邂逅(前編)

(う~~ん――空気が美味しい!)


少し歩いた所で、翼は大きく深呼吸した。



(牧場って、あんまり来た事無いけど――良いなぁ♪)


翼が、こうして牧場を訪れたのは、競馬学校の実習以来だった。


翼は観光用地に向け、牧場の施設を遠目に見ながら歩いている。


(やっぱり――北海道って、生えている樹まで本州とは全然違う)


道端の樹の幹に触れ、翼は自然の偉大さを改めて知った。



「――ウくん、ゆっくり……」



(――あっ、観光客の人だ。


帽子が無くても、大丈夫だとは思うけどなぁ?)


前を歩いている、二人の観光客らしき人影に気付き、翼は少しだけ不満気に、帽子をさらに深く被る。



そして、追い抜かないように、意識的に歩くスピードを落とした。



「――ぇ、ユウくん、クロダテンユウは、いつもどの辺に居たの?」


「向ってるのとは、逆方向だよ。


コッチは――あんまり来た事無いな」



(――カップル、かなぁ?


デート中に、テンくんのハナシだなんて――なかなか良いシュミだわ!)


……何が、"良いシュミ"なのかは解からないが、カップルらしき男女の観光客が、クロテンの事を話しているのを見て、翼は喜んでいる。


よく見れば、男性の方は杖を突いている――怪我でもしているのだろうか?


(でも――今のハナシだと、彼氏さんはテンくんをココで観た事ある人?)


翼は、その不思議な会話が気になり、下品ではあるが聞き耳を立ててみる事にした。



「そういえば――手紙、再開したの?」



(――えっ?)



「いや――やっぱ、字は無理だ。


退院かえってからも、頑張ってはみたが……」


「――パソコンで打つのは?


発症したのは1月――6ヶ月は過ぎても、効果はゼロじゃないから、続けた方が良いよ?」


「ウチのパソコン――プリンター無いのよ、ネットブックだからさ」



(――?!)



翼も、"あの人"からの手紙が、1月を境に途絶えた事は、翔平から聞いていた……!



「それに――俺みたいな、疫病神からのファンレターじゃ、届いたら怪我が長引くぜ」


「もうっ!、まだそんな事を――」



(――っ!!!)


翼は、という単語を聞き、ゴクリと大きい唾を飲んで――


「あのっ!、すいません!」


――意を決して、そのカップル?に声を掛けた。



「はい?」


「あのぉ――間違っていたらすいません。


もしかして――クロダテンユウに、デビュー前からファンレターを送ってくださっていた方……では?」


「えっ?!」


杖を突いた男性は、恥ずかしそうに赤面した。


「――ユウくんっ!、きっと関係者だよ!


あのキャップも、きっとクロダのKだしっ!」


女性の方も、突然の出来事に興奮し、丸聞こえのボリュームで男性に耳打ちをする。



「そうなんですよ~!


クロダテンユウが、まだ幼駒こどもの頃に、縁が有ったらしくて」


さらに女性は、男性とクロテンのエピソードを語り出した。


「ファンレターまで送ったりしてたんですけど――脳の病気を患ってしまって、春ごろまで入院してたんですよ~」



それを聞いた翼は、フルフルと身体を震わせた。



翼は、女性の話を聞いて、頭の中のパズルのピースは全て繋がったっ!




――ガバッ!



――と、翼は男性の右手を強く握った。



「へっ?!」


その時、翼が被っている帽子は、頭上からはらりと地面に落ちた。



「えっ――?!、麻生……騎手!?」


――目の前に現れた、テレビや新聞で見覚えがある、小柄な可愛らしい美少女の顔を見て、女性はあんぐりと口を開けた。



翼は男性の手を握る力を強め、その彼女の手はまだフルフルと震えている。



「お願いしますっ!、一緒に――一緒に、来て頂けませんか?」


「えっ?!」


「テンくんの――クロダテンユウの所へ!」





緑の絨毯が敷き詰められたかの様な牧草地を横目に、石原の車は山道を登る。



山道、とは言っても、この牧場内の道路はキレイに舗装された、成実市の市道の一部だ。


その道路を挟む形で、牧草地を造成したのがクロダ牧場――いや、"白畑F成実分場"の造りである。



ブロロロロロッ――



対向車線を、大きなトラックが駆け抜けて行く。


だが、その形は馬運車とはまるで違う。



「石原さん、今のは?」


――と、翔平は競走馬とは関係なさそうな車の通過について、いぶかしげに石原に尋ねた。


翔平が輸送に同行した時は、牧場の入り口でクロテンと別れたので、こうして敷地の奥に踏み入れるのは初めてである。



「ああ、このの上には、養鶏場があってね。


そこには、食肉処理施設も併設されてるから、その関係でああいう車も通るんだよ」


「――肌馬(※繁殖牝馬の事)や幼駒に、悪影響じゃないんですか?、騒音とか」


「あれに脅える様な馬じゃ、競馬場に連れて行けないだろう?


逆に――こういう環境に居るからこそ、精神面が図太い――そう言われたモノだよ、クロダの馬はね」


「そういうモノですか」


坂が急になってきて、石原は少しだけアクセルを踏み込む。


「おっ、見えてきたね。


キレイな尾花栗毛が!」


「あっ――!」


窓の外に"アイツ"の姿を目視した翔平は、パワーウィンドウのスイッチを押して窓を開けた。


「――お~い!、クロテ~ンっ!、来たぞぉ~っ!」




牧草地の柵の近くに車を停めた、翔平たちの姿に気付き、クロテンは柵越しにまで近寄って来た。



「おいおい、喜んでくれるのは嬉しいが、無理しちゃダメだろ?」


翔平は車から降り、伸ばしてきたクロテンの首を掴まえて、たてがみを撫でてやる。



「クロダテンユウ~!、どうしたんだ――って!?、君!、一体何を!?」


成実分場でクロテンを任されている大田が、悪戯か何かと思い、翔平を叱責した。



「あっ!、すいません――」


翔平は、我に返ったかの様に手を離す。


「ああ――大田さん、先に来てて申し訳ない。


お呼びしてからと思ったんだが、テンユウに気付かれちゃってね」


「――っと!、石原オーナー?!


――という事は、彼が?」


石原に気付いた大田は足を止め、クロテンがじゃれついている青年の顔を凝視した。


「ええ、彼が、連れて行くと言っていた、海野厩舎でのテンユウの担当さんですよ」


「そうですか――あっ、あのぉ……麻生騎手、は?」


大田は、魂胆が見え見えな表情で、姿が見えない翼の事を尋ねた。


「彼女は、アカツキを観てみたいと、先に観光用に行きましたよ」


「えっ!、そうなんですか……」


大田は、実に残念そうに肩を落とした。



「あの――クロテンの怪我の具合は?」


落ち込んでいる大田に、翔平は間髪入れずに真剣な表情で尋ねた。


「あっ!、そうだよね――うっ!、ううん!」


大田は、咳払いを一つして、二人を見回し――


「かなり良いですよ。


来週辺りに、もう一度レントゲンを撮ってみて――その状態次第で、運動を再開する方針でいます」


「!、本当ですか?!」


翔平は瞳を輝かせ、嬉しそうに拳を握った。


「――私たちも、驚いていますよ。


あの重症で、ここまで動ける様になるだけでも凄い――しかも、それをこの短期間でというのは。


こう言ってはなんですが、私たちとしても、彼に関わった事は、良い経験になりますね」


「では、復帰のメドも――?」


翔平は身を乗り出して、大田に詰め寄る。


「そっ、それは――」


大田は、口を濁して後退りする…


「翔平くん――気持ちは解るが、一辺に尋ねては失礼だよ」


――と、石原は翔平を諌めた。


「あっ――すいません」


翔平は一歩引いて、大田の言葉を待つ…



「――そればっかりは、運動を再開して、調教まで持っていけるか?、レースに出せるか?、それらを一つ一つ、慎重に、手順を踏まなければね。


それに、その後は――能力の減退が、どの程度かも判断しなければ」


「そう――ですよね。


出しゃばってすいません」


翔平は、石原と大田に向けて頭を下げた。



「いやはや――石原オーナーから聞いた通りだね~っ!


『担当さんは、馬主以上に彼を愛しているんだよ』


――と、おっしゃっていたからね」


大田は笑みを浮かべながら、翔平の肩を叩いた。


「いっ、石原さ~ん……そんなコトまで?」


「はっはっはっ!」


大田と石原がそう言って笑い合い、翔平をからかった――その時!



ブゥ~ン――、ブゥ~ン――



――と、翔平の携帯のバイブレーションが動いた。



「あっ!、ちょっとすいません――」



着信音に、馬が脅えてはいけないので、常に鳴らないようにするのが、馬に関わる者たちにとっては、文字どおりの"マナー"である。



翔平が慌てて、携帯をポケットから出すと、そこに表示されている名前は――


「――翼?」


「えっ!?」


――翔平のつぶやきに、鋭敏に反応したのは大田である……それも、先ほどの翔平並に瞳を輝かせて。



「――どうしたぁ~?」


翔平は、ぶっきら棒に電話に出た。



『――セッ!、センパイ!』


翼は、慌てた口調で話している。



「――?、なんだぁ?」


翔平は、やたらと興奮している様子な翼の声に違和感を感じた。


『もっ!、もう――テンくんのトコ!、着きました?』



「ああ、着いてるよ。


――さては、その焦った口調……道でも迷ったかぁ?」


『――ちっ!、違います!、それどころじゃないです!』


翼の尋常ではない応対に、翔平は顔色を変えた。



「――!?、おい……翼っ!、まさか、怪我でもしたか?!、何があった?!」


『それも違います!、――見つけたんですっ!!!』


「……?、見つけた?」


『――あの人です!、あの人っ!、"手紙のあの人"が、居たんです!!!』


翼の言葉に、翔平は一瞬驚きを見せたが、翼の解りづらい説明でイマイチ状況を把握出来ない。



「へっ?!、お前――何を言って?」


『あ~~~っ!!、センパイ!、とにかくっ!、石原さんと替わってください!!!!!』


翼は、上手く言葉にならない自分と、理解してくれない翔平の応対に苛立ち、電話を石原と替わるように要求した。


「――石原さん、翼が替わって欲しいとぉ……」


「えっ――私に?」


翔平は、携帯を石原に渡した。


「もしもし――はい、はい……うん、解りました。


ちょっと、待っていなさい――」


携帯を手渡した後も、翔平は呆然としたまま、翼が言った言葉を頭の中で巡らす。


(……"あの人を見つけた"って、どういうコトだ?!)

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