ー幕間ー 従者は感慨に耽る
カヌレを作るフェリシアの手際の良さに、ユーゴは感心しながら作業を見守る。
『”フェリシア様が作ったお菓子”というだけでヨアン様が喜ばれないはずはないが、その上この出来栄えなら、感動して泣いてしまわれるのではのではないだろうか…』
長年たった一人でヨアンに仕えてきた従者は、密かに案じていた。
ヨアンの従者ユーゴは、ヨアンの三歳年上の28歳だ。
ユーゴの母がヨアンの乳母だったこともあり、王城にいる頃からヨアンの従者として仕えていた。
年も近い乳兄弟のユーゴを、ヨアンは幼い頃から兄のように慕っていてくれたと思う。王城の隅の宮で母と二人他の側妃や王妃からの嫌がらせに耐えながら慎ましく暮らしていた時も、母を失い失意の底にいた時も、王城を出ると決めた時も、いつもユーゴはヨアンのそばにあった。
だから王城を出る際も、たった一人ヨアンへの帯同を許された。
11歳で王城を出て以来、ヨアンの心の拠り所は紛れもなくフェリシアだった。
フェリシアのために身体を鍛え、フェリシアのためにあらゆる魔術を習得した。
フェリシアの様子は使い魔を通じて常に見守っていたし、フェリシアが喜べばヨアンも喜び、フェリシアが悲しめばヨアンも悲しんだ。
『フェリシア様がアレクシス様の婚約者になられた時は、当然のことだと言いながらもお辛そうだった…』
フェリシアが甥の婚約者になった後も、ヨアンが日課を変えることはなかった。
美しくたおやかな淑女に成長していく姿にどれほど焦がれようと、決して思いが叶うことはない相手だったというのに。
二年前、フェリシアの命が危険に晒された時は、身を投げ打って魔力を注ぎ込んだ。
寝食を忘れ、ただフェリシアを助けるために力を尽くす主人の姿は、今もユーゴの目に焼きついている。
『何もヨアン様の力になることができない自分が歯痒く、やるせなかった。しかし、我が主はやり遂げた。フェリシア様を救われた後は1週間眠り続けて、今度はヨアン様の命が危ないのではと恐ろしくなったが…』
目覚めた第一声も、フェリシアの容体に変わりがないかを確認するものだった。ある意味通常通りのその一言に、半ば呆れながらもほっと胸を撫で下ろしたものだ。
フェリシアが婚約破棄された時は、ヨアンは心を癒そうと使い魔を送った。
使い魔と触れ合いながら少しずつ笑顔を取り戻していくフェリシアの様子を眺めながら、安堵していた。
贈るあてもないのに、フェリシアに似合いそうなドレスを仕立てさせるようになったのもその頃だった。
自分が贈ったドレスに身を包んだ彼女を思い描いていたのだろうか。
『何かを欲することが極端に少ないヨアン様がドレスを仕立てると言い出した時は、あまりの拗らせよう──いや、思いの深さに驚愕したものだ。仕立ててあったドレスが役に立って良かった。どれもフェリシア様にぴったりだったのには少し引い──いや、驚かされたが…』
突然フェリシアが隣国に嫁がされると知った時は、あまりの怒りに城中の空気がヨアンの魔力で震え、使い魔たちが魔力酔いを起こして使い物にならなくなった。
フェリシアが隣国に入る前に引き留めようと真っ先に城を飛び出し、目の前でフェリシア一行が暴漢たちに襲われる光景を目にした時も、ユーゴが状況を確認する間もなくヨアンが前線に躍り出た。
そしてあっという間にフェリシアたちを救い出して、フェリシアを抱え城に帰還したのだ。
心の拠り所のように思い続け、見守り続けた人が同じ城の中にいるのだから、ヨアンの心中は如何ばかりか。
いつもは昼前まで起きてこないのに、早朝から落ち着かない様子で身なりを整えていた昨日の主人の姿を思い出し、ふっと笑みがこぼれる。
「ユーゴさん、カヌレが出来上がったのですが、味見をお願いしてもよろしいでしょうか?」
主人の胸中に思いを馳せていたユーゴに、フェリシアがカヌレを差し出す。
控えめな大きさに作られたカヌレは、何かの合間に摘まむのにぴったりだろう。ヨアンを思い、ヨアンのために作られたことが伝わってきて、ユーゴは心が温かくなるような心持ちがした。
思いが詰まったカヌレはつやつやと美味しそうに輝き、甘い香りを漂わせている。
『ヨアン様よりも先に口にするのは気がひけるが…』
差し出されたカヌレを口に運ぶ。
外側のパリっとした食感を、中のもっちりとした食感が追いかけてくる。バニラが豊かに香り、ラム酒の風味が鼻に抜ける。
「大変素晴らしいです」
心からの感想を述べると、フェリシアは安心したように微笑んで、はにかみながら言った。
「ヨアン様も気に入ってくださると良いのですが」
「気に入られます。間違いなく」
思わず食い気味に言ってしまい、ユーゴは軽く咳ばらいをする。それからいつもの落ち着いた口調に戻り、フェリシアに微笑みかける。
「ヨアン様が喜ばれるお顔が目に浮かぶようです。どうか、こちらはフェリシア様からお出しして差し上げてください」
「私からお出ししてもよろしいのですか?なんだか緊張してしまいます…」
顔を赤らめるフェリシアを見つめながら、ユーゴは主人の思いが報われる日が近いことを予感していた。
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