悩める至宝

翌週――JCの最終追いに向け、アカツキとクロテン、その担当厩務員である泰博と翔平、そして、調教騎乗を任された、関と翼らがコースの入り口に集結していた。



お互いの対面と調教の打ち合わせを終え、アカツキにはもちろん関が乗り、クロテンは翼を乗せ、ウッドチップコースに入った。



「――じゃあ、打ち合わせ通り、最後2ハロン(※400m)まで併走、そこから強めに追い合って、最後はアカツキが1~2馬身先着――良いね?」


「はい!」


アカツキとクロテン、2頭の併せ馬が始まった。






場面は少し替わって、スタンドから併せ馬を見守る松沢と海野は、お互い双眼鏡で、コースを走る2頭の様子を注視している。



「――この間、アカツキと一緒に見かけたんだわ。


アイツが、福島記念の追い切りに行ぐ時にすれ違ってよ」


松沢は突然、世間話でも始める様に口を開いた。



「えっ?」


松沢は、独り言かと思うほど、海野の問い掛けを無視して話し続けた。


「――んでよぉ、妙にアイツば気にしてて、まるで、どこぞのトラックマンかと思うくらい、黙っ~て真剣にジッ~と、追い切りば見てんだわ」


松沢は、その様子を思い出してか、頬をほころばせて笑顔を見せている。


「ちょっと気になったから、夏に預けてた分場の太田さんに電話して訊いてみたら、やっぱ、珠~に一緒の放牧地で過ごさせたコトがあるって言うからよぉ、仲でも良かったんかなぁ――って、思ったんだわ」


松沢は、双眼鏡で彼らの姿を追い、小さな声で――


「――アイツなら、アカツキをやる気にさせてくれる気がするんだがね」


――と、希望も込めてつぶやいた






さて――ここからは少し、馬同士の会話で展開しようと思う。



「怪我、治ったんだね♪


外国からトレセンに戻ったら、キミの姿を見かけて――自分の事の様に嬉しかったよ」


併せ馬が始まって、アカツキは開口一番、馬体を近付けてクロテンに話しかけた。


「――まあな」


クロテンは、素っ気無くそう返し、黙ったまま併走する。



実は今、クロテンは機嫌が悪い。



初めてレースでコンビを組んだ翼を、勝たせてあげられなかった事や、何より自分の福島記念での情けない負け方に、腹が立っているのである。



――だが、アカツキは話せる事が嬉しいらしく、調教そっちのけでクロテンに話しかけ続けた。



「ボクは、今週のレースに出るらしいんだ、キミは?」


「――さあな、翔平の様子じゃ、少なくとも今週ではねぇな、きっと」


"天然"の気があるアカツキは、クロテンの棘のある言い方でも、不機嫌な様には気付かずに話し続け――


「――はぁ、別に調子が悪いつもりは無いのに、関さんも先生も、あーでもない、こーでもないって――」


――と、今度は愚痴も交えてそう言い、不満気に目線を下に向けた。


「――そーいうトコロが、関やジジイの気に入らねぇトコなんだろうさ」


「――えっ?、そういうトコロ……って?」



併せ馬も、残り800mのハロン棒を過ぎ――調教も終わりが近付いた所で、アカツキはクロテンの言った言葉の意味を問い返した。



「イマイチ、やる気が起きねぇんだろ?、そんな走り方してるぜ」


「そう――かな?」


アカツキは、自分の馬体や足元を見回し、首をひねった。



「ああ、今のお前じゃ――太目残りの今の俺でも、楽に勝てそうだって思えるぜ」


クロテンは――挑発する様な言い方で、人間たちが望む事が解からずにいる、アカツキの感情を逆撫でした。


「……なんだって?、それはちょっと、聞き捨てならないね!


理由がよく解からないよ!、どういう意味だい?!」


アカツキの顔は憤怒の表情に変わり、馬体を寄せてクロテンを睨んだ。


憂さ晴らしがしたいクロテンにとって、アカツキの今の応対は願ってもないコト――応じて、クロテンも顔を近づけて睨み返す。


「――言った通りだよ!、顔を見ただけで解かったぜ!


走るのがっ!、つまらなくなったって、表情かおがな!」


「?!」



――アカツキは、図星を突かれたらしく、一時目を伏せた。



「大方――強い強いと聞かされた、その外国ってトコの馬たちも、大した事なくて、競馬レースがつまらなくなっちまったんじゃねぇのか!?」


「――よく、解かるね。


ああっ!、そうだよ!、その強いと言われた外国馬だって、ボクと一緒には走ってくれなかったっ!!!」


アカツキは思わず、自分の現状に対する不満をクロテンに吐露した。



「――キミの言う通りだよ、なんだかレースが嫌いになったのさ、走る意味が見出せなくてね」



『馬に、走る意味なんて(笑)』


――と、思われるかもしれないが、俗に競走馬は、本能的に群れのボス――つまり、レース勝利者ボスになる為に走っていると言われている。


数々の"群"を制してきたアカツキは、一種のいわゆる『燃え尽き症候群』に罹ってしまったのだ――馬なのに。



「走る意味――か」


この、禅問答や哲学論争の様な疑問に、クロテンはこう答えた。



「それなら、俺は知ってるぜ?、また、変わった馬だと言われるような理由だけどな」


「――っ!、クロテンくん、それは――?」


アカツキは答えを欲して、クロテンの瞳を覗き込む。



そんなやり取りの途中、2頭は馬体併せたまま、目安の残り400mのハロン棒に迫る。



(――ったく、面倒臭せぇな、エリート様はよ)


――と、アカツキの生真面目な悩み相談に飽きたクロテンは、頭を巡らす。


(とりあえず、今、真面目に走って見せりゃあ――関もジジイも納得すんだろ?、よ~し――っ!)


クロテンは、何かを思いつき、アカツキに向って――


「俺に相談するより、つまんねぇなら辞めさせて貰えよ?


成績悪くなりゃ、直ぐにでも辞めさせて貰えるさ、それに――」


クロテンは、ニヤけた笑顔を造り、アカツキの耳元に口を近付けた。



「――お前の成績なら、きっと、繁殖牝馬お嫁さんも選び放題だぜ?」


「~~~~~!!!!!、なっ!」


囁かれたアカツキは、顔色を赤く染め、先程と同じく憤怒の表情に変えて――


「――きっ!、キミはなんて事を?!、不謹慎じゃないか!」


「――おっ?、お前って……意外とムッツリ?」


「違う!、ボクは、下ネタが嫌いなだけ――」


アカツキが弁明を始めようとした瞬間、丁度、2頭は残り400mのハロン棒を過ぎた。



(――よぉし!)


(仕掛けるよ――っ!)



鞍上の二人はムチを抜き、ゴーサインの合図として、2頭の肩口を叩いた。



「――おっと、話は後だ。


とにかく今は、真剣に走ろう――っぜ!」


クロテンは反応良く、アタマ一つ分リードを奪った。


「!、待ちなよ!、話はまだ終わってないよ!」


アカツキは、特に追われる事も無く追走し、放たれた弓矢の矢の如くアッサリと抜け出して、クロテンも懸命に食い下がって、予定通りアカツキが1馬身半差先着してゴールした。



「――よぉしっ!、良い具合だで!、やっと、その気になってぐれだか!」


松沢は若干興奮気味にテーブルを叩き、満面の笑みで双眼鏡を外した。



「――なんとか、間に合いそうだな」


関は心底安堵し、アカツキの首筋を撫で、鞍下の彼をを労った。







調教を終えた2頭は、息を整えた後――


「――さっきの下ネタは、わざとだろ?、僕を、集中して走らせようと……」


ほとんど息を乱さずに調教を終えたアカツキは、ゴールして直ぐにクロテンに問い掛けた。


「――へ?、ああ、バレたか」


一方のクロテンは、まだ残る福島記念での疲労と、やはり太め残りの仕上がり不足が祟り、なかなか返事を返せない。


「ある――程度、人間が喜ぶ様な走りを覚えときゃ、楽になるぜ?」


クロテンは、苦笑いをしながら大きく息を吐く。


「まったく――でも、最近では一番楽しく走れた。


キミの、そのズルのおかげなのは悔しいが」


「へへ♪」


アカツキは、スッキリした表情で、大きな鼻息を一つ吐く。


「クロテンくん――約束、覚えているかい?」


「ああ?、いつかまた――一緒のレースで、か?」


「うん、今日、改めて解かったよ――キミとなら、楽しく走れるような気がするって」


アカツキは、真っ直ぐにクロテンの瞳を見据えている。


「買い被りだろ?、俺は大したレースも勝ってねぇし、菊花賞の時だって、おめぇにボロ負け――おまけに今じゃ、併せただけで、このザマなんだぜ?」


クロテンは情けなくそう言って、アカツキのその視線から目を逸らす。


「とりあえず――キミと一緒に走る事を、ボクの『走る意味』にしようかな?


――で、その時に、キミの見つけた、その『走る意味』を教えて欲しい」


「――ったく、ホント勝手なヤツだぜ。


まあ、良いぜ――俺も、お前と当たる様な大レースに出るコトが、見つけた『走る意味』に近付くコトだしな」


クロテンはそう言いながら、アカツキの方に向けて大きく首を縦に振る。


「――おっと、翔平が来たわ、じゃあな!、アカツキ」


手綱を引かれて去って行く、クロテンの姿を見ながらアカツキは――


(なんとなくだけど、キミと一緒に走る日は――近い気がする)


――そう、心中でつぶやき、自分も引かれてコースを後にした。

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