思わぬ再会(前編)

白衣に身を包んだ大勢の男女が、決して広くはない部屋に集まっている。



「おはようございます、では、今日のカンファレンスを始めます――」



話している内容から察するに、ここは病院の一室。


しかし、ここは晴部市立病院ではない……なぜなら――


「次に――から、転院される方がいます」


――と、言っているからだ。



パラッと、持っている資料を一斉にめくる音が響く。



(……えっ?!)



その白衣の集団の中にいる一人の女が、カルテを凝視して驚いた顔をしている。


(これって……!)


――女は小刻みにカルテを持つ右手を震わせ、驚きから声が出そうな口元を左手で抑えた。






雪が積った曲がりくねった道を、一台のタクシーが走っている。


外は雪景色の冬空だが、風景の中には湯気が立ち昇る箇所もちらほら見える。


タクシーの窓はしっかり閉まっているが、卵が腐ったような硫黄のニオイが漏れて来て、車内は少し……クサイ。



優斗たちが乗っているこのタクシーはそんな山道を通り、泉別病院へと向かっている。



泉別病院は温泉街の入り口にある病院である。



そう聞けば――


『脳障害との闘いって、観光気分の湯治かよ!』


――と、思われるかもしれないが、あながちハズレでもない。



泉別病院は、第2次大戦や太平洋戦争で傷を負った元兵士の温泉治療を目的に造られたという――リハビリを主にしている事にも、頷ける前身を持った病院だ。



(懐かしい……けど、自分が入院する事になるとはなぁ)


優斗は窓を見つめながら、心の中でそうつぶやいた。



――優斗は、子供の頃にここに来た事があった。



優斗の父、繁も同じ脳障害を患っていた事は前に話したが、繁がリハビリのために転院したのも泉別だった。


優斗は響子に連れられ、父の見舞いへと来ていた事を、窓に写る景色を観て、色々な事を思い出していた。



(ここでバスを降りた)


(この店で、母さんとラーメンを食べた)



様々な事が鮮明に頭を駆け巡る……病院に着けば、もっと思い出すのかもしれない。



だが、優斗はまたもフッと、皮肉じみた笑みで――


「病気の"世襲"――笑えないギャグだよ、父さん……」


――と、つぶやいた。







「――じゃあ、そろそろ帰るよ」


入院の手続きを終え、持ってきた荷物を新たなロッカーに閉まった智恵子たちは帰り支度を始めた。


「優斗、頑張りなさいよ……!」


「うん、ありがとう……おばさんたちも、身体に気をつけてね、あと――」


「ルルちゃん、だろ?、心配しなくて良いよ、あんたも頑張ってルルちゃんに顔見せてあげないとね」


「うん、そうだね。


とにかく、高望みはしてないから、そのために家に帰れるようになる――それが、目標かもね」


優斗は乾いた笑顔でそう言った。


「そう……だね、――じゃあ、行くよ」


優斗は車椅子に乗り込み、エレベーターの扉の前まで車輪を回して、二人を見送った。






二人を見送った後、優斗は様々な検査に連れ出され、一息吐いたのはもう夕方だった。



『もう、流石に無いだろう――』と、思っていた矢先に――


コンコン……


――と、扉を叩く音がした。



「失礼します、臼井さん……ですね?」


優斗は少しだけ『またか……』という表情を覗かせた。


「はい、そうですけど……」


やってきたのは女性――だが、先ほどまで検査に連れて行ったピンクの制服を着た看護助手たちとは着ているモノが違い、白衣に身を包んだ女性だった。



女性は少し言い難そうに――


「はじめ……まして」


――と、言った後、胸の名札を示して…



「――言語療法士の、小野奈津美おのなつみです。


臼井さん……の、言語療法を担当させていただきます」


――と、名乗った。



小野は小柄な体躯のなかなかの美人である。


だが、その小柄な体躯と少し甲高い声音から若くは見えるが……よ~く見ると、ほどほど歳を重ねている事も解かる外見である。


実の歳の頃は、優斗と同年代――と、踏むのが妥当だろう。



「よろしく……お願いします」


――と、頭を下げて小野が言うと、優斗は短く「よろしく」と、応じた。



「今日は検査だけになる――と、聞いていたのだけど?」


「はい……その予定なんですが、ご挨拶を兼ねて施設を案内させていただこうと……」


小野は緊張した面持ちでそう答えた。


「――そういうモノか。


解かりました、お願いします」


「じゃあ、行きましょう」


小野は優斗を車椅子に乗せ、病室から連れ出した。



広い病棟の中を奥に進むと渡り廊下があり、その先には長大なスロープが螺旋状に設けられた別の病棟があった。



「ここから先がリハビリ棟です」


そのスロープを小野に車椅子を押し上げて貰い、棟の3階部分へと上がる。


スロープから降りて少し進むと、広い場所に出た。


「ここが理学療法を主に行なう体育館です」


「……別々の場所でやるの?」


「はい、晴部市立さんでは……1ヶ所で全ての療法を行なっているそうですが、ここでは療法別に専用の施設が設けられているんです」


中では優斗の様な身体らしい人から、ギブスやコルセットを着けた人まで、様々な人がリハビリに励んでいた。


「広いな……晴部市立の数倍はあるね」


優斗は少し驚いた表情で、感心してみせた。


か……納得だな)


「……では、次に行きましょう」


小野は車椅子を反転させて、スロープへと戻した。


スロープを下り、今度は2階部分で降りる。


そこには3階とほぼ同じ廊下があり、そこを進むとまた広い部屋に出た。


そこには大きなテーブルがあり、その周りには様々な物が仕舞われている大きな棚がある。


その様々な物とは新聞や雑誌、本、ジグソーパズルやプラモデルの箱まである。



それらを使って、パッと見れば……という様相だ。



さながら『大人の保育所』の様な恰好に……優斗はちょっと嫌悪を抱いた。



「ここが作業療法室です」


「作業療法って……確かに、向こうでも物を持つためのリハビリしてたけど……それをやる所なの?、これじゃあまるで――」


優斗は思った事を言うのを……少し躊躇した。


「文字通り、色々な作業をするリハビリですから、遊ぶ事もの一つ――ですからね」


小野は優斗の思った事を先読みしたかの様にそう答えた。



(――随分、気転の利く女性ひとだなぁ)


「では、次に――」


またも車椅子を反転させ、廊下を少し戻った所で、小野は車椅子を停めた。



「――ここが言語療法室、私が担当する場所です」


小野はそう言って、目の前にある小さめな扉を開けた。


「よいしょっと……」


車椅子の幅ギリギリの入り口を通ると、そこには小さな経理事務所ほどの広さの部屋があった。



そこには誰もいないが、さらに部屋の中には番号が振られた3つの扉があり、中からは人の気配がする。


「私の部屋という訳ではないですけど、広い場所ばかりを紹介した後だから、ちょっと恥ずかしいですねぇ」


――と、小野は微妙な笑みを見せて、そう言った。



「え~っとぉ……2番と3番が、使用中だからぁ……1番にしましょう」


小野は開け放たれた『1』と書かれた扉の中に車椅子を入れると、机の前に停め扉を閉めた。



優斗も、この状況は晴部市立の言語療法で経験済みである。


詳しい理由はわからないが、個室で療法士とマンツーマンで向かい合い、口の体操などをする事は知っている。



(……なんだ、やっぱり何かするんじゃないか)


小野は優斗の正面に座り――


「これは、どこでも同じでしょうね……ここで、マンツーマンでリハビリをして行きます」


――と、またも優斗の思考を先読みした様な事を言った。



「……」


「……」


優斗も小野も、何かを待っているかの様に口を開かない……



特に、優斗はこの身体になってからはあまり言葉を発しない。


それが彼の今の脳の状態でもある。


質問したい事は結構あるのだが、それがとして浮かんで来るまでにタイムラグが出来てしまう。



これが『失語症』――



発音はだいぶ改善され、会話は可能になったが、頭には言いたい言葉が浮かんでも、それを発する事が困難というのは、実に不便でイライラする。


5秒ほどの沈黙が続いた後、先に口を開いたのは――小野だった。



「……あの、失礼かもしれませんが――」


小野は言い辛そうにモジモジしながら、優斗の顔を見ている…


(……?)


優斗が不思議そうに小野の顔を見ると――


『ガマンし切れないっ!』


――という表情で、小野は言った。



「――私の事、憶えていませんか?」

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