歓喜の裏で(前編)

ブロロロッッ……


雄大な田園風景と、それに対する様に広がる海原……そんな、見事なロケーションに挟まれている国道沿いを、派手な黄色い車が走っている。



運転しているのは優斗、この派手な車は優斗の愛車だ。



養鶏場のあるから、20キロほど離れた自宅に帰るため、派手な愛車を走らせている。


曾孫請け会社に勤めている優斗の収入は決して多くはない……本当なら、悠然と自動車を所有出来るほどの立場ではない。


だが、なけなしの給料の中身を切り詰めてまで、車を所有しなければならない理由がある……北海道というには。



北海道という所で暮らして行くには、車は必須と言っても過言ではない。



札幌の様な大都市なら公共交通機関が整備されているので、通勤に困る事は無いだろうが、少しでも都市部から離れてしまえば、バスや列車は一時間に1本、有るか無いかの不便な環境なのだ。



不便なだけではない……



北海道のハローワークで仕事に有り付こうとすれば、体感的に7割強の確立でというハードルが立ちはだかる……


生活の根本たる仕事に就くのに、の部類の自動車が必要――そんな矛盾が当たり前に鎮座しているのも、北海道の実態なのだ。



自然が豊富、食べ物が美味しい、そして、雄大な大地……



俗に言う魅力度云々からして、遠めから見れば、良いトコロ尽くめのイメージかもしれないが、暮らしている者から見れば『寒くて、不便で、ムダに広い』というマイナスイメージも、ちゃ~んとあるのである。



余談になるが、この派手な車も優斗の趣向ではない……庇うようにはなってしまうが。



所有しているのだから、優斗の愛車はもちろん中古車、しかも安~いヤツ。


車体の色などに、贅沢な事は言えないのだ。



「ふぅ……」


赤信号で車を停車させた優斗は、ホルダーに置いたマイボトルに手を伸ばす。


中身はもちろんブラックコーヒー、慢性的な眠気を払う為だ。


本来、大してコーヒーが好きではないのだが、飲むと疲れが取れる気がするので、この仕事に就いてからよく飲むようになった。


だが『コーヒーマニア』と化している海野ほど、こだわっている訳でもなく、優斗にとってはただ疲れと眠気を誤魔化すためだけのアイテムだった。


そんなアイテムも、今日はどうも効きが良くない……通いなれた、片道約30分のマイカー通勤も、今日は異様に苦痛だ。



(明日は休みだし、しっかり身体を休めれば……)


――と、安易に自分に言い聞かせながら、身体の不調に耐えていた。



しばらく車を走らせると、大きなつり橋が見えてくる。


いつの間にか市の境を超えて、成実市の隣町――『晴部はるべ市』に入っていた。


優斗の自宅があるのはここ、晴部市――そして、生まれ育ったのもここだ。 


風光明媚な成実市と違い、晴部市は製鉄業で栄えた工業の街である。


昔はそれに従事した労働者が多く居住し、大層が、全国の地方都市の多分に漏れず、過疎化の波に呑まれて、今は見る影もない。



目の前にある大きなつり橋が、その繁栄の象徴。



『国家的一大プロジェクト』とまで言われ、建造に数十年の歳月を費やして完成した矢先に、人口が減少し始めるというのが、何とも言えない皮肉である。



そんな大都市集中の現代では、若者が大きな都市まちのが、当たり前かもしれないが、優斗のような者(※と言える歳では既にないが)も、ちゃ~んといるのである。


モノ好きや変り種――ではあるかもしれないが。



橋を渡りきり、やっと長い帰宅路の終わりが見えてきた。



バタンッ!



自宅近くに借りている駐車場に愛車を止めた優斗は、ゆっくりと車から降りた。



助手席に置いていた大きなボストンバッグを左肩に担ぎ、自宅へと歩き出す。


その時――


「!」


――突然、強烈な吐き気に襲われ、愛車のフロントバンパーに派手に嘔吐してしまった。



「あ~……やっちまった」


ぶちまけた汚物を掃除するため、バッグに入れてあるタオルを取り出す。



「胃もたれ、かなぁ……?」


タオルでバンパーを拭きながら脇腹を触り、首を傾げながらそう呟く。



――人間というものは、なるべく良い方へ良い方へと解釈してしまう。


それが、虫の報せやある意味でのだったと気付くのは――大抵、最悪な結末を迎えた後だ。




一通り拭き終え、タオルをバッグに仕舞う。



「良いや……明日、洗濯して洗車もしよう。」


とにかく気分が悪い、優斗の気持ちは帰る事だけに向いていた。



晴部市は、坂が多い街である。



優斗が住んでいる所も坂の上で、一応舗装はされているが結構な斜度で、安易に車を停車すると上がらなくなる程だ。


そんな坂道にある小路の上に、優斗が住むアパートがある。


駐車場からは徒歩で、ざっと5分はかかる場所にある小路の坂を昇り、その途中には段差が不揃いな階段が待ち受ける、なかなか険しい道程だ。


そんな道を絶不調な身体を引きずる様に歩き、ようやく自宅にたどり着いた。



「あ~っ……」


バッグを床に投げ捨て、着替えもせず、バッタリと倒れこむ様にベッドに横になる。



このまま身体を休めたいところだが、夜中から火の気も無いここで眠ってしまえば凍死してしまう。


優斗は泥の様に疲れた身体を動かし、ストーブの電源を入れた。


ベッドに座った優斗はふと掛け時計に目を向ける。


時刻は午後3時過ぎ、クロテンが出走するAJCCのテレビ中継が始まっている時間だ。



優斗はおもむろにテレビのリモコンを手にとり、電源を入れた。



『――パドックを見渡していかがですか?』


『う~ん、そうですね――』



テレビ画面では、番組MCが解説者に各馬の印象を尋ねていた。



優斗はホットコーヒーをもう一杯飲もうと、やかんをガスコンロに置いた。


MCと解説者のやりとりを聞きながら部屋着に着替え、バッグの中身を片付けたりして、お湯が沸くのを待つ。


どんなに疲れていても、そのままには出来ないのが優斗の性分だった。



それは、彼の生い立ちがそうさせるからである。


彼は父とは小学生の頃、母とは高校生の頃に死別している――いわゆる『天涯孤独』というヤツだ。


母方のおばに引き取られ、施設暮らしは免れたが、両親以外に養ってもらうという事は何かと、処世術も必要な場面も出てくる――怠惰な生活をして好感度を下げてはイケナイのだ。


そんな生活が一人で暮らすようになった今も染み付いていて、そのままにしていては治まらない性分になったのだった。



『デンワです!、デンワです!』



優斗の携帯電話の着ボイスがけたたましく鳴った。



携帯の画面に示された名前は『智恵子おばさん』



優斗を、引き取った母方のおばである。



優斗は社会人となって一応独立したが、高齢になってきていたおばを心配し、いわゆるに、呼び寄せて生活していた。



「もしもし?」


『ああ、優斗、まだ会社?』


「いや、家、着いてる。


部屋暖まったら、ルル、迎えに行くから」



ルルというのは優斗の愛犬の名前、駐車場に捨てられていたメスの小型犬だ。



仕事に向かおうと深夜に駐車場に行くと、あの派手な車の前にポツンと座っていた姿を不憫に思い、家に連れ帰って飼う事にした。


決して楽ではない生活だが、動物の存在は癒しをくれる。



『ワーキングカースト』の底辺にいる仕事をしていては、ストレスも半端ではない、だから、ルルは優斗にとって貴重なだ。


――なので、自分が仕事で居ない時間は寂しくて可哀想だろうと、智恵子に預かって貰っているのである。



『ルルちゃんの事は良いんだ、ただ帰って来てるか確認しただけ。


ルルちゃん、寒かったら可哀想だから、部屋暖まってからで良いよ』


「ああ、わかった」


そう言って電話を切ると、ピィィィィーッ!――と、ちょうどお湯が沸く音がした。


優斗は大きなスプーンに山盛り3杯のインスタントコーヒーをマグカップに入れる。


かなり多めの分量、相当濃いはずだが、不調な気分を振り払うため、普段よりさらに濃くしていた。



『…勝ったのはクラノパワード!、フェブラリーステークスへ視界良好です!』


コーヒーを淹れ終え、テーブルの前に座ると、ちょうどAJCCのに当る中京競馬場のメインレース、東海ステークスが終わっていた。


「……あと20分か」


テーブルに置いてある時計を見て、時間を確認すると、優斗はちょっと横になった。


(ルルを迎えに行って、飯炊いて、おかずは……別に良いや。


(※北海道弁での意)から、めんどくさい……冷蔵庫に入れてある、筋子の塩漬けでもかけて食べよう――)


そんな風にこれからの予定を考えていると、優斗はウトウトと眠気に襲われた……

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