第26話
シヴァの森は満月。夜にしては明るい月明かりが地上に届いていた。
相変わらず湿度と温度が高く、小さい団扇で顔を仰ぎながらウォルカは月を見上げていた。
アゼルは冷たい紅茶を運んでくれた後、ついさきほどから族長・リーディスの元へ赴いている。
時刻は8時になり、今日も寝苦しい夜になりそうだと考えていると、アゼルの代わりに護衛についているユダイエが窓の外から声をかけて来た。
「…ウォルカ様。少々、外の散歩に行きませんか?満月が綺麗ですよ。」
「ユダイエ?…月なら部屋からでも見れるからいいよ。」
ウォルカは日中の外出を好まない。夜であれば、度々月光浴に出ているのをユダイエは知っていたが、ウォルカはアゼルでない者を供に連れて外出することはほとんどなかった。
ユダイエにとっては今日は約束の日。どんな理由をつけても、連れださなければいけない。できれば暴挙には及びたくないので、ユダイエは慎重になる。
「…実は、この集落の北東に小さな湖と滝があります。以前偶然見かけたのですが、月が明るい夜に行きますと滝の水飛沫に月明かりが反射して、とても幻想的な光景になるのですよ。いつかウォルカ様にお見せしたいと思っていまして…。アゼルにはさきほど、そこに向かう旨告げてありますからさっそく向かいましょう。」
ユダイエはよくも平然と嘘をつけたものだと、自分に感心した。
「……わかった、行くよ。」
「では、参りましょう。どうぞ捕まってください。」
「窓から出るなんて初めてだ…。」
ウォルカは心に引っ掛かりを感じながらも、ユダイエについて行った。
アゼルとザベルはリーディスに定例の報告のため、族長のいる一号館に来ていた。おもに話をするのはウォルカやルトーの健康や精神状態が良好かどうかだ。そして近隣諸国の動静やユーテル率いる船団の動向といった情報交換を行う。早ければ15分、長くても1時間あれば終わる報告会だ。今回、リーディスはいつにも増して険しい顔をしていた。30分ほどでいつもの流れの通りの報告が終わり、リーディスがアゼルとザベルに注意を促す。
「すでに各国に向けて伝令は放ったが、どうもきな臭い奴がいる。その情報がとどけばユフィール達もここに向かってくると思うが、それまで特にそいつの動きに注意してもらいたい。…そいつはユダイエ・クアルス。先日帰郷を許してここに戻ってきたばかりだが、戻って来てからの様子が少しおかしい。」
「おかしい、とは?」
「うまくは言えないが、何か思いつめたような眼をしていた。」
「娘さんの容体のことではないでしょうか?」
「だといいが、用心に越したことはない。が、こういう勘はよく当たるもんだ。奴には血契がない。何をするかわからない。」
「わかりました。このこと、他の者には?」
「まだ話していない。本人の耳に入れないように、そっと伝達してくれ。」
「御意。」
そこで報告会は締められ、アゼルはウォルカの元へ戻ろうとしたところでザベルに話しかけられる。
「兄貴はどう思う?さっきの話。ここに裏切りものになろうなんて奴、いると思うか?」
裏切りは絶対許されない行為だ。発覚すれば命はない。どこへ逃げようと、コーガ家の情報網で必ず仕留められる。それはここにいる全員が知っていることだ。それを覚悟しての上で裏切りがあるとはザベルには思えなかったのだ。
「そうだな…。でも俺達には裏切りをする気持ちなんてわからないだろう。ただ、俺達だってクラーニの為に死ぬ覚悟はある。ユダイエはほかの何かの為に命をかけたのかもしれない。」
「なるほど…。」
人によって守るものが違う。そういうことだとアゼルは思う。少なくとも、この集落にいる限りは守るものは同一だと思っていたが。
「なんにせよ、警備は厳重にしておけってことだろう。さっさと戻るぞ…。」
そう言って再び歩き出そうとしたとき、アゼルは護衛を代わったはずの男をみかけた。今頃はウォルカとともにいなくてはいけないはずだが、ウォルカの姿は見当たらない。
アゼルは急いでその男の元へ駆け寄る。
「ウォルカ様は?今はそばにいるはずじゃ…?!」
「あぁ。それなら代わって欲しいって申し出があって…そいつが近くにいるはずですよ。」
「それは誰だ?」
「ユダイエです。」
それを聞くとすぐに、アゼルは返答もせず駆けだした。近くで聞いていたザベルはその男にリーディスから聞いた情報を伝え、共にアゼルの後を追う。
ウォルカの居住館は灯りがついたまま誰もいなかった。
ユダイエと護衛を代わった男の顔が青ざめる。
「なんてことだ…っ。」
「ここから出るのを見ていないのか?」
「いいや、何も…。」
「近くを見て来る。族長に伝えてくれ。ザベルはルトー様の元へ急げ。」
ウォルカは片足が不自由なのでそう遠くへは行けないだろうが、アゼルがウォルカの元を離れてから30分は経っている。どこへ向かったのか見当がつけられない。
窓は開け放しになっているので姿をみていないのなら森の深い方へ行った可能性が高いがユダイエの目的も分からないので手掛かりは皆無だった。
「まさか殺されたりはしないだろうが…ご無事でっ…。」
ただ無事を祈りながらアゼルは走った。
全神経を集中し、わずかな手掛かりを探す。しかしさすがにユダイエも追跡されないようにしていたらしく、明確な行き先は分からない。
だが、アゼルには心当たりがあった。
タゴルダは島国のため、すぐにでも海に出てしまうほうがユダイエにとっては得策のはずだ。海に出られる船のありかは集落の近くに3か所。海に面しているシヴァの森の北端と南端に1か所ずつ、もうひとつはその中間にある。南の船は集落の周りをぐるりとまわらなければならないため、可能性は低い。他の二つに絞って、アゼルは急ぐ。海に出られてしまう前に、何としても追いつかなくていけない。
走る中に、ふと族長である母・リーディスの教えを思い出す。
どんな時も決して冷静さだけは見失うな。
幾度となくそう教えられてきたが、アゼルは冷静さを失わない自信があったのだ。
だが、今はどうか…。
「っくそ……っ!」
頭に血が上っている自覚はあったが、それをコントロールできない未熟さを呪いながら、
アゼルはひたすら駆けた。
一方で集落はすぐに緊急体制が引かれた。消えたウォルカとユダイエの捜索と、そのほかの敵に備えてのものだ。ユダイエの単独犯ではないだろうとのリーディスの見解からである。
リーディス自身はザベルとともにルトーの護衛にあたり、今はウォルカの居住館にいた。
「…兄さん、大丈夫かな…。」
幸いルトーに手は及んではいなかったが、兄が消えたことでショックを受けている。ザベルは小刻みに震える小さな肩を優しく叩いた。
「大丈夫。兄貴が追いかけたから、すぐに戻って来るよ。」
「うん…。」
ルトーにはそう言ったが、ユダイエだって忍びの端くれだ。そう簡単に捉えられるほどの無能でもなかった。だからこそ、リーディスもここまでの緊急体制にしたのだ。
こんなピリピリした空気の中に置かれるのはルトーも初めてのことで、ザベルが励ましてくれても不安は膨らむ。
「ねぇ、アゼルは一人で行ったの?」
「俺も兄貴のことも心配か?」
「だって、アゼルも俺の兄さんみたいなもんだもん。」
「そうか。そう言ってくれると、兄貴も喜ぶよ。で?俺はどうなの??」
「…こんなときに何言ってんだよ…。」
「すいません…。」
当然、ルトーにとってはザベルも兄同然の存在だ。それを素直に言うにはザベルは不真面目すぎる。もっとも、ザベルの振舞いは幼いルトーを元気づけるためのものだとルトーも感づくようになった。
「兄さんもアゼルも、早く帰ってきてくれないかなぁ…。」
明るい月を見上げ、ルトーはため息をつく。せめて自分も、アゼルやザベルのように兄を追いかけるだけの力が欲しいと思う。勝手なことをすれば、周りに迷惑をかけるだけの存在でしかない。
(何も、なければいいんだけど…)
零れそうになる涙を必死でこらえて、兄の帰りを待った。
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