暗黒の軍勢再集結

「おはようございまーす……」


 こっそりと扉を開けたテネラは、朝帰りをしてしまった駄目亭主のように恐る恐る中を窺う。その部屋は薄らとした光が漂っているものの、全体的に暗かったが、なにより目を引くのは王侯貴族でも使わないほど巨大な天蓋付きのベッドだろう。


「おはようございますあなた。今は夜ですが」


 そのベッドの上に彼女はいた。


 薄い寝間着を纏い、足を崩して座る女の肌は、テネラの隣にいるルーシーの生命の輝きを宿した肌とは違い、今まで一度も日に当たったことがないかのような病的な白さだ。そして、肌とは真逆な漆黒の髪は、彼女の目を隠すように巻き付き結ばれている。それ故に顔の半分しか窺い知ることしかできないが、すらりとした鼻と、滑らかな頬から顎のラインは、女がルーシーに劣らぬ美女であることを感じさせる。


「そ、そうだよねミリーナ!」


 女の名はミリーナ。ルーシーと同じくテネラの妻の一人であった。


「その、ごめんよ真っ先に呼ばなくて……」


「いえ。あなたが恥ずかしがり屋なことは分かっていますのでお気になさらず」


 気まずそうにミリーナの名を呼ばなかったことを謝罪するテネラだが、彼女は顔の上半分が髪で隠れたまま微笑み、おっちょこちょいな夫を許した。


「ああそれと、ルーシー姉様は怒っているのではなく、あなたとまた会えて少しおかしくなってるだけです」


「いらんことを言うな!」


 ミリーナの言葉にルーシーは顔を真っ赤にする。言葉通りミリーナとルーシーは姉妹関係だった。そして、後半も言葉通りである。


「ルーシー! 俺もまた会えて嬉しいよおおお!」


「ええい離せこの馬鹿亭主!」


 テネラがルーシーの腰を抱くと、その場でくるくる回転し始め、ルーシーは更に顔を赤くして抵抗するが、腕にはさほど力が入っていない。


 実のところ、テネラもルーシーの怒りが愛情の裏返しだということを知っているが、それを真正面から指摘できない程度には、彼もまた恥ずかしがり屋だった。


「勿論ミリーナにもおおおおお!」


「ええ。知っています」


「オレは?」


 テネラは感極まって、次はベッドにいるミリーナに近づこうとした時である。いつの間にか部屋の扉を開けて、壁にもたれかかっている女が低い声を発すると、テネラは石化したように固まってしまう。


 男性と思える短い髪で、艶めかしい褐色の肌と、ルーシーに劣らぬ女性的な起伏をもつ妖艶な女だが、人間とは思えない。


 なにせ髪が、体が、そして瞳すらも真っ赤な炎に彩られているのだ。比喩ではない。本当に霊的な炎が体のあちこちで燃え盛り、テネラを凝視していた。


「あ、愛してるよイグノ」


「ああ。知ってるよテネラ兄ちゃん」


 そこにいたのはルーシーとミリーナの姉であり、テネラの妻の一人。イグノがわざとらしく子供の時だった頃と同じように、ご機嫌伺するテネラを兄ちゃんと呼ぶ。


 テネラと三姉妹の関係は複雑の様でそうではない。


 いざという時だけしか頼りにならない近所のとんでもない悪ガキと、それになんだかんだ助けられて尻に敷いた美人三姉妹と表現すれば大体説明できる。


「えー……前回は私の我儘に付き合ってもらいながら、勇者達に負けてしまい誠に申し訳なく思っております……」


 テネラが深々と頭を下げる。塔にいた者達は、大なり小なりテネラの思想に賛同するか、思惑があって人類と敵対したが、イグノ、ルーシー、ミリーナの三姉妹は、ほぼテネラとの付き合いの結果、勇者達と戦う羽目になったのだ。しかも、テネラ自身も負けて、封印されていたのだから合わせる顔がない。


「気にするな」


 その謝罪をイグノはぶっきらぼうに。


「今更だな」


 ルーシーは肩を竦め。


「また会えた。それでいいではないですか」


 ミリーナは微笑んで受け入れた。


「イグノ……ルーシー……ミリーナ……」


 再び会えた妻達の想いを受け取ったテネラは、感極まったように俯き……。


「それで? 前回は我儘に付き合ってもらってだって? 今回をもう起こした口ぶりだね?」


「確かに」


「その……えーっと……」


 イグノとミリーナの追及になにも言えなくなってしまい、こっそりルーシーに助けを求めるが、こっちを見るなと追い払う仕草をされるだけだ。


「……後で説明します」


 そのためテネラは問題の先送りを決断したが、どうせすぐに分かることだった。


 余談であるが、忠犬フェンリルはテネラ達の邪魔をしないよう、部屋の隅で丸まっていた。


 ◆


「不思議なもんだ。俺の感覚では勇者達との戦いはついさっきのことなのに、随分懐かしく感じる」


 夜空が展望できる塔の最上階にして、かつて行われた戦いの場に足を踏み入れたテネラは、懐かしそうに目を細めて辺りを見回す。


 至高の死闘であり、たった10人とテネラで行われた最終決戦の場を。


「でもな。下に来てた子供に、勇者達は生きてるかって聞いたらなんて答えられたと思う? おとぎ話のですか? だってよ。俺も単なる大魔王じゃなくて、おとぎ話の大魔王だったんだわ」


 最上階に足を踏み入れたのは、テネラ、イグノ、ルーシー、ミリーナ、フェンリルだけではない。


「そのおとぎ話がいつからあるのかも分かってなかったし、勇者達がいつの連中かも分かってなかった。まあ、子供の知識だからな。専門家に聞きゃあ、ある程度は分かるだろう」


 絵師トゥーラ。


 音楽家ソナス。


 司書リブリート。


 騎手エリウス。


 庭師ドリューとセルパンス。


 戻ってきた乙女達。


「そんで今なにが起こってるか知っておったまげたよ。別次元と混ざり合ったせいで、他の種族に人間が追いやられて滅亡間近なんだと。そいつらにもちらっと会ったが、人間のことおもちゃ扱いだったわ。ぷぷぷ。うける」


 テネラが空に浮かぶ星々を見つめる。


「ならもう確定だわ。勇者達は誰一人生きてない。生きてたら人間が劣勢になるか? いいやならない。おもちゃになるか? いいや絶対にならない。逆にぶっ殺されてるから」


 星はあの時と変わらなかった。勇者達が生きていた頃と。


「お前らこれ許せる? その連中、なんで勇者達を知らないのに粋がってるの? アホ勇者の馬鹿痛い剣で頭をカチ割られたことないのに? 」


「天然聖女の正気じゃない……真・超究極神聖魔法だっけ。頭痛くなるネーミングセンスの神聖魔法で、体を光に変えられたことないのに?」


「大分イッてる魔女の灼熱魔法で消し身にされたことないのに?」


「動物しか友達いなかったビーストマスターの、人狼形態の速さも知らないのに?」


「飲んだくれ剣聖の剣で、目を斬られたこともないのに?」


「露出狂モンクの、なに食ったらこんな筋肉になるんだって心底思う拳で、腹を殴られたことないのに?」


「真のボッチ暗黒騎士の呪詛で、全身があっという間に爛れたことないのに?」


「借金まみれの狩人がまた借金して作った、特注の矢で針鼠にされたことがないのに?」


「祖霊魔法使ったつもりが、死霊術になってたうっかりシャーマンの自然魔法で、感電したこともないのに?」


「ほら吹き竜騎士の槍に、足の甲を思いっきりぶっ刺されたこともないのに?」


 その全てをテネラは。


「そんなことも知らない空き巣泥棒を許せる? 俺は許せないんだなこれが」


 テネラ達は覚えていた。


「そんでもって勇者達は、人間達は俺らより強いって証明したじゃん。それなのにどこの誰かも分からん連中が、人間をおもちゃと断じて滅ぼすだって? いやいやいやいや。人間の皆さん、俺らにもプライドってもんがあるんだわ。俺らに勝っておきながら、ぽっと出の奴に負けるのは止めてもらいましょう」


 それは大魔王の軍勢全ての思いだった。勝者には勝者の。敗者には敗者の立場があるのだ。自分達に勝っておきながら、同じ敗者の立場に来られては迷惑千万。


 故にこそ。


「勇者の代わりに、なんては言わん。我々はただ敗者として敗者のまま。勝者には勝者としていてもらうという考えに賛同する者は」


 テネラが言い終える前に、全員が一歩前に踏み出した。


「よろしい。では我々大魔王の軍勢は、異世界のよく分からん連中に宣戦を」


「ぼははははは! 皆さんお揃いで!」


 これまたテネラが言い終わる前に、道化師ブエが特徴的な笑い声と共に現れたのだが……。


「つい先ほど9種族会議とやらに乗り込んで、ご命令通り宣戦を布告してきましたぞ! いやあ、出来る道化は仕事が早いものでして!」


「あっ!?」


 いやあ疲れましたと言わんばかりに、仮面の上から額を拭う仕草をするブエだが、テネラは労わるどころではない。なにせ大魔王の軍勢には事後承諾で宣戦を布告した形となり、全員から睨まれるか呆れられていた。


『ワン!』

「もう宣戦布告してるとか事後承諾じゃない! 馬鹿アホ間抜け!」

「これが不協和音というものですか」

「もうアホかと。我は図書館に戻る」

「私も友達の馬具を洗うのに忙しいので」

『油差してくれー』

「爺になると計画性がなくなるみたいだね」

「などと婆が言っておるぞい」


「お父様ってばほんと馬鹿」

「いつものこといつものこと」

「だねー」


「馬鹿は死んでも治らないってね」

「我が亭主ながら……」

「まあまあ」


 そんな配下、あるいは家族たちに対してテネラは。


「すいませんでしたああああああああ!」


 平身低頭平謝りするしかなかった。






















 ◆


「ぼはははは! 主よ、ゴブリン達が獣人の先遣隊とかち合う頃ですぞ!」


「なにも問題ない。ゴブリン達に対処できないなら、俺達全員が無理だ。勇者の時はそうだっただろ?」


「確かに! ぼははははは!」


 未だ人狼達を止めるつもりでやって来た獣人達と。


 雪辱に燃えるゴブリン達の戦端が開かれようとしていた。









 ◆


-このボケ神がああああ! 三姉妹を手に入れてより高次元に至るだぁ!? そこに至って! 善きと自称してるてめえは、霊核を抜き取られて完全に死んだじゃじゃ馬娘共の墓標でも作るってか!? なら悪であるこの俺が! 先にてめえを復活すらできないようにぶっ殺してやるってんだよ!-


 -三■姉妹を巡る善き美神ビリウと大魔王の決闘。ビリウの霊核を粉砕する直前のテネラの叫び-

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