第2話 変わらぬ想い
一番楽しかった思い出はなんだろうか。
49年と9ヶ月前の結婚式か、結婚20年目の記念で行ったアイスランドか。
今の季節で言えば、様々な場所に紅葉を見に行ったことか。
それとも、私が子どもを産めない体と知ってからの哲朗さんの献身的な愛情に包まれていたことか。
私は記憶力が人より優れている方であると思うし、一人になってからの生活もさほど大変ではない。もちろん近所の方達の援助にはとても助けられている。
近くの八百屋さんで顔を合わせた時には今日作る料理の話をするし、道端ですれ違った時には必ず体調を心配してくれる。
哲朗さんが倒れていた自宅に救急車を呼んだ時も、たくさんねぎらいの言葉をかけてくれた。
今日だって、喪服を着ている私を見てすぐに声をかけてくれた。
「富子さんおはようございます。今日は誰かのお葬式ですか?」
「山田さん!おはようございます。まぁ、そんなところです。亡くなった旦那の一回忌で。」
「そうでしたか。お悔やみ申し上げます。それにしても、もう一年も経ちましたか。何かあったらすぐ言ってくださいね。」
「ありがとうございます。つい先程、住職さんにお経を唱えていただきましたので、今からお寺に向かってお墓参りしてきます。」
「大変ですね。行ってらっしゃい。」
「行ってきますね。」
哲朗さんの一回忌には人を呼んでいない。
哲朗さんのお葬式には近所の方も参列していただいたが、各家庭の都合もあるし、私一人でお墓に行きたかった。
残暑の日差しが喪服の生地に入り込み絶妙な暑さを感じる。
自宅から徒歩10分で着く駅前のバス停に向かっているだけで、年寄りの体力は擦り切れていく。
山田さんと立ち話をしてから数分後、道端に止まり軽く休憩を入れてもう一度歩き始める。
駅前のバス停に着いたのは歩きはじめてから15分後だった。
バスに乗り込んで優先席に座る。手荷物を膝の上に乗せてバスが出発する。
昼過ぎの時間帯で、歩き疲れたと言うこともあり、ゆっくりと目を閉じて全身の力を抜いていると、バスの揺れで手荷物が落ちてしまった。
その手荷物を、吊り革に捕まっていた紺色のスーツを着ている男性に拾ってもらった。
「どうぞ。」
「すいません。ついウトウトしてしまって。」
「いえいえ。」
寝過ごしてお寺前のバス停を通り過ぎてもいけないので、眠るのは我慢しよう。
窓の外の景色を眺めていると、商店街の通りからマンションが立ち並ぶ通りへと変わり、住宅街に変わっていく。
「次は、今川2丁目。今川2丁目。」
降車ボタンを押して、バスの停車を待つ。
まもなく停車しようというところで、再びバスが揺れる。座っていても揺れが激しいと感じるのは、運転が荒いからなのか、私の体力が思ったよりも衰えているからなのか。
バスから降りると、誰かが私の背中を押したみたいに秋風が吹いてきて、足が少し軽くなった。
お寺の門をくぐると、敷地内を囲むようにほんの少し紅葉を覗かせている木々が無数に並んでおり、住職さんが待っていた。
「お疲れ様でした。徒歩とバスでの移動は大変でしたか?」
「思ったより大変でした。やっぱり歳はとりたくないですね。」
「そうですね。少し中で休まれていきますか?」
このお寺の住職さんとは昔から交流があり、哲郎さんが亡くなった時もとても親身になってくれた。こういった出来事の場合、喪主から住職にお茶と茶菓子をお渡しするが、住職からお茶などを出すことは滅多に無い。
「ありがとうございます。そうしたらお言葉に甘えて少しだけ。」
住職さんに案内されて、境内の中に入る。
境内を抜けて、茶の間に案内されると畳の良い匂いがした。
「この度は本当にお悔やみ申し上げます。」
住職さんが冷たいお茶と和菓子を持ってきてくれた。
「それにしても突然でしたね。」
「はい。正直、1年経った今でも、あの時のことを思い出すと気が動転してしまいそうです。」
「病気というものは怖いですね。初期症状が出るものもあれば、予期せず突然襲ってくるものもあります。」
哲朗さんは、昨年の昨日に、心筋梗塞で亡くなった。
初期症状も全くなく、本当に突然のことだった。
煙草とお酒は人並み程度に楽しんでいたが、煙草は1日7本までと決めていたし、週末は近所の公園でゲートボールを楽しんでいた。
早寝早起きは基本欠かさなかった。朝のニュース番組で暗い報道がされていると、「いかんな〜。」と一人ごとを呟きながら白だしのお味噌汁を啜っていた。そのお味噌汁に対して、「うん!今日も美味しい!」とまた一人ごとを呟いていた。
私が趣味で嗜んでいる生花の作品を見ると、「やっぱり凄いね!何が凄いかは説明できないけど凄い!」と男の子がロボットを見たときにするようなキラキラした目で、小学1年生のような感想を述べていた。
哲朗さんも私も、定年退職後に再雇用という形で仕事と休みを上手に両立させていたので、3ヶ月後に迎える結婚記念日には2週間ほど休みをとってヨーロッパまで避寒旅行に行こうと気持ちを弾ませていた。
去年の春は京都に夜桜を観に行って、夏には軽井沢まで避暑旅行に行った。秋になったら再び京都に行って、嵐山の紅葉を見に行こうと話していた。
結婚してから、毎年のように旅行に行っていたわけではない。喧嘩して1ヶ月程ご飯を作らなかったこともあったし、酷い時には、哲朗さんを家から追い出した時もあった。
理由としては大抵がお酒絡みだったと思う。たまに同僚と朝まで飲んだりしているのだが、家に帰ってくるとスーツをしわくちゃのままにして寝てしまい、ようやく起きたと思ったら、「なんでこんなにしわくちゃなの?」とひょろっとした顔で聞いてきたり。それだけならまだ良いのだが、とてもお酒臭い。
唯一許せるのは煙草臭くないこと。ちゃんとルールを守ってくれていたのだろうか。
そして、そういった出来事の後には、必ず哲朗さんがマーガレットアイビーの花を仲直りのしるしに渡してくれた。
マーガレットアイビーの花言葉は『変わらぬ想い』。
スーツをしわくちゃのままにして寝るのは変わってほしいと、今でも思っているが。
お茶と茶菓子をいただいて、休憩もできた。
「そろそろお線香を立てに行ってきます。」
「そうですか。しっかり休んでもらえましたかね。湯呑みとお皿を片付けてから私も向かいます。」
再び境内を通り西側にある墓地へ向かう。太陽が西の方に沈んでいて、敷地内を囲んでいる木々に隠れ、紅葉の色を鮮やかにさせていた。
住職さんと合流して墓地に入ると、脇にある茂みには、ほとんど枯れている彼岸花がひっそりと咲いていた。
「1週間前くらいが1番咲いてましたけど、もうほとんど枯れてしまいましたね。」
「私としてはあんまり咲いてなくて良かったです。哲朗さんとの思い出は全く悲しくないので。」
哲朗さんの遺骨が入っているお墓の前につき、桶で水を流す。お墓を軽く洗った後、哲朗さんが使っていたZIPPOライターでお線香に火を付ける。
「すいません。どうしてもこれで火をつけてみたくて。」
「かまいませんよ。確かに少し驚きましたが。」
火の勢いが思ったより強く、着火口を下向きにして火をつけたため少しだけ親指が熱かった。
南東向きに立っているお墓からお線香の煙が真っ直ぐ立ち昇る。
お寺の敷地内を囲んでいる木々は、太陽の力を借りながら、見頃を迎えているどんな紅葉よりも明るくて優しく、少しだけ儚いもみじ色をしていた。
瞼を閉じ、哲朗さんに向けて手を合わせる。
(今年も哲朗さんと一緒に紅葉を観ることができて、とても嬉しいです。)
心の中で嬉しいと思っていても、こうして哲朗さんの前にくると、何かふつふつと流れ出してしまうような感情が勝ってしまう。
その何かを必死にしまい、瞼をうっすらと開きながら上を向く。
哲朗さんの前で泣き喚くのは、2回で終わりにしたから。
すると、バスを降りた時と同じような秋風が吹いてきた。それは、真っ直ぐに立ち昇っていたお線香の煙をゆらゆらと揺らし、私に笑顔を見せて消えていった。
富子さんは楽しんでくれているだろうか。
あれは、48年と半年程前の出来事だった。
意を決してプロポーズをし、富子さんから、「こちらこそよろしくお願いします。」と返事を貰い、3ヶ月後に結婚式を迎えると決まってから、まもなくの出来事だった。
今年初めての朝露を観測した日の出来事だった。
結婚前に、念の為診てもらおうと軽い気持ちで産婦人科を受診したところ、医者から、「富子さんは子どもを産むことができない体です。」と言われた。
本当に言葉が出なかった。ただ、呆然とするしかなかった。
医者から言われた言葉を脳内で反復しても、理解することが出来なかった。
突然目の前から灯りが消えて、純粋な黒だけの世界に入り込んだみたいだった。
当時はそこまで医学も発達しておらず、不妊治療といっても出来ることはかなり限られていたし、養子をとるという選択肢も二人の頭の中には無かったのだ。
富子さんは、病院の駐車場に生えている植木のそばで、ひたすら謝りながら号泣していた。
「ああああああああああああああああああああああああああ!!」
「ごめんなさい!本当にごめんなさい、、。」
僕は、持っていたハンカチで次々と濡れる頬を拭きながら、背中をさすることしか出来なかった。僕の涙はそのまま頬を通り過ぎていき、服を濡らしていった。
泣き止んだと思ったら、再び感情が抑えきれなくなり号泣した。
「哲朗さんごめんね、、。」
「ああああ、、。」
「ああああああああああああああああああああああああああ!!」
どれだけの時間、こうしていただろうか。
入り込んでしまった純粋な黒だけの世界に水が流れ込んできて、暗闇の中で溺れてしまいそうだった。
僕は必死になってもがいた。どんどん流れてくる水に逆らって、必死にもがいた。来る日も来る日も、どれだけの暗闇の中でも、体力が尽きても、灯りの消えてしまったかけがえのないものに、もう一度灯りをつけるために。
もう二度とこの灯りを消さないように。
ずっと楽しく笑っていてもらえるように。
正直なところ、今こうして、二人で日本酒を飲みながら京都の夜桜を眺めていても、正解しているのかどうかは分からない。
富子さんは、僕とのお酒に付き合ってくれるが、富子さんが飲むのはこういった旅行に来た時だけだし、僕が3杯目のお酒をおちょこに注ごうとすると、無言で睨まれる。
偽りなく言えることは、僕自身はとても幸せだということと、結婚してから20年目で行ったアイスランドでは、確信を持って楽しんでくれたということ。
現地ガイドの人も驚いていたくらいの、とても綺麗なオーロラを観ることができたし、寒さで冷え切っていた体を抱きしめながら寝た夜は、今思い出しても口角が上がってしまう。
「何ニヤニヤしてるんですか?」
「え?ニヤニヤしてないよ?」
「してましたよ。すっごい気持ち悪かった。目の前にある夜桜が台無しになるくらいに。」
富子さんが意地悪な顔で僕を見てくる。
ズキっと心が痛んだ。49年近く一緒にいても、感情がばれてしまうというのは少し恥ずかしいものだ。
晩酌も終わり、富子さんが旅館の大浴場でゆっくりと温泉に浸かっている間に喫煙所で煙草を吸う。富子さんに、煙草を吸う本数は1日に7本までと念入りに言われており、今のが最後の7本目。
京都には毎年のように観光しに来ているが、富子さんは毎回初めて旅行に連れて来てもらえた小学1年生みたいにニコニコしている。
そう思ったら、楽しんでもらえているのかなと少しだけ安心した。
ほろ酔い気分で先程まで眺めていた夜桜と富子さんの情景を思い浮かべていると、また広角が上がりそうになってしまう。
ガラス越しに写っている自分の顔をきゅっと引き締める。
煙草を喫煙所の中央に置いてある灰皿に捨てて、喫煙所から出ようとしたら、再び心がズキっと痛んだ。
心配が確信に変わったのは、真夏の快晴の日だった。あと1週間後に軽井沢旅行に行くということで富子さんは上機嫌でメイクをしていた。
背中が少し丸まってきているし、頬は少しずつ垂れてきているが、華奢で愛らしく感じるのは富子さんの性格と間反対だ。
僕は、富子さんに内緒で自宅から少し遠い内科のクリニックを受診していた。
精密検査の結果、医者から診断された病名は狭心症だった。
「安静にしていても胸が苦しくなるようでしたら、検査入院となりますが。」
「そういったことは無いです。」
「でしたら、薬を処方しますので、経過観察させてくださいね。」
「分かりました。ありがとうございます。」
嘘はついていない。
まだ残暑が続くこの季節になっても富子さんにバレていない。
軽井沢の避暑旅行もとても楽しんでもらえたと思っているし、あと1ヶ月後は嵐山に紅葉を観にいくのだ。
経過観察の結果も順調だったし、ここ最近はそんなに症状も出ていない。
ただ、感情にもやがかかり、まとわりつくような気配はあった。それでも僕は平穏を装っていた。
一番の心配は、あの時のような出来事にならないかということだから。
だが、それは突然やってきた。
昼過ぎの時間帯、自宅の台所に立ちながら、コーヒーをホットかアイスどちらで飲もうか悩んでいたら、今までとは比べ物にならないほどの痛みが心臓を襲ってきた。
呼吸が荒くなってきて、目の前が霞がかってきた。
胸のあたりが締め付けられるように痛い。痛すぎる。
気づいたら台所の床に倒れていた。今自分が上を向いているのか、下を向いているのかも分からない。
ただ、フローリングの硬さと、心臓の痛みだけがはっきりと感じられてとても苦しい。苦しすぎる。
自分の洋服棚に隠してある薬を取りに向かおうとするが、痛みで立ち上がることが出来ない。
ああ、これはまずいな。
ごめん。富子さん。
リビングの机に置いてある携帯を取りに行こうとしたところで僕の意識は完全に無くなった。
再び、純粋な黒だけの世界に入り込んでしまったということだけがはっきりと分かった。
ただ、あの時とは違い、灯りは手を伸ばしたら届くところにあって、すぐにつけることが出来た。
灯りで照らされた世界は僕と富子さんとの思い出が全て、窮屈かつ丁寧に飾られていた。楽しかった思い出も、喧嘩した思い出も、悲しい思い出も全て飾られていた。それぞれの思い出が、その時見ていた色鮮やかな花や景色で頑丈に包まれていた。
僕は安心した。
これからは、僕との思い出を作ることはできなくなってしまうけれど、僕と富子さんとの出会いも含め、半世紀以上の思い出がこれだけたくさん、頑丈に包まれているなら、僕は正解だったのだろう。
気づいたら、水が流れ込んできていた。
ああ、泣かないで。
黙っていてごめんよ。洋服棚に隠してある薬を見つけたら怒るかな。
飾られている思い出たちが浸水していく。しかし、びくともしない。
僕は沈んでいく意識の中で、富子さんへのこれまでの感謝と、もうすぐ見にいくはずだった紅葉のことを考えていた。
夕暮れどきのバス停で、駅前に向かうバスを待っていた。
赤蜻蛉がバスの時刻表に止まっていて、バスが着くと逃げるように飛んでいった。
近くにある高校の下校時なのか、制服姿の男の子や女の子がちらほら乗っていた。
その子たちの間をぬいながら優先席に座り、手荷物を膝の上に乗せる。
やはり年には抗えないのか、自然と眠たくなってしまうが、また手荷物を落としてしまうので重たい瞼をぐっと開く。
バスの外の景色を眺めていると、住宅街からマンションが並ぶ通りまで走っていたところで睡魔に勝てなくなった。
赤ちゃんのゆりかごに揺られているような、とても優しい揺れを感じながら目が覚めた。手荷物が落ちていない。
バスは商店街の通りを走っていて、もうすぐ駅前に着くところだった。
「何ニヤニヤしてるの?」
「え?ニヤニヤしてないよ?」
反射的にその声がする方を向いてしまった。
二人仲良く吊り革に捕まりながら、会話する高校生の男女だった。
僅かに金木犀の香りを感じながら男の子の顔を見ると、確かにニヤニヤしていた。
「ニヤニヤしてたよ。これから飲む紫芋フラペチーノが美味しくなくなっちゃうくらい。」
「お!紫芋挑戦するんだね。そしたら俺は抹茶にしよ。」
「ご乗車ありがとうございました。次は終点、荻窪駅です。お忘れ物のないようにご注意下さい。」
高校生の男女の後ろに付いて、バスを降りる。
今日は駅前のビルで、哲朗さんの好きなお酒と、芋と、抹茶の葉と、マーガレットアイビーを買って帰ろう。
それを仏壇に置いて、嵐山の紅葉を写真で眺めながら晩酌しよう。
荷物が増えて、歩く時間が増えてしまうかもしれないが。
大丈夫。
ちょうど50年前の絶望から、私の人生は希望と幸福で一杯にさせてもらったから。
暗闇の中で灯りをつけてくれた、私にとってかけがえのないものに。
寂しくないと言ったら嘘になる。
こうして重たい荷物を両手に持ちながら帰路に付いている途中でも、荷物を放り投げて泣き喚きたくなる。
でも、私の人生に絶望が入り込む余地はもうない。
私の灯りは消えない。
変わらぬ想いがあるかぎり。
一番楽しかった、哲朗さんとの全てがあるかぎり。
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