邂逅(後編)

「――お二人を、療養馬用地にお連れしたいんです。


どうにか、お願い出来ないでしょうか?」



一旦、観光客用の駐車場に戻った優斗と奈津美――そして、翼も、奈津美の車に同乗する形になり、そこで翔平に電話を掛けていた。



今、翼と話しているのは――翔平と替わった石原の様である



「はい――はい、解りました!、ありがとうございます!


先程降りた道路を道なりに――でしたよね?、では、お連れします!」



――ピッ



「OKです!、えっ~と――小野さん!、出会ったところの一本向こうにある、十字路の坂を登ってください!」


「はっ!、はい!、じゃっ!、じゃあ――」



自分の車に、今話題のアイドルジョッキーが乗っていて、自分の名前を呼んでいる――フツーなら考えられない状況に、奈津美はもうすっかりになっていた。



奈津美は車を発進させようと、シフトレバーを掴んだ――


「おい――待て、ナツ」


――が、優斗は右手で奈津美の手を握って制止した。



「えっ?」


「麻生騎手――悪いけど、俺たちは行かないよ。


俺たちは、部外者なんだし」


優斗の言葉に、翼は顔色を変えて、後部座席の真ん中の間から身を乗り出した。



「――ですから、ちゃんと許可を頂きました!


馬主の石原さんも、是非にと――」


後部座席から顔を覗かせた翼は、超至近距離で優斗の顔を凝視する。



「うっ――そっ!、それに!、あの十字路を登るなら尚更!、コッチも種々いろいろ事情があるんですっ!」


美少女にこの距離で見詰められては、さすがの優斗もタジタジだが――彼も、肝心な部分は曲げない。


「ナツ――十字路まで乗せてあげて、それで帰ろうぜ。


こんな事になって、アカツキ観れなくなって、悪いけどさ」


優斗は、この不可思議な状況から、とにかく逃げようと奈津美を急かす。


「アカツキの事は良いんだよ、今、それ以上の経験をしてるし――でも、ユウくんは、クロダテンユウに会いたくないの?」


奈津美は、優斗が掴んだ手を解き、優斗の表情をうかがう。


「ずっと、応援していたんだし――こうして、関係者の方も是非、会って欲しいと仰ってるんだから」


すると、優斗は顔をしかめ――


「――あの時も、言ったろ?


俺みたいな、死に損いが応援してたら、あの馬にも死神が憑いちまうって」


――そう言って、二人から目線を逸らした。



「もう……そのハナシは、あの時で終わったはずでしょ?、そんな事――」


「――そんな事、思わないでくださいっ!」


――と、奈津美が言うより先に、翼は優斗の右手を包み込む様に握り、ジッと俯く。



「へっ?!」


優斗は――驚いて、翼の方に向き直る。



「――先程、小野さんから経緯を聞きましたが、誰も、そんな事を思いませんよぉ……逆に、私たちは――臼井さんのお手紙から伝わる、テンくんへの愛情や熱意を知って、自分たちはそんな"宝物"を育てている、そんな宝物たちの背中に乗っているんだって、思い知らされているんです」



顔を上げた翼の瞳には――いっぱいの涙が溜まり、今にも零れ出さんと満ちていた。



「確かに――競走馬とは、只の経済動物であり、遊興マネーゲームの道具に過ぎなくて、賭け事の対象でしかないのかもしれません――どんなに、私たちが、心を込めて取り組んでいても、それが現実だとは解っています。


そんな業界せかいで暮らす中――臼井さんからのお手紙を読んで、ファンの方たちにも、私たちのそんな戯言めいた思いだって、ちゃんと伝わっている事を実感させて貰ったって、担当厩務員センパイは言っていました――読み聞かせて貰っていた、テンくんにだって、きっと、その気持ちは届いていると思います」


翼は、握った優斗の手を持ち上げ、自分の顔の前に掲げた。


「――だから、一人と一頭――いえ、"二人"は、絶対に臼井さんに感謝していますっ!、死神が憑くだなんて、怨んでいるなんてっ!、そんな訳がありませんよ!


ですから――ですから是非っ!、会ってあげてください!」


――翼は、あえて翔平とクロテンを、"二人"と表現して――優斗に懇願した。


「あっ、麻生騎手――」


優斗は、少し困った表情で、翼の手を左手で握り返し――


「――解りました、行きましょう」


――と、療養馬用地に行く事を承諾した。


「……っ!、あっ――」


翼は、嬉しそうに顔を緩め――


「――ありがとうございます!」


――そう言って、さらに優斗の右手を強く握った。




――キキキィッ!




石原の車の後ろに、奈津美の派手な軽自動車が停まった。



その様子を、クロテンは、翔平に首を撫でて貰いながら観ていた。



「センパイ!、テンくん!」



後部座席のドアが開き、先に降りて、手を振っているのは翼である。



クロテンは、翔平の元からするりと離れ、翼の登場を首を縦に振って喜んだ。



そして、その車から、更に二人の人間が降りた。



「!」


翔平は目を見張った。


そして――降りて来た、杖を突いた男の姿を見て、身を震わせた。



(この人が――"手紙のあの人"なのか?)



――左手で杖を突き、右側は女性に支えられ、弱々しい歩様で――"あの人"は、放牧地の柵の前に来た。



翔平は、ゴクリと唾を飲んだ――瞳には、涙も浮かべている。


「……」


翔平は、更に何も言わず――ただ、深く……深く、頭を下げた。



クロテンは――『誰だ?』と言わんばかりに、"その人"の姿を凝視し、まだ遠目ではあるが、ニオイを確認しようと鼻を動かす。


すると――クロテンは、何かに気付いた様に、またも柵の近くまで、少しだけ駆け出した。



「――おいっ!、クロテン!」


翔平は突然、クロテンを叱る様な声を出して追いかける。


柵の近くでクロテンを抑えた翔平は、その手綱を持ちながら移動柵をずらし、優斗を牧草地に招き入れた。



「……どうも。


確か――高城さん、でしたよね?」


「はい――えっと、臼井さん……ですね、はじめまして」


二人は、そんな他愛の無い会釈を交わす。



「クロテン――いや、クロダテンユウに、いつもお手紙をくださって……ありがとうございます」


「いえ――こちらが勝手に、やっていた事ですから」


――と、挨拶を交わす二人の下に、翼を始め、皆が集まり出す。



(――そうかっ!、黄色い車のっ!)


石原は、クロテンが優斗に寄って行く姿を見て、思い出した事があった――ほぼ毎日、午後になると、上の養鶏場から降りてくる――派手な黄色の車体が印象深い自動車。


幼かったクロテンは、その姿を見かけると、小躍りでもする様に牧草地を駆け回って居た事を。



「臼井――さん、馬主の石原です」


石原は、優斗に握手を求めた。


「これは――!、どうも……」


優斗は杖を柵に立てかけ、石原と握手する。


「……違っていたら、申し訳ないが――養鶏場の?」


「はい、以前、勤めていました――今は、こんな身体なので辞めましたが」


「御病気だと、麻生騎手からは聞きましたが……」


「はい――脳出血です」


「!、それは――お気の毒に……」


石原は、顔をしかめてうな垂れた。


「では、手紙が途切れたのは?」


翔平は、手綱を大田に渡し、会話に加わる。


「ええ、入院も長かったですし、利き手がダメになって、字は書けなくなったので」


「そうでしたか」


翔平は、納得した表情で、何故かホッと胸を撫で下ろしたかの様に眼を閉じた。



その時――



――ヒヒ~ン!



「うわっ?!」


クロテンは、大田が握る手綱を振り解き、翔平と優斗の元に近付こうとする。



「!、クロテンっ!、よっ――、と!


翔平は、巧みに手綱を拾い上げる


「あっ!、危ない!、暴れて怪我でもさせたら」


「大丈夫ですよ――クロテンも、臼井さんと話したいんでしょう」


翔平はそう言い、クロテンの鼻面を撫でる。


「しかし――ただでさえ、部外者の方を入れるのも不味いのにぃ」


「大田さん――私が全て、責任を負いますから、翔平くんに任せて貰えませんか?」


石原がそう頼むが、大田は厳しい表情を崩さない。


「――大田さん」


「えっ!?、あっ、麻生騎手!」


「お願いします――センパイも何か、感じるモノがあっての主張だと思いますから」


「はっ!、はい、そうですね。


まっ、まあ良いでしょう」



びしょうじょからのお願いに、大田はあっさりと陥落した。



「――ほら、クロテン。


いつも、手紙をくれた人だぞ」


翔平が手綱を緩めると、クロテンは擦寄る様に優斗の元へ近付く。


優斗は、目の前に立ったクロテンは、ジッと優斗の瞳を覗き見る。


「――久しぶり、かな?


こうして目の前で成長した姿を見ると、幼駒の頃とは全然違うから、実感沸かないな」


優斗は、そう言って照れくさそうに、頬を掻いた。


「ユウくん――私と再会した時の#表情__かお__#と似てるね」


微笑ましい優斗の反応に、奈津美は笑顔を見せる。



「触っても――大丈夫ですか?」


――と、奈津美が翔平に尋ねると、彼は無言で頷いた。


「うわぁ――柔らくて、暖かい……当たり前だけど、"生きてる"って、実感しますね」


奈津美はそう表現して、クロテンの毛並みを撫でた。


「ほら、ユウくんも――」


――と、奈津美が促そうとするより先に、クロテンは優斗に鼻先を伸ばす。


そして、クロテンは鼻面を優斗に近付け、クンクンとニオイを嗅いだ。



クロテンは、何かを探すように、優斗の全身のニオイを嗅ぎ、ジッと優斗を見詰めて――



トンッ――



「――えっ?!」


――と、翔平も、翼も、そして、優斗も驚きの声を挙げた。



――クロテンは、優斗の右肩に鼻を付け、ジッと動かない――まるで、耳元で何かを詫びる様な表情で。



こんなクロテンの姿は――翔平も、翼も、もちろん石原も見た事が無い。



「――あっ」


優斗も――何故か、感極まって涙を流す。


「お前は――お前はぁっ!、何も、悪くないよ……」


優斗は、涙を拭う事もせず、クロテンの毛並みを撫でた。



「――翔平くん、テンユウの行動の意味……解るかい?」


石原は、その様子を観たまま、翔平に問いかける。


「ええ――まるで"勝って、応援してくれている人を励ますのが、自分の立場なのに、怪我して、走れなくて、すまない"――とでも、言っている様でしたよ」


翔平は、もらい泣きをしてしまい、流れた涙を拭う。



――クロテンは、優斗の肩から離れると、踵を返して翔平と石原の方に向き直り……彼は、鋭い眼光で、二人を凝視した。



「これは、私にも解るよ――」


石原は、ニヤリと笑って――


「――"戦わせろ!"って、言うんだろう?


『それが、自分が出来る、唯一の事だから』と」


石原も、まぶたから涙を溢した。

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