第27話

「そういうことだったんだ…。」

大勢の男に囲まれ、ウォルカはため息をつく。集落を出る時からのユダイエの不自然さは感じていたが、これほど多くの敵が待ち構えているとは想定外だった。

ここはシヴァの森からやや離れた場所に位置する船着き場だ。着桟している船には到底乗れるはずもないほどの人が集まっている。

そんななか、一人上物の貴族服を着た男が歩み寄ってきた。

「そんな怖い顔しないでください、ウォルカ皇子。初めまして、ボアーノ国王子のペグノバーニです。唐突で申し訳ないが、急いでるんでさっさと船に乗ってもらえますか?」

横柄、としかいいようのない態度でペグノバーニはウォルカを急かす。

「…目的はなんですか?命だったら、今すぐここで奪えばいい。」

多勢に無勢。相手はざっと20人はいるらしい。戦いを心得てないウォルカにはこの状況を乗り切るのは難しかった。

「そうなんだけど、本人が来てくれないと意味がないんだよね。ウォルカ様だって故郷に帰りたいでしょう?命をくれるのはその後でいいんですよ。」

にやにやと笑いながら、ペグノバーニは続ける。

「何より、一番重要な長男・ユーテルを焙りださなけりゃいけないですし。人質は肉体がないと。」

「兄さんをおびき寄せる餌ってわけか…。……悪いけど、そうなるわけにはいきません。」

ウォルカはベルトに隠し持っていた小型のピストルを取り出し、自らのこめかみに当てた。

それに慌てたのは意外にもユダイエだった。

「ウォルカ様?!やめて下さいっ!!」

叫ぶと同時にユダイエは、頭が地に着かんばかりの土下座をした。

「すみませんっ!裏切るような真似してすみませんでしたっ!!」

「ユダイエ……?」

「む、娘の命がかかってるんです!金があれば娘は助かるんです!ペグノバーニ様が約束して下さった!!ウォルカ様、後生ですから、早まるのはおやめ下さい!!」

ユダイエの顔は涙まみれになっていた。娘の容体が良くないことはウォルカも知っている。金のためにクラーニを売った、といえば聞こえは悪いが、ウォルカ自身も人の手助けを必要とする身だ。自分の子の為なら、彼も苦渋の選択だったのかもしれないと理解できる。

ウォルカに迷いが出たところで、ペグノバーニがにやついた顔を変えずに話した。

「いいじゃん?別に引き金引いても。」

「ペグノバーニ様っ?!」

ユダイエは顔を蒼白にする。

「……。」

「こっちは別に身体さえあれば、死んでても問題ないし。どうぞ、好きなほうで。あ、でも死体と一緒に何日も船旅するのは嫌だけどなぁ。…ほら、さっさとしてくれって。」

始めの丁寧な口調はすでになく、ウォルカは苛立ちを感じた。

こんな奴ら、どんな扱いを受けるか分かったものではない、と指に力を込めたとき、ユダイエがさらに悲痛な声を上げる。

「ウォルカ様っ!やめてください!!お願いです、後生ですっ!!」

ユダイエの方をみると、ガタガタと身体を震わせ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

その声を無視することもできず、ウォルカはピストルを投げ捨てる。

「なんだ、死ななかったのか。死んだ方が大人しくてよかったのに。まあ、いいか。じゃ、このちゃちい船に乗ってくれ。」

指差された船は非常用に集落が所有していたものだが、これもユダイエの手引きだった。

商船になりすましたペグノバーニ達は、一度タゴルダの大きな城下町で一行を降ろし、そこから陸で移動してきた。船はシヴァの森から西方にかなり距離をとった村で待機させてある。ウォルカとともにペグノバーニは小さな船でその村に向かうことになっていた。そしてそのほかの大勢の傭兵は他の船で同じ場所へ向かう。はずになっている。

このままついて行くべきか、ウォルカは迷ったが船に向かって歩き出した。これほどの人数をそろえているのなら、力ずくで乗せられかねない。

すれ違いざまにペグノバーニを睨みつけるウォルカだったが、ペグノバーニはそれを満足気に見ると、ユダイエの前に歩を進める。

「じゃ、ユダイエっつったっけ。御苦労さま。」

そう言うと、自分の持っていた銃でユダイエの額を撃ち抜く。ウォルカはユダイエが倒れる音を背中で聞いた。

振り向くと、すでに動かなくなったユダイエから血溜まりが広がっていくのが分かる。

たまらず、ウォルカは叫んだ。

「…なんでっ?!」

「なんでって?もう用ないし。」

「…っ…!」

あまりにむごいペグノバーニの仕打ちに、ウォルカは拳を握りしめ、唇を噛む。

「ほら、早く歩いてよ。もう無駄な話してる時間ないんだから。」

怒りに拳が震える。

しかしこれも、言うなりになるしかない、力のない己が招いたことなのかもしれない。

(アゼルもみんなも、今頃探してる頃かな…。)

いなくなったら、さぞかしの大騒ぎになるだろうことは容易に想像できる。アゼルの責任になったりはしないだろうか。

アゼルのことが頭をよぎった時、周りにいた男達の空気が変わった。

ペグノバーニが怒鳴る。

「…チっ…もう来やがったか…!さっさと船に乗れっ!!お前ら!ヘマすんじゃねえぞっ!!」

何が起きたかを見る前にウォルカは髪を掴まれ、強引に船に押し込められた。定員5人ほどの船に後からペグノバーニと他数人が乗り込む。

男達の怒号が聞こえ、眼を凝らすと立ち回りをするアゼルの姿があった。

「アゼルーっ!!」

「ウォルカ様っ!」

アゼルはウォルカの元へ行こうと、小太刀一本で10人以上の壁を突破しようとしていた。

しかし、相手も戦い慣れた傭兵だ。そう簡単には倒れなかった。

正面から剣で切りかかる者もいれば、その右方から棍棒で叩きつけようとする者もいる。かと思えば木の上から放たれる矢もあった。どうやら木の上に潜んでいる敵も少なくなさそうだ。アゼルのように対大人数の訓練を受けていなければあっという間に殺されていただろう。刀身の短い小太刀は小回りがきく分リーチの長さでハンデがある。そのハンデを素早い動きでカバーし、一太刀も食らうことなく戦えている。片手で小太刀を操って矢を払いのけ、同時に切りつける。さらに木の上に潜む敵には、円形の飛び道具であるチャクラムで応戦した。

「…よく追いついたけど、もう手遅れだな。」

船はすでに海へ漕ぎ出している。

「アゼルっ、アゼルーーっ!」

船の縁に身を乗り出し、力の限りウォルカは叫んだ。

「ウォルカっ!!」

ウォルカの声に呼応するようにアゼルも叫ぶ。襲ってくる敵を振り払い、進む船を追うように海へと向かう。だが、その甲斐もなく、船は海流にのって小さくなっていった。

あと少し、もう少しで届くはずだ、とアゼルの気持ちは焦る。

焦りはアゼルの集中力を鈍らせた。討ち漏らした木上からの矢を、左肩に受けてしまったのだ。それが毒矢だと瞬時に察したが踏ん張り、続けて射られる矢を小太刀で跳ね返して残りの敵に切りかかる。機能しなくなった肩をかばいながらアゼルは一層強く叫び、ウォルカに伝えた。

「ウォルカ!絶対に助けに行くから…っ…生きて待ってろよっっ!!」

すっかり遠くなってしまったアゼルの叫びをウォルカは確かに聞いた。




「ザベル、アゼルが戻って来たら南の船を使ってルトー様とともに海へ出ろ。」

「……は…?」

らしくない母・リーディスの言葉を、ザベルは一瞬理解できなかった。

「それって、逃げろってころですか?戦って死ねなんて口癖みたいにいつも言ってるのにどうしたんです?」

「お前が死んだら、誰がルトー様をお守りするんだ?近いうち、ユーテル様がこちらに向かうだろう。ウォルカ様とルトー様をユーテル様の元までアゼルと一緒に送り届けろ。」

ユダイエが帰還してからの様子のおかしさにはリーディスも気付いていた。古くから仕えている男だっただけにあまり疑いはかけたくなかったが、ユーテルの耳には入れるように、すでに伝令は各国に向けて飛ばしてある。不安要素を伝えればユーテルはここに向かってくるはずだ。その前にメルクリウスを放すかもしれない。いずれにしても、海まで逃げられればそう遅くならない内にユーテルと合流できる、とリーディスは考えた。

だが、できれば二人の皇子とともに、二人の息子をここから脱出させたいが、それは難しいことかもしれない。ユダイエと手を組んだ者が集落に接近しつつあるからだ。報告に来る者の話によればかなりの人数が向かって来ているらしい。ウォルカはすでに海へ連れ去られた可能性が高く、アゼルも無傷ではないだろう。最悪の状況も、覚悟しなければならない。

「テル兄さんの所に行くの?リーディス様は?」

いつもとちがって余裕が感じられないリーディスの様子に、ルトーも心配そうに声をかける。

「…ここで掃除をしてから合流します。」

「……。」

子供とはいえ、ルトーもそれがそのままの意味だとは思っていない。自分や兄を守るため、集落のみんなが命を懸けているのも知っていた。知るだけで、なんの力にもなれない子供の身が歯痒い。せめてアゼルやザベルと同じくらいの年で、同じくらい強ければ皆と一緒に戦えるのに。

零れそうな涙を堪えて、ルトーは小さな拳を握った。

その時、窓の外が一気に明るくなる様をリーディスとザベル、そしてルトーが眼にする。

「何事だっ?!」

それが炎の明るさだと知ったのはすぐ後のことだった。奇襲の合図になったかのように、どっと武装した男達が姿を現す。

「ちっ…火炎瓶か。」

「ザベル……。」

ザベルが忌々しそうな声を発する。ルトーはザベルの袖を掴み、名前を小さく呟く。

ウォルカとアゼルはどうしたのだろうか。集落に捜索に行ったみんなはどうなったのか。答えを聞くのが怖い疑問ばかりがルトーの頭をよぎる。みんな無事だ、と思いたい。しかしそれを知る者はここにはいなかった。

「仕方ない…っ。ザベル、ルトー様を連れて海へ出ていろ。アゼルは私が探しに行ってくる。待っている時間はないようだ。」

「…御意…。族長、お気をつけて。」

そう言う母の身が心配だが、ザベルは言う通り、ルトーを連れて館を後にする。プライドの高い母は息子に心配されるようなことを嫌うからだ。

外に出ると、集落に放り込まれた火炎が次々と家や木々を喰らっていた。人目につかないように、集落の外に一度出て、南にある船へ向かう。所々で鋭い金属音や悲鳴が聞こえた。それがルトーに恐怖を感じさせる。自分が死ぬ恐怖ではなく、自分だけ生き残ってしまうのではないかという恐怖だった。

「ねぇ、ザベル…みんな大丈夫なのかな…おれだけ逃げていいの?」

「…大丈夫。少しの間離れ離れになるだけだよ。すぐにまた会える。」

我ながら月並みの励まししか言えないのが情けなかったが、ザベルは今はそう言うしかなかった。ルトーがそれを信じてくれるとも思えないし、かと言って不安にさせるようなことを言うわけにもいかないのだ。ルトーもザベルの気持ちを察したのか、それ以上のことは言わなかった。

集落を少し離れると、いつもの月明かりになる。敵がいないか五感を駆使して、なおかつルトーの足に合わせて走るのは集中力を要した。

「!ルトー、伏せろっ!!」

「え?」

とっさにルトーは反応して身体を屈めた。ザベルが後ろを振り向き、ルトーの頭上を通して棒手裏剣を投げた先で悲鳴が上がる。さらに小太刀を抜刀してもう一人の追手に斬りつけた。一撃で絶命させると神経を研ぎ澄まし、これ以上の追ってがないか気配を探る。

「…よし、行くぞ。走れるか?」

「………うん。」

「怖いか?」

「ううん。大丈夫。」

ルトーはそう即答したが、身体が震えているのにザベルは気付いた。

(無理もないか…)

殺す、殺されるといった戦いの場に身を置かれることは、10歳の少年には酷だとザベルは思う。ザベルやアゼルは幼い頃から、クラーニの守人として殺しの術を教え込まれてきたがルトーは違うのだ。

「船はもうすぐだから、頑張れよ。」

ルトーは挫けそうになる気持ちを奮い立たせて再び走り出す。

それ以降、追手はなく、無事に海へ出られるかに見えた。

「1、2…6人か…。」

「ザベル…。」

船着き場は目の前。しかし、船の周りには6人ほどの先客がいた。

剣や槍、アックスなど、武器が統一されていないところを見ると単なる傭兵なのだろうが、ルトーをかばいながら戦うには不利な人数だ。かといってルトーのそばを離れて戦うのは危険が伴う。

(どうするかな…)

船を奪い返さなくては当然海へは出られない。森の木に隠れて様子を見ながらザベルは思案する。

「…ルトー、船までまっすぐ走って乗りこめるか?」

「…できると思うけど、ザベルはどうするの?」

「先にルトーは船に乗って、楼の中に隠れてろ。それまではなんとか護衛するし、片付いたら出航できる。」

「…うん。」

「じゃ、行くぞ。」

二人は同時に走り出す。

ザベルが先導し、ルトーが必死について行く。傭兵たちはすぐに気付き襲いかかって来た。

「あのチビがルトー皇子か?」

「そうだろうな。ラッキー、仕留めたら特別恩賞だぜっ!」

「待てよっ、殺る(や )のは俺だっ!」

当然、というかやはり狙いはウォルカ一人ではなかったらしく、傭兵らしき男達はルトーを狙って来た。

ザベルは小太刀を抜いて男達を倒そうとするが、どうやらここで待機していたのはさきほどの追手より数段腕が立つらしい。そう簡単には倒れてくれなかった。

しかし、ルトーには傷一つつけるわけにはいかない。

「早く乗りこめっ!!」

船までは距離はさほど遠くない。しかしルトーが全力で走っても、所詮子供の脚力である。予想以上にルトーを庇いながらの戦闘は負荷が大きい。ルトーもそれを知っている。ザベルの力になれないのなら、せめて足を引っ張りたくない。そんな思いでルトーも必死だった。

漸く船に到達して、ザベルはほっとしてしまう。一瞬、気が緩んだ皇子の護衛を、傭兵達は見逃さなかった。

すでに3人はザベルが倒したが、残りの傭兵は一斉にルトー目掛けて武器を繰り出す。

「ルトーっ!!」

間一髪、ルトーを船に乗り込ませたが、それに精一杯で傭兵の攻撃をザベルは胸で受けてしまった。

「…っやばっ…」

「ザベルっ!!」

急所は避けたものの、血が一気に噴き出し身体から力が抜けていくのが自分でも分かる。

倒れそうになる身体を必死で支えて、ザベルは傭兵二人の首を刎ねた。

(あと、一人…っ)

「よっしゃっ!!特別恩賞ゲットっ!!!」

「……っ!!」

討ち漏らした一人がルトーに向かい、剣を振り上げた。

普段のザベルならそれを阻止するのは造作もないことだったが、重症を負ったザベルではそれは難しかった。

(避けてくれっ…!!)

「っ…グっ…っ!」

ザベルの横を通り過ぎて、最後の傭兵を倒したのはアゼルだった。

「アゼルっ!?」

「…兄貴…。」

怪我を負いながらの疾走はさすがのアゼルもキツかったのか、珍しく息をきらせて血まみれで立っていた。

「ルトー様、…怪我はありませんか?」

「おれは大丈夫…。」

「そうですか…良かった…。」

「でもザベルがっ…アゼルも怪我してる…。」

「俺は大事ありません…。ザベル、とりあえず船を出して手当しよう。乗れるか?」

「…あぁ…助かったよ。…族長には会ったのか?」

「来る途中にな。一刻も早く海へ出ろ、そう言付かってきた。」

「ウォルカ、様は?追ったんだろ?」

「……少し遅かった…。」

ザベルを船に乗り上げ、海へ船を出した。古い型の帆船のため、舵取りよりも風任せ、海流任せの進路になるだろうがともかく森を出ることには成功する。後は海に棲む獰猛な怪物(モンスター)や時化に注意して、ユーテル達と合流すればいい。

アゼルと合流できた経緯を話し合い、ウォルカはボアーノへ連れていかれたこと、裏切り者のユダイエは殺されたことをザベルとルトーは知る。

アゼルがウォルカを誰より大事にしていることを二人は分かっていた。届きそうで届かなかったその悔しさを、アゼルは自分を責めることで昇華しているのかもしれない。合流するまでの間、無謀な戦いをしてきた様子がルトーでもわかるほど、身体は返り血で濡れていた。

ザベルは携帯している止血剤を服用し、傷口はアゼルが縫合した。アゼルの負傷した肩は戦いには使えないが、普通に生活するくらいはできるようで、ルトーは少し安心する。しかし、服に隠れた首筋に奇妙な痣を見つけた。

「アゼル、首の痣どうしたの?」

「あぁ。不注意で毒刃を喰らってしまいました。遅毒剤を飲んだので、しばらくは大丈夫です。」

「毒…?」

「なんの毒だよ?!」

「分からない。」

さらりとアゼルは言ったが、毒の効きを遅らせる薬を飲んだだけでは確かな治療ではない。毒の種類が分からなければ解毒剤を服用できないとはいえ、種類によっては一刻を争うはずだ。言葉の通り、大丈夫なのはしばらくの間だけなのだ。

「おいおい、あまり毒がまわらねえように、大人しくしてろよな。」

「ザベルこそ、本来なら輸血が必要なんだ。安静にしていろ。」

「ふ、二人とも大人しく寝ててよ。船の舵ならおれがやってみるから。」

ルトーは自分だけ無傷でいられたことに心を痛めた。二人とも一歩間違えれば、運が悪ければ即死していてもおかしくない怪我なのだ。

「ですが、ルトー様…」

「そっか、ありがとな、ルトー。」

「ザベル!!!」

「いいじゃん、これも勉強だって。な?今はそんな海は荒れない時期だし、穏やかな時は任せてみようぜ。」

「……わかった。…ルトー様、簡単に船の説明します。お願いしますね。」

「うんっ!!」

ルトーは自分にできることなら少しでもやりたかった。守ってもらった分、守れるものは何でも守りたかった。今度は自分が。アゼルやザベルだけじゃない。集落のみんなの為にも、今は生き延びなければならない。振り返るのは後にして、今は前だけ向いていたかった。

怖くて、不安で、泣きたい気持ちを堪え、ルトーは船の扱いを必死で頭に叩き込んだ。

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