第22話

もう少しでタゴルダ領に入る。

ジェルフ・ダーマーの命令でウォルカ皇子の拉致に赴いたのは長男のペグノバーニだ。

タゴルダはクラーニの遠縁にあたる国家であるため、ジェルフ本人が行けば警戒されて逃がしてしまうおそれがあった。なのでボアーノ国の王子としては顔が知られていないペグノバーニが旅の商人の振りをしてタゴルダに向かい、船で接近している。

拉致の対象は年少のルトーか、障害のあるウォルカかにボアーノ国内で意見は割れたが、結局走ることのできないウォルカの方が逃亡の危険はないということで最終的には決着した。

ジェルフにクラーニ陸班の情報を与えた元家臣の男は別ルートですでに集落に帰還している頃だ。居場所を知ったからと言って、彼の協力なしには拉致は実現しない。綿密に計画を練ってここまで来たのだから、失敗したら全員処刑を覚悟しなければならないだろう。そんな緊張感が、ペグノバーニを覗く全員を包んでいた。

船長室には船長とペグノバーニ、数人のボアーノ家臣が晩酌をしている。

この船長はジェルフの友人であるらしく、よく城の居室にも訪れていたのをペグノバーニは記憶があった。今回ジェルフが大事な任務を任せているといううことは、かなりジェルフにも気に入られているのかと思っていたが、船長自ら申し出たことらしい。

ジェルフの友人というだけあってかなりの野心家だ。船の扱いの腕は確かだが、それを世のため人のために使わず海賊行為を繰り返していた。一応王子のペグノバーニに対しても横柄な態度をとる。ペグノバーニの方も自分の父親と同じくらいの人間に対して敬意を払わないのだからお互い様なのだが。

「ペグノバーニ。あのクラーニ家臣を信用していいのか?二重スパイってことは?」

「ん~、大丈夫じゃない?こっちを裏切ったら娘はどうなっても知らないよって言ってあるし。」

「そうならいいが。」

「躊躇して失敗なんてしたら、それこそ一族郎党皆殺しにされちゃうからね。みんなには気合い入れてもらわないと。もちろん、船長もヘマなんてしないでよ。」

「…それなりにいい金をもらってる分、ちゃんと働くさ。」

娘を盾にされて元クラーニ家臣の男はボアーノの間者となり下がってしまった。船長とペグノバーニの会話を聞いて、その男に同情しつつもボアーノの恐ろしさをボアーノ家臣達は思い知る。

今回の任務の中に、クラーニ時代からの家臣は含まれていない。というより、クラーニの家臣はクラーニに対しての忠誠心厚く、思うとおりに動かされてくれる者はほとんどいなかったのでまとめて地下の牢獄に入れてある。もっとも、すでに死に追いやった者もいるのだが。まだクラーニ復興の希望をわずかに持っている彼らに、皇子達の訃報を与えて絶望の淵に追いやったうえで死を与えてやりたい、というのがジェルフの野望だ。彼らにウォルカ皇子拉致の知らせを聞かせたら、一層絶望を感じてくれるに違いない。そう思うとペグノバーニの気持ちは逸る。

 シヴァの森は東西に細長い島国であるタゴルダの東端に位置する。ボアーノ船は西から向かっているが、シヴァの森付近に船を着桟させるのは感ずかれる可能性があり危険だ。シヴァの森より西に船を着け、ウォルカ皇子を攫った後は海流に任せてボアーノへ帰る算段だ。向かっている今は海流に逆らって進んでいるため速度は落ちているが、確実にシヴァの森との距離は近づいている。

「集落のリーダーにはお前ら気をつけろよ。相当の手練らしいからな。」

元家臣の情報であるが、集落のリーダーはクラーニの家臣で忍隊を束ねていた女族長らしい。それを聞いた時に父ジェルフはやはり、と頭を抱えていた。皇子らとともに姿を消していた忍隊だが、今も行動をともにしているとなると非常に厄介だと。しかも、族長の二人の息子も集落の中にいながらもかなり鍛えられているとも元家臣の男は話していた。その二人の息子、クラーニの皇子にぴったりとくっついて護衛していため、拉致は容易ではない。だから元家臣の男を脅迫する形で協力させたのだ。彼もここまできて失敗するわけにはいかないだろう、必死でやってくれるには違いない。

 計画としてはまず、ウォルカ皇子と護衛を引き離し、その間は元家臣が護衛係としてウォルカ皇子のそばにいかなくてはならない。その後は元家臣の男はペグノバーニらと約束した場所で落ちあい、ウォルカ皇子を引き渡す。

そんな単純な机上論なだけに、不安要素はたくさんある。最大はウォルカ皇子の護衛を入れ替わるところだ。元家臣の男はどんな言い訳をつくって実行するかは分からないが、護衛に怪しまれてしまってはこの計画は上手くいかなくなる。そしてその護衛がウォルカ皇子から離れている時間。どれだけ時間を稼げるかがカギになりそうだ。

さらにシヴァの森で生活している彼らは当然周囲の状況を把握するため、物見櫓をつくり四方を24時間体制で監視している。当然落ち合う場所はそこから離れているが、気付かれないとう保障はない。なにせ忍隊は五感が人よりすぐれていると聞く。

チャンスは、1回きりだ。

「うまくやってくれよ~。」

自分は戦いには不向きなので周りの傭兵を頼りにするしかないが、戦闘は避けられるのがベストだ、とペグノバーニは考えていた。あくまでウォルカ皇子はユーテル皇子を呼び寄せる囮。そのとき、真の戦になる。






「ユダイエ、娘御の容体はどうだった?」

「おかげ様で、持ちこたえることができました。体調の方も落ち着いて、ひとまず安心です。」

「そうか、なら良かった。また同じような知らせが来たら遠慮せずに申し出るように。」

「…ありがとうございます。」

シヴァの森へ帰還した男の名はユダイエ・クアルス。集落を纏める女族長のもとへ帰還の報告と、帰省の許可をもらった礼に来ていた。白い肌に真っ黒の髪、銀の眼を持つリーディスはどこか現実感のない、虚無な雰囲気を纏っていた。しかし集落での彼女の存在感は圧倒的であり、その相反する空気感を纏えることが、多くの人間が惹きつけられる要因なのかもしれない。

本来は帰省禁止のもと、この地で生活を送っていたのだが娘の病状が悪化したとの知らせが届き、特例で帰省を許されたのだ。氷より冷徹と称される族長のリーディス・コーガだが、帰省の許可をくれたのは彼女自身でありユダイエは感謝している。

しかしその胸中は複雑だった。

「ここへ来る途中、変わったことはなかったか。」

「いえ、特には…。」

「なら、もう下がっていいぞ。疲れたろうからしばらくは休養するがよい。」

「はい、失礼します。」

ユダイエは一息つき、一号館を後にした。夕方になっても強い日差しに目を細める。

シヴァの森集落で一番大きくて北側に位置する館は通称一号館と呼び、おもに日中に族長のリーディスと集落内の幹部達が集まる場である。集落周辺と世界各国の情勢など、各々が集めた情報の共有化が目的だ。

集落には居住の為の建物の他、畑や生簀を作り、自給自足の生活が送れるようにしている。それはクラーニ国の落ち人で構成された集落であることを隠すカモフラージュの役割もしていた。

 集落で暮らす人々は元はクラーニ皇族直属の忍隊の者が多く、ユダイエ自身も忍隊としてクラーニに貢献していた一人だ。家族と離れて暮らすのはユダイエだけではない。それだけに、娘のため一時的に集落を離れたユダイエを責める者もいなかった。寧ろ、皆が娘の身を案じてくれる。そんな仲間を嬉しく思う反面、ユダイエは戸惑った。

これから…裏切ることになるからだ。

どんなに仲間を思っても、思われても。もう後戻りできないところに来てしまった。

クラーニを裏切ったと、仲間や家族が知ったら何と言うだろうか。

仲間だけでなく、おそらく家族も裏切り者と罵るだろう。娘はもう二十歳だ。クラーニの重臣である家系に生まれ、病弱ながらも忠誠を重んじる教育をされてきている。父が裏切り者となることを望んではいないはずなのだ。

父の裏切りと引き換えに永らえた命だと娘が知ったら……。

それでも、ユダイエは娘を見捨てることなどできない。生きてて欲しいと願い、そのために生きることは間違ったことだと思いたくなかったのだ。

ユダイエの心は重く、新月の闇夜の様に不安で満ちていた。

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