第36話
シヴァの森は奇妙なほど静まり返っている。
夥しい数の死体が転がり、木々の焼けた匂いが立ちこめるが、タゴルダのはずれにある森の中の事件など、知る者はいない。
「…ひどい…。」
元は弟達が住んでいた集落の、目をそむけたくなるような惨状にルーヴァの足が止まる。
「あぁ…。人の気配がしないな。ここには誰もいないか…。」
前を歩くユーテルも、悲惨な現状に顔を顰めている。
9棟あった建物は焼けて崩れ落ち、自給自足のための田畑も当然焼かれていた。遺体も、仲間かどうか顔では判別がつけられない。
「この小太刀と時計…、カインだ。」
「みんな無事で…ってのは、甘かった。ルーヴァ、泣くのはもう少し後にしろ。」
「分かってる。」
ルーヴァの声がかすかに震えていた。涙をこらえようと、唇をきつく噛む。
「とにかく、リーディスの所に行こう。まだ残党がいる可能性が高いからな、ホリンも気をつけてくれ。」
「はい…。ここには何人くらい住んでたんですか?」
「20人くらいかな。どのくらいの敵が襲って来たのかは分からないが、みんなかなり腕が立つはずなんだ。」
ルトーの話では夜襲だったらしいが、それにしてもここまでの被害とは、ユーテルも予想外だった。ルトーが大きな怪我なく逃げだせたことは、まさに奇跡だと思う。
コーガ忍隊とは、有事の時に落ち合う場所を決めてあり、すぐにそこに向けて歩き出す。
全神経を集中させるが残党はほとんど残ってはいないらしく、襲撃を受けることはない。
ルーヴァの身が心配でついて来たが、それについては杞憂だったかとホリンは考える。確かに襲撃から何日も経っているのでもう互いに戦意はないのかもしれない。
(何事もなければそれでいいと思ってたけど…。)
数は数えていないが、遺体の数から推測してもかなり被害は大きい。軍に身を置いていたホリンはこういう状況も経験しているが、ルーヴァはどうだろうか。身体よりも精神の方が心配になる。仲間の死を目の当たりにして、心が折れたりはしないか。
(俺が心配することじゃないけどな。)
集落を北西に抜けてしばらく歩くと、もう戦闘の爪痕は残っていなかった。
目的地に着く前に、気配ががらりと変わるのを3人は感じる。
殺気とは違う。
「ここに立ち寄ってしまいましたか。」
頭上から声がしたかと思い、顔を上げるとそこに人はなく、視線をもどせば左腕のない一人の女性が立っていた。
「…リーディス…。腕は?」
「失態です。毒を喰らったため、斬り落としました。…ここにいらっしゃるということはルトー様はご無事だったということでしょうか。」
女性がリーディスと呼ばれたことから、ホリンは目の前の女性がユフィールの姉でガントの妻であることを知る。
(顔立ちはユフィール先生と似てるかも…。でも雰囲気は正反対…いや、雰囲気もどこか似てる。)
いとも簡単に腕を斬り落としたと言う、強い銀の双眸が煌めいている。色こそ違えど、意志の強さが滲み出るそれはやはりユフィールと共通していた。
「あぁ。アゼルとザベルが守ってくれたおかげだ。ありがとう、二人とも無事だよ。…長話している時間はない。残っている仲間とともに、とりあえず船に来てくれないか。」
「いいえ、できません。」
「…?」
「コーガ忍隊…全滅です。残っている者はアゼルとザベルを除けば、私一人。」
「………。」
衝撃なリーディスの発言に、ユーテルは言葉が出せなかった。よほどショックが大きいのだろう、ルーヴァの足がふらつき、ホリンが肩を支える。華奢な肩はやはり震えていた。
「…奴らが扱うこの毒が強力過ぎました。コーガの血族ならいざ知らず、普通の隊員ではわずかな傷でも致命傷になります。戦力にならないと察した隊員はみな、自ら命を断ちました。」
自害、その事実に心臓をわし掴みにされたような気がした。
「集落が焼かれ、いざというときの隠れ家にはわずかな食糧と薬しかありません。集落がなくなることは必然的に忍隊の壊滅に繋がるのです。」
「……そうか……。すまない。もっと早く来れればここまで酷いことにはならなかった。」
「いいえ。………そもそも、裏切りなんてものがでないよう、もっと管理しておくべきでした。私の甘さが招いた事態です。大変、申し訳ありませんでした。」
リーディスが片膝をつき、深く頭を下げる。
「いや、リーディスはよくやってくれてるよ。とにかく、リーディスもちゃんと治療が必要だろ?」
頭を上げるように促すユーテルだが、リーディスは素早く身を離す。
「治療は必要ありません。この腕では戦力外、戦力外のコーガは死ぬが必定。そうでなくても、監督不行き届きで腹を切らねばなりません。アゼルとザベルさえ無事なら、コーガはまた立て直せましょう。」
身を離したリーディスは懐から短刀を出す。口で鞘を外し、刃を首筋に当てた。
「リーディスっ?!ダメだ!!やめてくれっ!!」
「リーディスさん、死んだらダメっ!!」
ユーテル、ルーヴァが必死に呼びかける。しかし、それでもリーディスには凛とした態度で淡々と話を続けた。
「それがたとえ命令だとしても、聞くことはできません。コーガは特殊な忍。初代からずっと、クラーニの後継者を守るための存在。足手まといにしかならない身は、散るのみなのです。」
短刀の刃が肉に喰い込み、紅い血が流れる。
「ユーテル様、クラーニの復興を…お願いします。」
リーディスの手が動くより先に、ユーテルの後方から拳大の石が飛んで短刀を弾く。
「っな……。」
一瞬できた隙を無駄にしないよう、ユーテルはリーディスの腕を抑え込む。
「片腕でも、できることはあるはずだろ?!」
普段温厚なユーテルの、珍しく強い口調だ。
「クラーニの復興を願うなら……、もう少しの間でいいから力を貸してくれっ!」
「リーディスさん…っ。」
必死に呼びかける。クラーニを想うことは死ぬことだなんて思っていてほしくない。
「一番の戦力は武力ではなく情報。コーガからそう教わって来た。…コーガの頭領なら、それこそ世界中から情報が届くはずだ。ちがうか?!」
それはユフィールが口癖のように言っていた言葉だった。情報を制した者が戦いを制す、と。世界各国に耳を持つコーガは、とにかく情報を得ることに長けているのだ。それを自在に操れるのはそれを束ねる族長のほかにない。
それだけを期待しているユーテルではないが、なんとかリーディスに思いとどまらせるアイテムがほしかった。
じっと見据えるユーテルに観念したように、リーディスはため息をつく。
「…わかりました。ユーテル様とミディール様にこうまで言われては敵いません。」
「リーディス…ついてきてくれるか。」
「えぇ、お伴します。…考えてみれば、アゼルもザベルもまだ子供でした。」
リーディスの言葉にユーテルとルーヴァがほっと息をつく。
ユーテルが手を離したリーディスの手首にはくっきりと跡が残っていた。
「良かった…。リーディスさん…」
気付けばルーヴァの眼から涙が零れ落ちていたのだった。眼の前で人を死なせずにすんだことでホリンも安心した。
「あ~あ…。なんだこの腕。」
船に戻って開口一番はユフィールのこの一言だった。セレーヌや他の船員達が言葉を失うなか唯一、単にかすり傷でも負ったかのような反応だ。
「斬り落とすにしてももう少し後治療はちゃんとしろよな。ったく仕事増やしやがって。」
「悪いな。まともな医療器具は燃えた。」
「あっそ。俺だって貧血なんだから、手元狂うかもしれないけどな。」
「それならそれでも構わない。」
仲がいいのか悪いのか分からない会話をして、ユフィールはリーディスの腕の治療を始めた。ユーテルはひとまずシヴァの森での出来事を皆に説明に行っている。
そこへ、ベッドからアゼルと、目を覚まして間もないザベルがやって来た。
「族長…。」
血のつながりはあってもこの兄弟は母とは呼ばない。あくまで、忍隊の一員であるということ、いずれはその立場を継承すること以外にこの親子のつながりはないのだった。そういう教育が、コーガには代々されてきた。情に流され、本来の生き方を失わない為だ。
「ウォルカ様を、守れず、申し…訳ありま、せんでした。」
アゼルが深く頭を下げる。
「挙句、ルトー様まで危険に晒してしまい、お詫びのしようもありません。」
続いてザベルも謝罪を述べた。正直、まだ頭はふらふらして話す気力は弱い。が、そんなことはこの族長の前では言えるはずがなかった。
「いや、ウォルカ様の件は仕方ない。もっと早く情報を掴み、奴が行動を起こす前に防ぐべきだった。責任は私にある。それに、ルトー様は無事だったようだから安心した。……動く元気があれば、直接ユーテル様に言え。」
思いがけないリーディスの優しい言葉に、二人の息子は一瞬声を失って顔を見合わせる。
いつものように強い口調もなく、弱々しい。
当然といえば当然だ。仲間を失い、片腕も失った。さすがのリーディスも平常心を装うのに必死なのだろう。
他の隊員達のなかには自害した者も多数いたらしいが、リーディスがせめて生き残ってくれたことは二人にとって心強かった。
「ま、みんな思うところはあるだろうが、謝罪も言い訳も全部終わってからにするべきじゃないのか。それより、ウォルカ救出のほうに集中してくれ。ユーテルが来たら作戦会議だ。」
ユフィールの言葉通り、医務室をノックしてユーテルがやって来た。
「みんな悪いな。ゆっくり休んでもらいたいが、そうもいかない。すぐにボアーノに向かってウォルカを助ける。そのため、もう少し頑張ってくれ。」
手には世界地図が握られている。それをホワイトボードに掲示すると、ボアーノへ行くルートの相談を始めた。
「そもそもこの船はフェリス・ピークスの船で、すでにボアーノでは警戒されている。ウォルカはおそらく城裏手の牢に連れていかれてるとは思うが、その前に海上で襲撃されたらウォルカの命も危ない。…安全に城内に潜入するのにどこから行くべきか、意見を聞かせてくれ。」
ボアーノではフェリス・ピークスは高額の懸賞金が懸けられている。ウォルカを攫い、ユーテルが現れるのを待つボアーノは海上での巡回を強化するだろう。正面きって行けば、簡単に襲われて救出どころではなくなってしまう。
「だったらゴラ経由だな。船を一船借りてボアーノに入ろう。商船ならより安全だ。」
「待て、ユフィール。ゴラはボアーノの傘下だろ。簡単に船を借りるなどできない。」
「ゴラはクラーニ時代に友好な同盟国だった。ボアーノに代わってからは横暴な武力支配を受けている。打倒ボアーノには同調してくれるはずだと思うが。」
「そうかもしれないが、ゴラにボアーノ軍が常駐してないとは思えない。船を借りるならタゴルダの方が確実ではないのか。」
「海流の方向からみてもタイムロスが大きすぎる。最短はゴラだ。」
ゴラはボアーノの海を挟んで南の島国であり、シヴァの森から海流に乗って行っても5日はかかる。一方で、タゴルダで船を借りるには一度海流に逆らって城下待ちに行かなくてはならず、プラス3日程度はかかってしまう。
ユフィールvsリーディスの言い合いはどちらももっともで、確実性をとるか、時間をとるかの決断をユーテルは迫られる。
「ゴラの、ボアーノの反対で南海岸であれば、普段常駐部隊はいないというのはリーディスの持っていた情報だろう。」
リーディスの部下である“耳”はゴラにも放っている。ボアーノに近い北海岸は常駐部隊がいるものの、南にいることはない。それは確かな情報だった。
「それに懸けろということか。戦闘になった時点でボアーノに知られ、ウォルカ様の命も危うくなるんだぞ。」
「南海岸にはゴラ王もいる。無事にそこまで行ければ、全面的に協力はしてもらえる。それは歴代クラーニ国皇の人柄が培ってきた信頼なんだ。何より、ゴラ王は知略王と呼ばれるくらい、頭がきれる。簡単にゴラに出し抜かれたりはしない。リーディス、クラーニに忠実な俺達がそれを疑うつもりか。」
ゴラもクラーニの復興を願う一つだと、ユフィールは主張する。
「……。」
クラーニとゴラの厚い信頼関係はリーディスも承知している。しかしだからこそ、ゴラもボアーノに目をつけられていないとも限らない。
「…リーディス、俺はユフィールと同意見で、一度ゴラ王に会って協力を請いたい。そこでエーディンやセレスも匿ってもらえるはず。不安要素があるなら、対策を考えよう。」
「…ユーテル様がそう決めるのであれば、最大限サポートします。」
リーディスが折れる形で、行く先が決まった。
アゼル、ザベルも気を引き締める。
数えてみると、ウォルカが攫われてからすでに5日もの日が経っていた。
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