朝食

『――さあ!、世界最強が決まる、最後の直線!』



アカツキが出走したJCは、残り500m弱の直線での勝負に入っていた。



『先頭は日本のレーザービーム!、レーザービーム!、外から同じく、日本のモルトボーノ!、連れて、今年のダービー馬!、オージカエサルも伸びて来ている!』



実況アナウンサーが、先団を構成している馬たちの動向を伝えた後――



『――内ラチ沿いをスルスルと伸びているのがっ!、凱旋門賞馬!、フランスのフランベルジェ!


アカツキは――まだ!、まだ後方だ!』



――戦前から話題を集めた、アカツキとフランベルジェの動向に移った。



すんなりと先団の直ぐ後ろを追走したフランベルジェに対し、アカツキはなんと最後方に位置を取り、ラストスパートに賭ける戦法に出ていた。



『――残り400mっ!、先頭は、一気にフランベルジェに替わった!、二番手にはモルトボーノ!、オージカエサル!、アカツキは――やっ、やっと5番手かぁ?!』



実況アナの声は裏返えり、興奮している様子が伝わって来る。



『先頭はフランベルジェ!、フランベルジェ!、これは後続を突き放す勢い!、アカツキもようやく二番手に上がるがぁ――その差はまだ3馬身!、この差は?!、この差はぁ!』



アナウンサーがそう伝えている影で、馬主席ではプティが、フランス語で絶叫しながらフランベルジェを応援し、何度も白畑に向けて、嘲笑混じりな目線を送っていた。



『――残り200!、200しか――!、それしか残っていないぞぉ……アカツキっ!』



レースの様子を観て、実況の声が悲哀を秘めたモノに変わり、涙を啜る音まで聞こえる。



その瞬間、関がムチを一発、アカツキの尻に繰れると、アカツキはそれに応え、走法を替える!



『――いや!、アカツキはまだ伸びている!、終わっていないっ!、凄まじい勢いでフランベルジェに迫っている~!!!!』



3馬身あったはずのフランベルジェとの差は、一間歩ごとにみるみる縮まり、ハロン棒こそもう無いが、残り50mを切った時点で、アカツキの鼻先は、もう半馬身差にまで迫っていた!



勝負は――最後の1間歩で決まるっ!



『――内のフランベルジェか?!、外のアカツキか?!


フランスか?!、ニッポンかぁぁぁぁぁぁっ!?』



2頭は――その絶叫と共にゴールした。



勝ったのは――アカツキ!



写真判定にもならない、決定的な首差で、アカツキはフランベルジェを捉えていた!



『アッ、アカツキ勝ったぁぁぁ~~~~~~~っ!


これがっ!、これが『日本の至宝』の真の力!!!!!』



アナウンサーは涙声のまま絶叫し、スタンドからは凄まじい歓声と、溜め息にも似た唸り声が響く。


そして、勝利を確信していた馬主席のプティは、呆然と席に座り込むと、何事かをフランス語でつぶやき、白畑は周りの祝福を受けながら、いつもどおり何事も無かったかの様に、アカツキを出迎えるために席から離れ――



――プチッ!



――と、今までの様子を映していた、テレビの電源が切られた。



「――はぁ、やっぱ"とんでもない"な、アカツキは」


翔平はそう言いながら、マグカップに入った即席みそ汁をすすった。


「最後の1Fハロンで、11秒を切る乗り味って――どんな感じなんだろ?」


長いテーブルを挟み、翔平の向かえに座る翼は、コンビニ弁当の漬物を口に入れた。



「――ったく、また観てんのかよ、お前ら」


そう呆れながら、翔平の隣に座ろうとする佐山は、左手に提げた巾着からおにぎりを取り出す。



――3人が居るのは、海野厩舎の事務所――時間は、朝の調教や馬の手入れが済んだ後、遅めの朝食休憩に入った時間である。



食事を始めていた翔平と翼は、事務所のレコーダーに残っている、先日のJC――正確には、翌週の競馬中継内で放送された『世界最強が決まった一日』と題された、アカツキとフランベルジェ、そして、白畑とプティに密着した、ドキュメントコーナーを録画した物を観ていたのである。



「飽きねぇな、お前らも。


俺が見かけた限りじゃ、これで6回目だぜ?、お前らがソレ観てんのは」


佐山は呆れた顔で箸を持ち、弁当箱の中から卵焼きをつまむ。


「何てコトを言うんですか謙さん!、私たちはっ!、テンくんが有馬記念でアカツキと対戦するから、研究のために何度も見返しているのです!」


翼は、そのふくらみがちょっと寂しい胸(※失礼)を突き出し、偉そうに"ドヤ顔"を見せた。


「――ナニ言ってんだ?、おめぇは有馬、乗れねぇだろうよ!、まだ12勝なんだから」



――GⅠレースに騎乗出来るのは、通算の勝利数31勝以上の実績を持つ騎手のみという規定がある。


残り3週を切った有馬記念までに、翼が騎乗するには、残り17勝をたった2週で勝ち星を荒稼ぎしなければならない――それは、天才と称される関昴でも、達成はほぼ不可能な数字で、新人の翼からすれば、それだけの数を乗るコトすら難しい。



――とはいえ、翼は、決して恥ずかしい成績を残しているワケではなかった。



年の瀬迫るこの時期までに12勝というのは、新人としては十二分に誇れる数字だし、女性騎手という括りでなら、破格の好成績である。



「うっうう……そんなの解かってますよぉ、そんなにハッキリ言わなくても」


翼は、イタいトコロを突かれてシュンとなり、今度は鶏の唐揚げを頬張った。



翼たちが食べている弁当は、朝から食べる割には、ちょっとヘビーなメニューに思うかもしれないが、深夜と呼べる時間から働いている彼女たちにとって、時刻は朝でも、これはランチと呼んでも差し支え無いシロモノだろう。



「あ~あ、アカツキってホントに馬か?、俺はJC観て、クロテンと同じ生き物だとは思えなくなって来たわ」


翔平は溜め息を吐き、そう言いながら彼も、弁当箱から鶏の唐揚げを――


「――あれ?、足りない?」


――弁当箱に1個だけ残っていたはずの唐揚げが見当たらず、翔平はどこかに落としたかと周囲を見回す。


「――ですよね、アカツキって、きっと、宇宙から来たんですよ。


それで、満月の夜には変身とかして――」


「――おい、翼」


翔平は、怪訝な顔で翼を睨んだ。


「――はい?」


「お前――唐揚げ、盗んだだろ?」


「はい、貰いましたけど?」


翼は、悪びれる事無く、残った御飯を咀嚼しながらそう答えた。


「お前は……」


「"可愛い後輩"が、謙さんに言われた言葉に傷ついているんですから、唐揚げの一つぐらい良いですよね?


それに、い~っつもっ!、こんな美味しいおかずを、男性のセンパイが作ってしまうのは許せません!


女子力低料理が不味い、私へのイヤミとしか思えない仕打ちに、深ぁ~く傷ついているワケですからっ!」



翔平が食べている弁当は、自身のお手製で――実は、翼は料理が大のニガテだ。



海野厩舎では、週に一度――主に金曜日の朝食では、週末のレースに向けて気合いを入れる意味と、スタッフたちの親睦を深めるため、当番制の"まかないの日"と定められている。



当番の者は、調教後の管理馬の手入れが免除され、まかないの調理に廻るコトとなっているくらいの、ちょっとしたイベントなのだ。


その中でも、翔平のまかないは評判が高く、翔平の日には関も隠れて食べに来るほどで、逆に翼は、最初の当番で凄まじい味の料理を作ってしまい、当番から外される憂き目も喰らっていた。



「俺が料理すんのが許せないって、理由になってないだろう」


翔平は、翼の主張に呆れ、唐揚げを諦めてサトイモの煮物に手を伸ばす。


「――そういやお前、悔しいから料理教室に申し込んだって言ってた割に、今日もコンビニ弁当だよな?」


佐山は、おにぎりを頬張りながら、翼の顔を指差す。


「うっうう……今日の謙さんは、随分、ワタシの弱いトコばかり突きますね?」


「――ってコトは、上手く行ってないってコトだな」


「はい……この間なんて、コロッケが爆発――」


「――いや、それ以上は、言わんで良い……」



――コンコン



3人が談笑しながら食事をする中、突然、事務所の戸を叩く音がした。

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