第19話 陽炎姫は決戦の日を迎える

 遂に、アレクシスとセリーヌの婚約披露式とされていた日がやってきた。


 何も知らない招待客たちが王城に集まり、城門を囲むように多くの国民も王太子を祝福するため集まってきていた。

 王族の結婚式にはいつも多くの国民が祝福に訪れるが、婚約披露式にこれだけの人が詰めかけるのは稀だ。アレクシスの人気の高さがうかがえる。

 普段はなかなかお目にかかれない秀麗な王太子の姿がちらりとでも見られるかもしれないとあって、思い思いにめかし込んだ女性の姿が圧倒的に多かった。ただ、二年前のフェリシアとの婚約披露式では、王太子だけでなくルベライトの至宝の姿も目にしたいと考えた民衆で、城門へと続く道の先まで埋め尽くされていたのだが。


 招待客たちが集まる入口前に、フェリシアを乗せた馬車が到着した。御者の隣に座る少年従者の美しさが一際目を惹く。その従者によって開けられたドアからフェリシアが降りてくると、周囲がどよめいた。

「あれは、陽炎姫じゃないか!?」

 久しく表舞台から姿を消していた陽炎姫の登場。相も変わらず、いや、むしろ輝きを増したその鮮美透涼とした姿に、誰もがうっとりと魅了された。

「――ため息が出るほどの美しさだな…」

「またお目にかかれるなんて…」


 そんな群衆に紛れ、ギリギリと歯軋りの音でも聞こえてきそうな表情のイヴェットの姿があった。その横にはレイモン男爵。カルセドニー帝国の伯爵家の後継ぎとなったセリーヌの従兄弟らしき姿もある。

 王太子の婚約者の義父として正装したクリストフが、三人の背後で注意深く目を光らせていた。


「婚約の儀式の前に、国王陛下ならびに王妃殿下、アレクシス王太子殿下とセリーヌ様が皆様にご挨拶されます。間もなくお出ましになりますので、今しばらくお待ちください。お待ちの間、お飲み物をご用意しております。どうぞお召し上がりください」

 宰相の声掛けと共に、一斉にメイドたちが出席者に飲み物を配り始める。

 セリーヌから聞いていた通りの流れに、イヴェットがほくそ笑んだのを、クリストフは見逃さなかった。フェリシアに視線を送ると、フェリシアはやや緊張した面持ちで頷いた。


 従者に変化したヨアンから離れないよう、広間の入り口近くにいたフェリシアの前に、シャンパンのグラスをトレーにのせたメイドがやってきた。

 開かれた扉の外に待機するヨアンにちらりと目を向けると、ヨアンが小さく頷く。例のメイドで間違いないようだ。

「お飲み物をどうぞ」

 緊張しているのだろうか、メイドの額に汗が浮かび、トレーを持つ手も微かに震えている。

『きっと無理矢理この役目を引き受けさせられたのでしょうね…。巻き込んでしまってごめんなさい』

「ありがとう」

 フェリシアは心の中で詫びながらも、差し出されたグラスを笑顔で受け取った。その流麗な仕草と麗しい微笑みに、周囲からため息が漏れる。


 メイドが下がるのを確認し、再びヨアンと目を合わせる。ヨアンがすっと指先を動かし、幻影と目くらましの魔術をかけた。

 フェリシアは、会場に現れた時からずっとその一挙手一投足が注目されている。誰にも気づかれずグラスをすり替えるため、周囲にグラスを持ちその場に立つフェリシアの幻影を見せ、フェリシア本人の姿を一瞬見えなくしたのだ。

 その隙にフェリシアはヨアンにグラスを渡し、すぐにヨアンが代わりのグラスを渡す。ヨアンが再度指先を動かし、術を解除した。

 イヴェットをはじめ、フェリシアに視線を向けていた招待客たちも、グラスをすり替えたことには気づいていないようだ。

『さすがヨアン様の魔術だわ』

 フェリシアはほっと息をついた。


 ゆっくりとグラスを口に運ぶ。シャンパンの香りに二年前の記憶が呼び戻され、一瞬恐怖に躊躇したが、意を決してそのまま一口飲み下す。

『大丈夫。ヨアン様がいてくれるのだから、怖くない』

 ヨアンへの信頼が、トラウマのひとつを打ち砕いた瞬間だった。

 当然、シャンパンに毒は入っていないが、ヨアンに事前に指示されていた通りにグラスを落とし、崩れ落ちる素振りをする。

『皆様、ごめんなさい』

 二年前の再現。周りに嘘をつくのは忍びなかったが、会場の招待客たちにも、あの時の悪夢を思い出してもらうために。兄のためにも、イヴェットたちの罪は必ず暴かなければならない。これは自分で決めたことだ。

 倒れ込むフェリシアを抱きとめてくれたヨアンが、耳元で小さく囁いた。

「フェリシア、よくやった。こんな演技をさせてすまない」

 いつだって自分を気遣い、理解してくれるヨアンに、フェリシアも小さな声で返事をした。

「大丈夫です。ヨアン様、ありがとうございます」



──そして時は、国王による断罪の瞬間に戻る。

 魔石に映し出され暴露された悪事から逃れようとしたイヴェットたちの前に、ヨアンが従属の魔術をかけていたレイモン男爵の使者と、先程フェリシアに毒入りのシャンパングラスを渡したメイドを突き出した。

「レイモン男爵に何を命じられた?すべて話せ」

 二人は聞かれるままに真実をつまびらかにしていく。メイドにも従属と自白の魔術が使われているようだ。衛兵たちに取り囲まれ、レイモン男爵とイヴェットが青ざめていく。

「そんな、すべて嘘だわ!毒なんて知らない!」

 焦燥の表情で怒鳴り散らすイヴェットの眼前に、ヨアンが先程のグラスをずいっと掲げた。

「このメイドがフェリシアに渡したグラスだ。渡した直後、毒の入っていないものとすり替えた。何でもないと言うなら、今ここで飲み干してみろ」


「う…あ…ああああああああ!」

 イヴェットが頭を抱えて叫んだ。そして、キッと顔を上げて鬼の形相でフェリシアを睨みつけると、レイモン男爵の腰から短剣を抜き襲いかかった。

「お前さえいなければ…!セリーヌの邪魔をするな!」

 ヨアンが黒いマントを翻してフェリシアの前に躍り出る。フェリシアを庇いながらイヴェットに向け腕を一振りした。


「うぐっ!」

 あっという間にイヴェットの手から短剣が弾き飛ばされ、イヴェットはまるで重力に押しつぶされるように床に這いつくばった。床に落ちた短剣を、すぐにクリストフが拾い上げる。

「フェリシアの命を執拗に狙った罪、死ぬまで悔い償うがいい」

 同じようにレイモン男爵もヨアンの魔力で床にねじ伏せられ、二人を取り囲んでいた衛兵たちに取り押さえられた。壇上にいたセリーヌも、衛兵に引きずり降ろされる。

「ア、アレクシス様!助けてください!」

 セリーヌの呼びかけに、アレクシスが険しい顔を向けた。

「罪は、償わなければいけないよ」

 セリーヌが泣き崩れ、イヴェットも衛兵に後ろ手に縛られて半狂乱になっている。レイモン男爵は放心状態だ。騒ぎの裏で、こそこそとセリーヌの従兄弟が広間を出ていった。

「罪人たちを投獄せよ!」

 国王の命令で引き立てられていくイヴェットたちを、招待客があっけに取られ見送っていた。


「皆、突然のことで驚かせた。実は本日集まってもらったのは、婚約披露式のためではない。罪人たちの罪を暴き、皆に証人になってもらいたかったからだ。二年前、王太子アレクシスの婚約者だったフェリシア嬢は、たった今捕らえた継母イヴェットと義妹セリーヌの策略により、毒殺されかけた。そして此度、再び二人はフェリシア嬢の命を狙ったのだ。レイモン男爵は二人の計画に加担し、毒を入手していた。すべては、皆に見てもらった記録のままだ」

 国王の言葉に、会場がざわめく。

「なんということだ。陽炎姫──フェリシア嬢は、継母たちに命を狙われていたのか」

「アレクシス王太子殿下は、大変なことに巻き込まれていらしたのね」


 アレクシスも、国王の許しを受け口を開いた。

「皆さんには、婚約披露式と偽りお集まりいただいたこと、申し訳なく思っています。しかし、二年前フェリシアは私の隣で毒に倒れた。フェリシアを守れなかった責任を、犯人を捕らえることでどうしても果たしたかったのです」

 真剣な表情で語るアレクシスの言葉を受け、皆の視線がフェリシアに注がれる。

「皆様を偽ってしまい、大変申し訳ございませんでした」

 フェリシアは皆を巻き込んでしまったことへの謝罪の気持ちを込めて、深々とお辞儀をした。

「フェリシア様、ご無事で何よりでした」

「本当に良かった!」

 皆の温かい言葉を受け、フェリシアは涙ぐむ。クリストフも深々と頭を下げた。


「此度の計画は、すべて私の指示によるものだ。フェリシア嬢毒殺未遂事件の背景には、我が国が抱えるいくつかの問題もあったことが判明している。申し開きがある者は、後ほど私のところに来るがいい。すべての事件の詳細は追って皆に伝えよう」

 国王が会場中に厳しい視線を投げかける。レイモン男爵やイヴェットから賄賂を受け取り、セリーヌをアレクシスの婚約者に推した者たちは、顔を強張らせた。国王はこの機に、防衛問題や汚職問題を一気にあぶり出し、一掃するつもりなのだろう。デュプラ家のみの問題とせず、自身が盾となりすべての責を負わんとする国王の配慮。長年国王に仕えてきたクリストフは目頭が熱くなった。

『感謝してもしきれるものではない。一生をかけて、この方にお仕えしよう』


 やがて会場の注目は、不気味な面を被りフェリシアの横に立つ”最恐魔王”に移った。

「しかし何故ここに魔王様が…?」

「森の奥の古城にいると聞いていたが…やはり恐ろしい姿だ…」

「フェリシア様とはどういったご関係なの?」

 恐怖や嫌悪、好奇が入り混じった視線がヨアンに容赦なく浴びせられる。


「ヨアン様は…」

 フェリシアが何か言おうとしたのをヨアンがそっと制し、首を振った。そのまま国王に向かって敬礼をすると、国王が止める間もなくマントを翻し一瞬で姿を消した。

「ヨアン様!」

 ヨアンの残像を、フェリシアの声だけが追いかけていった。

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