"超える"馬
「――止まぁ~れぇ~っ!」
また、少しだけ時を戻し、場面は中山競馬場のパドックである。
今の音声は、パドックを周回している有馬記念に出走する8頭に騎乗命令を下すモノだ。
フルゲートが16頭立てであるこのコースで、しかも、年の瀬の国民的行事とまで呼ばれる天下のグランプリレースとしては、実に寂しい頭数となってしまった。
その最たる理由は――やはり、アカツキの存在だろう。
JCでのフランベルジェとの決戦を制し、凱旋門賞の回避で、落ちかけた世界最強の称号を、再び掲げたアカツキ――
2着のフランベルジェとの着差こそはクビ差だったが、3着に食い下がったオージカエサルとは、更に7馬身も離れており、その決定的な能力差を、まざまざと知った有力馬を抱える各陣営は――勝ち目は無いと、軒並みに有馬記念を回避したからなのである。
参戦を表明していたフランベルジェも、念願のアカツキとの対戦を果たし、JCで本懐は遂げられた形なので、アッサリと、それも早々と――失意のまま、既にフランスへと帰国している。
観客席から漏れる会話からは、既に――
『――今年最後のハイライトは、翼ちゃんの重賞勝ちだったな』
――と、言われている程に、今年の有馬記念は、完全なるアカツキ1強、独壇場ムードと化していた。
騎乗命令を受け、騎手だまりから続々とジョッキーが自分の愛馬へと駆け寄ると、クロダテンユウ騎乗の舘山友二は、手綱を引いていた翔平の背中をポンっと叩き――
「――周回ご苦労さん……と、担当馬のGⅡ勝ち、おめでとさん」
――と、破顔を造って、先程のゴールドウルヴの勝利を称えた。
「ありがとうございます、翼のおかげですよ」
翔平は、謙遜気味にそう言って、舘山に会釈をした。
「――賞金、ガッポリだなぁ~♪、若いのに、うらやましいねぇ、このっ!」
舘山は翔平を肘で小突き、からかって見せる。
「お生憎様――ウチの担当厩務員賞金は、全員でボーナスにプールするシステムですから」
そう言いながら、パドックのセンターサークルから近付いて来たのは、レース前の最後の打ち合わせにやって来た海野である。
「何だ、教授のトコまでそうなのか?
俺は、昔みたいに出来高の方が、仕事のやる気が出るかと思うんだがね」
「今の時代は、競馬に限らず、何事も――
『一つのチームとして』
――という考え方が、一般的ですからねぇ」
海野は、賞金絡みの下世話な話題を受け流し、そんな返しに苦笑いしながら、舘山はゆったりとクロテンの背中へと跨った。
「作戦は――任せてくれて良いんだね?」
鞍上で身を正した舘山は、着けているゴーグルの位置と枚数を確認し、海野に今回の作戦を確認する。
「ええ、石原さんも私も、勝ち負けや着順より、この"中山2500m"を、走りきらせるコトが目的ですから」
今度は、腰のベルトに差した、ムチを取り出す確認をしていた舘山は、ヒュンッと抜いたムチを、なんと、海野の鼻先に突きつけた!
「!」
それに驚いた海野は、顔色を蒼く染め、こめかみと背筋には冷たいモノが走った。
「たっ!、舘山さん!?」
「ああ、悪りぃ――でもなぁ、教授。
俺たちは――常に、
舘山は、にやけながらもそう言い、ムチを腰のベルトに差して、クロテンを周回コースに戻した。
「失礼――しました、では、よろしくお願いします」
海野が深々と頭を下げて地下馬道に送り出すと、舘山は何も言わずに手を挙げて、それに応えていた…
小気味良いリズムで蹄を鳴らしながら、8頭はゆっくりと地下馬道を進む。
その一団の列を、一番後ろから追従する、8番ゼッケンを着けたクロテンは、機嫌良さそうに、首を縦に振って歩いていた。
「――翔平」
手綱を引く翔平に、馬上の舘山は囁く様に声を掛けた。
「はい?」
「レース――翼と一緒に、待機所で観るんだろ?」
「ええ、石原さんが出来るだけ、
翔平の返事を聞いた舘山は、ゴーグルをしているので表情こそは解からないが、ニヤッと口元を綻ばせ――
「クロダの場長さん――ゲン担ぎは、馬主になっても変わらねぇんだな♪」
――と、声では笑っていた。
舘山の実家が北海道の牧場だという事は本人が述べたが、その関係で、舘山は石原の事を子供の頃から知っている。
「――でも、今日のはゲン担ぎじゃあねぇか――"悪いゲン"を、吹っ飛ばすためのモンだもんな」
「はい、俺たちも、石原さんと同じ思いが残ってますから――このコースには」
「そっか……あっ、そういや例のお前とクロテンの
そう言うと、また、山は口元を綻ばせ、そっとクロテンの首筋を撫でた。
「本当に、ファンに愛されている馬だぜ――そんで担当のお前が、余計にマジメでよぉ……大切に、手紙を保管までしてるってぇトコロが面白かった」
「あ~!、やっぱりそーいう狙いっスか?、俺を小馬鹿にして、調整ルームで話のオカズにしようとっ!」
「ははっ♪、違う違う!、そんな事しねぇよ」
「――どうだったか、後で翼に聞かないとっ!」
――そんなやりとりをしている内に、本馬場出口から漏れる、冬場の柔らかい日差しが見えてきた。
『――今年最後の大一番!、有馬記念!
冬枯れの中山に集った、8頭の駿馬たちの本場場入場ですっ!』
そんな実況が響く中――ウォァァァァッァァァァァッと、出走馬が続々とコースに姿を現し、怒号の様な歓声が彼ら、彼女らを出迎えた。
『――1番!
今年のダービー馬は逃げなかったっ!、世界の名手を背に、不屈の意欲で王者を討つか?!
オージカエサルとマルコ・ジョバンニ!』
――JC3着馬。
実況が賞賛したように、有力馬がアカツキ怖さに回避する状況の中、秋シーズンの当初から表明していたプランを固持。
3番人気に収まってはいるが、JC3着以外にも秋シーズンに入ってからは神戸新聞杯を勝ち、菊花賞でも2着と、決して調子が悪いワケではない。
『――2番!
ダービー馬に続いてオークス馬の登場です!、連対率100%の安定感を武器に、
アテナワンドと、
――メンバー紅一点の3歳牝馬で、今年のオークス馬。
オークス以外のGⅠでは、阪神JF、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯、全てで2着と、その安定感は既に現役屈指――単勝人気こそ5番目だが、連軸としての人気は上位に位置している。
鞍上の藤村は、関西所属で"牝馬の樹"の異名も持つ、常にリーディング上位に名を連ねるトップジョッキーの一人だ。
『――3番!
この馬もブレずに出走――小回り巧者が、王者の首を虎視眈々と狙っている!
ホリノブラボーと浜野純平!』
――去年のこのレースで3着、クロテンからすれば、3戦連続で顔を併せる事になったお馴染みの相手で、鞍上の浜野も――翼にセクハラ発言をし、出入り禁止を喰らった事でお馴染みかもしれない。
8番人気と人気は最低だが、今年も穴を空けようと企んでいる。
『――4番!
さあ!、満を持して2冠馬の登場!、今日もオーナーの決め台詞が、中山競馬場に響き渡るか?!
ニシコクマサムネと、
――今年のクラシック戦線では、オージカエサルと2強を形成し、今年の皐月賞、菊花賞の2冠を制した、2番人気に推される、3歳勢の筆頭。
実況が、オーナーについて触れたのは――そのオーナーが有名な俳優の
『今日も、勝っちまったなぁ~っ!」
――と、インタビューで見せるパフォーマンスを表している。
鞍上の南は、この馬で初めてGⅠジョッキーとなった、若手のホープである。
『――5番!
直線までは、先頭を決して譲らない――それがたとえ、絶対王者であっても!
今や、GⅠには欠かせない千両役者っ!、今日も逃げるぞ!、光の如く!
『光速の逃亡者』っ!、レーザービームと栗野正臣!』
――AJCCや日経賞ではクロテン、JCではアカツキを先導した名物逃げ馬。
この秋は、オールカマーを制しており、今や誰もイロモノ扱いには出来ない実力馬に伸し上がったが、今回は6番人気に収まっている。
鞍上は、オールカマーで彼を勝利に導いた、クロテンとも縁があるベテラン、栗野である。
『――6番!
長距離戦を求め、世界を飛び回った競走生活も、今日でついにラストランっ!
稀代のステイヤーは、最後の舞台で、跨る怪童へ何を託すのか?!
ブルーライオット――ラストランを任されたのはGⅠ初騎乗っ!、新人の三輪竜太です!』
――今年は春の天皇賞で2着に食い下がるなど活躍していたが、陣営は翌年には8歳となる事を理由に、有馬記念での引退を表明……その手向けとばかりに、今は4番人気に推されている。
最後は、今年の復調の功労者だったと陣営が認めている、調教騎乗を担当していた自厩舎の所属騎手である、竜太に手綱を任せたのである。
『……7番――輝く、白き馬体を翻し、世界最強馬が姿を現しました!
グランプリを連覇し、更なる勲章を持って来年、再び、唯一の忘れ物を獲りに海を渡るのか?!
『日本の至宝』っ!、アカツキと!、関っ!、昴っ!』
――泰博が手綱を外し、大歓声と共にコースに入ったアカツキは、素軽くノビノビとキャンターで疾走して見せた。
(うぁっ!、随分とご機嫌だなぁ)
その時のアカツキの反応に、関は驚いて――
(――去年のダービーや、3冠がかかった菊、ドバイの時なんかとは、比べ物にならねぇ調子の良さじゃん!
この間のやる気の無さは、一体なんだったんだよ!)
――と、呆れた表情で、オーバーワークにならない様にと手綱を強めに引いた。
(やる気を出しているは理由は……きっと多分、あの時と同じで――)
馬上の関は後方に振り向き、最後に入場してくる8番ゼッケンを背負った、派手な栗毛馬を見据える。
「――翔平、お前は……常に、勝たせるつもりで、クロテンの世話、してるか?」
本馬場に出て、手綱を外そうとしている翔平に、舘山は不意にそう問うた。
「――当たり前じゃないっスか?」
そう即答した翔平の表情を見て、舘山は
「そっか――なら、心の準備、しとけよ?、天下のグランプリの、ウィナーズサークルに立つ準備をな?
そん時――あの巾着袋を、口取り写真で掲げっから、忘れずに持って来いよ!」
――舘山はそう言って、翔平の手綱から解放されたクロテンに合図をして、返し馬に向わせた。
『――8番っ!
彼は――ココに忘れ物があります。
残り1000mに置き忘れた、心残りを拾い集め、抱えた困難を越えてっ!、新たなる未来へと進めっ!
『奇跡のパラホース』クロダテンユウ――手綱を握るのは、館山友二です!』
「――と、今頃、テレビではそう呼ばれているんだろうね」
関係者席で入場を見守る石原は、笑みを浮かべて隣に座る海野と佐山にそう言った。
「今日――テレビの実況を担当するアナウンサーとは、取材をきっかけに、牧場に居た頃から付き合いがあるんだが……木曜日に、ウチに電話があってね、テンユウの入場時に、そう言いたいと言うんだよ」
石原は、返し馬をするクロテンを目で追いながら――
「――障害者スポーツの世界大会として、パラリンピックの存在は知っているだろうが、その呼び名の意味を知っているかい?」
――博識で評判な、海野を試す様な言い方で尋ねてきた。
「――ええ、確か……語源は、下半身麻痺者を表すparaplegicsと、オリンピックを掛け合わせた造語だと、記憶していますが?」
「流石は――スポーツ運動学を専攻していた由幸くんだね、正解だよ。
まあ、私の場合は、そのアナウンサーの受け売りだがね」
石原は、軽く拍手をして、海野の知識を称賛した。
「そのアナウンサーがね?、テンユウに何か異名を付けて実況しようと思って、今のテンユウの境遇から、パラリンピックを連想したんだそうだ――その意味を調べる中で、"パラ"だけを切り取ると、ギリシャ語では『~超える』という意味になると知ったらしい。
だから――『困難を越える馬』として"パラホース"と呼ばせて欲しいと、わざわざ私に、一任を貰おうと電話をくれたのさ」
石原はニヤッと笑って、競馬場全体を見渡して――
(さあっ!、テンユウっ!、走りきって、この負の記憶を"超えて"こい!)
――と、心の中で叫んでいた。
――しばらくして、この実況が日本中に響き渡る。
『――さあ、年の最後のグランプリ!、有馬記念のファンファーレ!!!』
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