第40話

アゼルがフラフラになりながらなんとか船に向かっていると、後ろのほうで尋常じゃない悲鳴が上がった。

逃げ惑うのはどうやらボアーノの兵士らしいが、一体何事か。

気にはなるが、生憎敵兵がどうなろうと知ったことではない。

民間人は扉、窓をピシャリと締め切っていて出てくる気配がない。

知らぬふりで再び船に向かって歩くが、丁度建物の死角になった所からボアーノ兵に見つかってしまった。

身構えるアゼルに対し、

「なんだ、ゴラ兵か。」

と安堵した様子のボアーノ兵。

よくよく見れば、その顔は青ざめて震えていた。

そして、アゼルの背後から駆け足が聞こえると、彼は大きな悲鳴を上げた。

アゼルが振り向くと、猛スピードで走る大男。

目が赤く光り、口元は血塗れだった。人間とは思えぬ、化け物の形相。

アゼルたちに突進してくることが分かると、ボアーノ兵は足をもつれさせながら逃げ出す。

ところが、化け物は習性なのか逃げる者を追った。

動かぬ足でその姿を目で追うが、次の瞬間にはその目を疑う。

兵士の首元に食らい付いたそいつは、ごくごくと喉を鳴らしている。

目を背けることもできず、アゼルは後ずさった。

ここから離れなければ。頭の中で警鐘が鳴り響くよう。

しかしこの化け物を放置するのも危険すぎる。

ウォルカたちの船に向かっても、ユーテルたち向かう城に向かっても。

刺し違える覚悟でアゼルは小太刀を握った。



ゴラ兵がボアーノに牙剥いたのは、ホリンの想定以上の混乱をボアーノにもたらした。

同時に、ゴラが綿密に訓練された屈強な兵団なのに対し、ボアーノ兵士は単なる烏合の衆であることも露呈したのである。

密かに打倒ボアーノを掲げ、ボアーノに従順な振りをして機を伺っていた。その成果であろう。

西側もおそらく同様であることは明白。この場はゴラ兵に任せ、リーディスに視線を送る。

ホリンはこの後、地下通路を通って城内に侵入する手筈になっていた。

西側からは同様にユーテルとルーヴァが城内へ入るので途中で落ち合う。

リーディスは残ってゴラ兵の支援。

予定よりわずかに速いが、ホリンは森に隠された地下通路への入り口に向かった。

周囲に目印はない。

「···えーと」

頭に叩き込んだはずのその場所がこれでは分からない。

ホリンが迷っていると、後ろからリーディスの声。

「こっちだ」

彼女に案内された場所は茂みの根元。

見ただけでは全くわからない。

しかしリーディスがわずかに草土を避けると、木製の扉が現れる。

まるで魔法を見たようだった。

「道なりに進めばユーテル様たちと落ち合えるはずだ」

みしみしと軋んだ音を立ててリーディスが扉を開ける。中は真っ暗闇。

下まで何メートルあるかも分からない。

さすがに躊躇するホリンにリーディスが明かりを渡す。極小の松明だ。

「くれぐれも気をつけて。」

「はい。」

小さく返事をすると、ホリンは松明を加えて梯子を降りた。松明では足元まで照らすのがやっとではあるが、幸い深さは思ったほどではなく足が地に着く。

道幅は一人二人分ほどしかなく、高さもホリンの身長より高い程度。つまりせまい。

酸素量が心配ではあるが、手に持った松明は空気の流れを可視化するように揺らめいている。

これならしばらくは問題ないかと判断したホリンは道の先へと進んだ。


小さな松明に照らされ、辿り着いたのは木製の扉の前。長い間手入れなんてされていないらしく、所々が朽ちていた。

ユーテルはその前で足を止め、懐の時計を見る。

予定時刻より早め。

反対の道より来るはずのホリンを待った。

ただ、どうにも妹の一人が一緒なのは納得できない。

「ルーヴァ、待ってればいいのに」

戦闘力は高めといっても、心配は尽きない。

できればケガ一つしてほしくない兄心なぞどこ吹く風。

「嫌だ」

そう言ってぴしゃりと拒否。

本人も兄を守りたいがため武芸に勤しんできたのだ。ユーテルがそこまで心配をかけて来た結果なのだろう。

そう思うと強く反対もできず、ならば彼女の腕を信じる他ない。

もう一度時計を見ると、まもなく予定時刻。

それを確認したら微かに足音が聞こえた。

「ルーヴァ、とユーテルさん」

ホリンだ。

「東門の守備は?」

「良きです。ゴラ兵が奮戦してくれています」

「だな。しかし、だ。もうその情報はジェルフの耳にも入ってるはずだ」

城内にもボアーノ兵はいる。警戒は強めているだろう。

「じゃ、行くぞ」

木製の扉を開けると、上に続く梯子。

ホリンが先頭に上り、頭上の扉を慎重に開ける。

暗い。

松明はまだ必要なようだ。

耳を澄ませて誰もいないことを確認して出た。

声を出さずにユーテルに合図を送って二人も出てくる。

ホリンが周囲を見渡すとそこはまだ小部屋のよう。

少し屈まないと頭がついてしまう。

「ホリン、こっちだ」

ユーテルのあとに続くと小さな小部屋のような空間が祭壇の下部であったことがわかる。

「ここはまあ、王族の墓みたいなものだ。実は俺たちが通ってきた通路はゴラが持っていた地図にも載っていない。コーガの首領と王族しかしらない緊急用通路なんだ」

「だから敵がいなかったのか」

もともと聞いていた話と違っていたが、一部の者しか知らないならそのような事情もあろう。

クラーニ王族の墓だというそこは、ボロボロに落書きや殴打のような跡があって痛々しい。

「···行くぞ」

ホリンは城内の地図を思い出しながらユーテルの後に続いた。

ここが城内一階の墓地であるなら、確か中央の大ホールに近いはず。

扉に耳をつければ、遠くで声が聞こえる。

まさかジェルフではないだろうが、城内の警備なら手強いだろう。

「ユーテルさん、俺が先に行きます」

「いや、しかし」

「大丈夫です。ユーテルさんとルーヴァは安全を確保してから出てください。」

ユーテルは不満そうな顔を見せたが、そもそもホリンがついてきたのは二人の護衛である意味合いが強い。ユフィールからも、くれぐれもユーテルに無茶させぬように言われている。

姿勢を低くしてそっと扉を開けると、左側約20メートル先に兵士が二人。

緊張感なく談笑している様子がみてとれる。

奇襲といいたいところだが、少々遠い。

彼らまでの所に身を隠せる場所は一ヶ所。

大きな観葉植物だ。

音を立てぬよう扉を出て、その植物の所に身を潜める。葉を揺らさぬよう注意しつつ、兵士を見れば気付く気配はない。

しかし別の所から足音が聞こえると、あまり時間もかけていられぬと判断できる。

ホリンは剣の柄を握り、姿勢を低くして駆け出した。

ホリンに気づいた兵士は銃を構えるが、突然の出来事に狙いが定まらないらしく、あえなくホリンの剣を受けてしまう。

丁度そこへ、別の場所から通りかかった3人の兵士がいたが、こちらは剣だった。

剣相手の方がホリンにとって戦いやすい。

ほぼ瞬殺といっていいくらいの間に5人倒した。

元来た扉に戻り、ユーテルとルーヴァに声をかける。

「とりあえず、近くにいた兵士は倒しました」

「早いな。それじゃ、ジェルフを探そう。城にしてはさほど大きくないし、いるとすれば二階かな」

今度はユーテルが先頭、ルーヴァを間に挟んでホリンが殿だ。

駆け足で大ホールに向かうとまたしても兵士5人に出くわすが、ユーテルが3人、ルーヴァが2人を倒す。

それだけで済めば良かったのだが、生憎大ホールに兵士がわらわらと集まっていた。ざっと20人はいようか。

幸いなこともあった。

大ホールの東西両サイドには階段があるが、東の階段の上に忘れもしないジェルフがいたのだ。

ニタニタと笑うジェルフに、ユーテルは今すぐにでも斬りつけたい衝動が沸き上がるが、さすがに状況が許さない。

「やっと会えたね、ユーテル皇子。ミディール皇女。会いたかったよ。」

ジェルフが言い終えるかという所で兵士が一斉に斬りかかってきた。

剣を持つもの、銃を持つもの様々だがどうやら敵にはそれが仇となった様子。

敵が発砲した銃が、ボアーノ兵を撃つ。同士討ちでボアーノ兵がバタバタと倒れたのだ。

ジェルフもその様をみているはずだが、不気味な位に落ち着いていた。

「やれやれ。こんなにつかえんとは。まあ、良いが」

背を向け、どこかに去ろうとしたジェルフをルーヴァが追おうとする。

「待て!」

「私は何処にも行かんよ。最強の兵を連れて来るだけだ。」

残った兵の攻撃を躱しつつ、ジェルフの動向を伺った。

「ルーヴァ、ケガはしてないか」

ジェルフが姿を消すやいなや、ボアーノ兵もどこかへ散っていく。

一息つけたい所で、ホリンはルーヴァにそう声をかけた。

「ん。大丈夫。···なんか、不気味なんだけど。」

「最強の兵?···そいつ倒したら、もうここも終わりだろ。」

誰が出て来るのか見当もつかない。

「だといいんだけど。」

ジェルフのいた場所を見上げる3人。

しかし、突如男の悲鳴が聞こえた。各々武器を構える。

次の瞬間、ライオンのような猛獣が姿を現した。

その口には皇帝ジェルフが血を流して咥えられている。

「ライオン?!」

ルーヴァが驚いて目を見開く。

しかしユーテルの記憶のライオンとは異質だった。

「いや、ライオンよりはるかに大きい。それにライオンに角はない」

「じゃあ、何あれ」

そんな会話を耳にしつつ、ホリンは昔文献で見たものを思い出した。

「魔獣キマイラ」

言っておいてそんなバカなとは思う。

ユーテルもルーヴァもそんなバカなと思っただろう。

この世界に魔力があった頃、古い古い時代の生物だ。

何故いるのか。

疑問は絶えないが、さあどう倒せば良いのかが一番の疑問なのであった。


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