第29話

火災から一夜明けた朝。

セレーヌは大きな欠伸をしながら船に向かってのろのろと歩いていた。

「…まだ5時じゃない…。なんでこんな時間に出発するのよぅ…。」

「急ぎで確認したいことがあるんだって。それ以外には教えてくれなかった。」

機嫌が悪いのはどうやらセレーヌだけでなく、ルーヴァも一緒らしいとホリンは気付く。

昨夜、ユフィールとユーテルの話が終わってから聞かされたのは結局、急遽出発することになったことと次の目的地が変わったことだけだ。それがどのような理由からなのか、などの情報は一切なかった。それがルーヴァには面白くない、と顔に大きく書かれている。セレーヌはといえば、昨日の火事で死にかけたことより、折角買い物したものがパーになってしまったことのほうが重大らしく、ショッピングに未練があるらしい。

「なぁ、ルーヴァ。次の目的地には何かあるのか?」

「何かって?」

明らかに不快な顔をされたが、めげずにホリンは疑問に思ったことを聞いてみる。」

「いや、だって。次はスニークに行くらしいって昨日の昼は言ってただろう?それを急に変えたってことはその次の目的地に特別な用事があるってことじゃん?」

「まぁ…そうなんだけど。……。」

それきりルーヴァは黙ってしまった。話すことじゃない、と思っているより、話していいことなのか迷っているようでもあった。

少しの時間、話してくれるのを待ってみたが、

「ユフィール先生に聞いてみれば?」

まさかの丸投げだった。

「昨夜の感じだと話してくれるんじゃないか?先生なら。」

宿泊した宿は一緒だったとはいえ、ユフィールとユーテルはさらに早く船へ向かっていた。ガント副船長に事情を話すためだろうとルーヴァは言っていたが、それほどの急用がなんなのか、ホリンにはさっぱり不可解だった。

「でもなんか、あまりいいことじゃなさそうな雰囲気だったよね?」

エーディンも欠伸を噛み殺しつつ、話に参加する。すっかり短くなった髪に慣れないのか、毛先を指先で弄んでいた。火事のショックからか、昨夜はほとんど寝付けず完全に寝不足状態のようだ。もっともそれはエーディンだけでなく、ルーヴァとホリンも同様なのだが睡眠促進剤で早くから寝ていたセレーヌまでが寝不足とはどういうわけか。とルーヴァは思ったが、火事が一番大きなストレスとなったのはどうやらセレーヌのようなので言わずにいておく。

「そうだったの?…でもあそこの知らせだったらいい事のわけはないんだけど、こんなに急に行動することって今までなかったよね…。」

「セレーヌ!!」

「あ、ごめん…。なんか、怖くて…。」

ホリンとエーディンの前で気安く話していいようなことではないような気がして、ルーヴァはセレーヌを窘める。

怖い、と言っていたセレーヌだが、ルーヴァも同じ思いでいた。ユフィールとユーテルが何も話してくれないということが、不安感に拍車をかける。

「よし、早く船に戻ってユフィール先生を問い詰めるか!!」

セレーヌにいつもの元気がないせいか、普段よりルーヴァもエーディンも暗い表情をしているようにホリンは感じた。それを振り払うかのように努めて明るく、歩みを速める。

何か大きな事件が起きてるのではないか、ホリンにはそんな予感が浮かんだ。




予定より早く出航する。そうガントに短く告げた後、ユフィールとユーテルはルーヴァ、セレーヌ達を待つ間船長室隣の幹部室で詳細を説明していた。ユーテルは船での生活通り、フェリスの恰好に戻っている。

「ユダイエが裏切りものか…リーディスがそう感じたなら急ぐ必要があるな。黒幕はジェルフ・ダーマーか?」

デパートの火災があり、ガントはそのことを案じていた。早々に帰ってきたので、その時に誰か大きな怪我をしたものと思っていたのだ。予想外の報告に戸惑う。

「まだ分からないが…。ともかく、リーディス本人から聞かないことにはこちらでは対策が打てない。ルーヴァが戻ってきたらメルをシヴァの森に向かって放してもらおう。」

ユフィールといえども、たった‘裏切り者’という言葉だけでは今できることは少ない。ともかく、一刻も早くシヴァの森に向かう必要がある、確かなことはこれだけだ。

「もしバックにジェルフがいるなら、抗争になるか……。」

フェリスは、戦いは避けられないという憂いと同時に、いよいよ決着がつくのかという期待が混じる。たくさんの人を巻き込んだ、十年にもおよぶこの生活が終わる。勝っても、負けても、だ。

「とにかく、行ってみないことには進まない。ただ、ユダイエの黒幕がジェルフで何か仕掛けて来た時を考えてみろ。邪魔になるのは船に乗っているクラーニ意外の部外者だな。そろそろ潮時だろう。追い出すのも、打ち明けるのも。」

ボアーノとの戦いが身近に感じて来た今、ユフィールが心配しているのはクラーニ臣下でない者が船に乗っているということだ。30人に満たない船員の中で部外者は8名。エーディンとホリンも、問題児アーヴィン、ガフ、セイゴも含まれる。特に問題3人、このまま連れていって戦いの邪魔をされるのは本意ではない。他の人間は主にフェリス・ピークスの強さと人間性に惹かれて仲間になった者が多く、問題を起こす者はいないが、関係のない人間をクラーニの私怨に巻き込むのはどうかと思っている。協力する意思があればよし。そうでなければ船を降りてもらうべきだ。もっとも、ユフィールはホリンの戦闘力は当てにしているのだが。

「…俺も、そろそろ言うべきかと思っていた頃だ。それに、セレーヌとルーヴァもクラーニの家臣団が船を構成しているとは知らないわけだし。…なぁ。ユフィールから上手く話してくれないか?」

「あのな、それはお前じゃないとダメだろ。」

「やっぱり、そうか…。分かった、折り合い見て話しておく。」

こういう話はユフィールの方が上手い。と、思ってダメ元で頼ってみたが、案の定だった。さて、どういう風に話したものか、と考え始めた時、後から宿を出たセレーヌ、ルーヴァ、ホリンとエーディンが船に着いた。

普通ならホリンとエーディンはこの幹部室に入るのは禁止なのだが、セレーヌとルーヴァが連れて来たのだろう、険しい表情をした4人が一緒に入ってくる。

「おかえり、…結構早かったな。」

フェリスはさっきまでの声のトーンより上げて話すが、4人の表情は険しいままだ。

「ユフィール先生、随分急な行動ですけど何かあったんですか。」

「ルーヴァ…話してやりたいが、俺達にも分からないことが多い。まずはすぐにメルを放ってくれ。行き先はシヴァの森。」

「わかりました。やっぱりシヴァの森で何かあったんですね?」

「そういうわけじゃないが、心配なことがあるだけだ。メルが帰ってくればはっきりするだろうから、その時ちゃんと話す。」

ユフィールの言葉をそれだけ聞くとルーヴァはメルの元へ向かう。メルクリウスをこんなに急かされることもあまりないことだった。

「全員揃ったか。なら出航するぞ。みんなに知らせてくる。」

続いてフェリスが部屋を出て行く。

そこで、ホリンがユフィールに聞いてみた。

「シヴァの森に何かあるんですか?」

「…セレーヌ、エーディンとホリンに話してやってくれ。」

少し考えた後、ユフィールはそう言ってそのまま部屋を出て行った。

「話してって…どこまで…?」

名指しされたセレーヌだが、果たしてどういう説明をしていいかわからない。

「任せるってことだろう。…もう意識して隠す必要はないぞ。」

ガントもそう言ってセレーヌの頭を撫でながら部屋を出て行く。

そう言われても…とセレーヌは戸惑う。

船長の出航の合図とともに船が動き出した。



場所をセレーヌとエーディンの部屋に移し、メルクリウスを放したルーヴァも合流する。

「な、何から話したらいいと思う??」

今まで話したことない内容なだけに、普段おしゃべり好きのセレーヌも困っていた。ルーヴァに助け舟を求めるが、ルーヴァも首を傾げている。

「いや、さっきの質問の答えを教えてくれればいいよ。」

そう言ったのはホリンだ。ホリンも事情が全くわからないので、何から聞きたいとは具体的には分からない。

「そうよね。…あのね、シヴァの森にはあたしとルーヴァの弟達がいるの。それから、ガント副船長の奥さんと、息子さん達。手紙のやり取りはいつもシヴァの森とやることが多いのよ。」

「…じゃ、今回急いで向かうってことはその誰かに何かあったってことなのかな?」

「そうかもしれないけど…。それにしては今回みたいなことはあまりないよ。病気とか、怪我だったら今までもあるけど、こんなに血相変えて行くなんて…。」

ルーヴァもセレーヌも、最初はエーディンの言葉通り病気か怪我かと思ったが、それならもっと詳細が分かってから知らせが来るはずだ。ユフィールと船長の雰囲気からして、もっと深刻なことかも、と考えている。

「…そもそも、なんで家族兄弟離れてるんだ?」

なんで今回…ということより先に、ホリンには気になったことがあった。シヴァの森に親族がいることは分かったし、ガント副船長の家族は離れて暮らしていることも以前に聞いたことがあるが、なぜ、とはまだ知らされていない。

「それは…ルーヴァ、どう説明したらいいんだろ…。」

ホリンの核心のついた問いにセレーヌは困り果てた。意識して隠さなくていいとは言われたが、やはり必要以上に話すのはなんとなく抵抗が残る。余計なことを言ってしまいそうで、ルーヴァに投げかけた。

「…10年前、私とセレーヌと兄さんが船に乗ることになった時、一番下の弟はまだ生まれたばかりで船旅には連れて行けなかった。そしてもう一人、私達より一歳下のウォルカは…ちょっと身体にハンデがあって、こっちも船には乗せられなかったんだ。ガント副船長の奥さんが陸に残って世話してくれてるんだよ。そこが、シヴァの森。」

問われたこと以上の事を話さないように、注意深く言葉を選んでルーヴァは話した。

ホリンはやはりというか、なぜ船に乗っているのか、という根本的な疑問に辿りついてしまう。これ以上聞くのは無粋なのかもと思うが、今回の急な行動と無関係とは思えなくて聞いていいものか考える。

が、聞く前にルーヴァが話してくれた。

「10年前に、私達は両親を殺されたんだ。行くあてもない私達をその時に拾ってくれたのがフェリス叔父さんだった。ユフィール先生とガント副船長も。」

殺された、という言葉を聞いてホリンとエーディンは言葉を失う。

事故や病気で失うのとは違う重みがあった。

「それってやっぱり、クーデターの時の…?」

エーディンの問いに、ルーヴァは黙って頷く。

「…昨日は話したくなさそうだったのに、なんで話してくれるんだ?」

同じような話を昨日もしていたが、その時はタブーのような雰囲気を出していた。わずか一日でどういう心境の変化があったのだろうか、とホリンは不思議に思う。

「昨日はセレーヌが寝てたし…。こういう話をセレーヌがいない所ではしたくなかっただけだよ。」

「…昨日か…。ねぇ、そういえばあたし、変なうわ言言ってなかったかなぁ。覚えてないのよね…。」

火事の後、すぐに睡眠剤で寝てしまったセレーヌだが、目を覚ました時火事になってからの記憶があまりない。無理に思い出さなくていい、とユフィールには言われていたのだが、うっかり変な事を言ってやしないかと気になった。

「そうだな、うっかり船長との兄弟関係やウォルカの存在を暴露してた。」

「えっ!?そうなの??…もしかしてそのせいで、責任取って話しておけってことなのかなぁ…。」

「いや、それは考え過ぎだから…。」

ルーヴァとセレーヌの会話から、やはりあまり兄弟関係を話さないようにしてきたらしいことが分かる。ただ、問題というか疑問は、なぜそれを隠す必要があるかどうかってことだ。

(待てよ…?聞いたことがあるな…。)

二人の兄の名はユーテルで弟はウォルカ。出身国はクラーニ。

フェリス・ピークスの手配書と一緒に、幼い兄弟5人に莫大な懸賞金が懸った手配書を見た記憶がある。10歳ほどの少年が犯罪者扱いされている手配書は、ホリンにとって衝撃だったので強く印象に残っていた。フェリス・ピークスを凌ぐほどの高額金を掛けられていたのは…。

「…確か、ユーテル・クラーニ…。」

「…え…っ?」

ルーヴァとセレーヌの顔色が変わった。

「思いだした…。10年前にクラーニから逃げ延びた皇子達に多額の懸賞金が掛けられてたのを見たことがある。第1皇子の名前が確か、ユーテル・クラーニだった。」

「………。」

「ホリン…。」

ルーヴァとセレーヌは何も言うことができない。エーディンもホリンが何を言おうとしているのか察した。それはエーディン自身の疑問でもあったのだ。

「船長はクラーニの皇子で…てことはルーヴァとセレーヌは皇女様だったわけだ。」

二人から否定の言葉は出てこない。

しばらくの沈黙の後、ルーヴァがか細い声で言った。

「…クラーニはもうない国だ。だから、もう皇子でも皇女でもない。」

セレーヌが寂しそうな顔で頷く。こんな泣きそうな彼女の顔は初めてで、ホリンとエーディンは心が痛む。

(なんか、悪いことしてる気が…)

この場の空気の重さに、ホリンの罪悪感は膨らむ。自分で言い出したことだが、ここで切り上げるのもわざとらしい。姉が睨んでる気配も感じる。

「あ、そういえばさっきフェリス叔父さんって言ってたけど…それは?」

これ以上傷つける話題は避けたい気持ちはある。が、ホリンは聞かずにはいられなかった。

「フェリス叔父さんはあたし達のお母さんの弟さんなのよ。お兄ちゃんはそっくりだったな。だからお兄ちゃんが変装してもほとんど違和感なかったし。」

フェリスの話題になると、少しだけセレーヌの表情が和らいだ。エーディンはそれに少し安心する。

「どんな人だったの?」

「優しくて、強かった。笑った顔がすごく柔らかくて、近くにいてくれるだけで穏やかな気持ちになれる不思議な人。」

ルーヴァの顔も穏やかになり、静かに頷いた。

「そうなんだ…。でも、キャプテンもそんな雰囲気だよな。」

セレーヌが教えてくれたフェリスは、そのままユーテルの特徴でもあるとホリンは思った。

(で、今そのフェリスが船にいないってことは…)

きっと何かあったのだろうと容易に想像できる。ユーテルがわざわざ変装してるくらいだ、おそらくもうこの世にはいない。なぜ、とまた疑問が浮かぶが、これ以上彼女達の古傷をえぐるような真似はできなかった。

まだまだ、知らないことは多い。知りたい、と思う気持ちはあるが、果たして自分にその資格があるだろうか。

単なる好奇心ではなく、ただ力になりたい。

ホリンはそう思いながら、何が彼女達の為になるのか分からずにいる。

悶々とした気持ちを抱えながら、ホリンはルーヴァを見つめた。

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