露草の栞 前篇(下)

 

 御付としてのわたしの役割は中途半端なものでした。曄子さまの付き添いで女学校に入るわたしは鈴白子爵さまの意向で丸髷にも結っておりませんでしたし、三つ編みを頭に巻き付ける外巻きという髪型で地味にしておりましても、生徒と間違えられるような年の若さでした。前期四年、中期四年、後期三年制のうち、御供がつくのはせいぜい前期までの生徒さんです。わたしを鈴白家で預かるために無理やりつくったようなお役目でしたから、本当になにをするわけでもなかったのです。

 御供たちの控えの間でもわたしは浮いた存在でした。御付きの者たちは女中とはいえ、素性を辿れば殿様の上京に附いてきた旧藩臣の家の者がほとんどです。無駄口など叩かず、付添室でも凛と背筋を伸ばし、持ち込んだ裁縫をしたり、室に備え付けのコテを洗い終わった小物にあてたり、若い女中なら学校がお願いしてあるお裁縫の先生に和裁を習ったり、またはご本を読んで静かに待っておられました。

 おじゃんと云っておりましたが、ベルが鳴ると授業が終わります。おじゃんの合間には曄子さまが付添室に顔を出されまして、

珠真たま、次は和歌なの」

 苦手なところをお尋ねになります。持参している大和田建樹たけき先生のご本から幾つか拾って、今の季節ならこのあたりはどうだろうと次の時間の和歌の授業の助けになるようにお手伝いをしておりました。

 いつものように曄子さまが来られて去られた後に、近くにいた往時の大奥取締役のような立派な老女から、珠真さんともうされましたかと話しかけられ、「あれではお姫さまの身の為にはなりませぬ」と叱られてしまったこともあります。

 

 習字、華道、茶道、琴、お謡の幾つかは、華族のご令嬢ならば皆さま幼い頃から嗜んでおられました。御習字など、真面目に取り組まれた方は見事なものでした。曄子さまは日本にご帰国なさるまでお母さまと養育係が教えておられたのでご不自由はなかったのですが、日本の風土のなかで自然と身に沁みつくものはやはり少し足りないままなのか、剣山に留めるお花など、どこか目新しいことになります。毎回わたしは愉しんで拝見させてもらっておりました。

 女学校のなかに入って少し戸惑ったのは、眼の前にいる方に話しかける時に「あなたは」とは云わず、「この方」と呼びかけるのです。

「あなたはどちらのお師匠さんにお謡をお習いあそばしたの」これが、「この方はどちらのお師匠さんにお謡をお習いあそばしたの」となるのです。

 まるで別の人のことを問いかけているような云い方なので、慣れぬうちは女学生の皆さんの会話に混乱いたしました。公家と武家から学校に入られてくる学生の間で家風が混じり合い、おすてーきのように、華族の女学校の中だけで通じる独特の文化ができておりました。


 曄子さまは人力車ではなく、省線を使って駅からは徒歩で学校にお通いでした。わたしはその行きかえりに付き添うのです。ある日の帰り道、曄子さまはずっと黙っておられました。こういう時にはわたしも黙って、何も話しかけることはありません。

 曄子さまの室は西洋館の二階にありました。お夕飯のあと、曄子さまが橙色の灯りのともる長い廊下を渡って日本館のわたしの室にやって来ました。

「珠真。今日は機嫌を悪くしていたわ」

 曄子さまはお持ちになっていた小函の中からリボンを一本取り出すと、「ごめん遊ばせ。これを珠真の妹にあげて」わたしの手にリボンを渡して下さいました。

 今でもありありと想い出せます。曄子さまの指にかかっていた舶来の絹のリボン。真ん中に濃い色がまっすぐ流れていて、端になるほどその色が薄くなっているのです。

 機嫌が悪かった理由は曄子さまからお話下さいました。わたしはもう床をのべていたので、二人でそれを端に寄せて、畳の上に直に座ってお話をしました。

「お座布団」

「要らないわ」

 曄子さまがお使いでないのなら、わたしだけが座布団に座るというわけにはまいりません。たたんだ蒲団に背をつけて曄子さまは足を投げ出されました。海の向こうでは沓のまま家に上がりますので、いつまで経っても曄子さまは正座がお嫌いなままでした。

「参観があるの」

 それでご機嫌が悪いのだと分かりました。


 女学校の参観日は年に数回。参観人は学校に事前に許可を求めた上で一組四名までと決められております。女学生の父母や、様子を見てくるようにと命じられた家の者が来るのですが、十五歳から十七歳にあたる後期三年にもなりますと、参観人は学校の部外者に変わります。

 わざわざ女学校の参観に訪れるのは、皇族、華族、政府高官に限定された男性とその父母でした。

 曄子さまは顔面蒼白になられて、怒りのお気持ちをまるで隠しませんでした。

「わたしたちは家畜ではない。売買されるものではない。侮辱だわ」

「将来のお婿さんやそのお身内の方のほうから花嫁を探しに来られるなんて。どの方に選ばれても身元は確かな方々ばかり。お写真や華族名簿に印をつけるよりはよい方法だと想いますが」

「なにも教場に見分に来なくてもよいでしょう」

「ふだんのご様子こそ肝要とお考えだからです。大勢のご令嬢を一度にご覧になれるのですから、お品定めとしては大変に合理的です」

「品定めだなんて気分が悪いわ。桂庵のよう」

 桂庵というのは口入れ屋ともうしまして、妻妾同居がまだ当たり前だったこの時代、遊郭はもとより不如意に外をお歩きになれない殿さま方に若い女の世話をする者たちでした。外国暮らしをされていた愛妻家の鈴白子爵はそのようなことを厭うておられましたが、専属の女中といえばいいのか、側室ともまた違うのです。一夜かぎりで返される者もいれば、お気に入りとなり、他の女中たちとは別の特別の御手当をもらって屋敷の隅に暮らす者もいて、その存在は秘されておりました。薄々気が付いておりましたがわたしがいただいたこの室も、元はといえば病人や、そういう女を置いておけるように、当たり前のようにして最初から設計図に含まれて作られていた離れの空き部屋だったのでした。

 愛も情もなにもない、ただそれだけの目的で口入れ屋に連れて来られる若い娘たちは、主人のお呼びがあれば風呂や寝所に行ってこの室に戻ってくるだけの日々を過ごし、実家に仕送りをするのです。

「あちらさまとても、あらかじめ容姿や物腰をご覧になった上で花嫁候補を絞りたいものでしょうから、珠真は悪いばかりとは想いません。どちらの方ですかと眺められるのは、見分に来られるあちらもご同様ではありませんか」

「そこが厚顔無恥だというのよ。いい度胸だわ」

「そのおつもりで、こちらからもしっかりとご覧になったらよろしいのです。お顔を覚えておけば、お話があった時にすぐに断れます」

「珠真、お席を入れ替わって」

「無理です。すぐに見つかってしまいます」

 そこまでご立腹ならば学校をお休みになるのかといえば、曄子さまはそうはなさいません。ご参観日になると細い三つ編みと、当時まだ珍しかったセーラー服の襟の肩を精一杯いからせて曄子さまは学校に向かわれます。曄子さまはご自分のことではなく、ご友人の身の上に起こるであろうことについて、さほどにお怒りなのでした。

 参観日当日、羽織袴またはフロックコートで正装された上流の方々が、父母を伴い、ダイムラーベンツや馬車や人力車で学校に乗りつけてくるのが廊下の窓からも見えました。

 参観中は談話も筆記も禁じられておりましたが、彼らの視線はおそらく一人の少女の上に熱心にそそがれており、そのお名前を胸に刻んでおられたであろうことは、容易に想像できました。

 紀ノ井家の百合さま。

 紀ノ井百合さまはお背がやや高く、優美でおしとやかな風情、落ち着いた受け答えのさまが際立って大人びておられる少女でした。和装も洋装もなんなく着こなされてお似合いになられ、ご年齢の釣り合いさえ整えば未来の国母さまにもふさわしいような、そんな方なのです。

「紀ノ井百合さまは立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花ね」

「この方は都々逸をご存じなの」

「あら、これは江戸の『神農本草軽』が元本ですのよ。鶴さまにはぴったりです」

 女学生たちは大人びた百合さまのことを「鶴さま」とあだ名されておられました。まことに品のある白鶴のようで、花嫁探しに来られた方々も、その多くはまず最初に鶴さまに注目されるのです。掃き溜めに鶴ではなく、花のようなご令嬢たちの中にあっても百合さまが鶏群の一鶴なのです。

 その鶴さまのお家の紀ノ井家は勲功により華族に叙せられた男爵でした。身分の垣根のない学校では曄子さまとお親しくされており、曄子さまがご参観日にいきり立っておられるのは、参観人たちの眼が大好きな鶴さまを追うことが分かりきっていたからでした。

「とくに、あの男がいけないのよ。数年前から鶴さまに眼をつけて、鶴さまだけをご覧になりに来ているの。舐めしゃぶるようにして百合さまをご覧よ。気持ちの悪い」

 付添室にわたしを迎えに来た曄子さまはわたしを引っ張って教場に戻られると、羽織袴をお召しになっている初老の男性をひそかにわたしに教えました。瓢箪ひょうたんみたいな顔をしたその男性は曄子さまがおっしゃるようにただ気持ちが悪いだけで、すぐにわたしはそのお隣りの、洋行帰りとおぼしきお背の高い恰好のいい男性の方に関心が向いておりました。予感というのか、あの方が鶴さまの結婚相手になるのではないのかとその時に想ったのです。並んだ様子が美男美女でお似合いでしたし、立っているだけでも風采がよくて、あの方ならば鶴さまの夫として申し分ないような気がいたしました。

 後に分かりましたが、まったくそれは当たっておりました。

「紀ノ井百合さん」

「はい」

 参観日だからといって、授業が変わるわけではありません。皇后さまが行啓なされる時も、とくに拝礼するわけでもありません。いつものように授業は進みます。そのまま見学していらっしゃいと曄子さまに勧められましたので、いつか教壇に立つ日の参考になるかと、そうさせてもらうことにして、隅の方におりました。

 豊かな髪を「まがれいと」に結われ、銘仙の元禄袖に袴すがたの鶴さまは落ち着いた声音で先生の幾つかの問いにお答えになり、最後の質問には、

「わかりません」

 すらりとお返事になりました。衆目の中でも、わからないと素直にご返答される気負いのないご様子にこそ素直なご麗質があらわれておられて、参観の男性やその父母は紀ノ井百合さまの名をまたひとしおにご記憶なされて、家に帰られたことと想います。



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