第15話
船に乗ってすでに10日ほどが経つ。
海上の生活といえば、海竜や海賊に襲われたりすることが頻繁にあるとホリンは思っていたが、一度もそういったことはなかった。天候はたまに荒れたりはしたが、海竜は大人しい種がほとんどだというし、海賊はもっと大陸から遠いところに多いらしく、大陸に沿うように航海していれば遭遇することは少ないのだそうだ。と、副船長は言っていたが、ユフィールが言うには、ここ近辺の海賊はもうピークス船団が締めているので近づいて来ないとのことだった。どちらにせよ、姉が乗っている船で戦闘がないのは助かる。
アスタルテに帰れなくなったことで、姉と正式な船員としてフェリス・ピークス船団に迎えられることになった。船の上では各々役割を持っているが、多くは船大工や操船員として船の操縦、あるいは破れた帆や破損個所の修繕にあたっている。ちなみにルーヴァは日頃は航海士をしており、ベテラン航海士のトーラとよく一緒に行動していた。大工仕事等の経験のないホリンは操船員として働き、エーディンはセレーヌと同じ、料理や家事全般を行うこととなる。次の目的地、コルガを通過するまでは特に働かなくて構わないと言われたが、何かしていないと後ろ向きなことばかり考えてしまうから、とエーディンが申し出たのだ。
エーディンは日に日に笑顔が増えてきたし、セレーヌにくっついているおかげかもしれないが、船員達とも上手くいっているように見える。
一方でホリンはといえば、船上での仕事にも船員にも揺れにも慣れてはきたが、相変わらずアーヴィン、ガフ、セイゴとは馴染めない。一週間前にリンチを喰らってから一応口先だけの謝罪はもらったものの、反省の色は全く見えなかった。部屋割を変えてはもらえなかったが、ユフィール、ガントの部屋に入り浸るようになり、なんとかアーヴィンとは適度な距離を保っている。
そして、意外だったのは船上での剣術稽古だった。当然戦闘になることもあるのだから必要なことなのだが、しばらく剣術はできないだろうと思っていたホリンは喜んだ。船長フェリスはやはりというか、当然のように凄腕の剣士である。普段は非戦闘員であるセレーヌも、いざとなれば砲撃手にもなるし、狙撃手にもなる、とのことだし、また、船医専門だと思っていたユフィールが実は双剣の使い手で、かなり強い。ルーヴァに剣を教えたのもユフィールだということも知った。
ルーヴァに対しては、告白めいた一言を言ってしまったおかげで少々気まずくなるかと思ったが、彼女はいたって普通だった。聞かなかったことにしているのだろうか、と思うとそれも残念な気がする。だがアーヴィンには何も感ずかれずに済むのでよかったのかも、とも思う、複雑な心持だった。そもそも、出会ってわずか数日、まだ自分の気持ちがはっきりとしていない。
「気になるっていうか…ほっとけないタイプなのは確かなんだけど…」
そう意識したのは、ルーヴァが酒を飲んでいたあの夜だろう。もしあのとき、女だと気付かなかったらどうなっていただろうか。などと。今さら考えたところでどうにもならないし、仕方のないことだ。
「なんで…言っちゃったかな……。」
結局はここに戻って来るのだった。
「さっきからどうしたの?」
昼過ぎになり、ホリンが操船の仕事から離れ、船楼2階のベランダで休憩を取っていると後ろから声が返ってくる。操船といっても、船の舵操作はもっと慣れた人がおこない、ホリンにできることといったら帆の調整くらいだ。
振りかえってみると、声の主はセレーヌだった。エーディンも一緒にいる。
「セレーヌ?!」
心地よい風にあたって耽っていたせいか、完全に油断しきっていて背後の気配には全く気付かなかった。剣士として情けない。
「ね、何の話?」
セレーヌはなおもさっきの独り言にくいついてくるが、言えるはずもなくホリンは困った。
「そ、それよりもさ、何か用があったんじゃないのか?!」
「あ、そうだった。」
不審な言い方かもと思ったが、セレーヌの興味をそらすことに成功した。ひとまずホリンは安心する。
「あのね、今度のコルガなんだけど、行ったことないんでしょ?カジノも劇場もあるし、闘技場も盛り上がるし、デパートで買い物もいいけど、商店街のお店もいいの売ってるのよ。5日位は滞在するっていうから、思いっきり楽しもうね。コルガにいる間はホテルに泊まっていいっていうから、久しぶりに陸で生活できるよ。あたしが案内するからホリン君はボディガードお願いね。」
そういって広げたのはコルガ市内の地図らしい。各娯楽施設のパンフレットまである。
「それから、不良3人組は罰としてコルガでは船で留守番。ギガント副船長が見張っててくれるっていうから、安心して羽伸ばしてね。」
「そうなんだ…」
これには安心した。街でばったり出くわして因縁つけられたりしないかと心配していたのだ。とはいってもホリンの方が腕っ節が強いことは彼らも分かっていると思うが(思い知ったというべきか)。
「で、で、行きたいところはある?闘技場は絶対お勧め!世界一大きい闘技場でね、このコルガで5回優勝すると軍神の称号がもらえるのよ。今軍神て呼ばれてるのはマルスっていう人なんだけど、すっごいイケメンでねぇ、素敵なの!行った時に出場するといいんだけどな。…あ。ルーヴァも出るだろうから応援してあげようね。」
闘技場のシステムはまず、出場者が参加料を、観戦客が見物料を支払う。そのお金を懸けて、剣闘士が1対1のトーナメントで最後の一人になるまで戦う。優勝者には集まった総額の半分ほどが支払われ、残りは準優勝、3位、闘技場資金として支払われるようになっている。また、決勝戦だけはその勝敗を賭けてお金を出すことも可能だ。その場合の賭け金は勝者と賭けた客に分配される。人気剣闘士ならば相当の額を稼げるのはこの制度のおかげなのだ。
観客が多く集まれば、お金もより多く集まり闘技場の経営もますます順調になる。人気のある剣闘士に出場してもらえることは闘技場運営側にとっても有益なのだ。剣闘士にとっても、観客の多く集まる闘技場で勝つことは自分を売り込むチャンスでもある。コルガほどの大きな闘技場は、世界中から剣闘士が集まるので勝ち続けることが難しく、5回の優勝経験を持つものは軍神として人気を集める。
「闘技場か…いいな。」
剣士であるホリンは興味津々だ。闘技場があるのは世界でも10都市に満たない。アスタルテ近郊には闘技場がないので初体験になる。
「…エーディンさんは?こういうの大丈夫?」
「大丈夫よ。私も行きたい。」
闘技場に集まるのは7割以上が男性だ。かつては本当の殺し合いに起源がある闘技場だが、今はスポーツであり、ギャンブルであり、エンターテイメントでもある。女性客の割合はまだ多いとは言えないが、年々増加傾向にあるし、女流剣闘士も増えつつある。だがエーディンも楽しめないと、今回のコルガ停泊の意味がなくなってしまうのでなるべくエーディンの意に添いたいとセレーヌは思っていた。エーディンはといえば、弟は剣士だし、夫となるはずだったバルドルも剣士だ。アスタルテ軍内の仕合があるときはよく観に行っていたので抵抗は全くない。そうセレーヌに伝えると、セレーヌは嬉しそうにほほ笑んだ。
「じゃ、闘技場は決まりね!軍神マルスが出場する時があれば、それを狙って行きましょ。あとはね…劇場とかかな。劇もやるし、楽団もあるし、サーカスみたいなのもあるのよ。一番の花形はミュージカルなんだけど、なにか観たいものとかない?」
セレーヌは劇場のパンフレットを見せながら二人に聞いた。劇場は2階建ての建物で、1階はミュージカルとサーカスの規模の大きな出し物を上演し、2階で楽団や演劇、ダンスを上演している。
「う~ん、迷う…どれも面白そう…」
パンフレットを見るが、エーディン、ホリンにとってはどれも魅力的だ。二人の住んでいたアスタルテは軍に力を入れるあまり、このような娯楽施設はほとんどない。
「すぐに決めなくても大丈夫よ。行ったときにやってるの観てもいいしね。」
予約とかしなくても入れる、とセレーヌは付け足す。近隣にカジノ、闘技場、デパート等の大型施設があるため、客はそれぞれに分かれるので確実に入りたい場合、または良い席を特別に取りたい場合以外は予約は必要ないのだ。
「それから、お買いものもするのよね?デパートは服も雑貨もあるし結構良い品ぞろえよ。男の子用の服もあるし、武器・防具もあるし、ホリン君も色々揃えられるんじゃないかな。
商店街は美味しいものいっぱいあるよ。食べ歩きしようね。あ、パンフレットにはないけど、広場には吟遊詩人もいるし、大道芸もやってるし、お金かけないで遊ぶならここかしら。人が一番集まるのは、この広場なのよ。」
「おいおい、セレーヌ。そんなにたくさん話したって分からねえだろうに。」
矢継ぎ早に話すセレーヌをたしなめたのは煙管を咥えたユフィールだった。
「だってぇ、コルガ楽しくて大好きなんだもん!…先生はコルガに着いたらどうするの?」
「ん?俺は闘技場とカジノに行ければそれでいい。」
「…またギャンブル……」
「あのな、ちゃんと勝ってくるんだから文句言うなよ。」
コルガに限らず、ユフィールはカジノがあれば必ず立ち寄る。元の所持金より負けてくることはないが、ギャンブルは褒められたものではないというのがセレーヌの意見だ(あくまで個人的な)。
「そういう問題じゃないと思うのよね。…どうせ花街にも行くんでしょ。」
セレーヌの一言にユフィールは思いっきり煙を吸い込んでしまい、噎せた。
「…ギャンブルに女って、どんなろくでなしだよ。今回は花街はなし。いや、ホリンが行きたいっていうなら案内してやんなきゃいけないけどな。」
「いえ、結構です。」
ホリンは丁重に断った。花街も未知の領域だが、行きたいとは思わない。
「そっか、助かったよ。コルガは観るところたくさんあってセレーヌみたいにクセになっちまうだろうが、滞在してる間は楽しんでくれ。明日の昼には着く予定だから準備しておけよ。」
と、言い置いてユフィールは立ち去った。明日着くということを伝えに来たようだ。
「明日の昼にはコルガかぁ…楽しみ…」
エーディン、ホリンの為のコルガ滞在のようなものだが、結局セレーヌが一番楽しみにしているらしいことにエーディンとホリンは笑った。
時刻は夜11時になろうとしていた。波は少々高いが、アーヴィン、ゼフ、セイゴ達はここ数日大人しい。コルガで留守役を命じられ、相当落ち込んでいたせいだろうか。
「可愛そうなんて、微塵も思わないけど。」
むしろいい気味だと、ルーヴァは独り言をつぶやく。狭い自室に入り、小さな机に向かって船長に提出するコルガでの行動表を纏めていた。コルガほどの大都市に入る際には、誰と何時に何処へ行くという行動予定表を船長に提出しなければならない。街で事件や事故が起こった際、お互いの安全を確認するためのものだ。
行動表とは言うが、今回ルーヴァは闘技場以外には特に用事がない。いつもはセレーヌに付き合って買い物に繰り出すのだが、セレーヌはエーディン・ホリンと行動するらしいのでそれもない。一緒に行こう、とセレーヌから誘われたが断った。今ホリンとはいづらいからだ。
『やっぱり、ユフィール先生が特別?』
ホリンの一言を思い出して顔が熱くなる。
「…そんなに、分かりやすいのか…?」
本人にはおろか、周りにも決して感づかれないように生活してきたというのに。わずか出会って数日の奴にばれるとは、不覚としかいいようがない。しかも。
『俺じゃ駄目か?』
まるで告白のようなあの言葉の真意はなんなのか。
「そもそも…女だって知ってるのか?あいつ……」
酒を飲み過ぎて外に出ていた時、ホリンと一緒にいた。それは覚えている。その時に気付かれていたとしてもおかしくない状況だったはずだ。
「…駄目だ…考えたら頭痛がする。」
考えても分からないことは、自分によくない想像をしてしまう。考えないようにしてもそれは難しいことだった。かといって、本人に確認することもできない。
「おい、ルーヴァ。いないのか??」
声とともに扉をノックする音がした。考え事をしていたルーヴァは驚いて飛び上がる。
「ユフィール先生?!」
声の主はユフィールだった。慌てて扉を開け、中に招き入れる。
「どうしたんですか?こんな時間に…」
ユフィールが女性達の部屋に入るのは診察の時ぐらいしかないので珍しい。自室に二人きりになり、ルーヴァの心拍数が上がる。
「ん~…お前コルガではどうするんだ?闘技場には行くんだろうけど、それ以外で。セレーヌに聞いたら今回は別行動だって聞いたからさ。」
「あ、はい。闘技場だけ行ったら少し買い物して船に戻るつもりです。」
ベッドに腰かけたユフィールに手を引かれて隣に座りながらコルガでの予定を話した。改めてこう話すと、なんてつまらない予定だろうと自分でも思う。
「なんだ、折角のコルガなのに。予定がないんじゃ、少しデートでもするか。」
デート、という響きにルーヴァは目を丸くする。
「劇場にはいつも行ってたんだろ?一緒に行こうぜ。って言ってもどのタイミングで行けるかは分からねえけど、とりあえず何が観たい?」
「………管弦楽…」
「後は?5日ぐらいは停泊するんだからほかにも行くところはあるだろ。」
「…………」
「おいおい、ねえのかよ。じゃ、夜はバーだな。酒はほどほどにさせるが。」
「あの、なんで急に…?」
デートなんて、という最後の言葉は声にしていないが。
「…嫌なら無理強いはしねえよ。」
ユフィールはあまり乗り気でないルーヴァの様子を感じ取ったのか、頭をガリガリ掻きながら困ったように言う。
「い、嫌じゃないけど!…ただ、驚いて…。」
赤く染まったままの顔がなかなか元に戻ってくれず、ルーヴァは顔を伏せる。ユフィールは嬉しそうにほほ笑み、顔を伏せて顔を赤らめるルーヴァを愛おしそうに抱き締める。
「それなら、決まり。ちゃんと可愛い女の子の恰好でな。」
そこまで言うと、ユフィールはルーヴァの耳に口づけた。
「せ、先生?!」
突然の行為にルーヴァはさらに驚き、色気とは無縁の声を上げる。
「黙って……」
ルーヴァの耳元で精いっぱいの艶っぽい声でユフィールは囁いた。ユフィールの唇はルーヴァの滑らかな頬を伝って唇に到達する。
ルーヴァは驚きはしたが、健気にキスを受け入れてユフィールの背中に手をまわした。そんな彼女の仕草が可愛らしくて、抱き締める腕に一層力をこめる。唇を一度離して、再び重ねた。
「愛してる、ミディール。」
そういえば言ってなかったと思い、眼を見てユフィールは告げる。その一言だけ囁いて、また口づけた。
ルーヴァを大事に思う気持ちはあるものの、正直それは愛というよりは情なのだと、ユフィールは気付いていた。ルーヴァが幼いころから生活を共にしており、自分の娘のような気がしている。それに、心に傷のあるルーヴァをさらに傷つけるようなことはしたくない。いずれ、もっと彼女に似合う男に恋するだろう。その時に振られ男になればいいし、そうならなかったら責任は取るつもりでいる。
(20か、25歳くらいが目途かな…)
ルーヴァがそのくらいの年齢になる頃には、状況は今とは変わっているはずだ。というより、変えていかなければならない。それまでは彼女の気のすむように、恋人として接していくつもりでいる。
そうギガントに打ち明けたら猛反対にあった。彼もまた、ルーヴァの父親代わりなのだから言いたいこともあるだろう。しかしルーヴァのことに関しては譲るつもりはない。ユフィールにとって、彼女は患者でもあるのだ。
「…先生?」
つい考え事をしていたが、呼ばれて我にかえる。
最後にもう一度だけキスをして立ち上がった。
「じゃ、コルガで時間できたら声掛けるから。」
「……はい。」
結局、ルーヴァの頬は紅潮したままだった。ホリンのことは完全に頭から離れていた。
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