老将の金言

大注目のフェブラリーステークスの日がやって来た。


東京競馬場は週中のトレセンと同じく、例年とはまったく違った雰囲気で、今年、初めてのGⅠレースの日を迎えていた。



レースの焦点は、なんと言ってもアカツキの参戦。



2月の寒空の中でもスタンドはギッシリ、観客動員数のレースレコードはあっさりと更新した。


――しかし、競馬という競技は公営ギャンブル、どうしてもという側面よりもという側面の方が、色濃く映るのは否定出来ない事実であり世の常でもある……



専門家や競馬新聞各紙の評、そして、前日発売のオッズの反応にそれは明確に現れた。



新聞の見出しに挙がるのは――


『アカツキに死角アリ!』


『無敗伝説の終焉か?!』


――など、アカツキの敗戦を予想する記事が躍り、解説者の間からも今回の挑戦に否定的な意見が公然と飛んだ。



解説者が否定的な論旨の主に挙げたのは、皮肉にもオーナーサイドが自信を見せたアカツキのダート適正だった。



ダートが主戦場のアメリカで3冠馬に輝いた父のゴッドブレス、だが、アメリカでの種牡馬成績は競争成績ほど振るってはいなかった。


アメリカでも産駒は活躍していたが、産駒の成績はアメリカでは格下扱いされてしまう芝での成績が多く、リーディングサイアーのタイトルを獲得したのもそれに頼りきった形のモノ。


ダートで成績を残せる産駒もいるにはいたが、3冠レースやBC《ブリーダーズカップ》、アカツキが目指そうとしているドバイWCなどのでの好成績は、ほぼ皆無。


この偏った成績が、アメリカの生産界が日本への輸出を決断した真相だというのは、海外競馬通の間では有名な逸話である。


それを証明する様に、ゴッドブレス産駒が日本のダートGⅠで勝利した例は未だゼロ――


『芝での成績が良いから、そもそも好んで走らせない』


――という理由もあるが、これをアカツキの敗戦予想の理由に挙げる者は多かった。



そして迎えた週末、そんな意見を覆す様に、アカツキは前日発売の一番人気に推されたが、単勝オッズは2.6倍という、2歳時以来の高倍率。


アカツキといえば無敗のアイドルホース――1番人気になるのはある意味当然であり、その単勝人気は、昨年の6戦全てでの目安とされる、単勝1倍台に推されたほどだ。


しかし、この低評価(※あくまでもだが)――『ついに、アカツキが負ける』という空気ムードがあちらこちらに漂っていた。







そんなモノを無視するように、翔平は黙々と自分の仕事をこなしていた。



インフルエンザを患い、1週間の間出勤不可となった松村に代わり、クロテン以外に2頭を任された翔平は、これまで覚えてきたノウハウを駆使して立派に代役を務めていた。



――そのハイライトとなるのが、今日の最終レースに組み込まれている金蹄ステークス、翔平は海野が吐露していた使馬を任されていた。



任された馬の名はクロダスイメイ――そう、海野厩舎に所属している、もう一頭の『クロダ』だ。



クロダスイメイはクロテンと同期にあたる鹿毛の4歳牡馬、前走の成田特別での勝利で準オープン(※1600万下クラス)入りした昇り調子の馬である。



「よ~し……もう少しだぞ、スイメイ」


東京競馬場の競争馬待機所で、興奮気味に出番を待つスイメイをなだめようと、翔平が優しく鼻面を撫でてやると、スイメイはゆっくりと落ち着きだし、気持ち良さそうに鼻息を漏らした。


「……大したモノだね」


「あっ、石原さん」


そう翔平に声を掛けて来たのはオーナーの石原――クロテンをはじめ、所有馬たちの好調具合で、ご機嫌なはずの石原である。


石原はレースを控えたスイメイの様子を観に、待機所まで降りて来ていた。


「長年、馬に関わっていたが……翔平くんのは、ある意味才能だよ」


「そうですか?」


「ああ、馬の『空気』を感じている――というか、とても様に見せる――読み聞かせの効果かな?」


「……ごっ、ご存知なんですかぁ?」


翔平は少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「由幸君は何でも報告してくれるからね、所有馬の事は。


人に寄るかもしれないが、嬉しいモノだよ……所有馬へのファンレターは」


石原は破顔を見せ、スイメイの目をジッと見つめる。


「スイメイも、テンユウみたく人気者にならないとなぁ」


――と、石原はスイメイの首筋を撫でながら、ふうっ……と小さく溜め息を吐く。


「テンユウにスイメイ……オーナーとしては活躍は喜ばしいけど、の活躍は、一人のホースマンとしては複雑だがね……」


「……?」


翔平が不思議そうな顔を見せると、石原はゆっくり自分の心根を吐露し始めた。


「――ほら、クロダ牧場は買収されただろう?、白畑さんに……」



したクロダ牧場の広大な土地はどうなったのか――?


これを疑問に持ち、気に留めていた方もいるかもしれない。



石原が言った通り、その広大な敷地を、施設とけい養馬込みので買収したのは白畑Fだった。



かつては生産者獲得賞金ランキングで上位を争っていた白畑Fとクロダ牧場――そのクロダの"後始末"を、白畑Fが務めるというのは……何とも皮肉な末路だった。



「皮肉というのは失礼ですよ……ライバルだった相手からの、最大限の敬意だと思います。


私たちが育んで来た施設を、そのまま使ってくれると言ってくれているのですから」



――と、石原はこの買収が決まった時の競馬雑誌のインタビューで語っている。



売れ残っていたクロテンやスイメイを、破格の安さで石原と有志たちに譲ったのも、白畑Fの『武士の情け』だったのかもしれない。



「この世代の初期育成を行なったのは白畑の人たち……私たちが勝てずに足掻いていたのに、あっさり重賞獲られるとねぇ。


自分たちのノウハウが、いかに時代遅れだったかを実感させられるよ……」


石原は肩を落とし、何とも言えない複雑な笑顔でまた溜め息を吐いた。


「あの、俺……」


「ははは……ごめんね、老人の愚痴を聞かせて」


石原は笑いながらそう言って、翔平の肩を軽く叩いた。



「……おんや?、石原さんかい?」



その呼び声に二人が振り返ると、そこには松沢がいた。



(……!?、首領ドンっ!)


翔平は挨拶を忘れるほど緊張し、硬直してゴクリと生唾を飲み込んだ。


「――と、教授ん所のアンちゃんか……、はて?、まだ一頭持ちだったべよ?、兄ちゃんはよぉ。


確かぁ……スティーヴの仔っこだったべ?、昴でAJCCアメリカ獲ってた」


「はっ!、はいっ!、あっ――あの……」


翔平が緊張と、松沢の訛りが効いた口調(※記者会見の時は"他所行き"だった)のマシンガントークに気圧されて、返答に困っていると――


「やあ、松沢さん、菊の時以来だね」


――と、石原がカットインして助け舟を出した。



「ホントだねぇ~、今年はおらが関西に行ってたりで、噛み合わんものねぇ~


石原さん、遅れたけんども、AJCC重賞、おめでとう」


「ありがとう――今日はウチのが最終に出るんだ、でも、担当さんが身体悪くしちゃってね……翔平くんは、その代わり」


「そっかそっか、そういえば泰博やすひろが、そんな話言ってたなぁ……ゲンが悪いなぁ、石原さん」


「だから、彼に代わりを頼んだのさ、最初の管理馬で重賞獲りをやって見せた、彼の強運に期待してね」



石原は、非常にゲンを担ぐ男だ。


その代表的なモノが所有馬の馬名…テンユウは漢字に直すと『天佑』、スイメイは『推命』――どちらも、運を現した言葉や占い用語である。



翔平にどの馬の担当代理を任せるか悩んでいた海野に、石原は――


「スイメイには、ぜひ翔平くんを」


――と、強く要望していた。


"代理"とはいえ――


「今週にレースを控えている、スイメイを任せるのは……荷が重過ぎるのでは?」


――と、懸念を覗かせた海野だったが、オーナーの要望には応えなければと承諾した経緯があった。



「馬主さんになっても相変わらずだなぁ、石原さんは」


松沢は笑顔を見せた後、ふっと何かを思い出す様に天井を見上げた。


「――ホント、石原さんたちには感謝してるよ……15の頃から馬でおまんま食ってるモンとしては、クロダの馬がいなくなったら寂しいもんなぁ」


「そう言って貰えると嬉しいよ」


「――オラは、石原さんや黒田さんには、足を向けては寝れねぇよぉ……オラを一端の調教師テキに引き立ててくれたのは、オラに良い馬沢山任せてくれた黒田さんと、石原さんが育てた馬たちのおかげだからなぁ」



松沢厩舎と『クロダ軍団』には蜜月とも呼ばれた時期があった。



それは20年以上前のクロダ牧場が名門時期。


長距離主体のクロダの馬に、大レースでの『勝負仕上げ』に定評のある松沢の手腕――"王道"とされる芝の中長距離路線のレースで、その相性は抜群だった。



それは競馬ファンの間に――


『予想に困ったら、とりあえず!』


――という格言があった程である。



クロテンの祖父、クロダスティーヴもその時期の馬で、当然の様に彼は松沢厩舎の所属馬だった。


だから、松沢はクロテンの事を親しみを込めてと呼ぶのである。



「……一番大変な時に、一頭も預かってなかった、オラが言えた立場じゃないけどよぉ」


――松沢は申し訳なさそうに肩を落として、そうつぶやいた。



「それは違うよ、松沢さん。


オーナーには、若いトレーナーの育成っていう思惑もあったし――松沢さんのお眼鏡に適った馬を造れなかった、私のせいでもある」


松沢を励ましながらも、石原はまたも複雑な気持ちを覚えて、同じように肩を落とした。


「やめっべ、やめっべ!、お互い老けると、昔の話ばっかになっていけねぇ!、若い者に笑われるぞぉ!」


松沢はそうやって暗い話題を笑い飛ばし、目線を翔平に向けた。


「兄ちゃん」


「はっ、はい!」


「俺たちは馬に食わせてもらう商売だが、一番大事なのは人同士の『繋がり』だ。


それを――」


松沢は軽く握った拳を翔平の胸に突き付け――


「――肝に、入れとけよ?」


――と、鋭い眼光で言った。


「……はいっ!」


松沢は翔平がそう答えると、直ぐに優しい顔に戻り…


「よ~し!、良い返事だ!」


――と、朗らかに笑って見せた。



「――テキ」



――と、3人の背後に声を掛けてくる者がいた。



「おお、泰博」


声を掛けてきたのは松沢厩舎の調教助手兼厩務員、そして、松沢の長男でもある松沢泰博。


既に調教師免許も取得し、父の引退後は厩舎の主になる事が内定している名門の御曹司である。



そんな彼が担当しているのが――


「そろそろ時間なのでパドックに向かいます……行くぞ、アカツキ」


(えっ……?!)



――3人の前に、ゆっくりと芦毛の真っ白い馬体が姿を現した。


今、日本中が注視している現役最強馬であり、未知の領域に挑もうとしている名馬――アカツキである。



(うわぁ……!、ホンモノ、だぁ……)


菊花賞の時も、トレセンでも、何度も生でその姿を観ているはずなのだが、翔平はいつもこの感想を抱いてしまう……



それほど、アカツキの放つ雰囲気オーラには、畏敬の念を感じるモノがある。



綺麗な白い芦毛の馬体は、おとぎ話に出てくる"白馬"というのは、アカツキの様な馬の事を指すのだろうと思うほど白く、気性は穏やかで、同じ大人しさでも内に激しい一面を秘めるクロテンとは対象的に、常に余裕を感じさせる佇まいだ。



翔平はまたもゴクリと唾を飲み――


(これが良血馬の風格ってヤツなんだなぁ……俺はキライだけど)


――と、心の中でチクリと抵抗し、自分の前を通り過ぎたアカツキを見送った。



「おう、泰博、頼んだぞ」


「はい」



親子としてはよそよそしく見えるのかもしれないが、馬にも人にも、松沢は自分が『育てているモノ』に対しては厳しい。


この勝負の世界に脚を踏み込んだ以上、もう普通の親子ではないのだ。



その後も少し、石原と雑談を交わした松沢は――


「さて、石原さんとの話も名残惜しいが……ワシも、そろそろ行かないと白畑さんに失礼だな。


人を大事にしろって、兄ちゃんに説教した立場が無くなっちまう」


――と言って、馬主席に向かおうと踵を返した。


「翔平く~ん、石原さん来てないかい……って、松沢先生?!」


「おう、教授。


厩舎に若い者がいるってのも、楽しみがあって良いなぁ」


松沢は楽しそうに笑顔のままそう言い、海野の肩を叩いて、馬主席に歩いて行った。


「……?、何かあったんですか?」


「いや、別に……年寄り二人が、若者を囲んで雑談してただけさ、でも――」


石原は翔平の方に目を向け――


「――彼には、良い刺激になったみたいだね」


――と、言った。


2人の目線に映った翔平の姿は妙に清々しく、輝く様な眼差しで、松沢の後ろ姿を見送っていた。

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