第15話 鉄槌は下される

 倒れ込んだフェリシアが従者に抱き上げられると同時に、広間に宰相の声が響いた。

「国王陛下の御成りです!」

 皆の視線が、広間の奥の壇上に据えられた玉座に注がれる。

 国王に続き、王妃、アレクシス、セリーヌが登場し、広間には歓声と拍手、そしてフェリシアが倒れたことへの不安と心配の声が混じり合う。

 それでも、国王が一歩前に出ると、ざわめきがすっと引いた。

「皆の者、本日はよく集まってくれた。ここで、皆に伝えたいことがある」

 国王は一旦言葉を切ると、じっと招待客たちを見回す。そして、高らかに宣言した。

「王太子アレクシスとセリーヌの婚約は、破棄とする!」


「なっ!なんですって!?」

 イヴェットとセリーヌが、ほぼ同時に声を上げた。会場中に動揺が広がる。

「どういうことだ?何があったんだ?」

「また婚約破棄ですって?」

「それより、ねぇ、フェリシア様は大丈夫なの?」


「皆の者、静粛に!これを見よ」

 国王の声に続き、壇上に用意された大きな魔石に映像が映し出された。

 映像はセリーヌがイヴェットに、フェリシアをどうにかしてほしいと泣きつくシーンから始まっていた。どうやら窓の外から何者かが映像を記録していたようだ。次から次へと映像は切り替わり、イヴェット、セリーヌ、そしてレイモン男爵の悪事が白日の下に晒されていく。あまりの衝撃に招待客たちの目は魔石に釘付けになり、会場は静まり返っていった。


「この者たちの悪事は、今皆に見てもらった通りだ。十分過ぎるほどの証拠であろう。よって王太子アレクシスとセリーヌの婚約は破棄。イヴェット、セリーヌ、レイモン男爵を捕らえよ!」

 映像が終わると、国王が厳しい表情で言い渡した。衛兵たちが会場に入ってくる。

「こんなこと…。どうして…?」

 蒼白のセリーヌが、がっくりと膝をついた。

「こんなもの、すべて嘘だ!」

 レイモン男爵が叫び、会場を飛び出そうとする。イヴェットも慌てて後に続こうとした。

「まだ、いくらでも証拠はあるぞ」

 低く澄んだ他を魅了する声が響き、レイモン男爵たちの前に、先程までフェリシアを抱えていた若き従者が立ち塞がった。フェリシアはその横にしっかりと立ち、強い瞳でイヴェットを見据えている。

「フェリシア!?どうして…!?」

 イヴェットが驚愕の声を上げた。直後、従者が一瞬で山羊の頭蓋骨の面を被った姿に変わる。

「ま、魔王!?」

 その悪魔のような姿に、レイモン男爵とイヴェットだけでなく、会場中が凍りついた。



──時は、ヨアンの城にアレクシスとクリストフが集まり、イヴェットたちの罪を暴くことを決意した日に遡る。


 この日、イヴェットたちの悪事の証拠を押さえ、断罪するための綿密な打ち合わせが行われ、計画の流れが決まった。

 まずは、フェリシアが国王に無事を報告する名目で登城し、王妃教育のために登城するセリーヌにその姿を目撃させることとなった。


「俺はフェリシアのそばを片時も離れない」

 ヨアンは、フェリシアのそばを離れないために従者の姿に変化へんげし、常に行動を共にすることになった。

「フェリシアの命が狙われた際には、すぐさま刺客を捕え、自決の隙を与えずに魔術ですべてを自供させる」

 ヨアンが変化まで可能とは知らなかった一同は、改めて驚嘆させられた。ヨアンに使えない魔術などないのかもしれない。ヨアンは使い魔にもフェリシアの周囲を警戒させ、さらにイヴェットとセリーヌの周囲も探らせるという。


「それでは、ヨアン様のご負担があまりにも大きいのでは?」

 魔力を大量に消費すれば、身体への負担も相当だ。心配するフェリシアに、ヨアンは頭を振り、優しく手を取る。

「フェリシアを守るために鍛えた魔力だと言っただろう。それに、フェリシアのお菓子と刺繍のおかげで、このところ魔力を使っても疲労を感じることがほとんどない。大丈夫だ」

 面の奥に覗く瞳を優しく細め、とろけるような甘い声で囁かれ、フェリシアは思わず赤面しながらやっとのことで伝えた。

「ありがとうございます。それでは私は、私にできることを精一杯努めさせていただきます。けれど、ヨアン様も決してご無理はなさらないでくださいませ」


 二人のやり取りを黙って聞いていたアレクシスも、フェリシアのもう片方の手を取り、両手で包み込む。その様子を見たヨアンの目が、山羊の頭蓋骨の眼窩でぎらりと光ったように見えた。

「フェリシア。僕も、僕にできることならなんでもやるよ」

 キラキラと輝くような麗しい笑顔は、さすが国中の女性たちの憧れの的。生粋の王子スマイルだ。フェリシア以外の女性なら、魅了されてうっとりと酔いしれてしまうだろう。しかし、幼い頃からそんなアレクシスを見慣れているフェリシアには、アレクシスの微笑みも優しい幼馴染のそれでしかない。いつも通りの品のある笑顔でアレクシスに頭を下げた。

「アレク様、ありがとうございます。これまでもずっとご心配をおかけしていたのに、本当に申し訳ございません」

 アレクシスは一瞬、残念そうに表情を曇らせたが、すぐまた輝く笑顔に戻る。

「だから、それは僕が勝手にそうしたかっただけって言ったでしょう?もう言いっこなしだよ。――それじゃあ、僕はセリーヌから何か聞き出せないか、もっと深く踏み込んでみるよ。彼女の口を軽くする方法も、少しは会得してきたつもりだから」

 セリーヌについて言及するアレクシスの表情には、今まで見たことのない冷笑が浮かんでいた。


 ヨアンとアレクシスの様子にやや面食らいながらも、クリストフも力強く宣言する。

「カルセドニー帝国にいるイヴェットの異母妹には、すぐに見張りをつける。もちろん、その息子や例の貴族にもだ。今度こそ、絶対に証拠を掴む。ベルナールの命を奪った罪も、フェリシアの命を脅かした罪も、必ず償わせる」

 一同は顔を見合わせ、それぞれの決意を胸に頷き合った。


 アレクシスとセリーヌの婚約披露式がおよそ一月後に迫ったある日。

 計画に沿い、セリーヌが王妃教育のため登城するのに合わせ、フェリシアとヨアンも登城した。

 ヨアンの変化は実に見事だった。僅かにあどけなさが残る少年従者の正体が、最恐と怖れられる魔王だとは誰も想像できないだろう。


 幼さを残しながらも驚くほど美しく整ったその面差しに、フェリシアはふと既視感を覚えた。

「ヨアン様、そのお姿は…」

「15年ほど前の俺の姿だ。髪と瞳の色は変えているが」

 声も落ち着いてはいるが、今より高い。まだ少年の澄んだ声だ。

『そうだわ、幼い頃にお会いしたヨアン様…。あの時はお声を聞くことはなかったけれど、こんなお声だったのね』

 既視感の正体に気づき、あらためてヨアンの姿を見つめた。

 いつもは見上げている顔が、自分の顔の高さとあまり変わらない場所にある。溢れ出る色香の代わりに瑞々しい爽やかさを纏った瞳が、じっとフェリシアを見返してくる。視線の近さにうろたえ、頬が熱くなった。

「この位置で見るフェリシアもいいな」

 耳元で囁き、フェリシアの髪をそっと撫でたヨアンは、にっと笑った。まるでいたずら好きな少年だ。少年のヨアンに翻弄されて、フェリシアは耳まで赤くなる。

「ヨアン様、からかうのはおやめください」

 ヨアンは薔薇色に染まった頬に手を当てて俯くフェリシアを満足そうに見つめた。


 王城に馬車で乗りつけると、御者に扮したユーゴを残し城内に入った。

 もちろん、王へは事前に計画の詳細を伝えるとともに謁見の許可を取っている。アレクシスがタイミングを計ってセリーヌにフェリシア登城の情報を伝えさせ、謁見の間へと続く回廊を見渡せる庭園に、うまく誘導する手筈になっていた。

「フェリシアが登城したことを知れば、きっとセリーヌは真偽を確かめるために、急いでフェリシアの元に駆けつけようとするだろう。王妃教育が行われている部屋からなら、彼女の性格なら庭園を横切るはずだ。謁見の間へと続く回廊でフェリシアの姿を確認するためにね。とてもじゃないが、庭園を横切るなんて王妃となる令嬢のすることじゃないけどね。でも、そこでフェリシアを目撃させれば、不用意に接触させずに済むし、僕も隣でセリーヌの表情を確かめることができる」

 そう語った時のアレクシスはまた、フェリシアには絶対に向けない氷のような笑みを浮かべていた。


 アレクシスの指示通り、謁見の間へと続く回廊に向かう。緊張した面持ちのフェリシアに、ヨアンがそっと囁いた。

「俺がいる。何も心配するな」

 ほんの一瞬、フェリシアの手を握る。フェリシアを見つめる瞳がきらりと鮮紅に輝いたのが見え、刹那、藍鼠色に戻った。大丈夫だ、と伝えるように。

「はい。ありがとうございます」

 ふっと肩の力が抜け、自然と笑みが浮かぶ。

 心強い存在に支えられながら、フェリシアは回廊に足を踏み入れた。

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