未熟

『先頭から最後方まで、およそ13馬身――残り1000mを通過、タイムは――59秒7、ほぼ平均ペースで流れております』



(よぉ~しっ!、徐々にだよっ!、徐々にぃ――)



翼は、クロテンに外へ進路をとる様に指示し、手綱を引く強さをさらに弱めた。



クロテンも、その指示に応じて、ゆっくりスピードを上げる。



『あっ~と!、外からクロダテンユウが進出!』



アナウンサーが、そう色めき立った声を上げると、観客もワァ~っと歓声を上げた。



クロテンは、このスパートで最後方から8番手――着差にして、逃げるライゼルアローからおよそ10馬身差にまで差を詰めた。



(うん!、イイ……良いよ、テンくんっ!、その調子だよ!)



――ワァァァァァァッッ!



前の馬群に追いついた、翼とクロテンの姿に、観客のボルテージはさらに上がった。



(!、客が騒ぎ出した――翼とクロダテンユウか?!)


竜太を始め、他馬の鞍上たちにも――


『初騎乗の新人に、重賞勝たれてたまるかよ!』


――という自負がある!



しかも、騎乗しているのは、故障明けの上に拭いきれない不安障害も抱えた馬、そんな馬を、翼の様な新人、しかも女騎手が勝利に導いたとなれば、自分たちの立場は無い!



それに、翼のペース感覚は、トップジョッキーの関も認める才能――ここが勝負どころと、クロテンの前にいた馬群は、その歓声が合図だったかの様にペースを上げた。



(――やっと、追いついたのに!)


――そう、馬群のペースアップに苛立ちを覚えたクロテンは、翼の指示を忘れてさらにペースを上げる。



(――えっ?!、ちょっと早い……でも、テンくんも良い息遣いだから、調子が良いみたいねっ!、よし!)


翼は、クロテンの意思を尊重するつもりで、そのペースアップを容認した。



――が、その時の翼の心理は、海野から受けた指示オーダーに応える事より、目の前にチラついた、勝利という"果実"に惑わされ、その勝負勘を狂わされていた。




『さあ!、一気にペースが上がった模様!、残り3ハロン(※600m)を迎えて、馬群が凝縮される~!』



(よぉ~し!、テンくん、行こう!)


翼は、ラストスパートの合図として、クロテンの肩口にムチを軽く一発入れた。



(!、待ってたぜ!)


――とでも言わんばかりに、クロテンは鋭敏に反応して、一気にスピードを上げる。


(――えっ?!)


クロテンは、指示に応えてラストスパートを始めると、先程とはまた違ったタイミングで、さらに大きく全身を使ったフォームで走り出した!


そのスピードも、翼がこれまで乗っていた馬とは、別次元とでも言える勢いで加速している!



だが――


(えっ……!、な、に……コレッ?、うわっ!?)


――鞍上の翼は、その尋常ではない膂力に戸惑い、そして、そのクロテンのダイナミックなフォームには筋力が着いて行けず、半ばロデオのような恰好で、しがみ付くのがやっとな様だった。



(――馬群が詰まったっ!、置いていかれるわけには!)


竜太は、ペースの上昇を受けて、トモエゴゼンを追い始めた――その時、ザワッとした寒気が、竜太の背中を奔った。


(――何だ?、……後ろ?)


竜太が、目線をアウトコースの後方に向けると――


(!、クッ!、クロダテンユウ?!)


――クロテンが、トモエゴゼンのすぐ後ろにまで迫っていた!



そして、クロテンは並ぶ間も無く、トモエゴゼンを追い抜いて行く――



(なっ……?!、何だ、今のは?)


竜太はその瞬間、通り過ぎて行くクロテンの馬体から溢れる、#覇気__・__#とでも言うような気配にあてられ、ほんの一瞬だけ鞍上で立ち竦んだ。




『来た来た来たぁ~!、最終コーナーに差し掛かって、大外からクロダテンユウが一気に先頭に踊り出る勢い!』



実況も、観客も――まさに、怒涛の勢いで先頭に迫る、クロテンと翼の姿に熱狂する。



だが、当事者の一人に、そんな余裕は無かった。



(もう……すぐ、直――線?、しっ……かり、しなぁ――きゃっ!)


翼は、何とか手綱を持ち替え、叩き合いに備えてムチを構えた!



『各馬、第4コーナーを回りきって最後の直線!


先頭はまだライゼルアロー!、しかし!、クロダテンユウが外から迫る!


間からは、オリオンミューズも伸びている!」



「――ブッ!、フゥ!!」


クロテンの息遣いが、苦しそうな反応を見せ始めた。



(!、タッ……イミングをっ!、合わせ……なきゃっ!、スッ、スパートをぉぉ……手伝わ、なきゃぁ!)


翼は、その細い両手に、精一杯に力を込めるが――



(……!?、ダッ……メッ!、腕が、痺れっ……!)


――先に、体力の限界に達してしまったのは、クロテンではなく翼の方だった。



『腕っ節では劣る翼ちゃんでも――』


――という、関の忠告が翼の脳裏に浮かぶ。



(これが――これが、今の私の……)


翼は、必死で手綱を握りながら、悔し気にクロテンのタテガミに顔を埋めた。



『先頭はオリオンミューズ!、クロダテンユウはちょっと苦しいか?!


外から一気に!、ホリノブラボーとオージバズーカ!、更には、内からトモエゴゼンも追い込んで来る~!』



残り100mを過ぎた時点で、クロテンの姿は――レースの大勢から消えた。




『先頭はオリオンミューズ!、オリオンミューズ!、今、1着でゴールイン!


2着争いは混戦も――わずかに、ホリノブラボー体勢有利か?!


大怪我からの奇跡的な復活と、人気者の重賞初騎乗で眉目を集めた、クロダテンユウと麻生翼は――一先頭に迫るも失速!


馬群に呑み込まれる形で8着……と、言ったトコロでしょうか?」



――こうして、クロテンの復帰戦は散々な結果に終わった。






「――よ~し、無事に回って来れただけでも収穫だ」


レースを終えたクロテンを迎えた翔平たちは、一様にそんな安堵の声を上げた。



だが、クロテンの背中から降り、鞍を外して検量に向った翼は、淡々とそれを終え、何も言わずに俯いている。



「翼さんも――ご苦労様」


――と、海野は声をかけたが、翼は――


「……はい」


――そう、上の空なのが丸見えな生返事を返した。



「――おい、つば……」


――と、翔平がその態度を注意しようとすると――



「ブッ!、ブフッァ!」



――クロテンが、大きく嘶き翔平を睨んだ。



「?!」


皆、一様にそれに驚き――


「――おっ、おい、クロテン?」


――翔平は、翼に注意するのを止め、クロテンに歩み寄る。



「うっ――うぁ!、テンくん……ごめん、ゴメンね――」


今度は――翼が、嗚咽を交えて泣き出した。



「へ?、なっ――なんなんだよ、お前ら」


「つ……翼さん?」


海野も、状況を把握出来ずにうろたえていた。



翼は、そんな状況を泣きながら詫び続け、二人は翼が落ち着くのを待った。



「――先生、私……私は!、何も、何も出来ませんでした……」


少しだけ落ち着いた翼は、ゆっくりと言葉を選んで話し始めた。



「――テンくんは、私のダメな騎乗に、苛立っているんだと思います。


勝つための手助けを、しなきゃイケナイのが、騎手なのに、私は――逆に、邪魔をしてしまったんですから」


海野は、黙って翼の話に耳を傾けている。


「私は、只の――ただの重りでした、勝ちたいテンくんにとって」


翼は、その言葉を言うのと同時に、大粒の涙を流した。



海野は、翼の言いたい事を理解し、小さくポンッと彼女の肩を叩いた。



「――無暗に悔やむ必要は無いよ。


確かに、最後は早仕掛けが祟った様だったが、キミはオーダー以上の仕事をしてくれたと思っている」


海野は、励ますつもりでそう言ったが、翼は自分でも理解出来ている、あの時のオーバーペースを容認してしまった事を指摘され――


「――でも!、私がもっと!、ちゃんと乗っていればっ!、あんな――あっ、んな……」


――と、自身に向けて激昂し、自分の愚かさ、未熟さを悔いて、また嗚咽を漏らした。



「――止めろ、翼」


翔平は、翼の泣き顔を隠す形で、彼女の肩を抱き、泣き場所として自分の胸を貸してやった。



「セン……パイ」


「クロテンが苛立っているのは、お前の騎乗じゃない――アイツも、お前と同じく、自分に怒ってるんだ」


「えっ?」


「アイツの場合――アレは、本気で走って負けた証拠だ、自分の走りに納得が行かなくてのな」


「……」


「――もっと、胸を張れ!、翼!、あの歓声を思い出せ!


お前は、あのっ!、怪我明けで、休み明けで、右回りしか走れないっていう、問題だらけの馬で――あれだけの見せ場を作ってみせたんだから!」


そう言って翔平は、翼の胸を軽く叩いた。


「……ぐすっ、センパァイッ!」


翼は、すぐには顔を上げず、そのまま翔平の肩に身を任せた。







「――二人とも、感動的な仲間同士のやり取りには水を挿してしまうが――」


良い雰囲気の翔平と翼の後ろで、海野は凍りついた様な表情で立ち竦んでいた。



「――翔平くん、今……思いっきり、翼さんの胸、触ったよね?」



二人は――『ハッ!?』っと、我に返って、慌てて身体を離した。



「いや――これは、その……」


「せっ!、先生!、問題――無いですっ!


ほっ!、ほらっ!?、"私の"は、触った人には申し訳ないぐらい、筋トレの影響で小さ――」


「決まりは決まり!、サイズの大小とは無関係!


許したら、厩舎の風紀が乱れます!、問答無用だよ!」



――翔平と海野(※今のサイズ発言で)が、例の決まり事で、初の減給処分者になってしまった事は――少し、笑える余談である。

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