第35話

食堂に行くと4人掛けのテーブルにルーヴァ、ルトーに加えて姉・エーディンも座っていた。温かいスープを飲んで落ち着いたのか、ルトーの涙はもう見えない。

「ホリン、どうしたの?おなかすいた?」

ホリンの姿に気付いたエーディンが、場にそぐわない事を言った。変に明るく振舞うのはさっきまで泣いていた少年に対する気遣いだろうが。眼の下にくまが出来ているのに、疲れた表情をつくらないのは我が姉ながら尊敬する。

「ホリンもスープ飲む?野菜と肉団子いっぱい入れたから腹持ちいいわよ。」

「いや、いいよ。キャプテンにここに居てくれって言われたから来ただけだから。」

空いている椅子に腰かけ、ジッとルトーの瞳を見る。

(…やっぱり兄弟なんだな。)

紅い左目は、ユーテルよりも深みがかかっていた。ユーテルの眼を見た後だからだろうか、ユーテルほどのインパクトはないように思えるが、深みのあるわりにその輝きは強い。

「…ええと、ルトー君、でいいんだよな?ホリンです。初めまして。」

スプーンを握っている方の右手は避けて、左手を差し出す。

「初めまして。ルトー10歳です。」

握手した小さな手は温かく、小さな傷が多くてここまで必死できた様子が分かる。人見知りなのか手はすぐに離されたが、挨拶はきちんと返してくれた。

よほど空腹だったのか、皿に盛られたスープはあっという間に姿を消す。

「ごちそうさまです。美味しかった。」

「そう?ありがとね。お風呂はどうする?あ、でも。子供用の服ってないよね?」

エーディンが皿をかたづけながら、次の算段を話す。ボロボロの服と、泥にまみれた顔から風呂を勧めるが、生憎着替えがないことに気付いた。

「さすがに置いてないな。…私の服の中から着れそうなの探してくるか。」

ルーヴァがそう提案はしたものの、ユーテルが食堂に来てそれは遮られた。ユーテルの後からも数人、クルーがついて来る。

「悪いが、風呂は後にしてくれないか。大事な話だ。」

ついて来たクルーの顔ぶれを見て、ホリンは気付く。

大勢がバタバタと働くなかで、事情が分からないといった雰囲気の3人だった。フェリスの扮装を解いた姿も初めて見るらしい。

ユーテルはホリン達の座っているテーブルの近くの席に着席を促し、全員の顔が見える位置に自分も座る。

「さて、ユフィールみたいに上手く話せるわけじゃないが、少し聞いてほしいことがある。途中で色々と疑問も湧くだろうが、それは最後にしてもらいたい。ルーヴァ、お前も知らないことがある。ちゃんと聞いてくれ。」

「……?」

改まって話すユーテルを、ルーヴァも不安そうに見ている。そもそも、ルーヴァにも知らせていない話とは何だろうか。ホリンとエーディンも顔を見合わせ、じっと耳を傾ける。

思わせぶりの前置きをしてから、ユーテルは語り出した。

「まず、俺はユーテル・クラーニ。この船を立ち上げたフェリス・ピークスは、本名をアーサー・ファウレスと言って、俺の伯父に当たる人物だ。

アーサーは旧クラーニ皇国で宰相を務めていたが、20年ほど前にある事情で国を出ることになる。その時に同行したのがユフィールとガントだ。…当時、クラーニからは同じように国を出るものが相次いでいて、その人間達がアーサー達と合流し、人数が増えた一行は一つの船団となって各国を回ることになった。

そして10年前、アーサー達の祖国、クラーニで大きな事件が起きる。家臣の一人ジェルフがクーデターを起こし、国皇と皇妃を殺害。5人いた皇子はアーサー達が救出したが、その後執拗に狙われ、高額の懸賞金が懸けられた。アーサー達が保護したとはいえ、5人の皇子を一度に匿うのはさすがに目立つ。クラーニは裏の組織、忍隊を持っていたから、下の弟ウォルカとルトーの2人をそっちで引き取ってもらい、上3人、俺とセレス、ミディールはアーサー達と船旅して生活することで世間の眼を逸らした。

しばらくは何もなかったが5年前に、名前をフェリスに変えていたものの、ジェルフに感づかれてしまい、船を襲撃された。皇子達の命には関わらなかったものの……アーサーは死んだ。だけど、その時フェリス・ピークスは各地で力をつけていたし、ジェルフにもフェリスの死を覚られるのは避けたかったから、容姿が良く似ていた俺が変装してなりすましていたんだ。その後はここにいるみんなも知っている通り。

つまりこの船の正体はクラーニ皇国からの堕ち人達ということだ。」

一気にここまでを話し、ユーテルは一息つく。そして年上のクルー達の眼を見て謝罪する。

「特に、ジェイド、ガーニー、パルーにはずっと嘘をついていたことになる。本当にすまなかった。」

頭を下げるユーテルだが、当のジェイド達は黙って顔を見合わせている。

ジェイド、ガーニー、パルーの3人はフェリスの評判を聞きつけて仲間になりたいと言って来た人物だ。その時すでにフェリスは亡くなっており、実質何年も騙して来たに等しい。嘘つきと罵倒されるのは覚悟の上での告白だが、反応を見るのは怖かった。

「フェリスがいないことに失望したのなら、船を降りても構わない。」

頭を下げたまま話すユーテルだが、返ってきたのは意外な言葉だった。

「今さら船を降りるつもりなんてないですよ。」

「実際世話になったのはあんたに違いないわけだし。」

「それに、仲間にしてくれって泣きついたのはオレの方だしな…。」

このまま船においてくれ、と彼らは付け加えた。

「ありがとう……。」

熱くなる眼頭を抑えながら、ユーテルは安堵する。

「ルーヴァも、みんな同じ祖国だってこと隠して悪かった。クラーニ皇族が乗った船と感ずかれないため、船員達と変に身内感覚で接するわけにはいかなかったから…。」

世界中に懸賞金が懸けられた手配書が出回っている以上、自分達は犯罪者であることには違いない。少しでも船の正体が漏れるわけにはいかなかったのだ。

とはいえ、船員達の演技にはルーヴァは舌を巻く。ずっと、クラーニの家臣であり続けているということに全く気付かなかった。情けないといえば情けないのだが、ここは感謝するべきなのかもしれない。

「……もうそれはいいよ。………で、何が起きててこれからどうするの?」

ユーテルが全てを打ち明ける日が来るとは思っていなかった。それだけ、いま大きな事件が起きているということだろう。心臓が掴まれるような不安が、ルーヴァの心を支配した。

「まずコルガで、シヴァの森にいる仲間の中に裏切り者がいる、という情報を得て進路を急遽シヴァの森に変更した。できれば何事も起こってて欲しくはなかったけど、裏切り者がクラーニの仇敵ボアーノと組んでウォルカを攫ったらしい。それだけならず、ほかにもボアーノは傭兵を雇って、皆が生活していた集落を焼き討ちにした。ルトーはガントの二人の息子に守られながらなんとか海に脱出…ということで、まだ森に残ってる仲間に一度合流する。ウォルカも心配だが、おそらく俺をおびき寄せるまでは無事でいるはずだ。」

話を聞いていたルトーの顔が曇る。眼の前に広がった炎の記憶が蘇ったのだ。知らず、涙が零れて姉が優しく抱きしめてくれる。

「…俺の話は以上。シヴァの森まで一日位はかかる。それまでは少し休んでてくれて構わない。」

そうしてその場は解散となる。

事件のあらましは理解できたホリンだが、想像以上に大きな話にとまどっていた。

(ようするに国同士の戦争…だよな。)

ウォルカ皇子がボアーノに攫われて、彼を取り返しに行くなら戦闘は避けられない。勝っても、負けても、歴史は変わる。その大きな波が押し寄せようとしているのをホリンは感じた。






大きな波に揺られ、アゼルは眼を覚ました。見覚えのない天井と、点滴の器具が目に入る。倒れたときはもうこのまま死ぬと思ったが、どうやら命は助かったらしいと気付く。首を回すと右隣にザベルが寝ていた。

「おぉ、起きるの早いな。」

声の方を見ると、ソファに寝そべっている叔父のユフィールがいた。父のガントも椅子には座っているものの壁にもたれて眠っているのが見える。

「さっき治療終わったばっかだぞ。ルトーは無事だし、ザベルももう大丈夫だ。しゃべれるか?」

「あ、りがとう、…ござい、ます。」

うまく言葉は出ないが、なんとか話はできる。

「平気そうだな、良かった。時間が経てばもっと回復する。ルトーから大体のあらましは聞いたから、シヴァの森へ行って他の生き残りと合流することにした。俺もガントも血を抜き過ぎて立てねえのが情けねえが。」

それで、二人ともぐったりしているのか。

「…お、れ、の…毒、は…?」

「あぁ。血にかなり溶け込んでいたからぎりぎりまで抜いた。俺の血を輸血して毒の中和剤を点滴している。完全に毒が抜けるには相当時間かかるだろうから安静にしてろ。…大体、普通の人間ならとっくに死んでる猛毒だ。毒に慣らしてくれた親に感謝しとけ。」

ルトーもザベルも無事であったなら、とりあえずアゼルは安心する。だが、ウォルカを攫われた失態をしておきながら、ただベッドで寝ているわけにはいかない。指を動かし、足を動かして身体の回復具合を確かめる。

(動ける…)

中和剤の点滴は外すわけにはいかないが身体を起こし、ベッドから立ち上がる。

「馬鹿っ、まだ歩くんじゃねえ!」

ユフィールもソファから立ち上がるが、貧血のせいか足がよろけて膝をつく。

「また毒回るぞ…。」

「すぐ、戻ります。ユーテル様に…一言謝罪……。」

立ちあがったものの、身体が自分のものじゃないように重かった。

「ユーテルならいねえよ。いまはもう森に行ってる。戻って来たらここに来させるから横になっておけ。」

「…もう、森、なんですか?」

「あぁ。ほぼ丸一日寝るほどのダメージだってことだ。」

時間の感覚を失わないことも訓練された事の一つだったはずだ。たかが毒で狂わされるなんて、と自己嫌悪に陥る。

「何か食う物を用意させる。今は無理して動くべきじゃない。回復を優先させろ。」

そう言ってユフィールはふらつきながらも部屋を出て行った。

ルトーが保護されたことはまず安心だが、ウォルカから離れてから何時間が過ぎただろうか。

(酷いことをされていなければいいが…)

生きていることが無事とは限らない。あのときの自分の無力さを呪う。とはいっても、時間は刻々と過ぎて状況も変わる。命が助かったのなら、全力でボアーノにぶつかるだけだ。一度死んだと思えば怖いものなどない。左肩に刻んだ血契がひどく疼いた。

「アゼルっ!」

ノックもなしにルトーが部屋に入って来たと思いきや、アゼルの顔を見るなり泣きだす。

「良かったぁ…うっ…し、死んじゃったかと思ったっ。」

「ルトー様…ご心配、おかけ…しました。」

ルトーの泣き声に反応したのか、ガントが起きる。

「アゼル、起きたのか。具合は?」

ガントもユフィール同様、足がふらついてる。身体の大きな父からどれほど血を抜いたらこうなるのかと不思議に思ったが、ザベルは確かに尋常じゃない出血だったことを思い出す。

「声、が…うまく……出ない。」

「そうか。ザベルはまだ起きないが、命に別条はないらしいから安心して休んでいろ。」

「は、い。」

父との再会を果たしたところで、ほのかな良い香りが鼻をくすぐる。

「アゼル、おはよ。ご飯持って来たよ。ルトーの事守ってくれてありがと。」

笑顔で卵粥の乗った膳を運んで来たのはセレーヌだ。アゼルに手渡すと心配そうに点滴の様子を見る。運ばれたアゼルの症状を見た時は絶望的な気持ちだった。あれだけの猛毒が身体中に行きわたって、生きているのが信じられなかったのだ。正直、セレーヌには手がつけられなくて、ユフィールに言われるままのことしかできなかった歯痒さは今も燻っている。ユフィールもかなり血を抜いて歩くのもやっとだが、本来ならユーテル達と一緒に森へ行きたかっただろう。全力を尽くしたユフィールの次は、自分もできるだけの事がしたかった。普段ユフィールに対して憎まれ口の多いセレーヌだが、育ての親の一人でもあるのでなんだかんだ尊敬しているのだった。

「具合はどう?まだ毒は抜けきらないし、血も足らないけど、ユフィール先生が治療してくれたからじき良くなるからね。」

「…ありが、とう、ございます…セレ、ス様…。」

「ここではセレーヌ。体調に異変あったらすぐに言うのよ。」

「は…い。」

アゼルにとってはほんの束の間の休息。気は逸るが、今は回復に専念するしかない。運ばれた卵粥を啜りながら、そういえば久しぶりの食事だと気付いた。

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