第37話

「ご機嫌はいかがかな、ウォルカ皇子。」

「……最悪。」

薄暗い地下の独房。日が当らず、風も入らない。寒さに肌が粟立つが与えられたのは薄い衣一つのみ。膝を抱えて寒さに耐えていると、鉄格子の向こうにこの国の皇帝であるジェルフ・ダーマーがやって来た。

「そう言わずに。しかし左の紅い眼がないのは残念だったな。」

「なぜ?」

「聞いたことないかな?“紅い眼は世界の覇王たる資質を齎す”。」

「…そんなわけない。眼なんてただの眼だ。」

「そう?実際、クラーニに遺伝する紅い眼には人を魅了するような強い輝きがある。兄弟のなかでも君は格別だった。自覚はなかったかい?」

「全然。」

「ないものは仕方ないな。まあいい。もうすぐユーテルも来るだろう。彼のを頂こうか。」

昨日漸くウォルカがボアーノに到着した。長い間の憂いであった靄が、もうすぐ晴れるとジェルフの心は躍る。

「眼なんかほしいのか?」

「眼が欲しいというより…世界の覇王の資質だよ、欲しいのは。」

本当に眼にその力があるとは信じがたいが、実際にクラーニは世界各国の中でも特別長い歴史を持つ。神の眷族とまで謳われる美しい容姿と清廉な性格は長く人民の心を掴んできた。ジェルフはなにより、それを手にしたかったのだ。

「だけど、君は不思議だね。その紅い眼が失われているというのに、右の碧の眼に惹きこまれそうだ。…左眼があったなら、末恐ろしかったな。」

「…随分と眼にご執心の様だけど。そもそも、眼にそんな力があったら、父や母は貴方に殺されることもなかった。違うか?」

「ふふ、そうかもね。でも、クラーニのオッドアイはかつて魔法が存在した時代の遺物だと認識している。ということは、今でも眼にはわずかに魔力が秘められている可能性はあるだろう?」

「魔力なんて、とっくにこの世から消えてるんじゃないのか。」

昔々、世界には魔力が満ちて人々は魔法で文化を築いた時代があった。ところがある年代を境にこの世から魔力は失われ、その理由はいまだに謎とされている。神の真似事を始めた人間から神が魔力を取り上げたといった説や、戦争により魔法で破壊された世界を神がリセットしたといった説が有名だが、どれも決定的な根拠はないままなのである。魔力が確かに存在したことは、世界各地にある遺産や文献で示されていた。だが、今はもう完全に魔力は消えた、というのが通説である。初等教育で習う、世界史の常識だ。

「そう言う学者が多いけどね、真実を知っている者はいやしないんだ。可能性があるなら、掛けてみたいじゃないか。それに単純な話、魅力的なものは欲しいさ。」

「眼なんて気味悪いけど。」

「まぁ、悪く思わないでくれたまえよ。君達が生きていると完全なボアーノ帝国は建国されないのだから。」

「…………。」

「大丈夫。心配しなくても兄君が来国するまでは君も生きていられるからね。」

皺を深くして笑うと、ジェルフはウォルカの牢の前から立ち去った。

「さて、まずは。ボアーノに来るだろうユーテル達を迎え討たねば…。北のガーラマルダから陸で来ることはおそらくないだろうが、一応警戒を強くしよう。ゴラはクラーニとは旧知の仲だが…今や忠実なボアーノの傘下。念のため王の子供を人質にとっておいて良かった。役に立ちそうだ。」

ぶつぶつと言いながらジェルフはこれからの戦いに備える。自信はあった。

このために色々と手をまわしてきたのだ。

ゴラは特にクラーニとの結びつきが強い。武力制圧したとはいえ、簡単に言うことを聞くような国ではない。だからこそ、幼い王子を預けてもらうことにした。忠誠の証として。それ以降はうまくゴラを操ることに成功したのだった。

ついに活かす時がきたと言えよう。

「あとはそうだな。あの兵器がちゃんと使えれば万全。ゴブワードはイマイチ信用できないからな、後で一度見に行っておくか。」

学者であるゴブワードは、腕は確からしいが、性格に問題がある。研究費の他に多額の給料を払っているだけでそこに忠誠などというものはない。足らないと言われては金を毟り取られる。いい加減、始末したくてしょうがないのだ。

地上への階段を上りきると、長男のペグノバーニと次男のズイールとすれ違った。ひょろひょろの長男に比べて、次男は長身で筋肉隆々、髭面の大男だ。

「あれ、親父どうしたの?」

欠伸をしながら、ペグノバーニは父親に話しかける。帰国したばかりで疲れはまだ身体に残っていた。

「いや、皇子の様子を見に来ただけだ。…こんな所で遊んでいないで、いつユーテルが来てもいいように準備は怠るな。」

「へいへい。」

不真面目なペグノバー二は適当に返事をした。ジェルフが舌打ちをしたのが聞こえたが、知らん振りをする。

ジェルフと入れ違いに、ペグノバーニとズイールは牢の前に立った。

「どうも。親父に意地悪でも言われた?」

「………。」

質問には答えず、ウォルカはただペグノバーニを睨んだ。初めてウォルカに会うズイールは何かに当てられたかのようにかすかにたじろぐ。片目、片足がないことと、半身にひどい火傷跡があるせいかもしれない。

無視されたことには頓着せず、ペグノバーニは続ける。

「長い旅お疲れ。っていっても、乗ってるだけだったから別に疲れなかったかな。」

「………。」

「あまり食事を摂ってないらしいね?せめて食の楽しみくらいは謳歌したら?」

「………。」

集落を襲わせたのはジェルフに違いはないが、ユダイエを直接手にかけた本人とは話をする気にはなれず、ウォルカは口を閉ざしたまま眼まで閉ざした。

「……最後まで君を追いかけてきたお友達はどうなっただろうね?」

「…っ!」

嫌味な物言いをするペグノバーニにウォルカは思わず反応した。船の中もずっと頭を離れなかったアゼルの顔が思い出される。

「話してくれる気になった?助けるなんて言ってたけど、生き延びられるとは思えないんだよね。」

「…なんで…。」

自分の発した声が震えてるのにウォルカは気付く。アゼルや集落のみんなが死んだとは怖くて考えたくない。

「うちで使ってるのは特殊な毒で、大人の象でも10分足らずであの世に逝けるんだ。武器にはその毒を仕込んでたからね、少しの傷でも致命傷。それにあの後も第2陣、3陣と援軍を増やして徹底的にやったから、全員もう生きてないんじゃないかな。後でルトー皇子の死体は回収しなきゃね。」

「そんなことないっ。」

ぺらぺらとしゃべる言葉がうっとおしく、ウォルカは声を荒げる。

「みんなが、ルトーを死なせない…。」

「じゃ、みんなは死んじゃってる?」

「あんたが知らないだけだ。みんな、強い。」

「そうだろうと思って、猛毒を用意したんだよ。まともに戦ったら勝ち目なさそうだったからね。」

「毒にも慣らしてある。」

「ふ~ん。でもまともに解毒治療できる設備があるのかな?一応、生活空間は焼きはらえって指示もだしてたんだけど?」

「…焼、き…?」

「そう。森は火の海になっただろうね。」

話をしているうちに、ウォルカは目の前が暗くなっていくのを感じた。

みんなが死んだなんて思いたくないが、生きていると自信をもって言える根拠もない。

「それでもまだ、弟達が生きてるなんて幻想抱ける?」

にやにやと、ペグノバーニが笑う。

「クラーニに生まれたばっかりに、災難だったね。」

「災難…?」

絶望感は怒りに変わり、右手で拳を握って床に叩きつける。

「それでも俺はっ、クラーニに生まれたことは後悔しない!」

後悔したら、これまで支えて来てくれた人に会わせる顔がない。

「大したプライドだね。…ズタズタにしたくなるよ。」

そう言うとペグノバーニはポケットから鍵を取り出し、牢の扉を開ける。その隙に逃げだすことはできないため、見せつけるように扉は開けたままにしていた。ズイールはそのまま動かず、ペグノバーニの背後からじっとウォルカを見ている。

ペグノバーニはウォルカの前に来ると、火傷痕のない右頬を撫でた。ウォルカはおぞましさを堪え、睨みつける。

「さすが、クラーニは人をたらし込む天才。肌なんて真珠みたいだ。」

嫌味を話しながら、ペグノバーニは火傷で変形した左手を乱暴に掴む。

「さてと、どこでやめてくれって言うかな?」

「痛っ…!」

ペグノバーニは取り出したナイフでウォルカの手の甲を突き刺した。血が飛散るのも構わず、ナイフをさらに抉る。

「……つっ…!」

唇を噛み締め、痛みに耐えるウォルカの全身から脂汗が吹き出す。

「さすがに顔色変えてくれたね。やめて下さいっていえばやめてあげる。」

「…だ、れが言うか…っ!」

痛みなんかに屈したくない。ウォルカは切にそう思った。死んだ方がましな目にあっても、こいつらの思うとおりになんかなりたくなかった。

「あっそ。俺はべつにいいんだけど…。」

手の甲からナイフを抜いたかと思うと、今度は細い針で指先を刺す。神経の集中する指先には想像を絶する痛みが走った。

「…っ………はっ…!」

二本目の針が刺されると、目から涙が零れる。それでも必死に懇願の言葉は堪えた。5cmほどの針は根元まで刺され、ペグノバーニはなおも針を取り出す。

「まだ耐える?もっと酷いことしちゃうよ?」

5本の指に針が突き刺された。気を失ってしまえばどれだけ楽かと思いながら、血が流れる自分の手をぼんやりと見る。いつの間にか身体は倒れ、起き上がる気力もなくなっていた。

「う~ん。お坊ちゃんにしては根性あるね。」

ペグノバーニもまさか5本針を埋めようとは思っていなかった。だが、黙って耐えるウォルカの姿を見てなんとしても懇願させたいという苛虐心に火がつく。

「涙で綺麗な顔がぐっちゃぐちゃ。まだ降参しないなら、今度はこれ。」

手にしているのは太いボルトが10本ほど貫通している木の板。長さは30cm、幅15cm。ちょうど人の肘から先の大きさである。

「これを腕の上において踏んだら、骨砕けるだろうな。」

「…………。」

眼の前に突きつけられても、ウォルカは降参しなかった。業を煮やしたペグノバーニは今しがた針を突いた手を引き、板をおいて言った通りに体重をかける。

「ぐっ…あぁっ…っっっ……!」

骨が折れる音が聞こえる。激痛が走る腕がもはや自分のものではないようで、心まで折れる寸前だった。

「ほら、言ってみなよ。許して下さいって。」

「…っうっ…っ!」

ペグノバーニの声はもはや遠くにしか聞こえなくなっていた。

「…そのへんにしておいたらどうだ。意識飛んでるぞ。」

後ろからのズイールの声にペグノバーニは振り返る。ウォルカに目をやれば、確かに虚ろな目で荒い呼吸をしていて、身体は痙攣していた。

「おまえはいいの?こういうの好きだろ?」

ズイールはペグノバーニの上をいくサディストだ。ボアーノ軍の兵士から何かと理由をつけては拷問部屋に連れて行き、気が済むまで折檻なんてのはもはや日常だ。一緒に責め苦を与えにやってきたとペグノバーニは思っていたので、ズイールの言葉は意外な反応だったのだ。

「気を失ってる奴をいたぶるのは好きじゃない。今日はもう引き上げるぞ。」

「ふ~ん。ま、それもそうか。」

一気にやりすぎて壊してしまうのも勿体ないと、ペグノバーニは牢から出る。カギを掛けて二人は無言で去っていった。

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