告白
『――ツ・バ・サ!、ツ・バ・サ!』
有馬記念を前に、パドックを周回しているクロテンと、その彼の手綱を引く翔平は、本馬場の方から響く"ツバサコール"を聞き、クロテンも翔平も思わず、首を本場場の方向に向けた。
今日のクロテンは――福島記念の時とは違い、引き締まった馬体を輝かせて周回している。
(この歓声って――?!)
翔平がいぶかしんでいると、パドックの観客から――
「――おいっ!、麻生が重賞獲ったらしいぞ」
「――マジか?!、新人だぞ?!、オマケに女だぞ!?」
「うわぁ~!、有馬の前に、スゲェ事が――」
――などという話し声が漏れてきた。
(!、そっかぁ、ウルヴと翼、勝ったのかぁっ!)
翔平が嬉しそうに顔を綻ばせていると、ふいにクロテンが鼻面を寄せて来た。
「クロテン、お前も解かるのかぁ?、ウルヴを翼が勝たせてくれたってよ」
そう小声で翔平がささやくと、クロテンは明らかに喜んで見せ、嬉しそうに首を縦に振った。
「――翼ぁ~っ!」
ウイニングランを終え、装鞍所に戻った翼とウルヴを、1着馬のレーンで出迎えたのは、手を掲げた佐山だった。
パドックでクロテンを引いている、担当厩務員の翔平に代わり、佐山が、ウルヴの馬具の解除を買って出たのである。
「――謙さんっ!」
佐山の掲げた手の意図を理解した翼は、左手をダラリと馬上から下げ、佐山からすればハイタッチ、馬上の翼からすればロータッチの格好で手を合わせた。
「翼さん――おめでとう!」
関係者席から急いで駆けつけた海野も、満面の笑みで翼を出迎えた。
約1年前のAJCCの時とは違い、表彰式やインタビューなどに緊張した様子はさほど無く、海野は素直に、2度目の重賞勝利を喜んでいた。
「先生――ありがとうございます!、騎乗させていただいた、先生のおかげです!」
「いやいや――調教師としては情けないが、私は館山さんの助言に従っただけだよ」
「この世界に入った、春から今日まで――先生に、色々な経験をさせて貰えたからこそ、今の騎乗が出来たんだと思います」
翼は、両手を胸の前で合わせ、今までの思い出を噛み締める様に目を閉じた。
「――本当に、謙虚なお嬢さんだね」
「!?、白畑さん!」
少し遅れて、関係者席から降りて来た白畑の登場に、海野厩舎の3人の間に緊張が走った。
白畑は、"お気になさらずに"、とでも言っている様な、細かな笑みを見せながら、翼の前に立ち、そっと手を差し出して握手を求めた。
翼は、慌てて
「ゴールドウルヴを
素人の目ではありますが、素晴らしい騎乗だったと思いますよ」
――白畑は、彼なりの所作で、勝利騎手への労いと世辞を述べた。
たとえ――相手が若輩な少女騎手でも、その態度は一切ブレず、紳士的に。
「ありがとうございます」
「――では、表彰式でお会いしましょう」
3人が白畑を見送ると、急に佐山が――
「――うっ、うっう……っ!、翼ぁ、お前……スゲェよ」
――と、嗚咽を漏らし始めた。
「えっ?!、けっ、謙さん?!」
「実習生としてウチに来た時は、とてもモノにならねぇって思ってたのが、重賞獲って、"閣下"にぃ……うっ、うっ――っ!」
佐山の涙腺は、決壊してしまったらしく、ボタボタと彼の涙が装鞍所の床を濡らす。
「おっ!、俺は――騎手を引退して助手になるって、決めた時……いつか、所属騎手が出来たなら、俺が獲れなった重賞を、代わりに獲って貰うのが、ささやかな目標だった。
それを、翼が――こっ、こんな早く、こんな快挙まで付けて、うっ!、うぅぅぅぅ……っ!」
海野も、翼も、彼が心中に秘めていた、鬱積したモノを悟り……返す言葉に困っていると、佐山の後ろから、タオルを彼の顔に被せたのは、同期である館山だった。
「翼、泣き虫な助手は俺に任せて、早く顔洗って、
「……はい」
翼は何かを察して、余計な事は何も言わず、検量室に向った。
「――ほら、見られたくないヤツは遠ざけたから、思いっきり泣きゃあいい。
同じ目標を抱いて、一緒にこの世界に入った――同期のお前の気持ち、俺はちゃんと解かってるぜ?、謙三……」
「――うっ、うるせぇっ!、出世頭のお前じゃ、説得力に、欠けんだよぉ……」
佐山はそう毒づきながら、被せられたタオルで泣き顔を拭った。
「――やった!、翼ちゃんが勝ったよ!」
時は少しだけ戻り、翼のウイニングランを観た奈津美は、喜びの声を挙げていた。
「こんな凄い人を、後部座席に乗せたかと思うと……なんだか、あの日がウソみたい」
「ああいう風に出会ってると、なんだか自分の事の様に嬉しいモンだなぁ」
奈津美と優斗は感慨深げに、歓声が挙がるスタンドが映された、テレビ画面をジッと見つめた。
二人はその後、ホープフルステークスの回顧などをして、有馬記念の発走を待った。
そして、ホープフルステークスの配当金のアナウンスと同時に、表彰式の様子が画面に映った。
そこに映った、翼の輝く笑顔の姿を観て、奈津美は――何かを思いついた様に、急に優斗の方に向き直った。
「――ねぇ、ユウくん?」
「ん~?」
――と、優斗はテレビを観ながら生返事を返したが、次の奈津美の言葉に――事態は一変する。
「ユウくん――私と、一緒に暮らさない?」
…
……
…………
一瞬――一瞬、ではあるが、優斗の部屋は静まり返り、コンコンと、ストーブの上で沸くケトルが放つ沸騰音と、競馬中継の音声だけが響く。
「――ナツ?、お前、何を言って……」
優斗が問い返すまで、多少のインターバルがあった。
「言った――通りだよ?」
奈津美は、少しだけ頬を赤らめながら――
「――同棲、しようよって、言ったのよ」
「……はぁ?!」
優斗は、目玉が飛び出そうな勢いで、驚きを隠さなかった。
「お前っ!、からかうにも程があるだろ?!
そもそも、何でっ!、急にそんな事を思いつくんだぁ?!」
「……だって、おばさんから聞いたよ?、部屋――追い出されるって」
「!」
奈津美の返事に、優斗の顔色は大きく変わった。
奈津美が言った事は――事実だった。
優斗は、春までの猶予こそ与えられてはいるが……このアパートからの立ち退きを求められている。
その理由は――決して、家賃の滞納とか、取り壊しや立替とかのフツーな理由ではない。
「――障害を抱えた単身者に、部屋を貸しておくのは、心配だからって……」
そう――優斗の身体に関する事が理由だった。
優斗は、深く溜め息を吐き、天井を仰いで額を抑えた。
「――ああ、その通りだ。
何かがあってからでは困るから、出て行ってくれ――ってな。
ココで――救急車騒ぎを起こしたのが、決定打だったんだろうなぁ……孤独死なんてされちゃあ、物件の価値とかに関わるんだろうし。
『私もその身体ならもっと、住みやすい所に移った方が、良いと思うんですよぉ~』
――って、ご丁寧にも大家さんから、障害者用の公共住宅や、施設について書かれた、市民便りの切り抜きまで持って来てくれたよ」
優斗は、苦虫を噛んだ様な表情で、立ち退きに至る経緯を語った。
「――それも聞いたよ。
ルルちゃんも居るから、出来ればペットOKの民間の賃貸に引っ越したがっているけど、探してもココと似たような理由で断わられているって」
奈津美は、今ではすっかり自分に懐いている、
――バリアフリーだの、総活躍社会だのという言葉がもてはやされてはいても、それが――障害者を取り巻く現実だ。
優しい言葉を並べ、取り繕ってはいても――人というイキモノは、本質的には、優しいワケではない。
一人では何も出来ず、自ずと働けもせず、その場に居るだけで、モノの価値まで下げてしまう――障害者を、社会のお荷物と考えている輩は、決して――少なくはない。
結局は、何らかの"情け"が無ければ、生きている事すら許されない――優斗の様な立場の者は、並べる言葉と実際の行動が、"二律背反"な世の中に生きているのである。
「――私、解からなくなってきたよ……リハビリを施して、社会に帰しても、ユウくんの様子を見ちゃうと、それが本当に、患者さんの幸せに繋がってるんだろうかって」
「お前は――立派な仕事をしているよ、お前が悩む問題じゃねぇ。
それより、どーして立ち退き話から、どっ、同棲――に、話が繋がるんだよ?!」
優斗も、少しだけ落ち着いて、改めて奈津美の爆弾発言の意味を噛み締めたのか、ほんのりと頬を赤らめていた。
「だって――誰かと一緒に住めば、ユウくんとルルちゃんは、一緒に引っ越せるでしょ?
それに……来年の夏頃には、社会保険の傷病手当まで無くなって――生活、厳しくなるんじゃない?
だったら、その――わっ、私と同棲すれば、
奈津美の提案は――優斗から漏れ聞いた彼の現状を精査し、綿密に考え抜いた、彼女なりの結論だった。
「――ナツ、それは、お前の……いわゆる『ヒモ』になれって、コトか?」
優斗はうつむき、ボソッとそう奈津美に問うた。
「もの凄く……解かり易く言っちゃえば、そうだね。
でっ!、でもっ!、ユッ!、ユウくんのプライドが、それを許さないなら……おおっ!、思い切ってぇっ!!、結婚――っ!!!」
「――っ!!!!、ふっざけんなぁぁぁっ!!!!!!」
――バンッッッッ!!!!!
後半にあった、奈津美の更なる爆弾発言を聞かない内に、優斗は、座っているベッドの上を叩き、激昂した。
「――バカにっ!、バカにし過ぎてるだろ!!!!!、それじゃあ生活出来ねぇだろうから、アタシのヒモになれって?!
同棲なんてモンはっ!、恋愛感情ありきのモンだろうよっ?!、それをっ!、今の俺みたいなっ!、そんな気持ちを抱きようのない男に言うなんてっ!!!!
それはもう!、同情なんて言葉を通り越してっ!、一回りしてる言い草だぁっ!!!!」
優斗は、激しく捲くし立て、奈津美の軽はずみに聞こえた発言を諭した。
奈津美も――自分の今の発言には少し、後悔していた。
特に、手当や年金などの、金銭的な事象にまでに踏み込んだのは――不味かった。
あんな身体になって、まだ、一年も経たない優斗の心理状態が、生活や価値観の一変に因り、とても多感な時期なのは明白――自分は、そこを考慮せずに、一気にあんな重大な話を持ちかけたのは、大きな誤算だったと。
だが、一つだけ――奈津美が優斗に、反論せずにはいられないフレーズがあった。
「恋愛感情なら――あるよ」
奈津美は、静かに、そして――優しく、口を開いた。
「子供の頃から、好きだって思ってた――でも、私は恥ずかしくて、言い出せなくて、そのまま終わっちゃったのが――私の"初恋"だった。
大人になって、思わぬ形で再会出来た、その初恋の人を――助けたいって、思う事って、ふざけてるコトかなぁ?」
「……へぇっ?!、うぁ……っ」
優斗は、奈津美の静かで、彼にとっては最も意外な返答に気圧され、失語の障害も相まって、文字通りに言葉を失っていた。
「――確かに、いきなり同棲しようだなんて、突拍子も無いコトを言い出した、私も悪かったよね……今日、告白しようと決めた時に、もう、お互い、まずは"好きです、付き合ってください"からだなんて、順序立てる様な歳でもないかと思っちゃったんだけど……ごめん」
奈津美は、鼻頭を少し掻きながら頭を下げ、その頭を上げると、顔は照れくさそうに笑顔も見せていた。
「――でも、私は……私はね?
もう、そんな歳だからこそ――たとえ、私にとっての自己満足でしかなくて、ユウくんにとっては、打算な結婚になっちゃうとしても――」
「――えっ?!、ちょっ!、ちょっと待って!
どうして、"同棲"から"結婚"に、この短時間にジャンプアップしてんのよっ?!」
「それは――ユウくんが最後まで、話を聞かずに怒り出したからだよ」
「えっ!?、ええええっ?!、あ~!!!、もう!、わっかんねぇ!、何が起きてんのよ?!、夢なら早く覚めてくれ!」
優斗が頭を抱え、悶絶しながら混乱していると――
『――さあ、年の最後のグランプリ!、有馬記念のファンファーレ!!!』
――と、テレビから発走を告げる実況が聞こえた。
「――まっ、話の続きは、レースの後にしようよ?
それが、競馬狂の矜持ってモンでしょ?、ほらぁ~っ!、新聞、丸めてぇ~っ♪」
奈津美は、優斗に競馬新聞を手渡し、自分も、もう一部を手に掴んで丸め始めた。
二人は、ファンファーレに合わせて、新聞をパンパンと鳴らす――その時、優斗は小さく、少しだけ楽しそうに笑っていた。
突拍子も無く告げられた、初恋の女性からの告白が、実は妙に嬉しくて。
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