揃ったピース
「――ゴメンよ、教授に用があって来たんだが……」
――と、言いながら事務所に入って来たのは館山だった。
「あっ!、舘山さん、おはようございます」
「おう、翼。
そういえば、コースでは会わなかったな」
「はい――で、先生はちょっと席を……」
翼が、海野がココに居ない事を伝えようとした、その時――
「――ああ!、舘山騎手、お待たせしてしまったかな?」
――海野が事務所に入って来た。
「いや、丁度、来たトコさ」
「そうですか、朝食は?」
「お気遣い無く。
食堂で、うどん食って来たからな――教授は?」
「私は、データを整理しながら、一足先に――で、お話というのは?」
海野は、舘山を来客用のソファーに座るように促し、自分も舘山の真向かえに座った。
「ああ、それがね……ホープフルステークス(※有馬記念の日の準メインレースとして施行される、2歳馬限定のGⅡ戦)のゴールドウルヴの騎乗依頼、お断りさせてもらいたくてね」
――と、舘山は着座すると早速、用件を切り出した。
「え~!」
翔平は、舘山の断わり口上に真っ先に反応し、テーブルから立ち上がった。
「――翔平くん、来客中だよ?」
海野はメガネをクイッと上げて、翔平に注意する。
「すっ、すいません」
そのやり取りを観た後、舘山は断わる理由を話し出した。
「
翁寺、というのは――翁寺
クロテンの対戦相手の馬名などに、何度か『オージ』という冠名を見かけたはずだが、翁寺はそれらの個人馬主だ。
翁寺は、翁寺建設というゼネコンの会長で、馬主歴も40年に迫るベテランオーナーである。
今年のダービーも、オージカエサルで制覇しており、クロダの冠名が落ちぶれた後は、馬主成績で白畑と双璧を成す大馬主だ。
「――翁寺さんとは、古い付き合いだからさ。
先約はコッチだったが、優先させてもらいてぇのよ」
舘山は言い難そうに、海野に深々と頭を下げた。
「そう、ですか……残念です」
海野は、渋い表情で腕組みをする。
「――で、替わりに一人、進言させてもらっても、良いかな?」
主には、ベテランがいわゆる"内弟子"と呼ばれる、自身と付き合いが深い若手ジョッキーを推薦するケースだが――
「――推薦ですか?、でも、ウルヴはなかなか2勝目を上げられずにいて、賞金の加算が急務になりつつある状況――それで、今週の朝日杯を自重して、ホープフルに廻したんです。
ですから、あまり若いジョッキーを使うプランは――」
海野は顎をさすり、遠い目をした後、やんわりと進言を断わろうとした。
ゴールドウルヴは、3着に好走した札幌2歳ステークスの後、GⅢのサウジアラビアロイヤルカップでも3着、確勝を期した、500万下の百日草特別でも2着と、あと一歩の競馬が続いていた。
来年のクラシックレースへ向けて、ゆとりを持って挑むには、ホープフルステークスで2着以内に入着し、本賞金を加算する事は、まさに至上命題――今年の最終週には、クロテンの有馬記念も含め、海野厩舎は背水の陣で臨んでいた。
「ああ、それは重々承知さ。
だが、ふと、ウルヴに良いんじゃねぇかなって、思う
まあ、名前だけでも聞いてくれや――」
舘山は、ニヤリと笑みを見せ、徐に食事中の3人の方に振り返り――
「――翼、お前を推薦するぜ」
――と、丁度、翼が弁当の最後の一口を食べた瞬間に彼女を指差した。
「ぶっ!、ふぇ?!、ゴホッ!、ゴホッ!…」
驚いた翼は、思わずテーブルに米粒を噴出してしまった!
「あ~あっ、汚っねぇな~」
翔平は、すかさずティッシュを取り出し、テーブルを拭き始めた。
「すっ、すいません――」
「――まっ、あの不意打ちを喰らったら、誰だってそうなるさ」
二人は後始末をしながら、ソファーの方に耳を欹てる。
「――翼さんを?」
「ああ、ウルヴみたく、新馬から続けて乗せて貰ってる2歳馬には、その馬にとって『後に残る仕事』をしてぇと、俺は常々思ってる――ウルヴの場合、もっとリラックスして道中走れりゃ、もっと終いの良さが活きると思っててね。
俺もこれまで、それをウルヴに教えてるから、それをこのタイミングで崩したくはねぇんだわ。
翼は、ペースを掴むのが上手ぇし、乗り方に柔らかさがあるから、その今まで教えてきた走りを、スムーズにさせてやれると思ってな」
舘山は、そう持論を述べた後、真っ直ぐに海野を見つめて――
「――目先の勝ちだって、もちろん大事だが、馬だって人だって、一朝一夕じゃ、強くも、上手くもならねぇ。
一つ一つの
――と、意味深なハナシも加え、海野の返答を待つ。
「馬にも、人にも、成長を促せ――というコトですか?」
「ああ、ウルヴに関しては言った通りだし、翼にとっても、有馬の日の準メインに乗るのは、きっと良い経験になるさ」
海野は、腕組みをしたまま――
「――翼さん、ちょっと」
――と、翼をソファーに呼び寄せた。
「はっ!、はい!」
「狭い事務所ですから――聞いていましたね?」
「はいっ!、館山さん、ありがとうございます!」
翼が、深々と舘山に頭を下げると、舘山は片手を挙げて会釈した。
「――翼さんに、ホープフルステークスでのゴールドウルヴの騎乗、お願いしようと思います、良いですか?」
「はい!、よろしくお願いします!」
「頼むぞ、翼」
舘山は、ニィと笑って見せて、翼の背中を叩いた。
「――でだ、話はもう一つあるんだ」
舘山が含みのある言い方でそう言い、改めて海野を見据える。
「うどん、食いながら、昴に聞いたが――有馬、ヤネが決まってねぇんだって?」
もう一つというのは――まだ、有馬での騎手が決まっていない、クロテンの話だった。
福島記念の時と同様、海野はクロテンの騎手探しに苦労していた。
有馬記念ともなると、一流どころの騎手にお願いするのが前提――しかし、付き合いのある一流どころとして挙がる、関はもちろんアカツキ、栗野もレーザービームに乗る事を先々から公表していた。
もう一人として候補に挙がる――今、目の前にいる舘山も例外ではなく、先日のエリザベス女王杯を勝った、ダイゴアリアとのコンビが発表されているし、先程の会話の通り、再び翼という選択は不可能。
残るは、ギリギリでも騎乗資格持つ若手や、付き合いの無い騎手にも食指を伸ばしてはいるが――それも、思うようには行かないでいた。
「――ウルヴを断わった詫びと言っちゃあなんだが、空いているならクロダテンユウ、俺に任せて貰えねぇかな?」
「?!、え~!!!」
今度は、全員が舘山からの思わぬ"営業"に、驚きの声を漏らした。
「でっ、でも、お前はダイゴアリアに――」
静観を決め込んでいたはずの佐山も、同期の驚いた行動に黙ってはいられずに口を挟んだ。
「――ああ、アリアは回避って、今朝言われてな……そのまんま引退だとさ。
それも、うどんを食いながらで、それを丁度、隣で昴が聞いてて――クロテン、まだ空いてるらしいって話も聞いたのよ」
舘山は、今朝の慌しい状況の変遷を、順序立てて説明した。
「お前って、ホント目敏いよな、昔からだけどよ」
佐山は、舘山の迅速な対処に目を瞠り、溜め息も吐いた。
「へへ♪、誉めんなよ、謙三」
「誉めてねぇよ!、その毛が生えた様な心臓に呆れてんだ!」
佐山は、残ったおにぎりを口に頬って目線を逸らした。
「――舘山騎手、本当によろしいんですか?」
あれよあれよと悩みが解決しそうな展開に、海野も面を喰らっていた。
「ああ、よろしく頼むぜ、教授」
舘山は左手を差し出し、海野に受諾の握手を求めた。
「――よろしくお願いしますっ!」
海野は、両手で包み込む様にその手を握り、固く、固く握手に応じた。
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