決意
決意
――カシャ!、カシャ!…
札幌競馬場のスタンド近くに、カメラのシャッター音が響いている。
「う~ん!、良いね、良いよぉ~!」
カメラマンが動きながら、色々な角度から写真を撮っている。
「はっ、はぁ……」
――と、戸惑い全開で撮影されているのは、なんと翼だ。
「よ~し!、ソコで笑って、目線をくれるかなぁ?」
「こっ!、こうでしょうか?」
翼はぎこちなく、引き吊った笑顔をカメラに向けた。
「――なあ、翔平」
「――なんすか?、謙さん」
「俺たち――何、やってんだろうな?」
――と、グチを溢しながら、スタンドからその様子を眺めているのは、翔平と佐山である。
成実分場で優斗と出会ったあの日から、約1ヶ月が経ち――JRA北海道シリーズも後半戦、札幌へと舞台を移していた。
今日は、週刊キャンターからの取材依頼が、翼にあり――二人は、一種の"付き添い"でここに来ている。
――ところが、始まったのは、アイドル顔負けのインタビューや撮影で、それを見守る二人は呆れていた。
「――ったく、ウチの
佐山は、顔をしかめて、撮影風景から眼を逸らした。
「何でも――競馬場の広報さんに、頼み込まれたらしいっすよ」
この取材は、競馬場内の施設紹介や、開催予定のイベント告知など、来場者を増やす目的なので、JRAの広報も一枚噛んでいる企画だ。
「――でも、イマイチ何をするか解らないから、俺たちが付いて行くように言われたんじゃないっすか?」
翔平は、そう言いながら、佐山の方を向いた。
取材を了承したまでは良かったが、同行するカメラマンというのが、グラビア雑誌の撮影で有名な男だったので、海野は――
『みっ!、水着にでもされたら大変(?)だ!、くれぐれも注意を払って!』
――と、二人に同行を命じたのである…
「競馬場で、水着になる訳、無いだろうよ……それに、札幌は内陸だぜ?
あ~あ、今週の全休、パァだぜ」
佐山はダラァ~ッとうなだれて、溜め息を漏らした。
「よ~し!、そこでソフトクリームを舐めてくれるかな?」
「はっ、はい!」
翼は、慣れないこんな
「翼のヤツ、表情堅ぇな~、アイツは――馬の側に居る方が、可愛い表情になるのに」
「おっ!、観てんじゃねぇか~♪、翔平!
やっぱ、成実に行った時――何かあったな?、急に騎乗が良くなったって、色んな人が褒めてたしよ。
どっちかが、告白したって噂も――」
「んな事、ある訳ないでしょうよ、そもそも、何で相手が俺なんすか?
それに――成実での事は、全部話したでしょう?、"あの人"に会えたって」
――では、翔平が言う様に、あの日、あの後、何があったのか――それも少し、話しておこう。
一通り、クロテンとの再会を果たした一行(※優斗たちも含む)は、そのまま石原の自宅へと招かれた。
石原の自宅は、牧場から車で10分ぐらいの所にある。
周りには農家が多く、田畑が囲む閑静な場所で、少し寂しくも感じるトコロだ。
石原は、そんな所に居を構え、一人で暮らしている。
彼は、千葉県の出身だったが――クロダ牧場に、それこそ骨を埋める覚悟で、移住したという。
その優しげな風貌と言動には似合わない、なかなか気骨のある男であった。
だが、残念ながら子供には恵まれず――たった一人の家族だった妻も、10年前に亡くし、全てを捧げるつもりだったクロダ牧場も無くなってしまった。
端から見れば、有意義に田舎暮らしを満喫している老人に見えるだろうが、彼は――孤独である。
そんな彼にとって、こうして客人を迎えるのは実に久しぶりだ。
思えば――翔平たちを招いた目的も、寂しさから来たモノかもしれない。
「――そうですか、昭夫さんと水洗いを」
「ええ、作業は一人で、でしたが、事務所で会った時とかに、クロダ牧場での事も色々と聞きました」
優斗と石原は、かつてクロダ牧場の従業員だったという優斗の元同僚、斉藤昭夫についての話で盛り上がっていた。
「牧場に居る時は、養鶏場から降りて来た昭夫さんを見かけて、会話する事なんかもありましたねぇ」
石原は、にこやかに笑みを見せ、在りし日の光景を懐かしんだ。
「うわぁ――皐月賞、菊花賞……天皇賞や、有馬記念のもある……」
石原家のリビングに飾られた、生産者として供与された各GⅠレースのトロフィーを観て、女性陣(※奈津美&翼)は溜め息を吐いた。
率直に言って、石原の家は豪華な造りだ。
北海道の片田舎という場所柄で、土地が安いという妙があれど、この立派な家は"クロダ軍団の右腕"とまで評された、彼の能力があっての賜物であろう。
「まるで、ゲームの中みたいだよぉ~!」
翼が騎手を志したのは、競走馬育成SLG《シミュレーションゲーム》をプレイした事がきっかけである。
そんな彼女にとって、まさにココの光景はそう見えるであろう。
(――いつか、一つだけでも自分の部屋に)
――と、改めて決意を固めた翼であった。
8大競争のトロフィーが、桜花賞から順番に並べられたショーケースを見て――翼と一緒に眺めていた奈津美は、ある事に気付く
「――あれ?、ココだけ……抜けてる?、えっ~と、桜花賞、皐月賞、オークス――」
オークスの次には、少し間隔が空けられていて――菊花賞のトロフィーが置かれていた。
「そこには、ダービーのトロフィーを置きたかったんですよ。
叶いは――しませんでしたがね」
石原は、そのショーケースの空白部分を触った。
クロダ牧場の馬は、ダービーを勝っていない。
『長距離のクロダ』の異名で、名を馳せていながらだ。
オーナーの黒田源三郎は、危篤の病床で亡くなる寸前まで――
「ダービーを獲れんかった事が、生涯一の心残りだ」
――と、言い残している。
「未練タラタラな置き方でお恥ずかしい――でも、ココを、別のモノで埋めるのには躊躇われてね」
――と、石原は虚ろな目線を、ショーケースに向けて目を泳がせた。
「GⅢ、GⅡ――特別戦のモノまで。
ちょっとした"クロダ記念館"じゃないですか」
翔平も、飾られた記念品を見詰め、そう言って溜め息を漏らした。
その後、石原は豪勢に出前なども頼んで、4人を手厚く歓待して――
「翔平くん――それに、臼井さん」
――と、箸の手を止め、石原は並んで座った二人を凝視する。
「――なんでしょうか?」
翔平も優斗も、箸の手を止め姿勢を正す。
「今日の事で――決めたよ。
テンユウは――絶対に復帰させる。
たとえ、何年掛っても――たとえ、勝てない能力になっていても――だ」
石原は、決意に満ちた表情で、二人にそう宣言した。
「……石原さん」
「私は――改めて確信したんですよ」
石原は、二人に微笑みかけ、結論に至った理由を語り始めた。
「私がこうして――オーナーから馬主業を引き継いだのは、
でも――今日の様な出来事を思うと、テンユウ……いや、今の"クロダ"の馬は、
私や
石原は、自分を皮肉る様にそう笑って――
「その私が、"勝てないのなら、辞めさせる"なんて、"儲からないなら処分する"だなんて、言えない――ファンが観たいのは、
それに――
「――石原さん!」
「臼井さん――これからも、テンユウの事、応援してやってください」
石原は、立ち上がり、深く、優斗に頭を下げた…
「そんな!、頭を上げてください!
私はただ、勝手に応援していただけで――」
「――その気持ちがあるから、馬も、
綺麗事だと言う人も居るかもしれないが、私は――そう思いたいと、今日、改めて思いました」
石原は、今度は翔平の方を向いて――
「翔平くん――勝てない馬となれば、由幸くんやキミには、荷物を背負わせる様な形になってしまう。
それに――由幸くんとの話し合い次第では、縁だって途切れるかもしれないが、そうなったら、キミとも――」
「そこから先は、言わないでください!
ウチの先生は――確かに、理詰めで有名ですが、それほど"情"が解らない
「――そうです!」
――話を漏れ聞いていた翼が、翔平の隣に行く。
「先生はっ!、私の様な者も、快く受け入れてくれました!
『女騎手は、只の"客寄せパンダ"だ』
――なんて、言われているのにです!
そんな先生がっ!、テンくんの帰厩を拒否するなんて事、するはずがありませんよぉっ!」
翼は――何かを思い出したかの様に、大粒の涙を流した。
「私は……私たちは――」
翼は涙を流したまま、今度は険しい表情に変え――
「――応援する者ではありませんっ!、一緒にっ!、戦う者です!」
「麻生騎手――涙を、拭きなさい……」
石原はティッシュを翼に渡し――
「テンユウは――本当に、幸せ者だよ」
――と、つぶやき、今度は自分が涙を流していた。
石原の家から函館の宿舎に戻った翔平と翼が、早速、海野にクロテンの復帰方針を伝えると――
『――受け入れるに決まっているじゃないか!』
――と、海野は二つ返事で石原の方針を支持し、海野厩舎所属としてクロテンが復帰する事が内定した。
あの日以来、翔平は――
『クロテンが戻った時のために、自分も成長していなければ!』
――と、奮起して仕事に取り組み、翼は何かが吹っ切れたかの様に、あの週に待望の2勝目を上げ、騎乗にも積極性が戻った。
(何かあったとすれば、翼のあの涙だけど――それは、本人に口止めされたしな)
翔平は、撮影の様子を、頬杖を突きながら観て――
(アイツはアイツで――ツライ思いもしてたんだなぁ)
――と、あの時の翼の発言を思い出し、苦虫を噛む様な顔を見せた。
(まっ、それをぶちまけて、スッキリしたなら万々歳だ)
翼は2勝目に苦労していたのが嘘だったかの様に、函館開催中にさらに3勝目、初めて、特別戦でも勝利を上げていた。
成績が良くなった事を、色恋沙汰に結びつけるというのは、彼女がうら若い乙女だとしても、それは佐山やその噂を流した者の、何とも浅はかな連想だろうと、翔平は思っていた。
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