第16話 王太子の手腕

 フェリシアとヨアンが登城する数日前、王城の庭園では、アレクシスがセリーヌをバラ園に誘い出し、これまでに会得してきたという彼女の口を軽くする方法を実行していた。


「ほら、セリーヌの好きな赤いバラが咲いているよ。華やかで君にぴったりの美しさだね。後で花束にして、君の家に届けさせよう」

 歯の浮くようなセリフも、アレクシスが煌めく笑顔を振り撒きながら口にすれば、様になってしまうから恐ろしい。セリーヌも夢を見ているかのような恍惚の表情を浮かべ、うっとりと頷く。

「まあ、アレクシス様。嬉しいですわ」


 多忙なアレクシスがセリーヌと過ごす時間は多くない。珍しく、いや、初めてだろうか、アレクシスの方から誘われたことで、セリーヌは喜びが隠しきれない様子でアレクシスの腕にしがみついている。セリーヌのマナーの専属教師が、はしたない、と言いたげな視線を庭園の隅から送っていることに気づいたアレクシスは、内心苦笑いをした。


 自尊心の高いセリーヌは、麗しいアレクシスが自分を大切に扱ってくれることに一番の幸福を覚えるようだ。

『セリーヌにとって、僕は大きな宝石と同じなのだろう。フェリシアから奪い取った戦利品。皆に見せびらかして、王太子の婚約者という立場に酔いたいだけだ』

 アレクシスは笑顔の裏、心の内で毒づいた。

 幼い頃からアレクシスの周りの女性は皆、セリーヌと同じだった。自分の容姿と立場という蜜に群がる虫のようだ。たった一人、フェリシアを除いては。


「そういえば、カルセドニー帝国にいるセリーヌの従兄弟はもう、伯爵家の婿養子になったのかな?僕たちの婚約披露式には呼べそうかい?」

 アレクシスはキラキラの王子様スマイルを崩さず、問いかける。腹の中の感情を相手に悟らせないことなど、幼い頃から処世術として身に着けてきたアレクシスにとっては訳もない。

 婚約披露式は、もう一月後に迫っている。もっとも、このまま正式に婚約する気など更々ないが。

「そうですわね。私たちの婚約披露式。きっと素敵な式になりますわね…。お母様がとっても素敵なドレスを用意してくださってますのよ。私、そのドレスを着てアレクシス様の隣に立てるのが楽しみで仕方ありませんの。もちろん従兄弟も、伯爵家の後継者として出席するそうですわ」

 婚約披露式、という言葉に悦に入った表情を浮かべながら、自信満々にセリーヌが答える。


「将来の王妃と帝国の伯爵か。君たちの血族は皆優秀だね」

 アレクシスがさらにセリーヌの自尊心をくすぐる。さあ、もっと色々話して。

「ええ、弟のマクシムもデュプラ侯爵家を継ぐために励んでおりますし、お祖父様も鼻が高いとおっしゃっていましたわ」

「お祖父様というと、レイモン男爵?」

「ええ。お祖父様はカルセドニー帝国の貴族の方々にも繋がりを持っておりまして、そちらでも大きな取引きが順調なようです。私が王太子妃になりましたら、王家にもさらに寄付をするとおっしゃってくださっています」

 セリーヌは上機嫌で、聞かれてもいないことをぺらぺら喋っている。

 セリーヌはルベライト王国とカルセドニー帝国の関係が、水面下ではかなりきな臭いことに気づいていないようだ。しかも、武器商人でもあるレイモン男爵の事業が順調ということは、カルセドニー帝国が多くの武器を購入しているということではないか。武器に関するルベライト王国の技術も流出しているかもしれない。


 何のために王族が──今はヨアン一人の力ではあるが──国の周囲に結界を張ってルベライトを守ってきたと思っているのか。そこまで隣国と祖父の関係を知りながら、その行動が戦争を引き起こし、国の危機を招くかもしれない可能性があるものとの考えに結びつかないとは。

 王太子の婚約者としては不勉強すぎる様子に、アレクシスは内心ため息をつく。それと同時に、レイモン男爵の王国への反逆とも取れる行動に目を光らせなければ、と気持ちを引き締める。フェリシアの命を狙うこの一連の事件は、国の防衛に関する重大な問題にも結びついているかもしれない。


 それでも、そんな気持ちはおくびにも出さず、アレクシスは寂しげな笑顔を作り、セリーヌに語りかけた。

「デュプラ家の後継ぎといえば、ベルナールは本当に残念だった。僕の幼馴染みで忠実な臣下でもあり、とても大切な友人だったからね…」

「ああ、ベルナールお義兄様…。確かに残念ではございましたけれど、マクシムも大変優秀ですわ。成長すれば、きっとアレクシス様のお役に立てることでしょう」

 ベルナールの名前を聞いて、セリーヌの表情に僅かに焦りの色が浮かんだのを、アレクシスは見逃さなかった。やはり、ベルナールの死にもイヴェットが関わっていて、セリーヌも少なからずそのことを知っていそうだ。

『もう少し、ベルナールのことについて探りたい』


 明らかにベルナールの話題を避けようとしているセリーヌに、アレクシスは畳み掛ける。

「セリーヌが言うなら、マクシムの優秀さは間違いないんだろうね。でも、あんなに元気だったベルナールが突然逝ってしまったことが残念でならない。だって、倒れる数日前には僕はベルナールと一緒に剣術の鍛錬をしていたんだよ。ベルナールは剣の腕前も素晴らしかったから、よく相手をしてもらっていたんだ。それなのに…。僕も突然、あんな風に逝くことがあるのかもしれないね」

 悲しそうに俯くアレクシスの様子に、セリーヌが大きく首を振る。

「アレクシス様は大丈夫ですわ!お義兄様の場合とは違いますもの!お義兄様は…」

 思わず何かを口にしそうになり、セリーヌが慌てて黙った。


「ベルナールがどうかした?」

 アレクシスは心配そうな表情を作り、セリーヌの瞳を覗き込む。

 最大限に自分の美貌を利用してやろうと居直っているアレクシスは強い。

「セリーヌ?」

 ダメ押しにセリーヌの手を握り、顔を寄せた。

 美麗な蒼玉サファイアの瞳で熱っぽく見つめられ、セリーヌが天にも昇るような表情になる。

「アレクシス様…。と、とにかく、お義兄様のようなことにはアレクシス様は絶対になりませんわ。お母様は私の望みを必ず叶えてくださいますもの」


 セリーヌの口からこぼれた”お母様”の言葉に、きらりと瞳を輝かせ、アレクシスがさらに問う。

「お母様?デュプラ侯爵夫人が君の願いを叶えるから、僕は大丈夫なの?」

 今までこれほど近くでアレクシスに見つめられたことがなかったセリーヌは、頬を赤く染めてこくこくと頷く。

「ええ。アレクシス様は私の大切な婚約者様で、この国の王となる方ですもの。お母様が守ってくださるに決まっていますわ」

「ふうん?それは光栄だね」

 アレクシスは色気を滲ませた目元を細め、握ったセリーヌの手に唇を寄せる。セリーヌが興奮したように大きく息を吸い込んで、一息に捲し立てた。

「わっ、私、ずっとアレクシス様に憧れておりましたのよ。お義姉様と一緒にいらしたお姿を初めて見た時から…。だから、お義姉様が登城される時にも、いつも私も連れて行ってくださいとお願いしていたのに、お義姉様ったら私のお願いを聞いてくださらなくて。きっと、アレクシス様と私を会わせたくなかったから意地悪したんですわ。お義姉様よりも私の方がずっと強い気持ちでアレクシス様をお慕いしていたんですもの。王太子妃になるなら、私の方が相応しいと思っていたのです。だからきっと、願いが叶ってアレクシス様の婚約者になれたのですわ」


 我を忘れたように喋るセリーヌを見て、アレクシスは優しく微笑む。瞳の奥には、あの冷たい輝き。

「そんなに慕ってくれていたなんて、嬉しいよ。その願いも、デュプラ侯爵夫人が叶えてくれたの?」

『あと一押し』

 どこがフェリシアよりも相応しいのだと怒鳴りつけたい気持ちをぐっと抑え、アレクシスはセリーヌの腰に手をまわし、自分の方に引き寄せる。

 とろけそうな表情を浮かべアレクシスを見つめるセリーヌは、もう冷静な判断はできない状態に陥っていた。


「ええ、そうです。お母様が、アレクシス様の婚約者にはお義姉様よりも私の方が相応しいって、だから必ず私を王太子妃にしてあげるって言ってくださって。お母様はいつでも、私のどんな願いでも、必ず叶えてくださるんです…」

 それだけ聞けば十分だった。

 アレクシスはバラ園の茂みに隠れ、こちらの様子をすべて魔石で記録していた従者にちらりと目配せする。ヨアンの城に帯同させていた従者だ。

 アレクシスの目配せに、従者が頷く。記録はしっかりと撮れたようだ。


 アレクシスはさっとセリーヌから身体を離した。

「ああ、僕はもう執務に戻らなければ。さあ、セリーヌ、君も王妃教育があるね。一緒に戻ろう」

 笑顔で王妃教育へと促すと、セリーヌは残念そうに、しかし余韻冷めやらぬ様子でアレクシスの後に続いた。


 話が終わるのを待ち受けていたマナーの専属教師にフェリシアを引き渡し、アレクシスは自分の執務室に向かった。魔石をマントの下に隠し持った従者とともに執務室に入ると、椅子に崩れ落ちるように座り、大きく息を吐く。あんなに露骨に手管を使ったのは初めてで、精神的な疲労が凄まじい。

 別の従者が運んできてくれたお茶を飲み、ほっと一息ついた。

「お疲れ様でございました、アレクシス殿下」

 従者が魔石を執務机の上に置く。

「映像を確認なさいますか?」

「ありがとう。頼むよ」


 先程の映像が魔石に映し出される。セリーヌから引き出した言葉はきちんと記録されていて、アレクシスは安堵する。一緒に映る自分の表情に、苦笑いをした。

「ひどい顔だな。まるで悪人だ」

 自嘲するように呟いた一言に、従者が頭を振る。

「いいえ。ご立派でした。きっとフェリシア様にも、殿下のお気持ちは伝わるはずです」

 曇りのない瞳できっぱりと言い切った従者に、アレクシスは微笑んだ。

「ありがとう。少し気が楽になったよ」

『フェリシアへの僕の思いに、従者だって気づくっていうのにね。だけどフェリシアにとって、僕は幼馴染の元婚約者でしかないんだろうな。でも、それでもいいから、フェリシアのために何かしたかったんだよ』


 先日久しぶりに再会したフェリシアに、以前のような今にも消えてしまいそうな儚さはなかった。

 凛然として自分の考えを口にする様子には少し驚いたものの、いつも周囲の期待を一身に背負って感情を表に出さないように努めていたフェリシアよりも、生き生きとして魅力的に感じた。

『フェリシアを変えたのは…叔父上だろうな』

 二人の様子を見れば、互いに思い合っていることなどすぐにわかった。自分には向けられたことのなかった、フェリシアの恋慕の情が籠った視線。

『フェリシアをもう一度取り戻したくて頑張ったけど、どうやらもう、手遅れみたいだな』

 心が悲鳴を上げているように軋む。これも、フェリシアを守れなかった自分に課せられた罰だろうか。だが、どんなに苦しくてもフェリシアの助けになりたいという気持ちは変わらない。

『最後まで、僕にできることをやろう』

 アレクシスは立ち上がり、窓辺に近づく。遥か遠くに、フェリシアが今いるはずの森が見えた。

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