暑下

8月の強い日差しが、アスファルトから照り返している。


寒いイメージが強い北海道にも夏は来る――当たり前、ではあるが。



「――ふぅ」


そんな日差しを受けた優斗は、道端に設けられているベンチに腰掛け、ショルダーバックからペットボトルを取り出し、すっかり温くなっている水を一口、喉元にあおった。



今日の晴部市の最高気温の予報は28度、本州以南の方からは――


『涼しいじゃん!!!』


――と、ツッコまれそうだが、北海道ではもう、熱中症の危険性が増すレベルの暑さである。



この手の感覚の差は、ある種のだ。



逆に、北国の者からすれば、気温が10℃を下回ったぐらいで――


『寒~い!!!』


――と、ブルブル震えて、冬用のコートを着ている姿は、実に滑稽である。



「さて――行くか」


優斗は、ベンチからゆっくり立ち上がり、杖を突いて一歩ずつ歩き出した。



クロテンと再会し、翔平や翼と対面したあの日から、優斗の意識は変わった。



退院後は、ヒマを持て余し、自堕落な生活を送っていたが、今はこうしてウォーキングに勤しんだりもしている。


一人で歩き回るには、ちょっと勇気がいる状態カラダではあるが――この身体とは、一生付き合って行かなければならないのだから、心配ばかりしていては何も進歩は無い。


それなら割り切って、積極的に動いてやろうと達観したのである。



「――ふぅ、ふぅ……」


ウォーキングで、優斗が自らに課しているメニューは、自宅から子供の頃に通った小学校(※既に廃校)の校門前までの約1.5㎞――往復3㎞の道程だ。



ここでは定義上、と表してはいるが、彼にとっては、立派なの一種である。



今の優斗が、この道程を踏破するのには――約2時間かかる。


失笑が聞こえて来そうだが、相も変わらず杖を突き、半ば千鳥足の歩様の彼には、これが今の限界だ。


3㎞の距離、2時間の稼動時間というのも、状態から言えば達者な部類であろう。



(――でも、今日はちょっとしくじったなぁ、この暑さは――)


校門前から折り返すまでは順調だったが、日が頂点に迫るに連れて、気温が上昇――ただでさえ遅い、歩くスピードがさらに堕ちていた。



それに――優斗は、脳疾患の再発という爆弾も抱えている。


あまりムリに、身体を酷使するのは――良いコトではない。



――プップッー!



優斗の後方で、けたたましいクラクションの音が響いた。



何事かと振り向くと、そこにはピンク色の車体が派手な、軽自動車が停まっていた。



「――なんで、アイツが?」


――と、つぶやきながら優斗がその軽自動車に近づくと――



「コラ~!、自分の身体を省みず、酷使しようとしている、ソコの30代男性!」


――と、奈津美は窓を開けて、優斗を呼んだ。



優斗は、その派手な軽自動車の窓へと更に近づき…


「おいおい――『コラ~!』は、こっちのセリフだ!、大声でそんな恥ずかしい!」


「えへへ♪、良いから、隣に乗って乗って♪」


奈津美は、照れ笑いを見せ、優斗を助手席に乗り込むように促がす。



――奈津美が、頻繁に顔を見せるようになったのも、#あの日以降__・__#の変化の一つだ。



それについてはまた、一旦"あの日"に時を戻して、語っておこう――





――石原の家からアパートの前まで、奈津美に送ってもらった後――部屋のベッドに座ったのと、ほぼ同時に……優斗の携帯に、知らない番号からの着信が着た。



「――もしもし?」


『あっ!、ユウくん、無事に部屋に入った?』


「――へ?、ナツ?」


『えへへ♪、驚いた?


あっ、ちゃんと近くのコンビニの駐車場に停めてるよ』



奈津美は、運転中ではない事を強調し"してやったり!"という表情が思い浮かぶ声色で、電話をかけてきた。



「なんで――俺の番号を?」


優斗は入院中、携帯を持ち込んでいなかったし、今日あのひも特段、奈津美と連絡先の交換はしていない。


『ユウくん、石原さんの家に居る間――私の車に、ケータイ置きっ放しだったでしょ?』


「ああ、確かにダッシュボードに置かせて貰ってたが――」


『さっき、石原さんの家の駐車スペースから、玄関前まで車を着けるまでの間に見つけて、こっそり番号を転送しておいたんだぁ♪』


「……はぁ」


悪びれる気持ちゼロの奈津美の口調に、優斗は呆れて溜め息を吐いた。


「お前――どこぞの国のスパイか?」


『違うよぉ~っ!、せっかく再会した幼馴染と――な!、ぜ!、か!、頑なに連絡先を交換しようとしないからさぁ、先手を打っただけだよっ!』


「別にではないだろ~


ちゃんと、ケータイを病院に持ち込んでなかったっていう、理由もあったんだし」


『でも、今日改めて再会しても――


「ナツ、連絡先交換するか?」


――って、言うコトも無かったじゃない?』


奈津美は、声色を男っぽく変えて、優斗のマネを興じた。



「それは――俺も、アパートまで歩く間に思ったわ――『あっ、番号』って。


でも、聞かれなかったから、ナツも要らないってコトなんだろうと」


『あ~――ユウくんが、独身のままな理由が解るわぁ。


女性に対して、積極性が足りないもの』


奈津美は、しみしみと優斗の問題点を指摘する。


「――お前に、積極性を出してどうすんのよ?


でもまあ、一理はあるがな」


優斗もしみじみと同意はした。


『おっ!?、自覚はあるんだ』


「そりゃあ、まあな。


ビンボーで、顔も良くねぇんだから、モテるわきゃぁねぇんだし、積極性を出したトコロで――無駄骨だろうよ?」


『え~?、そういうトコだけを見てる人なんて、ごく一部だよぉ~、テレビドラマの観過ぎだね、ユウくんは』


「――それに、今は……こんなカラダ、だからな。


さらにムリ線が、増えたから、もう、積極性もクソもねぇよ」


『身体の事は――関係無いでしょ?、要は、お互いの気持ちなんだし』


優斗は、受話器越しにふっと、鼻で笑って――


「それこそ……ドキュメンタリーやチャリティー番組の観過ぎだぜ?、障害持ちの周りは――あんなに、キレイなモンじゃない。


ソレを、職業柄から身近で見てても、気持ちが要だと思えるのは――お前の優しさの賜物だろうさ」


『――ふえっ?!』


受話器越しなので、優斗は知らないが、奈津美は顔を真っ赤に赤面して動揺している。



『もっ――もう、切るねっ!、ユウくんも喋るのが大変なカラダなのに、長電話しちゃって』


「毎日、喋り倒させた方のセリフですかぁ?、小野療法士センセ?」


優斗はニヤっと笑って、奈津美の揚げ足を拾った。


『もう――アタシは、ユウくんのために――』


「――解ってる、ホント感謝してるよ、ナツには」



奈津美の顔は落ち着き出したはずだったが、またも頬が紅潮し始める。


(――昔っから、無意識にイイ事言うから困るんだよ、ユウくんはさ)


――と、奈津美は頬を押さえて、心中でそう言った。



『じゃあ――切るね。


また、電話するから』


「えっ?」


『ほら――ユウくんも、リハビリ中に、って、言ってたじゃない?


帰ってからどうなのかなぁ――って、思いながらけど掛けたんけど、やっぱ難しそうだから』



――それは、失語症に因る言語障害の影響だ。


特に電話は――相手の言葉を理解し、自分の言葉を紡ぐまでのタイムラグが大きくなってしまうのである。



『毎日じゃなくても――たまにお話しよ?』


「でも、俺はもう、お前の――」


、って、言いたいんでしょ?


――さっきも言ったじゃない?、今の私は――だって』



「……」


優斗が少し返答に困り、紡ぐ言葉に困っていると、奈津美は笑いも交えた声で――


『――モテないアラサー同士で、寂しさを紛らわすために、語り合うのも一興じゃない?』


――と、自分の思惑をこう表した。



「解った――俺も、どうせ暇人だから、お相手しましょう――カッコよくない、片麻痺のホストで良ければ、ご指名ください」


優斗は、からかう様にそう応じた。


『決~まり!、じゃあユウくん――


奈津美は、"またね"を殊の外強調して、電話を切った。



それから二人は、頻繁に連絡をとるようになり、こうして、たまには会う間柄となった――いや、と、言うべきかもしれないが。






「ナツ、この辺で鉢合わせるってコトは――実家に来たのか?」



優斗が、小学校跡から折り返して来ている事は書いた通りだが、今、奈津美がクラクションを鳴らしたのは、二人が共に子供時代を過ごしたアパートの近くであった。



「うん、母さんの様子を見に――ね」


奈津美の母、奈緒子は引っ越す事なく、あのアパートで今も暮らしている。



優斗は――


『ナツにも、母さんに手を合わせて貰ったから――』


――と、奈津美の父の仏前に参りたいと申し出て、実に20年ぶりにそのアパートに訪れた。



奈緒子は、優斗の事をよく覚えていて――懐かしい話にも花が咲いた。



「ところで――車に乗れって、どういう用よ?、俺はトレーニング中だったんだが?」


「解ってるけど、結構暑くなってきたカンジだからねぇ――ならぬ、させて貰ったの」


奈津美はそう言って、カーエアコンの冷房の出力を上げた。


「頑張ってるのは知ってるけど――ムリをしちゃあダメだよ?


丁度、ユウくんのアパートにも寄るつもりだったから、送ってあげる」


「ウチに寄るって――やっぱ、俺に用があるのか?」


「……うん」


奈津美はソコを突かれて、ちょっと困った顔をしている。



「――なんだよ?、別に勿体ぶらくても良いだろうよ?」


「あ~――じゃあ、聞いちゃおうかぁ」


「"聞く"って、何か、俺について知りたい事が?」



「――よし!、じゃあ、コンビニでお弁当でも買って――ドライブしよ!」


「へっ?!、何でそうなる?」


「――良いから、良いから!、じゃっ、しゅっぱ~つ――!」


奈津美はシフトレバーをD《ドライブ》に入れて、派手なピンクの車を発進させた。

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