希望、繋げて
応酬
「先生、戻りましたよぉ~」
福島記念の翌週、ウッドチップコースで、調教騎乗を一本終えた関は、スタンドからその様子を観ていた、松沢へ報告に来ていた。
関の来訪に気付いた松沢は、明らかに不満気な表情で彼を出迎えた。
「昴、ご苦労さん――んで、おめぇの感想は?」
――と、松沢は真っ先に関が騎乗馬に受けた感想を問うた。
「――ピリッとしないねぇ……ホントに、来週使うの?」
関も、渋い顔で、遠くに見える、その騎乗馬が馬具を外している様を指差す。
その先に居るのは、極めて純白に近い白い毛に包まれた、雄々しき馬体が印象的な芦毛馬、その名は――そう、アカツキである。
今や『日本の至宝』とまで言われる、超が付く名馬がなぜ、関にこれほど酷評されているには理由がある。
2ヶ月前の凱旋門賞を、熱発で回避する事を余儀なくされたアカツキは、検疫も含めて3週間程かけて、ゆっくりと、この美浦に戻って来ていた。
当初は、帰国後、そのまま放牧するプランも検討されたが、熱が退くのも早かったため、有馬記念を念頭に調整される事が決まっていた。
――だが、関が発言した様に、来週のJCにも、アカツキを使うプランが、急浮上したのである。
このプランは、前走が9月と、さほど出走間隔こそは開いていないが、海外遠征と、そこで熱発を起こしたという特殊な事情もあり、検疫期間も含め、アカツキはほとんど
「――
"向こう"は、わざわざヒコーキさ乗って、名指しで首を獲りに来てんだからよぉ」
――松沢は、険しい表情で宙を睨んだ…
急浮上した原因は、JCに招待された外国馬の中に、アカツキが回避した今年の凱旋門賞を制した3歳馬――『フランベルジェ』がいた事に端を発する。
その原因は、フランベルジェの馬主、アンドレ・プティという男が――
『――凱旋門賞で、アカツキと戦えなかったのは非常に残念だったね、この馬には勝てないと察して、熱を出しちゃったみたいで(笑)
だから、次は
え~っと、じゃあアリマキネン――だっけ?、あれにも"ついでに"出そうかな」
――という、明らかに挑発と解かる、JC参戦の理由についての発言した事だった。
この、プティという馬主――フランスの著名な風刺画家で、テレビ番組の司会などもしている有名人馬主である。
風刺画家という職業柄だからか、ああいう風に相手を小馬鹿にする発言が多く、いわゆる"お騒がせセレブ"としてでも、フランスでは有名なのだ。
そして、そのプティの愛馬であるフランベルジェは、今年のフランスダービーとパリ大賞典、3歳馬限定の前哨戦であるGⅡ、ニエユ賞も制していて、凱旋門賞の前評判では、アカツキにとって最大のライバルと目されていた馬である。
しかし、そのフランベルジェが、凱旋門賞馬の栄冠に輝いても――
『アカツキが出ていたら、結果は違うだろう』
――や。
『アカツキの不在は、実に残念だ』
――とか。
『明らかに、アカツキの方が強いはずだ』
――と評する、各国の競馬記者たちの記事が相次いだ。
そこは流石に、目立ちたがりなお騒がせセレブ――プティは、この評価に大いに憤慨し、JCにフランベルジェを送り込む事を明言して、遠回しに――
『真の世界最強馬を、日本で決めようじゃないか!』
――と、焚きつけて来たのである。
松沢は、先程のプティの発言を知り――
『――天下の凱旋門賞馬サマが、わざわざ来てくれるのに――余計な手間を取らせんのは、お客さんに悪いでしょ?、JCも使おうじゃねぇかっ!』
――と、宛ら往年のプロレスラーやボクサーが如く、松沢は眉間に深いシワを作りながら、フランベルジェの招待受諾が発表された日に、急遽として参戦を決めたのだった。
「――先生、いい歳なんだから、興奮すんのは止めなよ……血圧、上がるよ?」
「わかっでっけどよぉ、百歩――いんや、万歩譲って、おらやアカツキをバカにすんのは良しとしても、日本の競馬に関わるモンとして、有馬ばバカにこくのは許せねぇ!」
「ほらほら――また"かかってる"よ……俺、先生の手綱は持ってないんだからさぁ。
――ったく、アカツキも身体は出来てんだから、ちょっとでもやる気になってくれりゃあ、心配無いんだがな」
関の言うとおり、アカツキは熱発の影響も軽く、体調面に関しては、充分に能力を発揮出来る状態にある。
心配なのは――"ピリッとしない"と、関が評した様に、アカツキの問題点は精神面にある。
調教をしていても、どこか上の空というか――鞍上の指示への反応が鈍かったり、ゲート練習では、2歳でトレセンに入厩して以来、初めて、大きく出遅れる姿も見せる有様である。
「――海外から帰って来たら、とりあえず、"お休み欲しい~"とでも、思ってんのかね?」
関は、困った顔で、自分の髪の毛を掻き毟った。
「おらも、手換え品換え、やる気を出させようとしてんだがな……」
「――そーだ、一回、翼ちゃんでも乗せてみる?、クロテンみたく、喜んで走るかもよ。
俺に乗られるの、飽きてたりしてさ」
「嬢ちゃんに――か」
松沢は、自分の首筋をポリポリと掻き、また宙を睨む…
「――あっ!」
松沢は、何かを思い出し、次の『アカツキ、戦意高揚作戦』の次の手を思いついた。
「あっ?、もしかして――薮蛇?、その顔は、本気で翼ちゃんを乗せようかと思ってるでしょ?、まだムリだよぉ~翼ちゃんには。
関は、自分の軽率な発言を悔い、フォローに回る。
「――確かに、嬢ちゃんに頼むのは無理だが、ちょっと、試したい事が見つかったわ――あんがとよ、昴」
「……へ?」
関は、意外な松沢の言い様を不思議に思いながら、丁度、先程話題に挙がった――"1人と1頭"の姿を、スタンドの窓越しに見つけた。
「――今日はまだ、レース明けだから、疲労抜きとして軽めで良いよ」
「はい!」
――と、これからの調教に向けて、海野の指示を聞いている翼と、彼女を背中に乗せたクロテンの姿を、ガラス越しに観た松沢は、シワの多い顔で不敵な笑みを見せていた。
――翌日、松沢は海野厩舎の事務所を訪れていた。
「きょっ!、今日はどうしたんですか?!、松沢先生」
突然の"美浦の
(――ど~して、この世界の大物は!、こうも行動が突然なんだ?!)
――と、海野が心中で悲鳴を上げているのはさておき――
「――ホントうめぇな、教授のコーヒー」
――出されたコーヒーを一口飲んだ松沢は、ニコッと笑ってその味を褒めた。
「あっ、ありがとうございます」
「――んでだ、おらはまどろっこしいコト言えんから、さっさと言わせて貰うが――教授よぉ、ちいと頼みてぇ事があんだわ」
「なんでしょうか?」
海野は、翼への騎乗依頼か、何かのアクシデントに因る厩務員不足で、翔平辺りにヘルプ要員を頼まれるのだろうと、大よその見当を付けていたのだが――
「来週の追い切りで、スティーヴの仔っこば、併せ馬の相手に貸してくんねぇか?」
――という、併せ馬依頼――しかも、クロテンを指名してきた事に、目を見張って驚いた。
「えっ?!、クロダテンユウを――ですか?」
「ああ、ちょっと、事情があってよぉ――どうすっか悩んでっ時に、丁度、嬢ちゃんば乗せた、アイツが馬場入りしてんのを見てよ。
『へぇぇ~、
――って、思っでよ、頼めねぇモンかと思ったんだわ」
海野は、松沢が要請に至った経緯を述べる間に、考えを巡らせて引き受けた場合の、メリットとデメリットを瞬時に叩き出した。
まずはメリット。
――クロテンはとりあえず、1戦使う事が出来たが、そのおかげで目標である、有馬へ向うにあたっての課題が見つかり、調整方法も見直す必要があると海野は考えていた。
その課題の一つが、やはり、太目残りが目立つ馬体である。
それを解消するため、調教量を増やすのが急務――しかし、調教パートナーを務めてくれていたオーバーレジェンドは、福島記念の前日に待望の2勝目を上げた(※鞍上はもちろん翼)が、レース後の馬体重の減少が激しく(※クロテンのプレッシャーが、かなりのストレスを与えていた模様)、福島からそのまま放牧に出されていた。
他の管理馬に、パートナーを任せる案も考えたが、クロテンの性格を把握している翔平が――
「――アイツ、ウチの年上の馬には、遠慮する素振りを見せるんですよ。
調教嫌いなのもありますが、稽古だと、同僚の先輩を立ててるみたいで――ウチでは現状的にありえないですが、2頭出しとかしたら、わざと負けるかもしれないぐらいです」
――と、クロテンを積極的に動かさせるには、在厩の中では同い年のクロダスイメイか、2歳馬のゴールドウルヴらが適当ではないかと進言していた。
クロダスイメイは、今週出走予定で、来週は今週のクロテンと同じく、軽めの調整程度しか予定出来ない。
残る、ゴールドウルヴは、まだ2歳――クロテンの様な古馬と併せさせるのは酷で、彼の成長の妨げになりかねないので、それは論外――なので、海野は、他厩舎に併せ馬依頼をする事も、懸案の一つとして心に留めていた。
今回の要請は、調教相手を欲しているクロテンにとって、まさに願ったり叶ったりな要請なのである。
次にデメリット…
確かに、調教量の増加は急務だが、それ以上に気を配らなければならないのは、クロテンの疲労具合だ。
昨日、翼に軽め調教を指示しているように、海野は本格的に動かせるのは、12月に入ってからと考えていた。
"追い切り"と、松沢が言っている様に、相手は恐らく、来週使う予定の馬――クロテンにとって、過労となってしまう事は避けたい。
「失礼ですが――そちらの併せたい馬とは?」
海野は、とりあえず落ち着こうと、自分用のコーヒーを一口啜って喉を潤し、松沢に併せ馬の相手を尋ねた。
「おう、アカツキだ」
――ブファッ!、ゴホッ!、ゴホッ…!
海野は、派手に口中のコーヒーをぶちまけ、激しく咽た。
「どしたぁ教授、ヘンなトコにでも入ったかぁ?」
「いっ!、いえ……失礼しました、驚いてしまって――」
「――だべな、おらも逆の立場なら、おんなじ風になるわ」
松沢はニヤニヤと笑い、楽しそうにコーヒーをもう一口飲んだ。
「じゃあ、冗だ――」
「いんや、頼み事はホントにそれだ。
教授も気付いてるべ?、アカツキがごろついてんのは」
「――ええ」
「だからよぉ、新鮮な気持ちで走らせてみてぇと思ってな。
どっか、他所様の馬に相手を頼めねぇかってよぉ――頼むわ、教授」
松沢は、身を正して、深々と海野に頭を下げた。
「そんな!、頭を上げてください――」
海野は、そう言いながら、さらに激しく考えを巡らせて――
「――わかりました、お請けします」
――と、松沢の要請を受け入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます