第24話

思いのほか洋服を見るのに時間がかかってしまったとエーディンは反省していた。自分の服はそこそこにセレーヌの買い物に付き合うつもりで来たのに、つい没頭してしまった。もっとも、エーディンの購買意欲を刺激していたのはセレーヌなのだが。

「ごめんね、セレーヌ。セレーヌも見たいのあるよね…。」

「あたしはいいよ。服はいっぱい持ってるから。エーディンさんに買い物させてやれっていうキャプテン達の心遣いだからね、あたしが大量に買い物して帰ったら怒られちゃう。そろそろ雑貨屋さんのある3階に降りようか。あたしは服より新しい時計が欲しいな。」

「そうね。私も時計欲しいな。」

「本当?じゃぁおそろいにしない?!ルーヴァと三人で。」

「いいわね、それ!」

女子らしい会話を楽しみながら二人は3階に降りるため、エレベーターに向かっていた。しかし、突然の爆発音が二人の楽しみを奪う。

「キャーーーっ!!」

あちこちで上がる悲鳴、耳を劈く轟音から、すぐ上の階で起こったことを知る。女性の多いこのフロアはたちまちパニックになった。エレベーターや非常階段に向かう人が押し合い自由に歩くことが困難になる。

「セレーヌ、大丈夫?!」

「エーディンさんっ…苦しっ!!逃げて早くっ!!」

エーディンはセレーヌに向かって手を伸ばすが、人の波に攫われ、その距離はどんどん遠ざかってしまう。

「痛っっ!!」

「セレーヌ!!」

セレーヌの足が何かに取られ、転倒する。エーディンはセレーヌの姿を見失ってしまった。

「セレーヌ、セレーヌ!!返事してっ!!」

逃げて、とセレーヌが叫んでいたのは聞こえていたのだが、当然セレーヌを置いて自分だけ逃げることなどできない。

転んだセレーヌは、逃げる人々に身体を踏みつけられ、立ちあがるのはおろか、声も出せない状態になってしまった。

わずかに動く腕で必死に頭部をガードするしかできない。

「セレーヌっ!!」

6階では火災になっているらしく、エレベーターが止まってしまった。5階にいる女性達は非常階段を目指して逆走を始める。

「…いったぁ!」

いっそう多くの人に踏まえ、なおもセレーヌは耐えるしか術がない。ハイヒールの人間が何人も身体を通り、その度に刺されるような痛みが走った。

エーディンは通路外のスペースに身体を逃がし、波が去るのを待つ。

やがて人の波が去ると、セレーヌの姿を確認し駆け寄った。

「セレーヌ、大丈夫?しっかりして!」

「…エーディンさん、ありがとう…。ごめんね、あたし達も早くいこ。」

「エレベーターは使えないみたい。階段で行くしかないわね…。頑張ろう、外でホリンとルーヴァが待ってる。」

「…そうだ、ルーヴァと…ホリン君…。まさか、上に…?」

「男の子は買い物が早いから、もう終えて下に行ってたわよ、きっと…。」

「…うん…。」

セレーヌは痛む脚を懸命に動かし、非常階段に向かう。

その途中、トイレの横に差しかかった所で、かすかな子供の泣き声を聞いた。

「?…エーディンさん、声聞こえない?」

「…聞こえるわ。トイレの方かしら。」

二人は迷った。しかしあたりにはすでに人がいない。一刻も早く外へ、と心は急くが、切なく泣く声を放っておくこともできなかった。

「…セレーヌ、ごめん。ちょっと見て来るね。」

「あ、あたしも行くよ。」

間口の広い木製の扉を開け、中に入る。

大型のデパートだけあってトイレ内も広く、個室も多い。その中で一つだけドアが閉められた個室があり、ドアを叩く音とすすり泣きの声が聞こえた。

「…っふ、うぅ~……、ママ…ママぁ…。」

エーディンがドアをノックし、声をかける。

「ドア、開かないの?お母さんは?」

「…カギ、開かなくなっちゃった…。……ママも分かんない…。」

「そっか…。今出してあげるからね。もう少し頑張って。」

そう言ってセレーヌとエーディンでドアを開けようとするが、どう壊れているのか全く動かない。こうしている間にも時間は経過してしまう。

「どうしよう。エーディンさん、隣の個室からなら出せるかな…。」

「そうね。結構壁高いけど、それしかないみたい。」

エーディンは隣の個室に入り、水タンクを足場にして子供のいる個室へと移った。

泣き声は10歳ほどの少女で、エーディンの姿を見て一層泣き、よほど心細い思いだったのだろう、エーディンにしがみついた。

「よしよし、もう大丈夫よ。」

「うわぁ~ん!あぁ~!!」

「エーディンさん、カギ開きそう?」

エーディンはカギを解除しようと試みる。が、壊れていたのはカギではなく、ノブ自身が故障していたようで、内側からも開きそうになかった。

「…ダメみたい。セレーヌ、上からこの子渡すから、隣の個室で受け取れる?」

「うん、大丈夫。」

小さい少女といえども女性が頭上の高さまで持ち上げるのは苦しかったが、何とか壁を乗り越えさせることに成功した。

エーディンが続いて壁を越えた直後、すぐ近くで轟音が轟いた。

「キャーーーっ!!な、何?!」

少女を抱えながらセレーヌは、6階のフロアが5階を押しつぶしている光景を見た。6階は火の海になっていたらしく、火は勢いよく燃え広がっている。トイレ出口の扉にもすぐに火は回り、逃げ道が塞がれていた。炎の発する熱が、セレーヌの心を壊す。

「い、いやっ……!!エーディンさんっ!!」

「出口がっ…!どうしよう?!」

エーディンもセレーヌと同じ光景を見て絶望した。

出口はトイレの出入り口一つしかない。窓に目をやるが、ここは5階。とても飛び降りられる高さではなかった。

「熱い…っ、熱いっっ…ウォルカ…死んじゃう…っ……!」

「…セレーヌ…?」

少女を抱えてガクガク震えながらセレーヌは泣きじゃくっていた。緊急事態とはいえ、いつも明るくしっかりした彼女の面影が消え失せていたのだ。

「セレーヌ、しっかりして!こっちにはまだ火は来ないわ。」

炎にショックを受けたらしいとエーディンは感じ、燃え盛る扉からできるだけ距離をとる。

しかし炎の勢いは衰えず、木製の装飾を次々と喰らっていった。個室のドアも木製だ。いくらもしない内に火は限りなく近くにやってくるだろう。

「大丈夫よ、きっと助けに来てくれるからねっ。姿勢はなるべく低くして、呼吸はゆっくり…。」

幼い少女とセレーヌを励ましてふとエーディンは気付く。

(そうか…ここに人が残っていることを、外の人に知らせなくちゃいけないんだわ。)

ただ助けを待っているだけでは炎に焼かれてしまうだけだ。

どうしようかと一瞬迷ったが、一刻を争う状況だ。考えている時間はない。

窓に目をやり、これしかない、と直感する。

履いていた靴を片方だけ脱ぎ、ヒールの部分で思いっきり窓を割った。

酸素が建物内に入ったことで、炎の勢いは増す。

そのまま靴を窓の外に投げ捨てた。

(ホリン、気付いて…っ)

「これで助けが来るわ…もう少し、頑張ろうね…っ」

炎を避けるようにして3人身を寄せ合い、熱に耐える。

じっとり汗をかき、煙が周囲を囲み始めた。床ぎりぎりまで顔を近づけて、煙を吸わないようにする。助けを信じて、これで耐えるしかなかった。






ユーテル、ホリン、ルーヴァの3人はひたすら階段を駆け上がった。火災になっているのは5、6階だけなのが幸いし、エーディン達のいる5階にはすぐに辿りつく。

が、衣類の多いそのフロアはすでに炎と煙で覆われ、数メートル先の状況も見えなくなっていた。

しかし見えないからと言って立ち止るわけにはいかない。

「くそっ、前が見えねえな。ルーヴァ、ホリン、煙は吸うなよ。……っていうか、ルーヴァは何で来たんだ?!」

「黙って待ってろっていうわけ?!」

「できないよな、お前の性格じゃ…それより、靴が投げられたのってもっと建物の端のほうだよな?」

「それなら多分、2人が逃げられない状況からみてもトイレだと思う。ドアが燃えたら外には出られないだろうし。」

「そうか、ルーヴァ、場所分かるなら先導してくれ。」

「いいけど…ドアが燃えたら中にも入れないんじゃ?」

「それは行ってから考える。…強行突破しかないだろうけどな。」

炎と6階から落ちて来た瓦礫を避けつつ、身を低くして先に進む。途中、爆発に巻き込まれたのだろう人々の変わり果てた遺体も時折眼にした。その数が増えるにつれて、ルーヴァの身体の震えがひどくなるのにホリンは気付く。そんなルーヴァの肩を、ルーヴァが兄と呼んだ青年が優しく抱いた。

(そりゃそうだよな…)

ホリンは心にかかった靄を晴らすかのように、姉とセレーヌを呼んだ。そろそろ、二人がいるであろう場所に近くなってきたし、反応があれば安心できる。

ルーヴァ、ユーテルも声を出し、二人を呼び始めた。

やがて二人がいると思われるトイレの前に着き、一層声を張る。閉ざされた扉は今も炎に包まれ、普通には中に入れない状態だ。

 

「ホリン…ルーヴァ…?」

エーディンは名前を呼ばれていることに気付く。身を屈めているせいなのかよくは聞こえなかったが、確かにホリンとルーヴァの声を聞いた。それと、もうひとつの声は…。

「キャプテン…かな…。」

来てくれたんだっ…!

低姿勢のまま、思い切り空気を吸い込み、エーディンは叫んだ。

「ホリン!!!ここよーっ!!」

しかし頭の上はもう煙で覆われており、激しく咳き込んでしまう。

「…姉さん、セレーヌ!!」

「エーディン、セレーヌ、無事かっ?!」

良く通るユーテルの声は震えながら泣きじゃくるセレーヌにも届いた。

「…お兄ちゃんっミディールっ!!」

「セレーヌ!…良かったっ……」

「扉の近くにはいないようだ。俺が蹴破るから、ホリンとルーヴァは後ろから来い。時間をあけるなよ。」

「了解。」

言うが早いか、ユーテルは軽く助走をつけ、携えていた剣で燃え盛る扉を切りつけるとその勢いのまま突っ込んだ。その後ろをルーヴァ、ホリンの順で中に入る。木製のドアは大きく、人がようやく通れるほどしか開かなかったため、すぐに炎で塞がれてしまう。退路は断たれた。

だが、ユーテルにはこれは想定内だ。火災に遭遇したならば、来たルートで帰れることはほとんどない。だからこそ、ユフィールには外にいてもらっているのだ。

「あっちぃ…セレーヌ、エーディン無事か?」

「お兄ちゃん!!」

すぐに二人…ともう一人を見つける。水を被ったかのように汗で濡れている身体を見て、どれだけ熱さに耐えていたかが分かった。

「よかった、みんな元気とはいえないが無事だな。すぐに出るぞ。ホリン、エーディンを頼む。こっちの子だったらルーヴァでも抱えられるだろう。」

「兄さん、出るって窓から?」

「あ、ユフィールの奴まだか…?」

その時、窓から投げ入れられた物がある。

それはエーディンが窓から投げた靴だった。

「…大丈夫らしい。俺は最後に行くからルーヴァから行け。跳べるな?」

ルーヴァは幼い少女を抱え、窓から跳んだ。

下にユフィールの姿を捉える。消火隊から拝借したらしい救出用マットを準備していた。

「先生!!」

「おかえり。」

ルーヴァ、ホリン、ユーテルの順で次々と脱出に成功し、ユフィールは一安心する。

「無事でなによりだが、騒ぎが大きくなる前にさっさと宿行くぞ。」

建物から逃げ出してきた所に、消火隊と救急隊が寄って来る。しかし一緒に連れて来た少女を託して振り切り、一行は宿泊している宿に向かって駆けだしたのだった。


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