示された一里塚
(ユウくん……どこ、行ったんだろ?)、
優斗と智恵子がデイルームで話していた頃――奈津美は病室を訪ねていた。
説明の準備が整った事を優斗たちに報せに来たのだが、入れ違いとなった様だ。
「……デイルーム、かなぁ?」
その、デイルームではこの不可思議な給料の問題の話が続いていた。
「――だから、会社に直接、確認しに行った――そしたら、何て言ったと思う?
『有給なんて、マトモに使われちゃあ、会社が潰れちまいますよ』
――って、半笑いで言いやがった!」
智恵子は激昂し、場所も忘れて声を荒げた。
(――えっ?!)
デイルームに入った奈津美は突如響いた怒鳴り声に驚き、思わず身を潜めた。
「おっ!、おばさん……」
優斗は、智恵子をなだめ様とするが――
「――帰り際には、『臼井さんは、復帰まであとどれぐらいですかねぇ?』だよ?!、こんな優斗の状態を、病名聞いて解からないのかい?!
あの連中は……トンだ阿呆だよっ!」
優斗は、もちろん、後々退職するつもりではある。
だが、皆保険の関係など、イロイロと手続きが面倒になり、智恵子にそれを頼むのは憚られた。
それに――"貯まった有給休暇を消費してから"――という、貧乏ゆえの思惑。
そして、何より、"あんな仕事"でも、10年以上勤め上げた"未練"もあったのである。
「あんまりアタマに来たから、その脚で労働規準局に相談しに行ったっ!
社保の不足分は、有給の分で相殺出来るはずだから、払う必要無いし、告発も出来るけれど――とにかく、"ご本人"でなければって!」
智恵子は苦虫を噛んだ様に悔しがり――
「入院してるって言っても、決まりは決まりってさ――ホント、面倒くさい世の中だよ!」
――と、怒鳴って、ソファーに据付けられているテーブルを叩いた。
「解かった――だから、とりあえず落ち着いて。
ココは"病院"なんだからさ」
「ああ――ごめん、思い出したら、ガマン出来なくて」
「とにかく、俺が退院出来なきゃどうしようもない――ってコトでしょ?
頑張るからさ、もうちょっと待って」
優斗は妙に情けなくなり、自分の境遇を呪って頭を抱えた。
(……ユウくん)
立ち聞きするつもりではなかったが、二人の会話を聞いてしまった奈津美も、やるせない気持ちで目を閉じる。
だが――自分は優斗たちを迎えに来た立場、いつまでも隠れている訳には行かない。
「あっ、臼井さん――」
奈津美は意を決して、二人に声をかけた。
さすがに今の雰囲気――それに、側にいるのは優斗の育ての叔母。
何やら、妙な緊張感を抱いてしまい、いつもの様に気軽に"ユウくん"と呼ぶ事は、奈津美にも躊躇われた。
「あっ、ナツ?」
「病院の人かい?」
「あっ!、はじめまして、言語療法士の小野と申します――確か、叔母さま――でしたね」
奈津美は深々と頭を下げ、胸元からネームプレートを取り出し、智恵子に提示した。
「ええ、優斗がお世話になってます」
智恵子は立ち上がり、奈津美に向って、こちらも深々と頭を下げる。
「この度は、ご足労いただきまして――急な申し入れで、申し訳ありません」
「いえいえ、優斗の身内はもう限られているから、気にしないでください」
「この
「えっ?!、そういえば繁さんの葬式の時に、優斗と同じくらいの女の子が居たけど……」
「はい――その時の者です」
「あら~、世の中って狭いねぇ」
「ええ、私も驚きました」
さっきの殺伐とした空気が消え、一気に和やかな雰囲気が包む。
「今後の治療方針のご説明をする準備が整いましたので、お迎えに上がりました」
「ああ、そうですか――病室で待っていると言ったのに、出歩いてごめんなさいね」
「いえいえ、待たせていたのはコチラですから、もうよろしければ、こちらへ――」
奈津美は面談室の方へ手をかざし、二人を誘った。
3人が面談室の扉を開けると、そこに待っていたのは――いわゆる"ロマンスグレイ"という表現がしっくりくる、シブい外見の主治医――
快活に写る、ショートカットが印象的な若い女性の主担当看護士――
奈津美と同期で、こちらも活発に見える外見の女性――理学療法担当の
恰幅に良い体格が特徴的な、病院付きソーシャルワーカー――
そして、先程まで顔を合わせていた、作業療法担当の中村淳志の5人であった。
「どうも――主治医の長谷川です」
長谷川も、さっきの奈津美と同じ様な手順で、智恵子に挨拶をし、他の者も順番に智恵子に挨拶をした。
「――では、まず、聞き飽きたかもしれませんが、発症直後の状態のおさらいから――」
長谷川はスクリーンに写されたMRI画像を指し、この病気自体の説明を始める。
長谷川が言った通り、聞き飽きた説明が続き――
「――肢体機能に障害が残るのは避けられないと診ており、これまでの経過を診ても、特に歩行障害は著しいモノになるでしょう」
――と、大体の治療経過が説明された。
「――それで、今回お越し頂いたのは……今後の治療計画についてです」
いよいよ、話は本題に入る。
「改善度に関しては、申し分のないペースですし、ご本人も多くの改善は望まず、それよりも早期の帰宅を希望されていると報告を受けています」
それを聞いた智恵子は、横にいる優斗の表情を見やった。
「――我々としても、家庭内での生活ならば、入浴などの自立さえ出来れば問題無い状態だと思いますし、その入浴の自立も、今の歩行や作業での動作を見る限り、早期の達成が見込めるという報告も受けているので――」
長谷川は、カルテをデスクに置き、優斗と智恵子の方に向けて姿勢を正した。
「――今後は、退院を見据えた段階に以降したいのですが、そのために3つのご提案があります。
そちらは、療法士の方から――」
それを合図に立ち上がったのは、理学担当の浅井だ。
「不安定な歩行を補うために、補助装具の製作のご了承を頂きたいのです――補助装具というのは、一般的に解り易く言いますと、歩き易く脚を固定する、義足に似た器具です。
ですが、それは完全オーダーメイドとなりますので、それなりの費用が――」
「――解かりました」
――と、返答した後、優斗は小声で――
「おばさん、委任状書くから、俺の車――処分してくれ。
どうせ、もう運転は無理だし、少しは足しになるだろうから」
――と、智恵子に頼んだ。
「解かったよ」
次に、立ち上がったのはソーシャルワーカーの大野だ。
「退院される前に、身体障害者手帳の申請を進言させていただきます。
こちらも、申請書類の作成に少なからず費用が発生しますが――」
「解かっています。
それは、父のモノを見ていますし、お話があると思っていますから――費用についても、それは想定内です」
最後に、立ったのは看護士の三城。
「臼井さんの病気で、一番の懸念材料は再発です。
その可能性を低くするには、ご自分の血圧を把握している事が第一――お家には電子血圧計、ございますか?」
「今は無いけど――買うつもりではいます」
「では、入院している内に朝晩一日2回、自分で血圧を測って、記録する事を習慣付けする様にしていただきます」
「はい」
「補助装具の作成に約2週間――申請書類の方も、障害の度合いの測定も含めて、それぐらいの日数が掛かるでしょう。
その後、装具の微調整をして、使い慣れる期間を設けるとすると……約1ヵ月後に退院――そういうスケジュールで行きましょうか?」
「……!」
ようやくの"一里塚"が示され、優斗は安堵の表情を浮かべた。
(――これで、帰れるんだ……)
優斗の瞼から、一筋の涙が流れ――
「ありがとう、ございます……」
――と、開いた口からは、嗚咽を交えた声が響いた。
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