決着

コーナーを回りながら、各々の馬に減速を指示した舘山と関は、とりあえず握手を交わし、互いの健闘を称え合う。



「昴――"解かるか?"」


舘山は真っ先に、関にそう抽象的に尋ねた。



何が『解かるか?』なのかは勿論――


『どっちが、先着している様に見えたか?』


――に、決まっている。



関は、躊躇わずに首を横に振って――


「――マジで解かんないっスわ。


ありゃあ、"センチ勝負"になりそうっスね」


――困惑なのを示して、首を傾げても見せて苦笑いをした。



関が言った、"センチ勝負"とは――写真判定でも、早々には判断し難い、数cm差の勝負に見えたという事である。



「……どうする?、コース流して、判定待つか?」


「そうっスね――あんだけの競馬を観て、お客さんの雰囲気テンションも凄ぇから、2頭でウイニングラン紛いの事でもしねぇと、失礼になっちゃうかもね」


舘山と関は、2頭を正面スタンドに向わせ、疲労抜きの軽い並足で走らせながら、写真判定が下るのを待った。




「――こりゃあ、まったく解からないな」


テレビで繰り返し流されている、ゴールの瞬間のリプレイを観ている優斗は、緊張してこめかみから汗を一滴落とした。


「どっ……!、どどどどど、どっちだろう?!」


奈津美は、先程よりも更に顔色を真っ青にして、震えながらリプレイを凝視している。



「――ナツ?、もしかして……馬券、買ってたのか?、テンユウの単絡みで」


「えっ?!、うっ、うん……」


「そりゃあ気が気じゃないわな、馬単か?、3連単?


勝ってたら――馬単でも結構配当高いだろうし、3連単だったら、3着もレーザービームだから、万馬券じゃねぇのか?」


「そっ!、そうだね――でも、単勝……なんだ」


奈津美は、握り締めていた馬券を恥ずかしそうに懐に隠す。


「もしかして、俺と一緒に応援してくれるつもりで?」


「――うん、まあ、ね」


奈津美は、モジモジと手を合わせて頬を赤らめる。


「へっ、へぇ~……それでも、テンユウは確か――」


優斗は照れ隠しも兼ねて、丸めていた競馬新聞を開き、クロテンの前日オッズを確認する。


「――前日、24.3倍かぁ~


ちょっとは配当が動いても、単勝でなら大穴な部類だぜ、いくら張ったんだ?」


「えっ?!、そっ、それはぁっ……」


奈津美は、気まずそうに目線を逸らす。


「どうした?、何かマズい事でも――」


「えっ、いや、コレぐらい――なんだけど……」


奈津美は、観念したかの様な素振りで、優斗に馬券を手渡す。


「――えっ~と……っ?!」


馬券の額面を観た優斗は、突然驚いて、顔色も変えて投票額を確認する。


「……一、十、百、千、万――っ!、にっ!、20万だぁとぉ?!」


優斗は、高額な額面に驚き、震えながら馬券を凝視する。



「アッ!、アカツキみたいな大本命が居るレースで、7番人気の単勝に――っ!、20万も突っ込むって!?」


優斗は、奈津美の度胸に、半ば呆れ気味にあんぐりと口を開けてしまった。


「――あっ!、あははははぁっ♪、冬のボーナスの、残りを全部――ね。


きょっ!、今日、ユウくんに告白するって、決心してから馬券を買いに行ったもんだから――


『――えぇ~いっ!、30年越しの告白への景気付けよぉっ!』


――って、ノリでマークカードとお金を券売機に入れちゃったのよぉ……」


奈津美は、何故か申し訳なさそうに、そして、恥ずかしそうにうな垂れた。


「分相応な金額しか、やってないって言ってたのに……」


「普段はっ!、普段は絶対にっ!、こういう買い方しないのよ?」


奈津美は、コリっと自分の爪を噛んで――


「"恋は人を狂わせる"って、本当よね~♪」


――と、照れて見せて、ペロッと舌を出した。


「いやっ!、そんな可愛いハナシにはならないから!?、なだけにっ!」


優斗は冷静に、鋭くそうツッコんだ。




優斗たちが、そんなやり取りをしていた5分ほどの間にも、写真判定の結果はまだ下らなかった。



「う~ん……来ないな」


装鞍所で待つ、翔平を始めとする両陣営の人たちは、写真判定の結果を待って未だ戻らない、互いの愛馬たちの入所を待っていた。



「とりあえず、判定が長くなるから、当時者も中に戻る様にって、指示は出たはずなんだけど……」


海野は気が気でない表情で、本場場からの通路がある方へ、何度も何度も目配せする。



――すると、ゆっくりとした歩様で、2頭が装鞍所の着順別レーンに姿を現した。



両陣営の関係者一同、そして、競馬マスコミを主とした、あの熱い戦いを見せた2頭の駿馬の雄姿を、一目でも見ようとする野次馬たち(※ほとんどは他馬やトレセン絡みの関係者)は、2頭に万来の拍手を送って労った。



そして、皆が注目しているのは――


『どちらが、1着馬のレーンに入るか?』


――である。



先程の関と舘山の会話内容を知らない皆は、騎手同士でなら、どちらが勝っていたかに気付いているはず――決勝写真を除けば、最大の判別材料は、彼らの感覚だと認識していた。



その、1着レーンに、迷う事無く入ったのは――クロテンだった。



――おぉぉぉぉぉっ!



装鞍所に集まった全員が――


『アッ!アカツキが負けたのか?!』


――という意味のどよめきを起こした。



「――ちょ~っと、STOP!」


――と、関が慌てて手を掲げ――


「俺もタテさんも、まったく判別つかない差だったのっ!


――で、戻る途中に話し合って、アカツキも2着レーンに入った事が無いから、レア映像として、ファンサービスでもしようか――ってね。


あっ、あと、ちょっとだけ舘山先輩からの圧力も……」


関が付けた"オチ"を、皆が声を上げて笑い、舘山も苦笑いを見せて場を和ませた。



「――さあっ!、専門誌も、スポーツ新聞も、雑誌も――カメラマンさんは集まってぇ~っ!


2着レーンに入った、アカツキの撮影会ですよぉ~!」


関はおどけながら、馬上から降りた。


「――昴、ご苦労さん」


関を出迎えた松沢は、この大激戦の余韻が残っているピリピリとした雰囲気には似合わない、清々しい表情をしていた。


「――どしたの?、先生、随分とスッキリした顔してさ?」


「ん?、まあ、な。


おめぇらが、最高の競馬勝負ば見せてくれだから、オラも顔に出てんだべ」


松沢は、言葉どおりの様な楽しそうな顔をして、ニヤニヤと笑いながら、アカツキのタテガミを撫でた。



一方、1着馬レーンでは――



「――教授、やれるだけの事はやれたぜ」


クロテンの背から降りた舘山は、パレット(※騎手の助手)からタオルを貰って、額に滲んだ大粒の汗を拭った。



「ありがとうございます、素晴らしいレースでした」


海野は舘山と、両手で包み込む様に握手をする。



「まだ、素晴らしくはないぜ?、勝負事ってのは――勝って、初めて素晴らしいんだよ」


舘山はまた、独特の哲学染みた言葉を送り――


「――素晴らしくなるのも、そうでなくなるのも、笑うのも、泣くのも、"写真次第"ってな♪」


――とも言って、掲示板を写したモニターを睨む様に凝視した。



そして――



『――っ!、あ~っと!、写真判定を示すランプが消えました!、写真判定の結果が出ます――掲示板の"Ⅰ"の隣に点るのは、果たして"7"か?!、それとも"8"かっ?!、勝ったのはアカツキか?!、クロダテンユウかぁ~?!』



"Ⅰ"の隣に点ったのは――


――


――――


――――――――"8"




「――っ!!!!!!!!、やっ!、やったぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


翔平は、天を仰いで絶叫した!



「やった……やったぁ~~~~~~!、うわ~んっ!、テンくん!、テェンくぅん~!」


翼は、クロテンの首にしがみ付き、自分が騎乗していたワケでもないのに、ボロボロと大号泣する。



「――謙三っ!」


さっきまでの、モニターを睨みつけていたのとは正反対な満面の笑顔で、舘山は佐山の方に拳を掲げる。


「ああ!、友二っ!、ありがとう、ありがとうぅっ!」


佐山は、またも泣きながら、舘山と抱き合って勝利を喜んだ。



「――ふぅ」


――と、緊張感から解放された海野は一息を吐き、すぐさまこの後、今度はGⅠのウイナーズサークルに立つのだと気付き、そのキレ長な顔面からは、血の気が退き始めていた。



石原が、同席していたオーナーたちから賞賛を浴び、招待した元クロダ牧場の仲間たちと、喜びを分かち合った後――


「――おめでとうございます」


――と、白畑が彼に握手を求めてきた。



「ありがとうございます」


他人から見れば、それはただの握手の一幕だったが、若い頃からお互いを知る、彼ら2人の間には、他人には解からない"何か"が、その手と一緒に交わされていた。



「くぅ~!、ついに、負けちゃったかぁ~……!」


関は、悔しそうに顔をしかめ、2着馬レーンに寄りかかる。


――だが、松沢はさきほどの楽しそうな表情を崩さず、アカツキの胸前をポンポンと軽く叩き――


「――おめぇも、良く頑張ったんだども、強がっだもんなぁ、アイツは。


でも、おめぇも楽しかったんだべ?、ええ顔ばしてさぁ♪」


――と言って、愛馬を改めて労った。



そして、松沢はふと振り向いて、歓喜に沸く1着馬レーンの中心に居る、クロテンの馬体を見渡す。



(――あん時、纏わり付いていたのは……きっと、ヤマトだったんだべなぁ)


松沢は、心中であの先程の不思議な感覚を自戒して、そう結論付けた。


(やっぱり――ヤマトおめぇが憑いてたんかい。


定年しやめちまうめぇに、おらば一泡吹かせてやろうってよ)


松沢は、呆れた苦笑いを見せた後、徐に海野へと近付いて、賞賛の握手を求めた。

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