第32話
まいった……
結局昨夜は眠れず、かといって夜が明けても起き上がる気にもならずルーヴァはジッと布団の中で過ごしていた。
気を抜くと涙が溢れそうになり、人前には出られないのが、参った。
(大したことじゃない…のに)
そう言い聞かせるが昨夜の恐怖は生々しく、時折吐き気さえ感じてしまう。
なによりも辛いのは…自分の為にユフィールに人殺しをさせてしまったことである。
襲ってくる者に対しては容赦のないユフィールではあるが、同じ船に乗る者を手にかけたのはさすがに初めてのことだった。
人を殺すユフィールのことを怖いと思ったことはない。ただ辛かった。己の代わりに人殺しの咎を背負わせているような気がしてならないからだ。
自分の身は自分で守れるように剣術を学んできたつもりのはずなのに、結局守られることしかできないのか、と。
「ルーヴァ、朝ごはん持って来たよ。入るね?」
ドアの外からノックして入ってきたのはセレーヌだ。
明るい声にルーヴァはほっとする。
「ありがと…」
「ううん。トマトリゾットだけど、食べられそう?」
セレーヌが持ってきたトレイにはセレーヌの分の皿も乗っていた。食事に付き合ってくれるらしく、ルーヴァは素直に嬉しく感じる。
「エーディンさんは?一緒じゃないのか?」
エーディンが船に来てから同じ仕事をこなしていることが多く、二人一緒にいることにルーヴァも見慣れていたのだ。
「うん。食堂の方をやってくれてる。任せちゃった。」
「そう…。」
「夕べはごめんね、助けられなくて…。あたし達二人揃ってエーディンさんに助けられちゃったね。」
話はユフィール先生から聞いた、と付け加えてセレーヌは申し訳なさそうに言った。
「3人のお葬式…簡単にやるって。」
「…そう。…いつ?」
「今日の夕方。…ルーヴァはどうするかって船長気にしてた。」
「……。」
「無理しなくていいと思う。」
「いや、ちゃんと出るよ。」
「そっか……。………ねぇ、ルーヴァ。」
「なに?」
「なんか、最近良くないことが続いてるね。」
「……。」
「まだ続くのかな……。」
「まさか…。考えすぎ。」
セレーヌにそう言いながら、ルーヴァも同じようなことを考えていた。
「シヴァの森で何もないといいけど…。」
「そうだな…。」
悪い予感を感じても、信じたくない気持ちがある。ただ祈ることしかできない。
弟達の元気な顔を見れば、きっとこの不安は払拭される。そうすればもう悪いことは起きない、そんな気がした。
夕方になり、アーヴィン、ガフ、セイゴの遺体を海葬し船員で黙祷した。
葬儀とは言っても船上でできることは限られている。本来なら故人の宗教に近い式にするように神官なり僧侶なりを呼び、献花を行うべきものではあるが、どちらの手配もできないし、喪服を着ている者もいなかった。遺体は腐敗しない内に即席で拵えた棺に納め、錘をつけて海に沈める。ほぼ全員が甲板に集まり、故人達を見送った。
ホリン達一般の船員には3人は度重なる船員への暴行に対する粛清、という話だけされたが、昨夜の様子からおそらくルーヴァが襲われたのだろう。姉に詳しい話を聞こうとしたが話してはくれなかった。
(姉さんが話してくれないってことは…ただ殴られたり蹴られたりしたわけじゃないんだろうな…)
ホリンはちらりとルーヴァの顔を窺ったが、無表情な顔からはなんの感情も読み取ることはできなかった。ユフィールは険しい顔をしたまま、船長と副船長は悲しみとも怒りともとれるような複雑な顔をしている。
他の船員はといえば自業自得だの、因果応報だのと言っている連中が多く、いかに疎ましく思われていた存在かが分かる。誰にも悲しまれずに逝く、なんとも悲しいことではあるが、それが彼らの行いだったのだ。
ホリン自身は、アーヴィンと同室でありながら彼らの凶行を阻止することができなかった歯痒い思いがあった。止めることができれば誰も死なずに済んだし、ルーヴァも傷つくことなかったはずだ、と。
船上での葬儀は簡単に終わり、すぐに船員達は持ち場に戻っていった。
ホリンは操船に戻る前にルーヴァと少し話をしようと声をかける。
「ルーヴァ、……。」
ルーヴァは振り返ってくれたが、ホリンはどう言っていいか分からず固まってしまう。
「なに?」
「ん…大丈夫か?」
当然、ルーヴァは先を促すように聞き返してくる。が、ホリンの口からついてでたのは間抜けなこの一言だった。
日が落ちかけて海も空も橙で、ルーヴァの白い肌も染めているが、近くで見ると目も充血していることに気付いたのだ。
「別に…。何心配してんだよ。」
「目赤いぞ?それに夕方まで部屋にいたんだろ?…体調悪いのか?」
探りを入れるつもりはないのだが、今にも倒れてしまいそうな危うさをなんとかしたかった。
(もっとも、俺なんかに心配される筋合いもないだろうけど…)
「寝不足なだけ。寝れば治る。」
それだけ言うと、ルーヴァはさっさと自室に向かってしまった。
「…そうは思えないけどなぁ……。」
残されたホリンはそうこぼした。
「そうだな。」
ホリンの後ろから同意したのはユフィールだ。
「先生…。」
「あいつは意地っ張りだからなぁ。弱ってる姿は人に見せたくないんだろうよ。」
葬儀まですんで落ち着いたのか、先ほど見た険しい表情は失せ、いつものユフィールに戻っていた。
「そうですか…。…やっぱり、体調よくないんですか?」
「良いとは言えないかな。」
苛々がまだ燻っているのか、煙管を取りだして吸いだした。
(そういえば、手を下したのは先生なんだよな。)
普通のユフィールであればそんな突発的な行動に出るタイプには見えなかった。
冷静なユフィールが、それだけルーヴァのこととなると冷静でいられないということなのか。その二人にはやはり入り込めない絆が確かにホリンには見えた。
「でも先生には素直ですよね。」
「なんだ、嫉妬か?」
あっさりと見抜かれ、ホリンは赤くなる。と同時に自分もアーヴィン達の二の舞になるのではと不安を感じた。
「ま、よほどのことがない限りはアーヴィン達みたいなことにはしねえよ。」
「そうですか…。」
「あいつらは素行が悪すぎたんだ。紳士的に好意を寄せる分には構わねえさ。」
構わない、の一言がホリンには意外だった。てっきり近づくなくらいのことは言われると覚悟したのだ。
「ただもう分かってるとは思うが、そう簡単にあいつは落とせねえぞ。」
「…?あの…ユフィール先生とルーヴァって…」
「付き合ってるわけねえだろ。いくつ年の差あると思ってんだ。」
ホリンの話を遮ってユフィールは素早く否定する。
確かに親子ほどの年齢差はあるが、二人を見ているとそれはごく些細なことに見えていた。
「……そうなんでしょうけど…。」
ルーヴァがユフィールのことを好いているのは間違いないようだが、ユフィールの方はどうなのだろうか。
「なんだよ。なにか釈然としないことでもあったか。」
「ユフィール先生にとって、ルーヴァはどんな存在なんですか?」
「……。」
核心をつくホリンの質問に、ユフィールはすぐには答えない。
「……う~ん、あまり考えたことないな…。…最初は守りたい一心だったけど…。」
「守るってのは、ルーヴァがクラーニ皇女だからですか?」
驚いたようにユフィールはホリンの目を見た。しかしごまかすこともせずに話を続ける。
「知ってたか。でもそれと俺の気持ちは関係ないな。…ただ大事なだけだ。あいつのこととなるとどうも、周りを冷静に見れなくなるくらいに。」
煙管の煙を吐き出し、今回の騒動を振り返ってユフィールは自身をそう分析した。後悔はしていないが短絡的過ぎたとは思っている。
大事、と言ったユフィールの眼は、普段の彼とは違い穏やかになったことにホリンは気付いた。
「…それ、世間では恋って言いませんか?…」
「それはどうだろうな。お前、ルーヴァに惚れてんだろう。俺とルーヴァを付き合わせるようなことを言ってどうするんだよ。」
「いや、可能性ないならさっさと諦める方が賢明のような気がして…。ユフィール先生が相手じゃ勝ち目なさそうですし。」
ホリンはまだ自分の気持ちを持て余していた。出会ってから日が浅い自分と、ずっと側に寄り添ってきたユフィールとじゃ同じ土俵に上がれるはずもない。相思相愛の二人の仲を裂きたいとも思わない。
「勝ち目ねぇ…。あるかどうかは知らねえが、簡単に諦める様な男にルーヴァを渡す気はねえよ。」
「………。」
「参りました、って俺に言わせてみせろ。」
ニヤリと口角を上げたユフィールの言葉に、ホリンは驚いた。意外な言葉ではあったがユフィールの様な男に認められるのは光栄なことでもある。
「そう言われたら、ぶつかるしかないですね。」
「あぁ、全力で来いよ。」
そう言ってユフィールは煙管を銜えたまま楼の中へ入っていった。
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