悲願と悲劇

『あなたが思う、史上最強馬は?』



――と、競馬ファンが集まれば、いつの時代も議題に挙がる話題だ。



それを、クロダファンを自認する者に尋ねたら、大半――いや、殆どが彼の名前を挙げるだろう。


尤も、最強馬論争でその主張を援けたのは、馬主だった黒田の言葉でも、長年生産に携わっていた牧場長である石原の言葉でも、数多くの馬の調教を手懸けてきた松沢の言葉でもない。


それは、最大のライバルである白畑Fのオーナー、白畑京悟が――



『私が追い求める、最強馬の基準は――他所の生産馬にはなってしまうが、昔も今もクロダヤマトのみであり、彼を超える馬を生産する事が、私の目標なのです』



――と、自著にて述べた事があるからだ。



クロダヤマトとは、そういう馬なのである。



クロダヤマト――奇しくも、クロテンと同じ尾花栗毛の牡馬で、生涯成績は18戦11勝(※内、海外1勝)…


毛色が同じなのは、決してただの偶然ではない――クロテンの5代血統表には、彼の全妹で同じく尾花栗毛の毛色である、クロダイズモという牝馬の名が記されていて、クロテンとヤマトは遠い親戚関係の馬なのだから。


クロダ牧場が、自家生産の血統にこだわった方針だった事は有名な話だが、そういったトコロに、そのこだわりが、こうして現代においても見え隠れしているのだ。



――さて、ヤマトの主な勝ち鞍は、皐月賞、菊花賞、有馬記念、天皇賞(春)、宝塚記念(※以上GⅠ)、弥生賞、セントライト記念、日経賞(※以上GⅡ)、そして――先程の写真の通り、フォワ賞が含まれる。


ほぼ、アカツキ並みの完璧な戦跡ではあるが、最強馬論争に挙がる馬がトータルで7敗している事を、疑問に持つ方も居るであろう。



それには、当時の競走馬育成のある定説が影響している。



当時は、2歳馬にマイルより長い距離を走らせるのは望ましくない――という風潮があり、新馬戦、及び未勝利戦には、マイル以下の短距離戦が主に整備されていた。



それが――ヤマトの適正に響いた。



ヤマトは、まだ開業初年度だった松沢厩舎に預託され、早々と2歳夏の函館でデビューしたが、1000m、1200mばかりの当時の函館での新馬や未勝利では、追走するのもままならず、能力を活かせないまま、掲示板5着以内にも乗らない成績が続いた。


それは――舞台が秋の中央主場に移っても変わらず、ヤマトはさらに3連敗。


見かねた松沢は、一旦ヤマトをクロダ牧場へと放牧し、まだ牧夫から育成班長に昇進したばかりだった石原に、ヤマトを生まれ故郷で鍛え直す事を頼んだ。


ヤマトが競馬場に戻ったのは、年が明けて3歳へと一つ歳を重ねた、中山の正月開催での未勝利戦――3歳になってからは、2000m以上の番組が増える事に照準を定めた、松沢の戦略であった。


その松沢の思惑通り、ヤマトはその日に初勝利を揚げ、返す刀で挑んだ2週後の500万下にも勝ったのだった。


その走りっぷりは――追走に苦労していた馬とはとても思えない、終始先頭を譲らない、スピード感に溢れた逃げ戦法。


距離適正を見極めた松沢も天晴れだが、それは牧場でイチからヤマトを鍛え直した石原の功でもあった。


ヤマトはその後、主な勝ち鞍にある様に弥生賞、皐月賞を連勝――しかし、破竹の勢いで挑んだダービーでは、ハナ差の2着に敗れている。


その時のダービーを勝ったのが、白畑F生産のムラクモという馬で、それは白畑F初のダービー制覇であった。


このムラクモの名も、アカツキの5代血統表に記されている点が、なんとも言い難い因縁である。



2歳時の5連敗、そしてダービーでの2着、これでヤマトの7敗中、6敗の真相はこれで触れた。



――では、最後の1敗について話そう。



ヤマトは、ダービーでの敗戦後、秋に戦線復帰して再び連勝街道を歩み始めた。


セントライト記念、菊花賞、有馬、日経賞、春天、宝塚――どれも圧勝続きの逃げ切り!



ヤマトはその名からの連想もあり――


『不沈艦』


――という異名で、ファンを熱狂させた。



特に、宝塚記念では、掲示板にが点く程の大圧勝で――


『もう、日本で走るのは反則ではないか?』


――とまで、言われた程だった。



その論旨に押された訳ではないが、オーナーの黒田は凱旋門賞挑戦を決断。



クロダ牧場で短い休養を送り、夏の内にフランス入り――前哨戦のフォワ賞を使い、凱旋門賞を目指す事となった。



当時はまだ、JCなどでも外国馬が上位を占める時代で、日本馬の海外遠征の例も少なく、もちろん勝利例も無かった中で、これは勇気のいる挑戦だった。



さらに、そのフォワ賞に集まったのは――ヤマトを始め、"レース史上最強のメンバー"とまで言われる、豪華な顔ぶれだった。



前年、一昨年の凱旋門賞馬、当年の"キングジョージ"(※イギリス王室の主催で行なわれる、芝2400メートルのGⅠレースの略称)勝ち馬――等々、出走全馬の国際GⅠ勝利数を足すと――


『13冠決戦!』


――と、称される見出しが現地の競馬雑誌で躍るほどであった。



国際実績が皆無のヤマトの評価は、上がるはずもなく……ヤマトは、出走10頭中、8番人気でレース本番を迎えた。



客席で石原と松沢(※遠征中は現地の厩舎に預託)が見守る中、ヤマトは日本で走る時と同じ様に逃げ、2馬身半差の完勝!、海外重賞制覇を決めた。



二人が目を向けたのは、その時の口取り写真である。



"13冠決戦"を完勝した事で、ヤマトの評価はガラリ一変!



『東洋の神秘』、『極東の怪物』、『SAMURAI HORSE』――評される異名も増え、オッズメーカーでの人気は、一気に凱旋門賞の一番人気に躍り出た。



そして、迎えた、凱旋門賞当日――直前の追い切りでも抜群の動きを見せ、食欲旺盛で体調も絶好調!



馬体は筋骨隆々に仕上がり、尾花栗毛の毛色は眩しい程に輝いていて、前日に様子を見ていた松沢は――


「あん時のヤマトのデキは――忘れられねぇな。


定年間近の今になっても、あれ以上に仕上がった馬の姿は見たコトねぇわ」


――と、石原と写真を見ながら自戒した。



その仕上がりに、預託された現地フランスのスタッフも絶賛し、皆が皆、ヤマトの勝利を疑う事なく、競馬場に向かう馬運車にヤマトを乗せた。



その後――石原たちの"夢"は、瞬時にへと変わった。



馬運車は競馬場に向かう途中――交通事故を起こし、車は大炎上。


フランス人スタッフと運転手、そしてヤマトは――焼死体として発見された。



競馬場で、その一報を聞いた石原たちは、通訳に詰め寄り――


「翻訳っ!、間違ってるんじゃないのか?!」


――と、声を荒げ、皆、この言葉にならない悲劇に涙を流した。



ヤマトの7敗目は――競馬場に現れなかった事に因る、枠順発表後の"競争除外"である。



この事故は、現地でも、日本でも、センセーショナルに報じられた。



運転手が当日、予定していた人物から、急に替わっていた事や、その替わった運転手が、直前に多額の生命保険に加入していた事が解り、現地の当局が捜査に動いたからである。


結局、立件には至らなかったが、この事故は、凱旋門賞がいまだに欧州調教馬しか勝利していない事実も相まって――


『凱旋門賞のトロフィーを、日本へ渡らせない為に、ヤマトは殺された』


――という、欧州競馬界の陰謀説を支持する競馬ファンは少なくない。


だが、その真相は、もはや闇の中である。





「――牧場の解散が決まった時に思ったよ。


もし、ヤマトの仔が居たら――オーナーに、ダービーを勝たせてあげられたかもしれないとね」


「おらも――になっちまうが、ヤマトの仔っこで、ダービー勝ちたかったよ」


二人は――そう言って、ヤマトの写真から目を逸らした。



「その酒を店で見つけた時、そこの店主が――おらの顔ば観て、コレを薦めたんだ、『ヤマト!、ヤマト!』と連呼してよぉ。


だから、コレはぜひ、石原さんと呑みてぇなぁと、思ったんだわ」


「……そうでしたか」


「丁度、成実分場の幼駒わらすを観に来たから、住所を聞いて押しかけちまったんだよ」


「幼駒を観に?、定年されるのに――厩舎を継がれる、ご子息のためですか?」


「――いんや、おらは、そんな優しい親父じゃあねぇ。


永年のクセだ……観にこねぇと、落ち着かんのよ、だから、半分は旅行だな。


泉別おんせんにでも、寄りながらよ」


松沢は、ニヤッと笑い、頭に手拭いを乗せるポーズをした。



「そういやぁ――分場で、観たで。


教授んトコのスティーヴの仔っこが、コースに出てんの」



松沢が、言うスティーヴの仔っこと言うのは、もちろんクロテンの事だ。



そう――クロテンはついに、コースでの調教が出来るレベルにまで、怪我の回復が進んだのである。



「ええ、おかげさまで、10月の頭ぐらいに帰厩させる予定ですよ」



これが、先程濁した、海野厩舎もう一つの吉報である。


クロテンが――海野厩舎に帰って来るのだ!



「たまげたなぁ、あんの大怪我を、半年足らずで治して来るんかい!」


「分場の人たちも、本当に驚いていますよ」


「悪ぃが――おらはもう、走ってる姿は観れねぇと思ってたわ」


松沢は、そう言いながら苦笑いした。


「――でもよぉ、石原さん。


ありゃあ……左回りは使えねぇな?」


「!」


松沢のその指摘に、石原は驚いた。


「左に曲がる時の軸足になる、右の前脚を上手く動かせねぇんだべ?、動きがぎこちなかった」


「――さすが、よく観てますね。


右前脚の神経損傷が酷く、無理に曲がろうとすると転倒してしまう危険性が高いと、獣医には言われました」



そう、クロテンの復帰は手放しに喜べるモノではなかった。



JCなどがある東京競馬場の様な、コーナーが左回りの競馬場では……クロテンは、転倒してしまい、さらなる怪我を負ってしまう可能性が高いのである。


走らせる事が出来ない競馬場がある――という"障害"を、クロテンは負ってしまったのだ。



「坂は、大丈夫なんけ?、脚に力、ちゃんと入るんかね?」


「今は、筋力も落ちていますから仕方ないですが、それはトレーニングで徐々に戻るだろうと」


石原は、手振りを交えて、松沢に説明した。



「それにしても――あんのバケモノ染みた怪我の治り様には驚れぇたわ。


毛色を観てて思ってたが、ありゃあ――ヤマトがいとるんと違うかね?」


――と、真面目な顔で石原に同意を求めた。



石原は――


「はっはっは!」


――と、声を上げて笑った。



「"生まれ変わり"じゃなく、"憑いてる"ですかぁ?」


石原は楽しそうにそう返答した。



「おうよっ!、もうすぐ定年のおらに、『楽には辞めさせねえどぉ~』ってよっ!」


老人二人はそうして笑い合い、その笑いが治まった後、石原が――


「――ああ、一緒に呑むって言っていたのに、グラスがまだでしたね、持って来ます。


それと……良かったら、泊まって行ってください、泉別のようには行かないが、ウチにも温泉、曳いてますから」


――と、松沢に逗留を薦めた。


「ほんとけ!、なら、泊まらせてもらおうかね」


松沢はそう言って、誘いを快諾した。

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