若人二人
(はぁ、まだ緊張するよ~)
高まる鼓動を抑えようと、翼がもう一度深呼吸をしようとした、その時――
「――おい」
――と、誰かが翼の肩を叩き、声を掛けてきた者が居た。
「えっ?、三輪くん!」
声を掛けて来たのは――"あの"三輪竜太だった!
その様子を察した海野と翔平、そして――パドックを周回しているクロテンまで、一斉に竜太に向けて目を光らせた。
竜太が翼を敵視し、ああいう言動を吐いているコトは、翔平が厩舎の皆にも伝えている。
それを聞いた海野は、ほとんど三輪との面識は無かったのだが――
「出入り禁止どころじゃない!、彼とは絶交だよ!」
――と、激怒していて、今もメガネの奥には普段の穏やかさからは想像出来ない、厳しい目線を竜太に向けている。
もちろん翔平も、竜太がレース前で緊張している翼に、何かまた暴言を吐くのではないかとやきもきしていた。
クロテンも、もしかしたら翔平の話を理解していて――
『蹴り飛ばして、騎手を続けられなくなるくらいの大怪我させてやろうかぁ?!』
――とでも、言っていそうな形相で竜太を睨みつけている。
その2人と1頭から、燃え上がった怒りを向けられているコトには、まったく気付かず、竜太は翼に――
「初重賞、緊張すんだろ?」
――と、険しい表情で話を続けた。
「……うん、三輪くんも緊張した?」
翼は、率直な答えを竜太に返した。
「――まあな、俺は京都だったから、関さんや館山さんもいて、GⅠ勝ってる有名馬もいたし……何より、テレビで生中継されてるってのがなぁ」
「も~!、ヘンにそれを言わないでよ……ますます緊張しちゃうじゃない」
翼は、顔をしかめて、竜太の肩を叩き返した。
「へっ!、ナニ言ってんだよ。
それが、テレビに出まくってる人の口かよ!」
「私だって、ホントは恥ずかしくってイヤなのっ!
でも、アレは、先生に頼まれたコトだし――ね」
「『オーダーに応えるのが騎手の役目』、か?
お前の場合は、好きでやってんのかと思ってたが、そうでもないのか?」
「そうだよぉ~っ!、"アイドル騎手"って、言われるのは好きじゃない……」
翼は、観客席に掛けられた、自分の名前が書かれた横断幕に目を向ける。
そこには――
『ターフの妖精 麻生翼』
――とか。
『馬上の天使 TSUBASA』
――など、これまであまり観た事がない表現が躍っている。
「応援してもらえるのは、凄く嬉しいけど――もっと、馬の方を応援して欲しいな。
私たちは所詮、馬たちの勝利を手助けする"脇役"、引き立て役でしかないんだからさ」
翼はそう言って、少し寂しげにうつむいた。
「三輪くんは――確か、今日で重賞は5度目、だよね?」
「ああ」
ちなみに――新人の中では実力が際立っている竜太でも、まだ重賞勝利は果たしていない。
「そんな三輪くんでも、まだ緊張するんだね♪、さっき、肩が震えてたもの♪」
翼は、イタズラっぽい笑顔を造り、先程肩を叩き返した方の手を、ヒラヒラと振って見せた。
「つばさぁ~っ!、お前、ナマイキに俺をからかってんのかぁ?」
竜太がこめかみをピクピクさせ、睨みつけると同時に――
「――停ま~れ!」
――と、パドック中に周回停止の命令が掛かった。
「ふふ♪、ありがと♪、三輪くん。
おかげで――ちょっと、緊張ほぐれたよ♪」
翼は、竜太から逃げるように、一足先に整列に向かう。
「なっ!、くぅ~っ!、緊張焚きつけて、恥ずかしい失敗させてやろうと思ってたのにぃ~」
――と、竜太は口惜しげに愚痴を溢しながら、遅れて整列に加わった。
騎乗命令が掛かり、翼がクロテンの元に行くと――
「翼っ!」
「翼さんっ!」
「ブルルルッ!」
――と、2人と1頭が血相を変えて待っていた。
「また――アイツになんか言われたのかっ?!」
――と、翔平は翼の肩を揺すって尋ね――
「――もし、そうだったなら言ってくださいっ!、私も黙ってはいませんからっ!」
――と、海野はメガネの奥を光らせ、翼の反応を凝視し――
「フンッ!、ブルルルッッ!!」
――と、クロテンは大きく鼻息を吐き、ちょっと煩く素振りを見せた。
「大丈夫です、心配しないでください」
翼は、そんな2人と1頭の自分への優しさと思いやりを嬉しく思い、いつもの笑顔で応えて見せた。
「さっ、テンくん、行こうか!」
そう一声掛けて、馬上の人となった翼の顔は、既に険しい勝負師の
『――福島競馬、第11レース、GⅢ、福島記念!
出走馬、14頭の本場場入場です!』
競馬場にBGMが鳴り響き、続々と出走各馬が入場して来た。
ここからは、今回の"主な"出走馬を、枠番順に紹介しよう。
『1番、ライゼルアロー、57㎏』
今年の中山金杯を逃げ切っている5歳牡馬、戦法的には絶好な枠順に入り、3番人気に推されている。
『4番、オージバズーカ、54㎏』
初の重賞挑戦となる4歳牡馬で、9月から3連勝で一気にオープンクラス入りした上がり馬、4番人気。
ちなみに――ライゼルアローと負担重量が違うのは、この福島記念が"ハンデキャップ競争"だからである。
ハンデキャップ競争とは、それぞれの馬の実績や性齢によって負担重量を変動させる事で、能力に因る優劣を是正するレース方式だ。
背負う重りが少なく(※=軽く)なれば、走り易くなるが、重りが増える(※=重く)なれば走り辛くなる――その当然の理を使って、能力差を是正するのである。
それが、GⅢレースで勝利経験があるライゼルアローに比べ、自己条件戦でしか実績が無い、オージバズーカの負担重量が軽くなっているカラクリだ。
『7番、クロダテンユウ、麻生翼、58㎏』
彼の事は、紹介不要かもしれないが、一応、流れに沿わせてもらう。
昨年の菊花賞で2着に好走した4歳馬、世間をアッと言わせた後、翌年1月のGⅡ、AJCCを制覇、一躍春の天皇賞の有力候補に挙がったが、その前哨戦として挑んだ日経賞のレース中に故障発生。
一時は、現役続行も危ぶまれたが――各セクションの懸命な工夫と努力が実を結び、出走に至るまで奇跡的に回復、今回は復帰戦にあたる。
手綱を任されたのは、新人の麻生翼――彼女にとって、初めての重賞騎乗である。
奇しくも、日経賞と同じ枠番で、故障明けの不安も否めないが、GⅠ2着とGⅡ勝ちの実績はやはり侮れず、かつての名門であるクロダの"ブランド"と、麻生翼のズバ抜けたルックスが相まった"文字通りの人気"が押し上げた形で、現在、1番人気。
『8番、トモエゴゼン、三輪竜太、51㎏』
3歳牝馬で、夏の小倉で500万下、1000万下を連勝し、牝馬3冠レースの最終戦である秋華賞のトライアル、ローズステークスでも2着。
だが、本番では15着に大敗――今回は、51㎏という軽いハンデを利しての激走を期待して参戦で、鞍上の新人、三輪は5度目の重賞挑戦、7番人気。
『10番、ホリノブラボー、59㎏』
去年の函館記念と札幌記念を連勝し、暮れの有馬記念では3着に食い込み、大穴を空ける。
今年に入ってからは日経賞で3着に好走も、本番の春の天皇賞では13着、宝塚記念では14着と振るわず、連覇を狙った札幌記念でも5着まで。
陣営は、秋の目標を有馬記念1本に絞り、クロテンと同じくここを叩いて有馬に向かう模様で、断然の実績と小回り巧者という面を期待され、2番人気に推されている。
『14番、オリオンミューズ、52㎏』
3歳牝馬、春先はGⅢのフラワーCを制し、牝馬3冠レースでの活躍が期待されるも、桜花賞10着、オークス7着、秋華賞8着と散々。
エリザベス女王杯への挑戦も視野にあったが自重、トモエゴゼンと同じく、軽ハンデを活かそうとこちらへ、5番人気。
――これらが、今回の主な出走馬である。
『――以上、14頭立てで行われる福島記念!、発走は、15時20分です!』
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