生き抜く勇気
昼食用の弁当や飲み物をコンビニで買い揃え、二人はまたもデート――に近い、行為をする事となった。
奈津美が当座の目的地に挙げたのは、
石本山は、晴西地区の中心にそびえる山である――いや、晴西地区自体が、この山の事を表すと言っても良い。
晴西地区は、石本山のふもとや山中を切り開いて造成されたモノで、優斗が住む所の様に、結構の斜度の坂道が多いのはその為だ。
その坂を登ると、頂上付近は観光道路も整備されていて、金太刀平にはそこを通って向かう。
こうして、市民生活と密接に関わり、観光地としても機能している山なので、ちょっとした散策やピクニックなどには大抵、この山――そして、金太刀平に向かうのは晴西地区民の定番である。
二人も、子供の頃――小学校の遠足やらなにやらで、よく訪れている。
「ホントは、寄るつもりではなかったんだけどね――」
奈津美は、観光道路の道すがら、優斗のトコロに訪問しようと思い立った理由を話し始めた。
「――母さんから、ユウくんがよく、アパートの近所で歩いてるって聞いてね」
「ああ、おばさんとも会った事あるぜ」
「うん、それも母さんに聞いた――ほぼ毎日、欠かすことなく頑張ってるって」
「……そうか」
「それで――さ」
奈津美は――笑顔を見せて語ってはいるが、何かを言い辛そうにしているのは、明らかな語り口である…
「――どうした?、聞きたい事があったんじゃないのか?」
「……イヤな気持ちにさせたら、ゴメンね――母さんに、近所のウワサ話を聞いたんだけど――」
「……"ほぼ毎日、変質者らしき男が、見かけられてる"って、ハナシか?」
「――っ!?」
「その男は――"30代くらいで、小柄で小太り――いつも、ショルダーバックを背負っている"だろ?」
その変質者の特徴は――明らかに、優斗の姿を連想させるモノだった。
「――惜っしいなぁ~!、杖もちゃんと見とけっての!」
優斗は――そう言って、笑いながら腕組みをした。
「ユウくん――どうしてその事を?」
「そうなるだろうと、思ってはいたさ――端から見りゃあ、"イイ歳した男が、仕事もせずに毎日、
優斗は目を瞑り、助手席のシートに寄りかかる。
「父さんも――似たような目に会ってたしな。
歩き始めると決めた時から、覚悟はしてたよ」
優斗の父――繁も、帰宅後は熱心にウォーキングに取り組んでいた。
だが、何度か――不審者として、通報される事もあったのである。
「うん、覚えてる――でも、私は子供の頃から思ってたけど、頑張って
奈津美は、悲痛な表情で唇を噛んだ。
「いつから――ウワサの事を知ってたの?」
「ん~……気付いたのは、親子連れとすれ違った時に、子供の方が俺の歩き方が不思議なのか、ジ~っと見てきたから、目が合った時に笑い掛けたら、親がその子を抱えて逃げた時――かな?」
「もう!、ユウくんのどこをどう見たら、そんな発想になるのかなぁ!?」
奈津美は、口惜しそうにハンドルを叩く。
「――障害を装って、女の子にイタズラしようとした――なんてニュースなんかも、あるにはあるしな。
見た目若いから、こんなビョーキになる訳がない――って、ソッチを疑われたんだろう」
「ユウくん、達観し過ぎ!、怒ってもイイ事だよ!」
奈津美は、妙に冷静にこの事柄を受け入れている、優斗の態度に苛立つ。
「達観しなきゃあ――このカラダとも、世の中とも、上手くは付き合って行けねぇよ。
とりあえず生き抜くと、決めたからにはな」
優斗は遠くでも観る様に、車内灯を見つめた。
優斗が積極的に動くコトを決めたのも、その"生き抜く"という決意からだ。
"馬生"に関わる怪我をしても、戦う気持ちを絶やさないクロテン――そんなクロテンを、あの致命的だとも言える状況でも、決して諦める事無く、強い意思でそれを支え、その思いに報いてやろうとする
『たとえ勝てなくなっていたとしても、どれだけの時を要しても、必ず
――その石原の決意に、彼は心を打たれた。
自分も――たとえ、何も出来なくても、生きていられるのなら、精一杯生きてみようと。
「私は――ユウくんの決意を知っているからこそ、余計に口惜しいんだよ」
奈津美は、そうつぶやき、口を結んでアクセルを踏み込んだ。
金太刀平に着いた二人は車を降り、鬱蒼とした木々に囲まれた散策道を二人で歩いた。
「はぁ――標高が上がると、良い具合に涼しくなったねぇ」
奈津美の言う通り、山の頂上付近という地形もあるが、生い茂った木々も恰好のカーテンの役割を果たしていて、強い日差しを上手く遮断してくれている。
観光地として整備されている金太刀平には、駐車場から少し歩いた所にBBQなども出来る、広めの敷地が整備されている。
二人は、ソコで昼食を摂ろうと決め、ゆっくりと歩を進めていた…
「――あ?」
駐車場に向かっているのか、前から近づいて来た
「ひょっとして――臼井かぁ?」
「あっ!?、
声を挙げたのは、若松
補鳥班とは、文字どおり――出荷出来る段階までの飼育を終えた鶏を捕獲し、鶏舎から出荷するセクションである。
"同僚"――とは言っても、彼は労引社の人間ではない。
"曾孫請け会社"の労引社ではなく、その
協力企業――と、言えば聞こえは良いが、補鳥作業を請け負ったのは山根通運の方で、労引社とは足りない労働力を補うためのカンケイ――つまり、労引社は"下請け会社"だ。
――だが、山根通運は一種の人材派遣の元請けという立場である。
"一種の"――と、強調したのは……これは、法律上の人材派遣の定義には当たらないからだ。
当時の優斗は、労引社の正社員ではあるワケで、肩書きから言えば、列記とした"正規労働者"である。
つまり、山根通運からすれば、非正規の賃金で
若松の姿を自認した優斗は――明らかにイヤな顔を覗かせた。
以前、養鶏場の労働環境には、"ワーカーズカースト"的な序列が存在すると述べたが、部署ごとよりも会社間の序列はもっとヒドイ
いわゆる、"パワーハラスメント"に因る、侮蔑や恫喝の類も日常だった。
それが――日本の"底辺"の現状であり、真実の姿なのである。
「こんなところで――つーか、お前、歩けるのかよ?」
開口一番――優斗の姿を見た感想がコレである。
「――それに、喋れるんじゃねぇか……ハナシと違うだろ」
――口調を聞いても粗暴で、いかにもガテン系の人間だというのは、解って貰えると思う。
確かに、肉体労働者間に、知性や教養、道義を望むのは贅沢かもしれないが――生死の狭間を行き来する様な大病を経て、止む無く退職した元同僚に対して、いたわりのカケラもない物言いである。
優斗は、イヤな顔を強くしたが、若松はまったく気付かずに話し続ける。
「どうしたのよ?、ナニしに来たんだ?」
「友達に――誘われましてね」
「誘われたぁ?」
――と、若松は反復し、優斗の隣にいる奈津美の姿をギロっと凝視した。
奈津美も、先程からの優斗に対する若松の態度には、嫌悪と怒りを模様していたが、ソコはグッと堪え、小さく会釈を返した。
「へぇ~――」
若松は、ジロジロと奈津美の全身を、ナメ回すようにさらに凝視した。
(――なに?、失礼な人だなぁ)
奈津美も、優斗と同様に嫌悪の表情を強くするが、若松はまたも気付かずに居た。
「若松さんは――家族サービスですか?」
「おう、まあな――ところで、臼井よぉ」
若松は、ニタニタとイヤらしい、笑みを見せて――
「彼女連れでで、遊びに歩いてるてるなんて、随分と良い御身分じゃねぇかぁ~?」
――と、嫌味丸出しの言い方と表情で、今度は優斗をナメ回すように観た。
本来なら――
『彼女じゃない!』
――と、二人揃って否定するトコロだが、それを忘れてしまう程、若松の言い方は実に勘に触るモノだった。
「もう、働けねぇだろうって聞いてたが――今、ナニしてんだ?」
「何って――何もしてませんよ、働けませんからね」
「ハァ?!、じゃあ、どう生活してんのよ?」
「今は――社会保険の、傷病手当が出てるんで、それで――」
「あれって確か――休んでから、一年半までじゃねぇか?、切れた後は?」
若松は、やたらとプライベートな部分にまで突っ込んでくる――それは、職場での会話でも同じだった。
「後は――障害年金で、暮らすしかないでしょうね」
「――年金~っ!?」
若松は、顔色を変え、あんぐりと口を開ける。
「はぁ~っ?!、その若さで、優雅な年金暮らしですかぁ~!」
若松は、さらに嫌味ったらしく優斗を罵る。
「俺たちから、国は散々絞り取ってるクセによぉ……使い方がコレだよっ!
働けなくなった年寄りを支える――とかってんなら、百歩譲って納得出来っけど、障害やビョーキなんて、自己責任だろうよ?!」
(……!!!、なっ…!?)
この若松の発言に、奈津美は嫌な顔どころか、憤怒の表情を浮かべた。
――いや、無知という表現すら足りなく、怒りというよりも呆れと言った方が正しい。
そんな発言に――奈津美は、我を忘れそうになった。
「ちょっ――!」
奈津美は、若松の発言を制止しようと動こうとするが、若松の口は止まらない。
「な~んで、俺たちが
――ガシッ!
――と、その時、誰かが若松の肩を掴んだ。
「――ちょっとアンタっ!、黙って聞いてりゃあ、バカ丸出しの演説してっ!」
「――あっ!、ママ!」
肩を掴んだのは――若松が連れている子供のこの反応を見る限り、どうやら若松の妻のようだ。
「おっ、お前――」
「――ソーシャルワーカーの
若松の妻はそう言って、若松の頭を小突いた。
すると若松は、まるで塩を掛けられたナメクジの様に小さくなり、急に黙り込んだ。
若松の妻は、優斗たちに目を向け、苦笑いを見せながら二人に近付く。
「――すいませんねぇ、ウチの
若松の妻は、奈津美の顔を見て、驚いた表情を見せた。
「もしかして――小野ちゃん?」
「えっ?」
「ほら!、アタシよ!、泉別病院で一緒に――」
「あっ?!、
「そう!、うわぁ~!、久し振りねぇ~!」
「ナツ――知り合いか?」
「うん!、7年前まで、
若松の妻は、なんと奈津美の元同僚だった。
「そう――でも、奇遇ねぇ~!、こんなトコロで再会するなんてっ!
私たちは、娘を連れてのピクニックだけど――小野ちゃんは、彼氏とデートかなぁ?」
「ちっ!、違いますよぉ~!、友達との散策です!」
奈津美はようやく、優斗との間柄を否定する事が出来た。
「――まっ、そーゆーコトにしとくわ。
えっ~と――」
若松の妻は、優斗の方に目線を移した。
「あっ――臼井と言います。
ご主人とは、養鶏場で――」
「――ええ、こう言っては何ですが、お噂は夫から聞いています。
脳……疾患を、患った方が居ると」
若松の妻は、鎮痛な面持ちで、優斗に向けた頭を下げた。
「――ごめんなさいね。
私が、病気の事を浅く教えたせいで――この人、それを鵜呑みにヒドイ事を並び立てたんでしょう?」
「いえ、そんな――」
「年金の事も、詳しくは知らないクセに――アレも、きっとテレビや週刊誌の受け売りでしょう。
ホント――お恥ずかしいです」
謝り続ける妻の姿に若松は顔をしかめ、だんまりを決め込んだままだ。
「どうかお気になさらずに――障害年金や障害者手帳は、当然の権利なんですから……負い目に思う必要は、一切無いんですよ?」
若松の妻はそう言って、優斗の手を強く握った。
「では――小野ちゃん、これからもお元気でね。
――ほら!、アンタ!、行くよ!」
妻は、ギロっと若松は睨み、彼の尻を叩いた。
「へ~い――じゃあな、臼井」
「――はい、養鶏場の皆さんにもよろしくお伝えください」
優斗は、そう言って会釈し、若松ファミリーと別れた――二人から少し離れた所で、若松がまたも妻から小突かれる姿を見ながら。
「ナツ、早く行こうぜ。
ちょっと――疲れたわ」
「あっ!、うん――公園部分まで、もう少しだから」
二人はまた、公園部分に向けて歩き出した。
その道すがら――奈津美は思った。
皆が、患う苦しみやせつなさを、共感出来る場所に常に居る奈津美は――自分が、いかに無知だったのかと思い知らされた。
そんな中で――生き抜くのには、こんなにも勇気が必要なのかと。
一歩一歩、ゆっくりと歩く、優斗の姿を後ろから見ている奈津美は――
(――深い縁があって、こうして、今も自分の目に留まる……ユウくんだけでも、可能な限り、手助けしてあげたい――)
――そう、思っていたのだった。
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