希望、繋げて

狭い海野厩舎の事務所に、佐山を始めとするスタッフ全員が集まっていた。



「――翔平くん、良いかな?」


その狭い事務所の狭いキッチンに居る翔平に、海野は、何かを確認しようと声を掛けた。



「――はい、出来ました。


今、持って行きますんで」


どうやら、キッチンで料理をしていた翔平は、その料理を終え、コトコトと煮込んでいたらしいビーフシチューが入った大きな寸胴を、事務所のテーブルに置いた。



集まったスタッフたちから――


「お~~~っ!」


――と、歓声が上がり、小皿を持ってスタンバイしていた翼などは、ペロッと舌舐め擦りも見せた。



大テーブルには他にも、同じく大量のおにぎりやシーザーサラダ、フライドチキンやフライドポテトなど、何かのホームパーティーさながらの料理が並んでいた。


ちなみに――全てを調理したのは、料理まかないに定評のある翔平で、先程のビーフシチューなどは、前日の夜から煮込んだ傑作である。



「――よし、お皿も行き渡ってますね?」


大テーブルの上座の位置に陣取った海野は、コホンと、大きく咳き払いをして――


「え~……金曜日恒例の"まかないDAY"ですが、今日は特別な日です――」


――と、厩舎の主としての挨拶が始まった。


「――明後日は有馬記念、つまり――今年、最後のまかないDAY。


そして、クロテンとウルヴが重賞出走も控えているので、決起集会と――丁度、クリスマスイブだから私、かなり奮発しましたっ!」


海野が両腕を広げて、豪勢なラインナップとなっているテーブルの上を示すと、皆からアハハハッと笑い声が漏れた。


「では――みなさん、いただきましょう」


海野のその一言が合図だった様に、皆は一斉にテーブルに群がった。



「えへへ♪、美味しそう♡」


翼が、手を伸ばそうとしたその時――


「翼、シチューよそうの手伝え」


――と、翔平の下知が下った。


「え~~~~~っ!」


「黙ってやれ!、俺たちは下っ端なんだから」


「うっ、うう、は~い」



翔平が、寸胴の前に並んだ皆に配っていると、その列の中に、明らかにスタッフではない、小柄な中年男性が混じっていた。


「関さん――やっぱ、来たんですか……」


そう――皿を左手にに抱え、関はシチューが盛られるのを待っていた。


「あ~!、センパイ!、ダメですよ!


今週の関さんは、私たちの敵なんですから!」


翼は、翔平のお玉を遮り、しかめた顔を関に向けた。



「ヒドいなぁ、翼ちゃん。


俺がアカツキに乗るからって――そう言うと思ったから、はいっ、秘密兵器!」


関は、右手に提げていた紙袋をテーブルに置き、そこから大きな四角い箱を取り出し、徐にその箱を開けると、そこにはこんがりと良い具合に焼かれた、アップルパイが1ホール入っていた。


「これ、みんなでデザートに――ウチの奥さんが焼いたんだ」


皆から、また――


「お~っ!」


――と歓声が上がった。


「ほら――いつも"まかない"、くすねに来てるしさ。


それに――彩子が、翼ちゃんと約束したんだろ?、差し入れするって」


「はい~っ♪、以前、対談でお会いした時に」


ちゃんと返事をしているように読めるかもしれないが、翼は実にだらしない表情で、既に目線もアップルパイしか見えていない。



ちなみに――翼が言う対談とは、週刊キャンターの――


『競馬界の新旧アイドル対談』


――と題された記事で、関と結婚する前は"競馬中継の女神"とまで呼ばれ、今の翼と遜色無い人気だった彩子と、翼の邂逅を題材にした企画である。



「――というコトで、翔平、今日は"堂々と"、ビーフシチューちょ~だい!」


「いっつも、堂々と食べてくじゃないっスか……」


翔平が、呆れ気味に苦笑いしていると、隣に並んだ海野が…


「まっ、差し入れを貰っちゃあ、たとえ敵でも、食べさせないワケにはイケナイね?、翼さん」


「えへへ♪、そうですねぇ」


――翼はもう、アップルパイの香ばしいニオイにあてられ、関を敵視する気は失せている。


「――じゃっ、どうぞ、関さん」


翔平は、よそったシチュー皿を関に手渡した。





「うわぁ~~~!、美味しい!」


小皿に、こんもりと盛られた各種の料理を頬張り、翼はすっかりご満悦だ。



横に座る関も、幸せな顔で食べているが――


「――騎手のみなさんは、ほどほどにねぇ~っ!、明日の朝には検量があるんだからぁ~!」


――と、海野がボソッと言うと、翼と関は手が止まった。



騎手うまのり二人は、顔を見合わせて――


「……痛いトコ突くなぁ、ヨッシーは」


「『検量』って、美味しいモノを食べている最中には、一番聞きたくないワードですよね」


――と、騎手の宿命である体重制限のルールを呪い、肩を落として溜め息を吐いた。



「翼ちゃん、性格が悪い師匠で、苦労するだろ?」


「それは――ノーコメントで」


翼は、流石に海野への悪口には参加しなかった。



「――そういえば関さん、館山さんは?


舘山さん"には"、まかないをご馳走するお誘いをしたんですけど」


翔平は、ジャンバーを羽織りながら、そう関に尋ねた。


(――ソコを強調するのは、嫌味の多い師匠の影響だな、翔平も)


――と、関は心中ではそう思い、苦笑いしながら――


「――タテさんも、来るとは言ってたけどなぁ?、どっか寄ってんのかな?」



館山は、関にとって、2歳年上の先輩にあたるのだが、二人とも40代に入り、若い頃ほどは、先輩後輩の意識は薄らぎ、こういうフランクな呼び方が普通なのである。



「あれ?、センパイ――食べないで、どこか行くんですか?」


「ああ、決起集会だから、クロテンとウルヴにも奮発してもらったんだよ――コレ」


翔平は、ジャンパーの左右のポケットから、大きなリンゴを取り出した。


「飼い葉の他に――な。


俺も、まかないで忙しくて、アイツらの事を見てやれなかったし」


翔平はリンゴの皮をこすり、小さく笑みも作る。


「翼も、関さんも、俺の分はちゃんと残しといてよ?、――じゃっ、馬房行ってくるわ!」




――翔平が馬房に入ると、そこには意外な先客が居た。



「――あれ?、館山さん!?」


翔平は驚きを隠さず、通路に立ちすくんだ。


「おぅ、翔平か」


舘山は、クロテンの鼻面を撫でながら笑顔も見せた。


「ココに居たんですか。


なかなか事務所に来ないから、どうかしたのかって――」


「へへ、悪ぃな。


先に、明後日の相棒の様子を見ときたくてな」


クロテンの鼻面から手を離した舘山は、徐に馬房に入る。


「――俺、牧場の次男坊だからか……初めて乗る馬とは、まずは一対一サシで、一度は会っときてぇタチなんだわ」



舘山の実家は、北海道で馬産を生業としていて、そういう環境の影響で、彼は騎手を志した。


彼が、夏場の遠征を北海道シリーズにこだわるのも、郷愁の念から来るモノのせいなのかもしれない。



「お前は?、今日は確か――厩務免除だろ?、まかない担当で」


「俺も、似たような理由っスね。


代わりを引き受けてくれた、松村さんの仕事を疑ってるワケじゃないっスけど、会っとかないと気が済まないし、クロテンとウルヴにも、コレを――」


翔平がリンゴを取り出すと、その香しいニオイに気付いたクロテンは、ヒクヒクと鼻を動かした。


「――反応早っ!?、舘山さん、悪いっスけど、クロテンに食わせてやってくれません?


俺は、もう一つをウルヴにやって来るんで」


「おう、投げて遣しな」


翔平は、キャッチボールの要領で舘山にリンゴを渡し、自分は3房ほど先のゴールドウルヴの馬房に向った。


「よ~しっ、翔平がクリスマスプレゼントだとよ、クロテン」


舘山がリンゴを差し出すと、クロテンは真っ先にかぶりつき、ムシャムシャと軽快なリズムで咀嚼する。


「はは、そんなに焦らんでも――ん?」



舘山は、クロテンがリンゴを銜えようと首を下げた時、クロテンの後ろにある壁際に吊るされた、大きな巾着袋や、飾られた巨大な千羽鶴を見つけた。



(――千羽鶴?、ひょっとして……)


舘山が、クロテンの後ろに回り、千羽鶴に触れ、その時――


「館山さん、こき使う様ですいませんでしたね」


――と、翔平がゴールドウルヴにリンゴを食べさせて戻って来た。


「あれ?、後ろ?、どうかしました?」


翔平は、舘山がクロテンの尻の方に居る事に気付き、不思議そうに尋ねた。


「――ん?、翔平、この千羽鶴って?」


舘山は、翔平の問いには応じず、逆に自分の疑問を返した。


「――ああ、それはファンの方が送ってくれた物と、俺と翼がクロテンの不在時に、回復の願いを込めて創ったヤツを合体させたんですよ。


合わせて――"五千羽鶴"ぐらいにはなっちゃいましたがね」


翔平は少し照れながら、その五千羽鶴を眺めた。



「――やっぱり、ファンの……


じゃあ、この巾着は?」


舘山が巾着袋を下ろして見ると、巾着はなかなかの重さだった。


「それには――クロテン宛に今まで届いた、ファンレターが全て入ってます」


「全部?!、こりゃまた……マメだなぁ、翔平は」


舘山が、呆れ気味に巾着の紐を解くと、中にはびっしりと封筒の束が入っていた。



「変わり者だと思われるでしょうけど、俺とクロテンにとって、この巾着の中身は宝物なんです」


翔平が、その時見せた表情に、舘山は得体の知れない強い思いを感じ――


「――何だ?、特別な意味でも?」


――と、思わず尋ねてしまった。



「実は――入厩当初のデビュー前から、送ってくださっていた方がいまして――」



翔平は、クロテンと優斗その人との、これまでの経緯を舘山に話した。



「――へぇ、凄い偶然だな。


たまたま、翼が鉢合わせるなんて」


「ええ――で、石原さんの家でお別れした時、俺は……言ったんです。


『会ってみたいと望んでいた臼井さんと、こうして偶然出会えたのは、クロテンが――望みを、現実に繋げてくれる……まれな馬だからだと思うんです』って」


翔平は、恥ずかしそうにそう言った。



「――そっか『望み』を繋ぐ『希な』馬、つまり――『希望の馬』だってか。


随分、頓知が効いてんな、翔平」


「へへっ♪」


「――そうだ、この巾着たからもの、俺に貸してくれないか?」


舘山の思わぬ要望に、翔平は目を見張る。



「えっ?!、それをですか?」


「ああ、調整ルームで全部、手紙を読んでみたくてよ――何せ、有馬記念ってのは、そのファンの夢が詰まった大舞台だからな。


それにな、翔平――」


舘山は、クロテンの鬣を撫でながら――


「――俺は、勝利の為なら、ゲンも担ぐし、神頼みだってする……それが騎手しょうぶしってモンだって、俺は思ってる。


だから――そのクロテンが持ってるっていう力で、勝利という望みを繋げて貰おうと思ってな♪


まっ、今回はアカツキっていうバケモノが相手だから"望み"そのものが――字が違う"のぞみ"の方なんだろうしな」


――そう言って翔平に、はにかんだ笑顔を見せた。



「頓知が効いてるのは、舘山さんの方じゃないっスか――巾着、持ってって良いっスよ。


俺も、アカツキをギャフンと言わせたいっスから、その助けになれるなら、何でもOKですよ」


翔平は"一本獲られた!"という顔で拗ねて見せながら、舘山の申し出を受け入れた、気合いのこもった拳も突き上げて。



「はは♪、翔平――豪気な厩務員ってのも、なかなか居ないぜ?


心配すんな、この巾着は――大事に扱って、ちゃんと返すからよ」


舘山は、馬房の壁に吊るされた巾着を外し、その紐をガッチリと握った。

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