第25話

「火傷はみんな大したことないな。煙は吸ってるのは仕方ないとして、この程度ですんだのは幸運だった。…セレーヌも沈静剤効いたか。ルーヴァ、後でエーディンの髪切ってやれよ。」

ホテルに戻ってきてまず行ったのはユフィールの診察だった。

エーディン、セレーヌともに軽度の火傷は負っていたものの、脱水症状の方がひどい状態だ。加えて、エーディンは髪を焼かれ、セレーヌにはパニック症状が出た。セレーヌは沈静剤を注射するまで、兄にしがみついて震えながら泣きじゃくっていたのだ。今は薬が効いて隣の部屋ですやすや眠っている。

生きて帰れたんだと、エーディンはやっと一息ついた。アスタルテを出た時は絶望的な気持ちだったのに、不思議なものだと思う。

不思議、といえば、他にも不思議なことはあった。助けに来てくれたホリン、ルーヴァともう一人の声はフェリス船長の声だった。会話からルーヴァ、セレーヌの兄であることは分かったが、あんなにも声が似ていることがあろうか。

その青年はホテルの支配人と話があるらしく、今は席を外している。火傷を負っていたように見えたが、大丈夫だろうか…。

「ところで先生、セレーヌは一体何であんなにパニックになってたんですか?」

「セレーヌは昔にも燃える建物の中に閉じ込められたことがあるからな。炎を見てそれがフラッシュバックしたんだろう。トラウマなんてのは、日常は本人すら自覚ない場合が多いから、何がスイッチになるかわからない。セレーヌ自身も予想外の症状だったはずだ。」

「…セレーヌが‘ウォルカが死んじゃう’って言ってたんですけど…それは?」

「……ま、何かのうわ言だろう。本人が起きたら聞いてみたらどうだ?それより、ちゃんと水分摂っておくように。」

「分かりました…。」

知らない、といいたげな言葉だが、そのユフィールの言い方には嘘が見えた。聞くなと言われているような気がしてエーディンはそれ以上聞くことはできない。

「ホリンとルーヴァは何ともないな?」

「火傷なら兄さんがひどいと思いますが、呼んできますか?」

ルーヴァが申し出たところで部屋がノックされ、ユーテルが入ってくる。

「ユフィール、ヨングスから話聞いて来た。…あまり良い話じゃないんで相談したいんだけど…。…まず、エーディンとホリンに俺のこと話すほうが先かな。」

ホリンとエーディンは身構える。さっきから気になっていた人物だ。

「この格好では初めまして。セレーヌとルーヴァの兄でユーテルです。」

その自己紹介の仕方にユフィールは頭を抱えた。そんな飄々とした雰囲気にエーディンは確信する。

「やっぱり、お兄さんが船長やってたんですね?」

「鋭いね、バレてた?」

「…そんなんじゃバレるに決まってるだろ。少しはキャラ変えろ。」

ユフィールはユーテルを近くに来させ、火傷の様子を診る。

一番驚いたのはホリンだった。

「ちょ、ちょっと待って!姉さん知ってたの?いつから??」

姉も同じく、会ったのはついさきほどだったはずだ。ホリンはユーテルの姿を見ても、フェリス船長だとは夢にも思わなかった。状況が状況だったからかもしれないが。

「声が同じだったから…。キャプテンが助けに来てくれたと思ったの。間違えてなかったわけね。」

率直にエーディンは思っていたことを伝えた。

声で気付いていたとは、女性の感性は侮れないとホリンは思う。

しかし船長=セレーヌ・ルーヴァの兄とすると、新たな疑問が湧く。聞いていいことかどうか分からないが、ホリンは素直に聞いてみる。

「じゃ、なんであの格好してるんですか?年齢まで偽って…。」

「…それには深いわけがあるからな…。悪いけど、すぐには全部話せないよ。」

「そうですか。残念です。」

ホリンにとっては予想通りの答えだ。そこへ、ユフィールが話を変えさせる。

「ユーテル。それよりあまり良い話じゃない方を話せ。」

「あぁ…。じゃ、三人とも別室に移動してくれないか?」

「いや、ここにいていい。」

「駄目だ。外してくれ。」

「お前達も聞いて行くんだ。」

「ユフィール!」

「いつまで蚊帳の外にしておく気だ?!」

一触即発の空気になってきた二人にホリンとエーディンは茫然とする。

「じゃ、私達はセレーヌの部屋にいます。何かあったら声掛けてください。」

そう申し出たのはルーヴァだ。ホリンとエーディンを連れて部屋を後にする。

ユフィールは舌打ちしたが、ユーテルは構わず話始めた。

「陸のほうから知らせがあったらしい。‘裏切りの兆しあり’。」

「裏切り?…リーディスは何してるんだ。」

「だから知らせて来たんだろう。兆しってことはまだ何か起きたわけじゃないってことだ。何かあってからじゃ手は打ちづらい。すぐにタゴルダのシヴァの森に向かいたい。」

ユーテルにしてはきっぱりとした口調で話した。ユフィールはしばし思案する。ユフィール自身は船に乗っているクルーの裏切りには十分気を配っている。姉のリーディスもおそらくはそうだろう。

だから、まだ何かしらの根拠もない話を知らせてきたのだ。

「単なる杞憂であればそれでいいんだが、ユフィールはどう思う?」

「いや…リーディスのこういう勘はほとんど外れない。明日にでも出た方がいいな。船に戻ったらメルを放そう。なぁ、その裏切りかもしれない奴は誰か聞いたか?」

「ユダイエ・クアルス。」

「あぁ…。‘血(けっ)契(けい)を刻んで’ない奴だな。確か病気の娘がいたはずだ。」

娘思いの父親。ユーテルもユダイエにはそんな印象を持っていた。普段行動を共にできない仲間だが、集落に寄れば皆とは極力色々な話をするようにユーテルは心がけていた。そもそも自分達の為に家族と離れ、支えてくれるのだ。たまに会った時は労いの言葉もかけなければ気がすまない。

「血契か…。あまりいいものじゃないと俺は思ってるんだが…。」

血契とはユフィールの生家であるコーガ家が扱える秘術だ。字の如く、“血の契約”のことである。コーガ家の初代が子々孫々クラーニ家を守り通すようにと自分の子に刻んだのが始まりだ。守りたい人間の血と、コーガ家が所有する染料を混ぜ、身体に入れ墨の要領で刻む。こうすることで、自分の意思や本能、行動全ては刻まれた血の持ち主の為に働く。主君の為ならば躊躇わずに命を捨てよ、血契はその勇気を与えるものとコーガ家は説いているのだ。コーガ家は同じ時代に生きるクラーニの一族全員の血契を刻むことになっている。族長のリーディスは勿論、直系であるユフィールも、リーディスとギガントの子アゼル、ザベルも血契は刻まれている。リーディス率いる集落の人間やユーテルとともに行動しているクルーも、半数はクラーニ皇位継承者の血契を刻む者が多い。血契を刻まれた者はまず裏切りのような真似はしないのだ。

ユーテルは、自分の生き方や考え、行動を支配する血契を好まない。クラーニ家臣はもっと自由であるべきだと考えている。

「俺は気に入ってるけどな。どんな局面になっても、必ず血契がお前達を守ってくれるって思えば安心できるし、間違った判断はしないって自信が持てる。」

ユフィールには現在、ユーテル、セレーヌ、ルーヴァ、ウォルカ、ルトーの皇子達と、彼らの父皇、その兄弟といった人物の血契が刻まれている。おかげで彼の背中は入れ墨だらけだ。ユフィールにとってはこの血契こそ、コーガに生まれた誇りであり、クラーニに対する絶対的な忠誠なのだった。

「そういうのが重いんだ、俺は。」

ユーテルは大きなため息をついた。




セレーヌの眠る部屋でルーヴァ、エーディンの髪をカットし始めた。結婚式の為に腰まで伸ばしていたロングヘアはあっさり切られてしまう。悲しいが、焼けたのでは仕方ないし、船での生活は長いと何かと不便だからこれでいいのだと、エーディンは自分に言い聞かせた。

ホリンはそんな姉の様子を見つつ、気になったことをルーヴァに聞いてみる。

「なぁ、ルーヴァは残ってるべきじゃなかったのか?」

「いや、大事なことはやっぱり船長と副船長、ユフィール先生の3人で話すことが多いよ。決まったことは話してもらえるけど。…先生が聞いて行けなんて言うのも珍しいんだ。」

なんでだろうか、とルーヴァは腑に落ちない。

「キャプテンはホテルの支配人と話してたんでしょ?どんな関係なの?」

沈んだ気持ちを切り替えるべく、エーディンも話に参加する。考えてみればホテルはここを指定されたし、ほかの宿泊客も見当たらない。

「さぁ?ユフィール先生の知り合いだって聞いたことある。」

実際はヨングスはユフィールと同じく、クラーニ忍隊の一員である。ホテルの支配人は表向きの姿で、コルガ圏内の情報収集がおもな任務としている。一行が停泊するときは、ゆっくり羽を伸ばせるようほかの宿泊客は受け入れないように取り計らっているのだ。

しかしこれはルーヴァ、セレーヌには打ち明けていないことでもあったため、ルーヴァはただユフィールの知り合いとしか認識していない。

「私も知らないことの方が多いよ。」

と、ルーヴァは少しさみしそうに言った。

「そうなんだ…。…なぁ、言いたくない話だったら構わないんだけど、ルーヴァとセレーヌってどこの出身?」

「…なんで?」

「いや、気になっただけ…。…故郷があるんなら帰りたくなったりすることってないのかと思って…。」

言ってから失言だったかとホリンは後悔する。帰りたい意思があって、帰れる故郷があるならとっくに帰ってるのではないか、と。船長も含め、兄弟で長く船旅をしているとなれば、帰れない、もしくは帰りたくない事情があるに決まっている。

「ごめんっ、やっぱりなんでもない。」

とホリンは訂正したのだが、ルーヴァは小さく答えてくれた。

「…クラーニ皇国。もうないけど、二人は知らない国かな。」

「いや、知ってる。今はボアーノ、だっけ?」

やはり聞くべきでなかった、と悔やんでも悔やみきれない。

ボアーノといえば十年ほど前にクラーニの犠牲の上に成り立った国として悪名高い。公には、クラーニ国皇の国財横領が発覚し、皇権剥奪の末に建国されたとされているが、事実のほどは分からない。当時、クラーニの要人のほとんどがなんらかの罪で処刑や追放をされていた。と、父から聞いたのはそう昔のことではない。

「うん…。国を出たのはちょうどボアーノが建国される前の時期だったよ。」

ルーヴァはエーディンの髪を切り過ぎないように注意しながら器用に鋏をいれていく。

「ふ~ん……。……。」

「何で国を出たか聞きたいのか?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ…。キャプテンからあまり詮索はしないでくれって言われてるし。」

「ならいいんだ。」

やはり話たくないことなのだろう。それに今思えば、船長のあの言葉は自分の気持ちだったのかもしれない。兄弟で国を出るということはよほどの事情があるに違いない。

「ねぇ、それよりも、あの爆発ってなんだったのかしら…?」

この話題にはあまり触れない方がいいらしい、という気配を感じ取ったエーディンが話を今日の事故に変えた。

「ただの事故じゃねえのかな。」

「それにしては…6階で爆発するようなものってあるはずないし、変だと思う。」

「じゃ…事件ってこと?テロとか?」

「人が集まる所だし、ありえないことじゃない。」

ただ何が目的だったのかは分からないけど、とルーヴァは付け足す。

腰まで伸ばしていたエーディンの髪は、肩にかかるくらいのセミロングになった。

「ありがとう、ルーヴァ。軽くなった。」

「うん。せっかく長かったのに勿体ないけど。こちらこそありがとう。」

切った髪を片付けながらルーヴァは言う。しかし、エーディンにはお礼を言われる理由が分からなかった。

「火事の時、セレーヌの近くにいてくれて。あと、靴投げてくれたからすぐに行くこともできたしね。」

「あぁ、よく姉さん思いついたよな。」

あれがなかったら早急に助けることはできなかっただろう。助かった今だからいいが、もしもを考えるとホリンは少し寒気がする。

「思いついたっていうか…なんかしなきゃって必死だった…かな?それに助けてもらったのは私達だよ?」

エーディン自身はその時のことはあまり鮮明には記憶にない。ただ、助けに来てくれた時の安堵感だけよく覚えていた。

「でもセレーヌ一人だったら、助けられなかったかもしれないから。」

セレーヌが炎に対してトラウマが残っていることはルーヴァも今日知ったことだった。セレーヌがあのパニック症状の中一人で取り残されていたら、おそらく助けることはできなかっただろう。

すやすや眠っているセレーヌを見て、無事に帰ってこれた喜びを感じる。

「…ルーヴァは、火大丈夫なのか?」

ホリンはふと気になった。もちろん、ともに火災の建物の中に突入したのだから問題ないのだろうが、幼いころから一緒にいるであろう双子の片割れであるセレーヌだけにそのトラウマがあるのが不思議だった。

「あぁ。平気。」

「じゃ、セレーヌだけが火ダメなんだ。お兄さんも平気そうだったし。」

「…セレーヌだけってわけじゃないかもしれないけど…ね。」

ルーヴァの意味深な一言にホリンは反応する。

「…どういうことだ?」

「さっきエーディンさんが聞いてたこと、‘ウォルカ’は弟なんだ。セレーヌと同じ時に火事に遭って、セレーヌは無傷だったけどウォルカはひどい火傷を負った。生きてるのが不思議なくらいだって。だから多分、弟も火に対してトラウマ持ってるかも。」

「そうだったんだ…。そんなこと聞いちゃってごめんなさい。」

「でもさ、ルーヴァ。さっきユフィール先生は何かごまかしてたろ?話していいことだったのか?」

船長ではないとはいえ、ユフィールの発言は船内でかなりの影響力がある。ユフィールが話さないことを、ルーヴァが話してしまって大丈夫なのだろうかとホリンは心配になるのだった。

「…大丈夫だと思うよ。セレーヌに聞いたら、なんて言ってたし、セレーヌだって隠さないで話しただろうから。それに………秘密が多いと疲れる。」

その言葉に、まだこの船の秘密は多いのだと、ホリンは思い知った。

いつまで船に乗っているのかはホリンにも分からないが、いつか全て知る日はくるのだろうか…。それとも、やはりアスタルテに帰る方が早いだろうか。

(俺は、どっちを望む?)

ホリンの迷いをよそに、ユフィールが明日出航の旨を言いに部屋に訪れた。

その唐突の予定変更にホリンは胸騒ぎがした。

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