露草の栞 中篇(下)


 津守垣つもりがき男爵家とのご婚約がととのい紀ノ井百合さまが女学校を退学されたのは梅雨入りの頃、紫陽花に彩られた小雨の日でした。

 結婚できぬまま十七歳で華族の女学校を卒業することを、卒業面と云い、素行不良の証か不器量の代名詞のように云われていた時代でした。かといって実際そうであったわけではありません。卒業はさせるという約束が両家でなされていたり、何事もなく卒業されたとしてもその後のご令嬢たちは家の中で花嫁修業に励みながら数年のうちにはやはり縁談がまとまって、とどこおりなく釣り合った家にお嫁にいきました。卒業面とはふざけて称しているだけで事実は違いましたし、将来を悲観している者など誰ひとりとしておられませんでした。

 卒業を待たずして学校を去っていく方々は、婚家からよほど望まれてのご縁であったという証左でした。確かにその方々の名をきけば納得の、容姿も気立ても申し分のない、外国の王家に嫁がれてもふしぎではない、すぐれて麗しい方ばかりでした。そのうちのお一人が曄子さまのお好きな鶴さまだったのです。

 人妻となられても鶴さまとのご親交はおかわりなく続くというのに、奪われたようなお気持ちなのか、曄子さまはしばらくご機嫌ななめでした。

「調子のよさそうなバタくさい男。鶴さまは野分に攫われていったようだわ」

 曄子さまは鶴さまのご結婚相手についてさんざん悪口を云っておられましたが、

「あれ、珠真ちゃん」

 その鶴さまの旦那さまから道端で気さくに呼び止められましたので、曄子さまからお譲りいただいたパラソルを夏日に傾けていたわたしは心臓が止まりそうな想いをいたしました。お仕着せの運転手に運転させている青磁色のベルリエから顔を出されているのは、鶴さまの旦那さまになられた津守垣さまでした。

「鈴白家の珠真ちゃんでしょう。お遣いの帰りかい。暑いだろう、乗りなさい。送ってあげよう」

「とんでもないことでございます」

 白麻のぱりっとした背広姿の津守垣さまはベルリエの扉を開いて、男友達を呼び込むかのように腕を大きく振って手招きをされました。

「遠慮せずに」

「わたしは使用人でございます」

「珠真ちゃん、君はもとはといえば藩の殿様のお匙の家で、藩医といえばほぼ士族、御典医ならば姫とよばれていたような立場だよ。君の亡くなられたお兄さんは、ぼくの後輩だ。彼は水泳が得意で、赤組と青組に分かれた大川でのボートレースに同じ組で出たこともある。つまりぼくから見れば君は妹のようなものだ。妹には責任がある。さあ」

 大川とは墨田川のことですが、兄がボートレースに出ていたことは知りませんでした。医師であった父を亡くした後、世話をしてくれる人がいて、その頃の兄は通学しながら侯爵家の書生として住み込んでいたからです。

 兄の話に釣られてわたしはベルリエに乗ってしまいました。それまでわたしは自動車に乗ったことはありませんでした。財閥にしか所有できないような高級輸入車のぴかぴかの車体に手をつかないように、下駄から土を落とさないように、そればかりを考えて頭がいっぱいで、津守垣さまが何か云っているのを一度目は聴き逃してしまいました。

「えっ」

「えっ。ではないよ。いい話だろう」

「曄子さまではなくて」

「うんうん。百合も君のことを褒めていたし、ぼくも君とあらためてこうして話をしてみて、実にいい子だと想ってね」

 話らしい話なんかしたでしょうか。膝の上で風呂敷を抱えて、わたしはもう一度訊きました。曄子さまではなくて。

「学寮で一緒だった旧越後長岡藩士族の真面目な新潟人でね。百合も何度か逢ったことがあるから彼のことは知っている。医学を修めて身を立てているが、彼の世話をするお嫁さんがいたらいいと想っていたのだよ。君は女学校も出ているし、医者の家の娘なら万事心得ていてお誂え向きだ。実はこの話は百合が云い出したことなのだ」

 百合さまが。

「片桐という男だ。医学生だった君のお兄さんとも知り合いだよ。華族の嫡男のぼくが士族の片桐や君のお兄さんと親しいのは何故かって?」

 津守垣さまは、華族といっても元大名とは違って、ぼくのところや妻の百合の実家の紀ノ井家は後付けの勲功永世華族だからまるで違うよと説明されました。

「鈴白さんのところはだいぶん開けておられるけれど、それでも家長を今でも殿さまと呼ぶだろう? 新華族にはそんなものはない。それに男だらけの学校なのだ、宮さまは特別としても、華族も士族も平民も一緒になって暴れていたものさ。なんだか亡くなった君のお兄さんが妹の珠真ちゃんと片桐を結び付けて欲しいとぼくに頼んでいるような気がするのだがね。どうだろう、この話」

 お返事を考えている間に、車は鈴白邸に到着してしまいました。

 話はとんとん拍子に進んでしまいました。子爵さまはもったいなくも「珠真の父親代わりなのだから」とおっしゃいまして、他のご令嬢たちの時と同じように周囲がまず前向きになって、わたしが気が付いた頃には津守垣さまとご一緒にお話を進めてしまっておりました。片桐さまのことを鈴白子爵さまが「虎ノ門で見かけた」と直にご存じであったことが縁談をはこびやすくしておりました。

 津守垣さまのなさることの早いこと、弘前にいる次兄からめずらしく手紙が届いてみると、そちらにも津守垣さまから見合いの話がいっていて、珠真の夫には医者がいいとかねてから考えていてこちらでも探していたくらいなのだから片桐氏の身上書に不足なし、万事、鈴白子爵さまと津守垣男爵さまにお任せでよいと云うのです。

 なんといっても愕かされたのは、津守垣さまが子爵家にいらしたと想っておりましたら、「珠真さん」と女中頭に洋間の応接室に行くように云われて、お茶をお持ちして顔を出したところ、津守垣さまと、津守垣さまと同じお年頃の眼鏡をかけた方がお座りになっていて、なぜか津守垣さまがわたしに笑いかけて片目をつぶってしきりに何かの合図をなさるのを何だろうと想っていたら、津守垣さまのお隣りにいた男性がなんとその医者で、それでお見合いが済んでしまったのです。

「見た?」

「あまり見ておりません。そんな。まるで知らないものですから」

「鈍すぎるわよ珠真。いいわ、わたしがその方をよく見てあげる」

 さあっと廊下を走っていかれたと想うと曄子さまはしばらくして戻って来られました。

 その午後は曄子さまとご一緒に、日露戦争で不具になられた方々のための慰問袋を作って過ごしました。女学生から届く手紙や画や習字はいつも大人気だということで、宮家の方々が各女学校に声をかけて回るのへ、いつでも供出できるように袋の中に入れるものを閑があれば作って用意しておくのです。令嬢たちはひととおりのことをやるだけで、後は女中で得意な者に頼んで、メリヤス編みの靴下や襟巻や帽子などを時間があるときに少しずつ進めておき、冬になるとすぐに渡せるように準備しておおきます。女学校には裁縫や家政の授業もありましたが、所詮はお姫さまがた、表面をなぞるだけ。お裁縫の宿題が出たとしても、「残りはおうちの方におさせなさい。お針の方がいらっしゃるでしょう。それで運針の成績をつけます」と先生がおっしゃるくらいの鷹揚なものでした。

 わたしが曄子さまのものを預かって仕上げておりますと、曄子さまは負けん気を出されまして、「珠真、教えて」裁縫函や編み棒を持ってこられました。妹に教えるようにして小豆を入れたお手玉作りからはじめまして、今では曄子さまのお針も編み物もかなり上達なさっておりました。

 最後に、和歌をしたためましたものを入れて、慰問袋を閉じました。

 あの方ならいいんじゃない? 曄子さまは最後に付け加えるようにしておっしゃいました。


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