闘志は、折れず

「えっ……?、なに?、何が、起きたのぉ……?」


翼は呆けたような言い方で、画面を観ている。


「――クロテン!」


血相を変えた翔平は、直ぐに立ち上がり、踵を返して馬場へと走り出そうとした。


しかし――!


「――待ちなっ!」


――その駆け出そうとした翔平の腕を掴み、呼び止めたのは……なんと、松沢だった。



「……?!、先生!」


「――俺らにはっ!、何にも出来ねぇんだっ!!、こういう時はなっ!!!」


意外な人物の登場と一喝で、少しだけ我を取り戻した翔平は、大人しく椅子へ戻った。



「……最終レースの打ち合わせで、席から降りてきてみりゃあ、とんでもねぇ事になったなぁ」


松沢は、腕を組んで、画面に見入った。



そして、レースの顛末はこうである――



『4コーナーを回って最後の直線!、先頭はレーザービーム!、レーザービームが先頭!、ライジングサンが2番手!』



先ほどの隊列からクロテンを省いたままの状態で、レースは佳境を迎えた。



『レーザービーム逃げる!、レーザビームが逃げる!、ライジングサンが迫る!


――ここで先頭はライジングサンに替わった!、ライジングサン先頭!、外からはブルーライオット!、その後ろにはホリノブラボー!』



ほぼ人気通りのメンバーが、今日もレーザービームを飲み込もうとしている――しかしっ!



『先頭はライジングサン!、ライジングサン!、――ライジングサン1着でゴールイン!


2着争いは混戦!、僅かですが、レーザービームが体勢有利でしょうか……?』



実況はそう伝えて、総評を加えて締めくくろうとする。



『アクシデントもあった、群雄割拠の日経賞!


勝ったのは――もう1頭の4歳の雄!、ライジングサ~ン!、アカツキよ!、留守は引き受けた!、お前はっ!、お前は、世界を驚かせてこい!』





――レースが終わり、クロテンは競馬場内の競争馬診療所に運び込まれた。



そこの廊下にある椅子に腰掛け、翔平と翼、そして佐山が、獣医師に呼び出された海野と石原が出てくるのを待っていた。



「――あの……」


この暗い雰囲気を破るように、翼の可愛らしい声が響いた。


「どうした?、翼?」


うつむいている翔平に返答する余裕は無く、答えたのは佐山だった。



「……レース中に、競争中止するって事は――テッ、テンくんは、あっ、安楽……っ!」


「――翼!!!!、お前っ!、何を言い出すつもりだ?!」


翔平は凄い形相で大声を出し、翼に詰め寄った。


「――だって、センパイ……」


翼は自分が想像した事と、険しい翔平の顔を見て恐怖し、泣き出してしまった。



「――落ち着け、翔平も翼も……松沢先生に言われたんだろ?」


「解ってますよ!、解ってますけど――っ!」


翔平は行き場の無い怒りを、頭を掻き毟って表現した。



「それに翼、競争中止したら安楽死――ってのはなぁ、ゲームのやり過ぎだぜ?


クロテンは死なないよ――多分、だけどな」


「……どうしてですか?」


「お前たちは、初めての経験だから知らないだろうけど……安楽死させちまうなら、馬場の上で即、殺っちまうのも、ザラだ。


診療所に運んだだけでも――まだ少し、希望のぞみがあるって証拠だ」



佐山が、そんな経験則を展開して直ぐ、海野と石原が部屋から出て来た。



「先生!、石原さん!、どう……でしたか?」


佐山の問い掛けに、海野と石原は顔を見合わせた。



「――右前脚の骨折、だったよ。


そして――」


海野の二言目に、3人は固唾を呑んだ。


「――予後不良、は……免れたよ」


3人は大きく息を吐き、佐山は小さくガッツポーズを作り、翔平は自分のTシャツの襟元を握り、翼は脱力してしまい、床にへたり込んだ。



「良かった、良かったぁ……」


翼は、その体勢のまま、ボロボロと涙を流した。


「――待つんだ、ここからが重要なんだ」


海野は険しい表情のまま、ホッとしている3人を正す。


「由幸くん、ここからは私が話そう――」


石原が1歩前に出て、クロテンの状態について説明を始める。


ここからは、説明が続くので、しばらくは石原のモノローグとして読んで欲しい――






――テンユウが怪我をした部分は、右前脚の人間で言うヒザから下の部分――そこからさらに、足首にかけての骨、それが粉々に砕けてしまっていた。


鞍上の栗野くんによれば、右前脚を踏み込んだ時に、何かがきしむ様な音がしたらしい。



原因はというと、外傷性のモノではなく、一種の疲労骨折。



繰り返してきた調教で、蓄積した疲労が限界を迎えた――というのが、獣医の見解だった。



話を聞いただけでも、重度だという事が解る大怪我――通常なら、そのレベルの故障ならば、私の長い経験から言えば、安楽死処分が下されるのが妥当だ。



競争馬の脚というのは、人間の様にギブスで固定する事が出来ない。


固定してしまうと血流が悪くなり、骨が再生するよりも先に、脚は壊死を起こしてしまう――だから、安楽死処分という選択しかない。



だが、テンユウの状態は、正に奇跡的と言えるモノだった。



砕けた骨はその部分の75%――つまり、裏を返せば25%は健在だという事、その25%だけで、テンユウの身体はまだ支えられている。


だから、安楽死処分は免れた――少し、強く足踏みをしただけでも壊れてしまいそうな状態ではあるが。



他馬との接触や、あと1ハロン――いや、あと1完歩、スピードを緩める事が遅れていたら、その25%も砕けて、命は無かったと獣医に言われたよ。



テンユウは、本当に賢い馬だとも言われたね。



あの状態なら痛みは尋常ではないはず――普通なら、それに発狂し大暴れして、結局はその25%を自分で破壊してしまうだろう……だが、テンユウは無駄な動きを一切せず、痛みに表情を歪めているが、ただ黙々と治療を人間に任せている。


獣医もあんな馬は見た事が無いと驚いていたよ、私も……この世界は長いが、見るどころか聞いた事も無い話で、不謹慎ながら笑ってしまったよ。



さて、本題はこれからだ。



安楽死は免れた――だが、競争馬にとって"生きる"という事は、言わずもがな"走る"と同義だと言える――それは、君たちもよく解っているはずだ、彼は――愛玩動物ペットではなく、"競走馬"なのだと。



つまり、"競争能力喪失"のリスク――それこそが、最大の問題なんだ。



獣医の話では、それが解るのは骨が再生され、運動を始めてみないと、どうなるかは定かではないそうだ。


獣医の個人的な見解では、能力の減退は避けられまいという事だ……率直に言ってしまえば、引退させる事を薦められたよ。


オーナーは一応私だが、仲間たちの意見を聞かなければ早々には決断出来ない……とにかく、北海道に帰して、治療に専念――全てはそれからだね。




「やっぱり、放牧――ですか。


当たり前といえば、当たり前だが」


佐山は説明を聞いて、これからの戦略を理解した。



「テキ、大まかなスケジュールは……?」


「骨が再生し終わるには、最速で4~5ヶ月と聞いてます――それで、牧場側で動きなどを確認して…全てが上手くいったと仮定すると、最速でも帰厩は秋になるでしょうね……あくまでも、調という曰くが付く、机上の空論上では、ですけど」


沈んだ表情の海野はそう言ってため息を吐き、頭を下げてうな垂れた。



この騒動で、魂が抜けたように疲れた若者二人は、何も言う事が見つからず、呆けていた。



その空気を感じ取った佐山は励まそうと――


「――ほら!、言ったろ?、助かるって!」


――二人の背中を叩き、ニヤリと笑った。


「はい……でも、テンくんとはしばらく――いや、もう、お別れかもしれないんですね……」


いきなり、ネガティブな発言をした翼は、ヨロヨロと立ち上がり――


「……もし、あれが稽古の時だったら、未熟な私では、きっと――栗野さんみたいな、冷静な判断は――出来ない!


それで……それでっ!、死なせてしまったかもしれないんだっ!」


「おっ!、おい、翼……?!」


「それに!、私がオーバーペースで走らせていたからなんだっ!


だから、疲れて怪我をさせて……!、ゴメン――ごめんね、テンくぅん……」


翼は、また、へたり込んで泣き出してしまった。


(テキはあの__だし、翼は"何か"がキレちまったか……おいおい、どうすりゃ良いんだよぉ……)


この悲壮な空気に、佐山は困惑して頭を抱えた。



「……」



すると――翔平がゆらりと立ち上がり、彷徨う様にふらふらと廊下を歩き出した。


(今度は翔平か!)


佐山は引きとめようと、翔平の肩を掴み――


「翔平!、どこに行……!?」


――その時に佐山が見た翔平の表情は、瞳にはいっぱいの涙を溜めながらも、口を真一文字に結び、決意を込めた顔で前を向いていた。


「クロテンに――会ってきます!


怪我した事を解ってて、黙って身を委ねてるって事は――アイツは、まだ闘いたいんだ!


だから――と言いますっ!、俺はっ!、ずっと待ってるからなって!」



「――っ!」


その翔平の顔を見た4人は――ハッ!、と顔を上げた。



「翔平くん……」


「センパイ……」


翔平は、佐山の手を振り解き、処置馬房に向けて歩き出した。



「……私も、放牧先を探さなければならないから、失礼するよ――」


同じく歩き出した石原は、海野の肩を叩き――


「――獣医に言われて、正直、退かせる気持ちに傾いていたが――"若さ"は,

人の気持ちを強くさせるね」


――と、言った。


石原も、何かを決意して、力強く廊下を歩き出した。

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