帰宅

「――よし」


翌朝、自分で荷物をまとめた優斗は、迎えに来る智恵子たちを待っていた。



「臼井さん」


病室にやって来たのは、中村と浅井――そして、三城がやって来た。



「最後のご挨拶に参りました」


――と、中村は握手を求めて左手を差し出す。


「ありがとうございます、お世話になりました」


優斗も、それに倣って中村と握手を交わす。



「私もです。


ご苦労様でした~、♪」


浅井は、またも奈津美のモノマネを交え、挨拶した。


「浅井さん……」


「ナッちゃんがお休みだから、代わりに♪、コレを聞かないと寂しいでしょ?」


「ナツとは昨日、ちゃんとお別れしましたよ!」


優斗がそう応じると、浅井はさながら井戸端会議のおばちゃん風情に、口元に手をやり――


「あらぁ~~?、お別れだなんて、意味深な言い方だわぁ……さては、あの密室で……」


――と、ニヤニヤしながら言う。



「あらまぁ、ホントっ!?」


――と、隣に立っている三城も、この"ネタ"に絶妙なタイミングで応じた…


「三城さん……このアラサー人妻に、付き合わんでもいい」


「えへへ♪」


「寂しいのは――あんたらが、俺とナツをオカズに出来なくなる事の方じゃないの?」


「そうなんですよ~!、もうちょっと居てくれません?」


「――ったく」


優斗は、もう慣れたこんなやりとりを噛み締め、顔を綻ばせる。


「あっ、私は、ご挨拶だけではないですよぉ~はい、臼井さん、最後の検温」


三城はそう言って、体温計を優斗に手渡す。



「――用意、バッチリですね」


中村は、ベッドに並べたバッグに目をやり、そう言った。


「まあ、ね。


やっぱり、時間はかかったけど」


「そうですか、じゃあ、臼井さん、コレも――」


――と、中村は小脇に抱えていたコピー用紙の束を差し出す。


「……?、これは?」


「例の小説、プリントアウトして来たので」


中村が持ってきたのは、昨日でキッチリ仕上げた、例の二次創作小説の原稿である。



「えっ?!、わざわざ?」


「ええ、一所懸命に取り組まれた作品ですし」



退院が決まってから一ヶ月、優斗は作業療法の時間を全て、この二次創作に費やした。


ソレに熱中した事は、思わぬ効果を上げた。


積極的に右手を動かした事で、半ば諦めていた、箸を用いての食事が出来るようになったのである。



優斗も、入院当初は、"遊んでいる"と揶揄していた作業療法だったが、こうして効果を自身で味わうと、そう思っていた自分が恥ずかしかった。



原稿の束を手渡された優斗は、感慨深げにそれを見詰める。


「あっ!、私、ちょっと読ませて貰いました。


ザンガムを、ああいう切り口で描くとは……やりますね」


三城は、そう言いながら、ピピッと鳴った優斗の脇から、体温計を抜き取る。



三城は――実は、いわゆるアニオタ女子である。



そして、看護士という激務をこなしながら、自作のコスチュームを身にまとい、コスプレイベントにも顔を出す"筋金入り"の、コアなレイアーでもある。


そんな彼女が言った、"ザンガム"というのは――優斗の作品の原作元ネタの作品名だ。



ザンガム――正式タイトルは『機動兵士ザンガム』という、ロボットアニメで、優斗が生まれる前からシリーズ化されている人気作である。


内容はというと――未来の地球で起こる、人間同士の宇宙戦争を描いたモノだ。


優斗が描いたのは、そのザンガムのサイドストーリーを創作したモノだった。



「そうか?、ありがちなヤツに収めちゃったなぁ――って、悔やんでいるんだが」


「あっ、勘違いしないでください?、あくまでもですよ?


本筋の裏に、オリキャラのスパイを主人公にするっていう、着眼点は良いなって思いましたけど」



三城も、このザンガムシリーズが好きで、コスプレもそのヒロインを模したモノがほとんどである。



「やっぱ、ザンガムファンは手厳しいねぇ~」


優斗と三城は、共にアハハと笑い合う。



こういう――たわいの無いやりとりが、入院が長期化する事が多いこの手の病院ならではの光景なのかもしれない。



「中村さん――コレ、いいや」


優斗はそう言って、原稿の束を差し出す。


「えっ?」


「何を書いたかは、頭の中に入ってるしね」


「そう――ですか」


中村は、少し怪訝そうに原稿を受け取った。



「――では、臼井さん、ご苦労様でした」


浅井はそう言い、中村と共に優斗に向けて頭を下げた。



「ええ、みなさん、お世話になりました――ナツにも、よろしく伝えてください」



「私も、"とりあえず"はこれで――お迎えの方がいらしたら、伝えてください。


お薬とか、お渡しする物があるので」


三城もそう言って、自分の仕事に戻る。


(さっ、もう少しだ――)



程無く智恵子と佐和子が到着し、手早く入院費の清算などを終え、いよいよココともお別れだ…



「三城さん――杖、ありがとう」


優斗は病院から貸し出されていた杖を、三城に手渡す。


「優斗――はい、繁さんの杖、持って来たよ」



優斗はこの間の説明の後、智恵子にが必要になる事を話し、アパートの押入れに仕舞い込んでいたはずの、父が使っていた杖を持ってくる様に頼んでいた。



「ありがとう――さあて、これで本当に準備OKだ」


「これ、さっき言った、"お渡しする物"です」


「ありがとう、三城さんにも――お世話になりました」


「臼井さんも……お元気で」


「――じゃ」



優斗は――ついに退院した。






泉別病院に来た時と同じ道を通り、優斗を乗せたタクシーは晴部市に入る。



程無く、晴部市立病院の前に差し掛かるが――車は、そのまま優斗のアパートの方に向う。



「――帰って、来たんだなぁ……」


優斗は、感慨深げにタクシーの窓を見る。


子供の頃から見慣れた景色を見て――優斗は、涙を流した。



「ああ――帰って……来たんだっ!、頑張った――あんたは頑張ったよ、優斗」


隣に座る佐和子は、優斗が泣き出す姿を観てもらい泣きしている。



助手席に座った智恵子も、そして、何故かタクシーの運転手も、鼻水を啜る音を起てた。



アパートがある小路の前にタクシーが着き、優斗はゆっくりと降りた。


そして、こうなる前は毎日、歩いた小路を登って行く――かつては、スイスイと駆け上がっていたものだが、今の状態では、勿論、そうは行かずに、一歩ずつ、一段ずつ、階段を上がって行く。



小路にある階段には、手すりが無い――自分の力と、杖にしか、頼る術はないのだ。



「くっ……!」


優斗は力を込め――一段、一段、ゆっくりと階段を上がる。


何度もよろけて、ヒヤヒヤしながらの道程だったが、何とか部屋の前にたどり着いた。



優斗は、徐に鍵を、扉を開け――


「――ただいま」


――と、言って部屋の中に入る。



その瞬間――優斗の涙腺は、完全に決壊した。



「うっ――うっ……帰って、来たんだっ!」



――ワンワン!



「ルル~!」


智恵子に預かって貰っていたルルも、優斗が帰って来るからと気を使ってくれていて、部屋に入れて行ったのだった。



「うっ……ゴメン、ゴメンな、ルル」


優斗が泣きながら頭を撫でてやると、ルルは優斗の身体の変貌に気付き、表情が変わった。



ク~ン……



ルルは、目の前にいるのが優斗だという事は解かる様だが――優斗の全身、特に麻痺が残った方のニオイを集中的に嗅ぎ、優斗の目をジッと見て――



……クゥ



――と、寂しげな小声で一声鳴いた。


まるで――と、でも言ったかの様に。



ルルと再会した後、優斗は両親の仏壇の前に座る。



「――父さん、母さん、ただいま帰りました」



優斗は、ぎこちない動作ではあったが、おもむろにローソクと線香を点ける。



「父さん……病気、継いじゃったよ」


――と、優斗は苦笑いして、仏前に合掌する。


そして、両親の遺影に目をやり――


「まだ、ソッチ行かなくても良いみたいだからさぁ――まだ、見守っててくれよな」


――そう言って、笑みを見せた後――振り返った優斗の顔は、一区切り出来た安堵と、これからの闘病たたかいへの決意が交差する、表現し難い表情かおだった。

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