第18話

夜もすっかり更けたころ、ユフィール、ルーヴァはホテル内の酒場の端の個室で話をしていた。そこにユーテルが合流する。フェリスの扮装ではなく、普通の若者の姿だ。

「ごめん、遅くなった。…ホリンとエーディンは来ないだろうな。」

二人にまだ素顔を晒していない。いずれは、と考えてはいるが、今はその時ではないのだ。

「個室だから、まぁ大丈夫だろう。それより今回もフェリスの手配書は来ていないそうだ。」

昼間ルーヴァにギルドに向かわせた要件はこれだった。つまり、コルガでフェリス・ピークスの手配書があるのか、どうか。

フェリス・ピークスはボアーノ、ガーラマルダ、ゴラ等いくつかの国で指名手配中だが、ウロ―ドルではまだ手配書が発行されていない。たとえば、賞金稼ぎがフェリスをここコルガで捕まえたとしても、手配書が発行されている国まで連れて行かなければ懸賞金は貰えない仕組みになっている。手配書が発行されてしまうと賞金稼ぎから狙われるリスクが高まるということだ。

したがって、ユフィールはフェリスの手配書がどこの国で発行されているかに気を配っている。コルガには恩を売ってあるので安全圏ではあるが、ウロードルという国単位で見ると知らぬ間に手配書が発行されていることもないとは言い切れない。

「じゃ、今回の滞在の間くらいはここも安全だな。」

「そうだろうが、油断はするなよ。極力一人での外出は控えて欲しいくらいだ。」

「だけどホリンとエーディンがいるんじゃ、単独行動するしかないだろう?いつもの恰好でも目立つ都市じゃないが、こっちの方が落ち着く。」

まあな、と言いながらユフィールはユーテルにビールを渡す。3人で乾杯をしながら話題はアスタルテの事件に及んだ。

「なぁユフィール。ホリンとエーディンはいつまで乗せておくべきだと思う?」

連れて来たのは自分だが、二人には帰る家がちゃんとある以上、あまり振り回さずに帰してやりたい気持ちはある。

「…あの事件以来、アスタルテ国は混乱しているな。街を襲撃した盗賊団は目的の花嫁を手に入れられなかったが、ほとんどが無罪放免で国民は怒り心頭だって話だ。だからって国民達に為す術はない。…いつ帰すべきか、俺達が決められねぇよ。」

アスタルテ国家の威厳は軍の強さに守られているといってもいい。例え反乱が起きても軍が出てくれば簡単に鎮圧できる。街の自警団や警邏隊も強固だ。今の政治に不満を持つ者がいたとしても、何もできない現状があるのだった。

「侯爵家は無事なんですか?」

聞いたのはルーヴァだ。

「あぁ。エーディンとホリンの姿が消えたことには何の責任もないからな。ホリン個人は脱走兵にされてはいるが、侯爵家が罪に問われていることはない。」

「そう、良かった…。」

安心したように、ルーヴァはグラスのワインを飲み干した。

「なんだ、結構心配してたんだな。」

ユーテルのからかうような視線が気まずいのか、少しムッとしたように肴のチーズを口に放り込む。

「心配なのはエーディンさんであって、別にホリンはどうでもいいけど。」

「そんなこと聞いてねえのに。逆に意識でもしてんのか?」

にやにや笑いながら、ユーテルは向かいに座るルーヴァの頬を突いた。ルーヴァは顔を赤くしながらユーテルの手を払い睨みつける。

「…兄さんっ!」

ルーヴァの口から船の上では決して呼ばない言葉が出た。船上ではキャプテンであるフェリスだが、陸に降りたらルーヴァ、セレーヌの兄である。フェリスではない恰好していればルーヴァはこう呼ぶ。船内では他人として接しているが、兄妹に戻れる陸がルーヴァは嬉しい半面、変にからかわれるのには困っている。

ユーテルとしても、ただの兄として接することができる時間は貴重だ。ついつい、いつもとは違う絡み方をしたくなってしまう。

「兄妹でイチャイチャするなよ。…それはそうとフェリス。あの不良達はどうにかする気はないのか?」

ユフィールの言う不良達は当然船内の問題児、アーヴィン、ガフ、セイゴのことだ。船内はおろか、街に繰り出せばそこでも騒動を起こす3人にユフィールは手を焼いていた。

素行が悪すぎると、船長に直談判したことはあるが人の良いユーテルは3人に泣きつかれると弱い。

確かに眼に余る問題を起こすこともあるので、船から降ろすことをユーテルも真剣に考えていた。しかし、タイミングが上手くつかめないでいる。

「今大事な時期なのはフェリスもわかってるだろう?ジェルフ・ダーマーが何か仕掛けてくるかもしれないって時に、邪魔になるような奴は船にいらないんだよ。」

「………。」

「ホリンをぼこって返り討ちにされてりゃいいけど、セレーヌやエーディンがターゲットにならないとも限らないし、一番の悪ガキのアーヴィンはルーヴァに御執心だ。」

「あぁ、知ってる…。」

「なら、もう船から降りてもらえよ。なんか言って来ても聞くな。」

「分かってるけど…。ここを追いだされたら行くところがない、また盗賊に逆戻りだ、って言われると…な。」

煮え切らない返事をするユーテルにいらついたのか、ユフィールは煙管に火をつける。

「ユフィールの言ってることはわかるよ。あいつらはこれまで色々と騒ぎを起こして来たし、最近は注意しても聞き流される始末だ。降ろすべきだと思う。でも、それであいつらが路頭に迷って盗賊や海賊に戻ったらと考えると、それが正しいのか分からないんだよな。なにより、逆恨みされるのが一番リアルで厄介だろう?」

それはユフィールも考えたことのあることだった。武力でたかが3人に負けるとは思っていないが、ピークス船団を陥れる目的で海賊行為、盗賊行為を行われるのはまずい。船団の一員を名乗れば各国で船団自体の手配書が増えてしまう可能性があるからだ。

「確かに逆恨みは厄介だが、それはその時対策を考えりゃいい。今大事なことは何かを考えろよ。」

逆恨みでなにかしら復讐を仕掛けてくるとしても、結局相手は3人。恐れることはないというのがユフィールの結論だ。

「…わかった。そう遠くない内に船から降ろすよ。コルガは人が多いから避けたいが。」

「そうだな。あまり俺達と関係が薄いところがいいかもな。場所は俺も検討しておく。お前は大義名分を考えておけ。必要なら俺も説得するから。」

「それはどうも。ルーヴァも異論は」

「ない。」

言葉の途中でルーヴァは遮り、ぴしゃりと言う。ユーテルとユフィールの話の間もワインを呑み続けていたらしいが、話は聞いていたようだ。ルーヴァ自身、例の3人は忌々しい存在でしかなく異論はあるはずない。呂律の回らない口調でさっさと降ろせ、と付け加えた。

「ルーヴァ、呑み過ぎてねえか?」

なおもグラスに手酌でワインを注ごうとするルーヴァの手をユフィールが止める。ワインボトルは2本目、そのほとんどをルーヴァが飲んでいた。

「アル中になるぞ。少し控えろ。」

「………」

文句を言いたそうなルーヴァを無視して、ユフィールは少し残ったワインボトルをラッパ呑みで空にしてしまう。

「酒呑むと無防備になる癖があるんだから気をつけろ。…ホリンにはお前が女だってばれてるぞ。」

「はぁ?!」

素っ頓狂な声はユーテルのものだ。

「…やっぱり……。」

頭を抱えてルーヴァは呟いた。

「楼の外で酒飲んで、意識飛ばしてる方が悪い。通りかかったのがホリンでよかったくらいだ。」

もしアーヴィンだったら、と考えただけでもルーヴァは鳥肌が立ち、吐き気が込み上げてくる。

「ホリンは普段ユフィールとガントに任せてるけど、信用はできそうか?」

船長という役職柄、普段から船員一人一人と接する機会はほとんどない。エーディンは女性同士、完全にセレーヌに任せているし、ホリンはユフィール中心に操船、船大工組に面倒をみてもらっていることが多い。船古参のメンバーと仲良くやっているらしいことはユーテルも見て分かるが、ユフィールは人を見ることに非常に長けている(逆にガントは鈍い)。

「あぁ。話好きな奴だけど、口は堅いな。話していい事とそうじゃないことを良く弁えてる。育ちがいいだけあって紳士だし。…戦闘力も高いから、アスタルテに帰さなくてもいいくらいだと思う。」

船上での仕合でホリンの実力はみんなが知るところとなっている。実戦経験は多くないものの、様々な戦術を知っており、体力も申し分ない。船員達のほとんどはホリンに勝てなかったのだ。人見知りもせず、弟キャラで船員達からは評判も上々だ。例の3人を覗いてはの話だが。

「随分誉めるんですね……。」

ワインを取り上げられ、拗ねたように口を尖らせてルーヴァは言った。何度かホリンと手合わせたが、結局勝てずに今日に至っていることを思い出し、胸がムカムカしてきたのだ。ユフィール達がホリンを買っているのは知っているがルーヴァはただただ悔しい。自分より、存在価値の高い人間が現れたようで面白くないのだ。ルーヴァもホリンの実力は認めざるを得ないし、人間性も疑っているわけではない。つまりはただの嫉妬だということもルーヴァは自覚している。

「まぁまぁ、ユフィールが大丈夫だっていうならまずは安心だな。ルーヴァだってそう思ってるんだろ?」

ユーテルは大きな手でルーヴァの頭を優しく撫でる。

勝てないのが悔しいだけだ、ということは完全に見抜かれていた。

なんだかんだ言って、この兄も人の考えを見抜くのが上手い。

「ホリンといえば、結構仕合とか好きそうだ。闘技場に出たいって言ってきたら…」

「あぁ?駄目に決まってるだろ。」

ユーテルの言葉を遮って、ユフィールはばっさりと切り捨てた。ルーヴァは意外そうにユフィールを見る。

「なんでですか?」

てっきり、寧ろ出てみないかくらいは言うかと思っていたのだ。

「なんでって。エーディンはともかく、ホリンはアスタルテから追われる身なんだってこと忘れるなよ。ホリンはウロードルで指名手配される可能性があるんだ。…とはいえ、アスタルテとウロードルは国交がほとんどないから可能性としては低いんだが、目立つようなことはしないこと。」

「ふ~ん。」

それもそうか、とルーヴァは思う。ユフィールは常に周囲に気を配っている。街中を歩いているときでさえ、アンテナを張り巡らせているのだ。ルーヴァが闘技場に出る時も相当の反対にあったことを思い出す。

だが、ユーテルは、

「まだ手配書が出てないんだろ?だったら一回くらい出させてやってもいいのに。」

引き下がらないのだった。

ユーテルとしては、手配書発行の可能性があるなら確かに目立つことは危険なのだが、手配書がまだ発行されていない内なら闘技場に出るのも問題はないのかと思っている。発行されてしまった後は完全にアウトだからだ。

もちろんホリン本人の希望ありきなのだが、船上での稽古の時もイキイキしていたので間違いなく好むと思う。ユフィールもそれを分かっているのでユーテルに念を押した。

「とにかく、駄目。勝手に許可したりするなよ。」

「はいはい…」

聞いているのかいないのか知れない返事をするユーテルを睨みながら、ユフィールは次の酒を注文する。ユーテル、ルーヴァには飲ませず、一人でブランデーを嗜むのであった。


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