槍が刺さる。攻撃しようと思う。頭に槍が刺さる。


「ぎゃ!?」

「ひ!?」

「ぶ!?」


 それがずっとずっと続く。ずーっとずーっと続く。


 10が死に。50が死に。100が死に。200が死に。1000が死に。2000が死に。10000が死ぬ。


 死ぬ。死ぬ。悪魔達が死ぬ。


 敵意を抱いた瞬間に死に絶える。


 エリウスと愛馬が合わさったことで発揮される理不尽な権能。


 自分に対して敵意を抱いた相手の目の前に転移し、槍は頭の寸前に位置する。そして貫けぬものは存在しないと謳われた槍を僅かに動かすと、全てが終わってしまうのだ。


 あのモンク、スズサザが唯一自分が対抗できるはずだと名乗りを上げ、エリウスの領域にたった一人足を踏み入れるまでは。


 あり得ない筈だった。単に意識が宿っていない、無心になるというような言葉遊びでは、エリウスの権能は突破できない。勝利できるはずがない。


 実際、最初はどれほど先手を取られようと、それに一瞬で反応する後の先を極めたスズサザは対抗して見せたが、勝利するのには結びつかない。何度も何度もエリウスの槍が目と鼻の先に現れても、間一髪で躱して反撃を試みたが、その全てが不発に終わる。


 だが。


 その先手の極みと後の先が極まった戦いは数百の応酬を生み、その結果スズサザが未だかつて誰も到達したことがない真の明鏡止水。あるいは無我の境地の果てにある極致に到達したことによって、武そのものとなった拳をエリウスに叩きつけ勝利した。


 そしてエリウスは、心技体全てが揃って至れる境地を、更に飛び越えてしまったスズサザに称賛を送り消え去った。


「ぎゃ!?」


 そんな武は今現在、この地に存在しない。いるのは最早、次々と倒れる同胞と訳の分からなさに混乱しきって、敵を倒すための害意ではなく、恐怖と生存本能から来る敵意を抱いてしまう敗北者だった。


「びゅ!?」


 また一人の悪魔に槍が突き刺さる。スズサザだからこそ間一髪で避けられたが、敵意に対する反応と、エリウスが槍と突きさすのは殆ど同じタイミングなのだ。エリウスの動きはあまりにも早すぎ、まるで数千人のエリウスが同時に現れているかのような錯覚を覚えるほど、現れては次の敵意の前に現れ、悪魔達の軍勢は殲滅されていく。


 そしてついには2万を超え……。


「この程度とは……」


 エリウスは最後の悪魔を始末し終えると、怒りが滲む声を漏らす。


 エリウスは暗黒の軍勢の中で珍しいことに、神や人との因縁をほとんど持たず、テネラに付き従っているのも、闘争の果てにある自らの敗北を求めてという変わり者だ。


「この程度でよくぞ人を滅ぼすなどと……!」


 屍山血河を作り上げた風にはためく襤褸切れの幽鬼が……暗黒の軍勢最速の騎士が、己を打ち破った人という種を思いながら君臨した。


 ◆


 ‐これが武! これが武か! なんと見事な! なんと素晴らしいのか! 人が練り上げに練り上げた武に比べ、我が権能のなんとちっぽけなことか! お見事! お見事!-


 最速騎士エリウスの死の間際。


 ‐あまり大きな声では言えないが、純粋な勝負を求めていたあの幽鬼との戦いは楽しかった。まあ、他の連中に色々理由があったからだがな。しかし、今生きているのが不思議なくらいだ。何度死ぬと思ったことか。うん? なに? 服を着て欲しい? 馬鹿め。俺は服を着てないからこそ奴の動きを感じ取ることができたのだ。本当だぞ? それが分からん大魔王は、言うに事欠いて私を露出狂などとふざけたことを-


 伝説のモンク・スズサザ

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