背負うモノ

パンッ!、パンッ!、パンッ!



――ファンファーレと共に鳴らされる、競馬新聞を丸めた物の音が中山競馬場中を包み込む。



「ふぅ~!、間に合ったぁ~っ!」


そこの関係者待機所に急いで駆け込んで来たのは、調整ルームでは既にトレードマークとなっている、ピンクのラインが入ったジャージを着た翼である。


翼は、4月のあの日――日経賞を観戦していた、あの時と同じモニターの前の、同じ椅子に座っている、翔平の隣に座った。




ワアァァァァァァァァッ!!!!!!!!




――歓声と新聞を鳴らす音は、待機所に重低音に変わって響き、画面では各馬のゲートインが始まる。



「も~!、記者さんたちがなかなか離してくれないんですよぉ――


『初重賞の感想を』


――って!」


翼は、"一応"遅れた言い訳を並べるが、翔平は画面を注視していて、ほとんど聞いてはいない。



(――ムッ?!、レースを前にしている気持ちは解かるけど、完全無視はヒドイ!)


翼は、少しだけ頬を膨らませながら――


「――はいっ!、センパイとテンくんの宝物、舘山さんから預かりましたよ!」


――と、強く言って、ドンッ!、――と、翔平の膝に例の巾着袋を置いた。


「――ん?、ああ、ありがと」


翔平は、そう生返事を返し、重室に巾着袋の紐を首に掛けた。



『――さあ、最後に大外、クロダテンユウもゲートに収まって――』



――と、クロテンのゲートインを見届けた瞬間、翔平は――


「――翼、ウルヴを勝たせてくれてありがとな。


それと……初重賞、おめでとう」


――ボソッと、そうつぶやいて、翼に向けて横から目線をチラッと送り、はにかんで見せた。


「――いっ、いえ……」


翼は、その翔平のツンデレぶりに、照れくさそうに目線をモニターの方へと逸らした。






『――夢のグランプリ、有馬記念!


絶対王者は揺るがないのか?!、はたまたっ!、まさかの下克上が起こるのかぁ~!?』



――ガッシャン!



『――スタートしました!、まずは全馬、綺麗なスタートです!』



ウオァァァァァァァッ!



――怒号と共に、駆け出した8頭の駿馬たちは、おもむろに自分のポジションを主張し始めた。



『――まずは当然の様に、先頭は『光速の逃亡者』レーザービーム!


続いて、2番手にはオージカエサル――お~っと?!、レーザービームはグングンと飛ばして、早くも7馬身ほどオージカエサルを突き放すぅ~っ!』



(――離せるだけ離して、直線に入れれば結果は解からない!)


――という意図から、栗野は出ムチを入れ、結局2番手のオージカエサルに10馬身の差を一気に着け、最初のコーナーへと入っていった。



(栗野さん!)


(――随分、積極的だなぁ)


――後続の騎手たちは、レーザービームの暴走染みた先行策には驚いたが、とりあえずは自分たちの作戦を遂行しようと、その先頭から離れた位置取りのまま、馬群を形成し始める。



『――オージカエサルの後ろには、並んでアテナワンドとニシコクマサムネ、3歳勢が馬群を先導!


その更に後ろにホリノブラボー、続いて――続いているのがっ!、圧倒的一番人気!、世界最強馬っ!、アカツキと関昴!、その横に並ぶのがクロダテンユウ――最後方には、ラストランのブルーライオットと言った大勢っ!


先頭のレーザービームは……早くも、正面スタンド前を終えようとしています!』



その、正面スタンドを越えた辺りで――



『――最初の1000mを通過、タイムは……58秒5!、これは明らかにハイペースです!』



――実況がその事実を伝えると、観客からは大きなどよめきが起きる中――


「――♪、♪~♪」


――と、ある一頭の馬は、この緊張感漂うレース中に、鼻歌を交えてご機嫌に……悠々と、逃げ急ぐレーザービームを追走していた。


そんな芸当を、天下のグランプリの最中に行なうのは……世界最強馬にして、数奇な程の天然ボケ馬でもある、アカツキしか居ないであろう。



「やっぱり♪、一緒のレースを走る日は近かったんだね、クロテンくん♪」


クロテンと並んで走っているアカツキは、妙に嬉しそうに、外側を走るクロテンに顔を近づけた。


「――俺も驚いたぜ、競馬場に着いたら、おめぇが居るんだから」


対してクロテンは、ちょっと鬱陶しそうに馬体を離す。


「これで、牧場での約束は果たせたね――後は、この間の併せ馬の時の約束……キミが見つけたっていう、"走る意味"を教えて貰うよ?」


「――へ?、レース中の今か?!」


「うん、知りたいのは、レースを走る意味なんだから――レース中の方が、解かり易いじゃないか」


アカツキは、目を爛々と輝かせ、期待に満ちた表情でクロテンの顔を覗き込む。


「――つまらない理由だぜ?、特に、お前の様な馬にはな」


クロテンは、そう前置きして、彼が見つけた"走る意味"を語り出した――



――ここからは、ほんの少し、#彼__クロテン__#のモノローグとしよう。






――最初は、牧場を変えちまって、母さんたちから『故郷』を奪った……あのダサいジャンパーの連中が、悔しがる表情かおが観たくて、それが楽しいから走ってたと思う。


もちろん、メシを食わせてくれてる、人間たちには感謝してるし、競走馬っての俺たちは、人間のために走ってるってコトは、ちゃんと理解はしてたがな。



――でも、俺は、怪我をして……改めて知っちまった。


その、人間たちが、どれだけ、俺たちを愛してくれていたかを――



――知っちまったからこそ、余計に、あんな怪我をして、期待に応えられなかった、自分の浅はかさと情けなさが、悔しくて、悔しくて、堪らなかったっ!



だから、俺は思った――競走馬おれたちが、背中に背負っのせてるのは、鞍の重りや騎手だけじゃねぇ――俺たちは、"人の思い"ってのも、この背中に背負ってるんじゃねぇかと思ってな。


俺の見つけた『走る意味』ってのは――そんな『思い』ってヤツに応えるため……なぁ~んていう、やけにカッコつけた、身勝手なモンさ。




「――お前なら、俺なんかより、ずっと沢山の『思い』を、背負ってきてるんじゃねぇのか?


だから、お前は――あんなにも強い、んじゃあないのか?」



――語り終えたクロテンは、真っ直ぐに走りながらアカツキにそう問うた。



「そう――かもしれないね」


アカツキは妙に納得し、口元に不敵な笑みを見せた。



「――"それ"を、知ったからこそ、キミも強くなったんだね?」


アカツキは……顔色を変えて、クロテンを凝視する。



先程までの様な、"天然ボケ"なアカツキではない――明らかに、眼光の鋭さが違うっ!



「俺が――強い?」


「――もう、買い被りだなんて言わせないよ?


今朝、馬運車から降りて来る様子を観て驚いた……馬体の変わり様にね。


ボクは、菊花賞の時から、感じていたのかもしれない……キミの奥にある、そんな本当の強さを!」



アカツキが、そう指摘したなどとは知り得るワケがないはずだが、鞍上の関も、クロテンの馬体を横目に見て、苦笑いを口元に浮かべていた。



(――こうして間近に見ると、おやっさんの言うとおりかもしれないな)



それは、先程の騎乗命令が下った後の事――




「――教授め、とんでもなく馬体からだを造り込んで来やがったなぁ」


――最後の作戦の打ち合せで、アカツキに歩み寄っていた松沢は、当のアカツキには目もくれず、後ろで同じく打ち合わせている、クロテンの馬体を眺めていた。


「――また、アカツキよりクロテンを気にしてんっスか?」


関が呆れて諭すと――


「アカツキは、もう仕上がりとか作戦を、あーだこーだと話し合いばする馬でねぇべ?


それに――元はといえば、おめぇが菊の後に、スティーヴの仔っこが気になるって、喋ったのが最初だべよ?」


――と、反論して関の額を指差した。



「――スティーヴの"仔"じゃなくて"孫"ね、母父なんだから……まっ、スティーヴの方が似てるから、気持ちは解かるけど。


確かに――俺とアカツキのせいだよね、菊の直線で、不気味な感覚に襲われて――」



――関然り、松沢然り……そして、アカツキ自身も、去年の菊花賞以来、陣営の誰もが、2着に食い下がったクロテンの事を、"妙に"気にしていた。



菊花賞のゴール前――先頭を独走しているはずの、アカツキと関は、後ろから間近に迫って来ている――『様に感じる』奇妙なプレッシャーを感じ、不必要な程に加速した結果が、7馬身差圧勝の真相だったのである。



「――楽に抜け出したと思っても、そのプレッシャーは逆にどんどん大きくなって……アカツキ自身も、それを感じているのか、俺が後ろを確認して流しても、全然スピードを緩めなかった」


アカツキの背に跨った関は、菊花賞の時を思い出しながら、ポンポンとアカツキの首筋を軽く叩く。



「――あん時、不必要に追ったもんだから、次はJCを予定してた算段が狂って、年内は有馬しか使えなかったんだったな」


松沢も、当時を思い出して、癖でもある自分の顎を撫でるポーズを見せた。


「――んで、気になっからって、おめぇはわざわざ、教授に営業かけてAJCCに乗ったんだべ?」



そう――関が、AJCCでクロテンに騎乗する事を望んだのは、アカツキ陣営としての一種の偵察だったのだっ!



「その感想を聞いたら、おめぇは言ってたな――


『今、アカツキが負けるとは思わないが、海外行ってる間は、全部、アイツに持って行かれるかもね』――ってよ。


馬の良し悪しにゃあ辛口なおめぇが、ああいう風に言うのは、初めてアカツキに乗せた時以来だったわな」


「――そっ、偵察のつもりが、これで海外でアカツキ、国内ではクロテンと、二枚看板で荒稼ぎ出来る!


――と、狸の皮算用を企んでいたら、日経賞であんな事に……」


関は、残念そうに天を仰いで見せる。


「――そんな故障明けの馬だよ?、先生、気にし過ぎじゃないのさ?」


関の、そんな指摘に、松沢は顔をしかめて――


「故障明けだとは言っても、おめぇにそこまで言わせる素質と実力の持ち主が、この良い仕上がりだで?


――んで、乗るのが"友二"ってのも臭ぇ……これは、菊の時がおめぇの騎手ヤネの勘なら、これはオラの調教師テキの勘だ。


昴、スティーヴの仔っこに、気をつけて乗れよ?」


そう言って、松沢はアカツキの尻を叩き、パドックから送り出していた。



(――タテさんの手応えを見ても、ゆったりと走ってて、息遣いも良い!、一応、クロテンをマークだ!)



――人も馬も、様々な思考を錯綜させ、コースを疾駆している間に、レースの大勢はクロテンにとっては深い意味を持つ、残り1000m地点を今――越えた。



それを視認した舘山は――


(――さあ、これから走るのは、新しいお前だ……存分に走って来い!)


――そういう意思を込めて、手綱を緩めた。



それを鋭敏に察したクロテンは、アカツキに――


「――へっ、おめぇみたいなバケモノに、そう言われるのは悪い気しねぇな。


なら……お前を相手に、試させて貰うぜ、お前が言う、俺の本当の強さってのを」


――顔付きを豹変させ、先程のお返しとばかりに、鋭い眼光で睨み返した。



それを見たアカツキも、嬉しそうに――


「ああ、試すと良いよ……そうすれば、ボクはキミとの戦いを楽しめるし、キミも――熱い戦いをすれば、"思いに応える"っていう、キミの走る意味を遂げられるっ!」


――恍惚の表情を浮かべて、正面に向き直った。

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