第18話 陽炎姫と使い魔

 フェリシアは、セリーヌに姿を見せた日以降、ヨアンの指示通り森の城から出ることなく過ごしていた。

 ヨアンは城でフェリシアを守りながら、使い魔にイヴェットやセリーヌ、レイモン男爵の周辺を探らせ、着々と証拠を集めている。もちろん、その間も国境を守る結界にも毎晩力を注いでいた。

 いくらヨアンの魔力が強いとはいえ、それだけ酷使すれば疲れも相当のはず。フェリシアは自分のために手を尽くしてくれるヨアンに、せめて自分ができることをと考え、毎日お菓子を作り、ヨアンの身体を癒していた。それは刺繍も然りで、今やヨアンが身に纏うものの中に、フェリシアの刺繍が施されていないものなどないだろう。


 執務室で使い魔たちに指示を出しているヨアンのもとに、フェリシアがガトー・ナンテとお茶を運んで行くと、ノックをする間もなくすうっとドアが開いた。どうやら城内にいる目に見えない使い魔がフェリシアの気配を察知してドアを開けてくれたようだ。

「ありがとう」

 目に見えない相手に礼を言うと、まるでどういたしまして、とでも言うようにフェリシアの髪をすうっと風が揺らす。

「キッチンにお菓子があるから、あなたたちもどうぞ」

 声を掛けると、微かに口笛のような、子どもの笑い声のような音が聞こえた気がした。

 ヨアンの城での生活に慣れてきたせいか、最近ではフェリシアもこうして見えない使い魔の存在も感じられるようになってきていた。


 彼らもヨアンと同じくお菓子が好きだ。最初はキッチンに残っていたお菓子がいつの間にかなくなっており、いつヨアンが食べたのだろうと不思議に思っていた。あまりにも毎日続いたためヨアンに相談したところ、それは使い魔たちが食べたんだろう、と言われ、以来使い魔たちの分は別の皿に用意してあげるようにした。目に見えなくてもちゃんとそこかしこにいる彼らは、フェリシアが、

「これはあなたたちの分だから、好きな時に食べてね」

と声を掛けるようにすると、ちゃんとその皿のお菓子を食べるようになった。彼らに存在をちゃんと認めてもらえたような気がして、フェリシアは嬉しかった。


 一言で”使い魔”と言っても、ヨアンの使い魔たちの姿や性質は様々で、大きく2つに分けられる。

 ひとつは、フェリシアの近くにつけていた黒猫のノアやカラスのように、実際の動物を使役している場合。彼らは元々魔力を持つ者と同調できる性質を持ち、ヨアンの与える魔力が籠められた食事を糧として生きている。ヨアンの指示に従い動くのはもちろん、ヨアンは彼らの視覚や聴覚など、五感を共有できるらしい。そうしてヨアンは彼らから共有した情報を、魔石に記録している。


 そしてもうひとつは、城内にいる目に見えない使い魔たちだ。彼らは実態を持たない魔物の一種だが、どちらかといえば精霊に近いような存在らしい。ヨアンによれば、羽の生えた小人のような見た目の者もいれば、蝶のような見た目の者も、蜥蜴のような見た目の者もいるそうだ。ヨアンに魅せられ、集まってきた彼らと契約を結ぶことで、彼らはヨアンの意を汲んで動くのだという。


「契約ということは、ヨアン様は魔力を彼らにも提供しているのですか?」

 以前フェリシアが尋ねると、

「いや、あいつらは魔物だから、俺の魔力は必要ない。ただ、俺の周りにいることが心地良いんだそうだ。だから俺の周りにいることを許す代わりに、俺の指示に従うという契約をしている。そうしないと、あいつらは勝手に動いていたずらをするから。――人間は俺に近寄りたがらないが、魔物はどうやら別のようだな。魔力の波長が合うんだろう。魔王と呼ばれるだけあって、俺は人間というより、魔物に近い存在なのかもしれないな」

 そう言ってヨアンは少し寂しそうに笑っていた。

『人間だって、本当のヨアン様を知れば、近くにいたいと望む方で溢れるはずです…』

 フェリシアはそう思ったが、口にはできなかった。ヨアンの生い立ちを思えば、そんな考えになるのも無理はないのかもしれない。軽々しく口にすべきことではないだろうと思ったのだ。


「私は、ヨアン様といられて幸せです。お許しいただけるなら、これからもヨアン様のお近くにいさせていただきたいと思っています」

 せめて、自分の気持ちだけは伝わってほしいと、それだけを真っ赤になりながら伝えた。寂しい思いも、辛い思いも、もうヨアンにしてほしくない。その一心で。

 ヨアンは驚いたように目を見開いて、しばらくフェリシアの真意を探るようにじっと見つめていたが、やがてふわりと微笑んでフェリシアの手を握った。嘘偽りのないフェリシアの気持ちが伝わったのかもしれない。

「俺もフェリシアといられる以上の幸せはない。フェリシアがそう言ってくれるなら、いつまでも一緒にいてほしいと思っている」

 ヨアンに対して抱いている気持ちが恋だと気づいてから、フェリシアは一層ヨアンの孤独や痛みに寄り添いたいと考えるようになった。

『ヨアン様が好き。ヨアン様に幸せになっていただきたい。あなたを知る方々は、きっと皆そう思っているはずです』

 フェリシアは握られた手に、そっと自分の手を添えて頷いた。



「ヨアン様、失礼いたします。こちらのテーブルにお茶を用意いたしますので、少し休憩なさってください」

 使い魔が開けてくれたドアから顔を覗かせ、フェリシアが声を掛けると、執務机に座っていたヨアンが顔を上げて微笑んだ。その笑顔に疲れの色がないか、フェリシアは注意深く視線を送る。顔色は悪くないようで、少しほっとした。

「ああ、ありがとう、フェリシア」

 ヨアンは報告を聞き終わったカラスに再び指示を与えて窓の外に送り出すと、ソファに移動して腰を下ろす。フェリシアが入れたお茶を飲むと、穏やかに目を細めて息をついた。


「うん、いつもフェリシアの入れてくれるお茶はうまいな」

 心を許してくれていることが伝わるその表情を見て、フェリシアの心の中がふわっと温かくなる。

「お菓子もどうぞ。少しでも疲れを癒してくださいね」

「ガトー・ナンテか。いただこう」

 ヨアンが幸せそうにフォークを口に運ぶ。

「うまい。しっとりとしていて、ラム酒の香りがたまらない。このシャリっとした食感もいいな。本当にフェリシアは、俺の好みの味をわかっている」


 毎日お菓子を食べてもらっているが、ヨアンはただ褒めるだけでなく必ず感想をくれる。それがフェリシアには嬉しかった。あっという間に1つ食べ終わってしまったヨアンを見て、フェリシアが言った。

「お代わりをご用意しましょうか?」

 ヨアンはその言葉に瞳を輝かせて頷く。

「いいのか?それならお願いしたい」

「もちろんです。ヨアン様のためのお菓子ですから。お身体にさわらないのでしたら、いくらでも」

 フェリシアは大きめの皿に持ってきていたお代わりをヨアンの皿に載せた。


 このところ、魔力の消費量がかなり増えたせいか、ヨアンは今までよりもお菓子の量が増えた。それでも以前よりやや痩せたように見えるヨアンを、フェリシアは案じていた。

「お菓子の分はすべて魔力に変換できているからな。心配しなくても太ったりしないぞ」

 ヨアンは冗談めかしてお腹の辺りをさすってみせた。服の上からでも引き締まった身体がわかる。

「むしろ、少しお痩せになったのでは?どうかご無理だけは、なさらないでくださいね」


 お代わりの皿と、入れ直したお茶を差し出しながらフェリシアが言うと、ヨアンは心配ない、というように美しく微笑む。一瞬で見る者を魅了してしまいそうな笑顔。

「無理はしていないから、心配するな。何度も言うが、フェリシアの癒やしの力が本当に俺にはよく効くんだ。それに、城にいる使い魔たちもフェリシアのお菓子を食べているせいか、やたら元気に働いてくれているからな。ほら、今も机の上が綺麗になっただろう?」

 そう言われて机に目を向けると、先程まで机に広がっていた書類が綺麗に片付けられていた。

「まあ。ヨアン様の使い魔さんたちは、本当に優秀ですね」

 フェリシアが微笑むと、すっと肩の辺りを撫でるような気配があった。


「フェリシアに褒められて、嬉しそうに肩に乗っている。こら、いたずらするな」

 耳に何かが触っているような感覚がして、フェリシアがくすぐったそうに首をすくめると、またあの不思議な音がした。

「これ、使い魔さんたちの笑い声でしょうか?」

 フェリシアがヨアンに問うと、ヨアンが吃驚したようにカップを持つ手を止めた。

「フェリシアには、こいつらの声が聞こえているのか?」

「ええと、ちょうど今も聞こえたのですが、何か、口笛のような、小さな子どもの笑い声のような音が聞こえることがありまして…」

「驚いたな。ずっと一緒にいるユーゴですら、こいつらの声は聞いたことがないというのに。確かにそれはこいつらの笑い声だ。触られている感覚もあるのか?」


 まだこしょこしょと何かが耳の側で動き回る感覚がして、くすぐったそうに笑みを浮かべたフェリシアの肩の辺りに目をやりながら、ヨアンが聞いた。

「今、耳の辺りで何かされてらっしゃるのは、わかります」

「ああ、フェリシアの耳を触ってる。こら、キスはだめだぞ。それは俺の…。いや、とにかくキスはだめだ」

 使い魔相手にむっとした表情になるヨアンがおかしくて、フェリシアはくすくす笑った。それに呼応するように、使い魔の笑い声が聞こえる。

「フェリシアと一緒になって俺を笑うとは…。お前たち、もっとこき使うぞ」

 ヨアンが軽く睨むと、耳の横を風が通り抜けた。ふわりと髪がそよぐ。

「逃げた。あいつら、後でお仕置きだ」

「ふふ、使い魔さんたち、可愛いですね」

 笑顔のフェリシアを見て、ヨアンも微笑んだ。

「それだけ気配を感じられるなら、そのうちフェリシアにもあいつらの姿が見えるようになるかもしれないな。あいつらもフェリシアが大好きみたいだから。俺と波長が合うだけある。」


 無意識に妖艶さを纏った笑顔で瞳を覗き込まれ、フェリシアは途端に真っ赤になる。

『ヨアン様ったら、そんなこと言われたら、誤解してしまいますよ…』

 ヨアンがフェリシアに注いでくれる好意は、義務感から来る感情だ。ヨアンの思いを知らないフェリシアは、何度もそう自分に言い聞かせて深く息を吸い込む。

「そうなったら、本当に素敵ですね。――それでは私は、ユーゴさんのお手伝いをしてまいります。ヨアン様、くれぐれもご無理はなさらないでくださいね」

 立ち上がり、手早くお茶の片付けを始めたフェリシアに、ヨアンが少し名残惜しそうな視線を送っていた。


 キッチンに戻ると、使い魔たちのために用意したお菓子が綺麗になくなっていた。フェリシアは自然と笑顔になる。

『使い魔さんたちも、私のお菓子を気に入ってくれているようで良かった。――ヨアン様に見えている世界が、私にも見えたならどんなに素晴らしいでしょう。そうしたらもっと、ヨアン様のお気持ちに寄り添えるかもしれないのに』

 たとえ、ヨアンが自分に抱いている気持ちが自分の気持ちと同じものでなくても。ヨアンのそばにいられるのなら、それで十分幸せだ。そして願わくば、ヨアンにも幸せを感じてもらいたい。

 フェリシアの気持ちに同調するように、使い魔たちがフェリシアの髪を揺らした。

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